★五十六話 火蓋は切って落とされた
時刻は昼を過ぎ、雨が密やかなリズムを刻む街並み。戦いの音は未だ響かず。
買い物を終えた詩乃、プリムラも無事に戻り、兵馬と共に510号室へと一旦引き上げている。
久々に得られた一時の安息だ。詩乃はベッドに背を投げ出して、「ううん……」と両手を伸ばしている。
窓枠を打つ雨音を聞いているとそのまま昼寝でもしたくなるが、旅に転戦を繰り返す身にはやらなければならないことが多い。
「プリムラ、こっち来て。久々に手入れしとこ」
「うん!」
手招きされたプリムラは嬉しそうに、子犬が転がるような様子で詩乃へと寄っていく。
傍らにぺたりと座り、目を閉じて脱力。
普段、人形であると知らなければ生身の人間に見えるプリムラだが、力を抜いてうつむき、パタリと腕を落とした姿は一転して人形に見えて愛らしい。
詩乃は鞄から様々な小道具を取り出すと、民族衣装のような服に包まれた下、プリムラの体の各部位へと触れ、可動の具合を確かめていく。
擬似皮膚の傷を確かめ、関節をぐりぐりと動かし、不具合があれば接合部の隙間へと専用の油を差していく。
高度な自律人形とはいえやはり人形、定期的なメンテナンスをしなくてはパフォーマンスは落ちてしまう。
と、言っても人間の体も適度な運動やストレッチでのメンテナンスを怠れば軋んでいく。そういう意味ではやはり、人と比べてもそれほどの差異はないと言えるのかもしれない。
兵馬は同じ部屋の逆側の壁、詩乃と距離を離すために移動させたベッドの上で自分の武器を磨いている。
すらりと長い刀に短尺のグラディウス、棘付きのモーニングスター、菅槍のような長物に数丁の銃器まで、こちらもまた手入れを必要とするものばかり。磨かなければやがてサビつき、肝心な時に威力を発揮できなくなるのが武器というものだ。
ただ、兵馬の手際は凄まじく手慣れている。流れるような所作で工場のライン作業めいて、続々と済ませては収納、済ませては収納。
その慣れ具合を見るに、きっと手入れという行為に飽きているのだろう。
自分の手元への注意もそこそこに、詩乃がプリムラのメンテナンスをする様子を興味深げに眺めている。
(面白いな、あんな風に手入れをするのか……)
口には出さないが感心しきり、プリムラの指の一本一本までを丹念に調べては確かめていく詩乃の姿は職人のようで、見ていてまるで飽きがこない。
兵馬は鍛冶屋でも伝統工芸でも、職人の手作業を見るのが好きだ。何時間でも見ていられるタイプだ。
旅路を共にするようになってしばらくが経つが、このメンテナンスを兵馬が見るのは初めて。
今までは別室で寝泊まりしていて、サノワ村では詩乃がダウンしていた。目にする機会がなかったのだ。
そういうわけで、作業をしながらじっと見ていたのだが……
そんな兵馬へと枕が飛ぶ!
「痛っ!? なにするんだプリムラ!」
「なにするんだじゃないよ! じっと見ないでよ! 恥ずかしいじゃん!」
「え、恥ずかしい?」
枕を当てられた鼻筋を触りながら、兵馬は首を傾げる。
どこに恥ずかしい要素があるというのか。
メンテナンスの手間を考慮してだろう、プリムラがいつも着ている民族衣装のような服は脱がずとも手入れができるように工夫された構造になっている。
詩乃がそれをしっかりと把握した上でテキパキと作業をしている以上は肌が見えるわけでもなく、色気もなにもない風景だ。そもそも、人形の合成皮膚が見えたところで何の感慨もない。
だが、プリムラはいつもの素朴な表情ではなく、顔を赤くしてぐぬぬと兵馬を睨んでいる。
まるで理解ができない兵馬へ、詩乃がやれやれとばかりに口を挟んだ。
「プリムラ、人と変わらない生活をしてるから。関節部とか油を差すところとか、そういう人形っぽいとこを私以外に見られるのはすごく恥ずかしいみたいなの」
「な、なるほど……そういうものなんだ」
「だからごめん、兵馬。しばらく……」
「わかった、部屋を出ておくよ。武器の手入れもあらかた終わったしね」
プリムラは相変わらず憤慨気味に頬を膨らませながら、しかし申し訳なさげに眉を下げている。
こういうところが憎めない性格、下手な人間よりも愛嬌に溢れた人形だ。
詩乃と苦笑を交わして、兵馬は部屋のドアへと手を掛ける。
と、背後から詩乃の声。
「晩ごはんは一緒に食べようね」
「うん、そうしよう」
仲の良い友達くらいには昇格してるかな。
そんなことを考えながら、兵馬は部屋を出た。
ホテル・マクミランは特殊な構造をしている。
各フロアは独立しておらず、ぐるりと巡らされた回廊の中心を巨大に吹き抜けがある。
そこから下は一階フロアの大ホール、上は最上階の天井までを見渡すことができて、開放感に溢れた造りと言えるだろう。
ただ、安全性という面ではどうなのか。
兵馬は高所恐怖症ではないが、吹き抜けの手すりから上体を少し乗り出せばなかなかに怖さがある。転落すれば痛いでは済まないはず。
(まあ、自分から全身を乗り出したりしなければ落ちないか? 落ちる奴がいるとすれば、そいつはよっぽどの馬鹿だろうな)
そんなことを考えながら、一階大ホールの中央に据えられた噴水へとぼんやり視線を落とす。
さっきフロントで買ったグミ菓子の小袋を手に、ブドウ味のそれを摘んでは放り込み、モグモグと口を動かしている。
そこへ……トントンと、兵馬の肩を叩く手。
「うん?」と振り向くと、そこには見知らぬ女性が立っていた。
「何か御用です?」
「あーえっと、兵馬樹さんっすか?」
成人して少しほどに見える女性は、髪を両側でシニヨンに纏めている。
すらりとした長い手足、それに伴う高身長。顔こそ童顔気味だがモデル雑誌に載っていそうな外見だ。
だがスマートな外見に反し、表情と語調はなんというか、軽い。
問われるままに、その軽さに釣られて兵馬は頷いている。
「そうだけど」
「マジっすか!」
女性が喜色に表情を輝かせる。
(まさか、僕の大道芸のファンか?)と都合の良い考えが一瞬頭をよぎるが、その可能性は限りなくゼロに近い。
自分で考えて自分で否定し、一人で落ち込みながら息を吐く。
そんな兵馬の様子とは対照的に、目の前の女性はすっかり浮かれた、いや、肩の荷が下りたといった表情で両手を上に伸ばしている。
「いや~見つかってよかった……いや、助かったっすよホントに。見つからなきゃ観光もできずに数日歩き通しかと……ところでそれ、美味しそうっすね?」
「え、ああ」
彼女が指しているのは兵馬の手にあるグミの袋で、小腹が減っているのかやたらに物欲しげな表情だ。
仕方なしに、「一つ食べます?」と兵馬はそれを差し出す。
「いいんすか? やー、兵馬くんは良い人だ。うんうん」
(なんだ、この女)
口に放り込んでむぐむぐと噛みつつ、抜け感のある笑みを浮かべている。
ミニスカートを履いているが、その立ち姿は不思議といやらしさを感じさせない。それはモデル系のスレンダーな容姿と、加えて良い意味での脱力感が漂う佇まいが影響しているのかもしれない。
さて、そろそろいいだろう。兵馬は怪訝がりつつ、女性へと尋ねかける。
「それで、どなたです? どうして僕を探していたんです」
「あっすいません、名乗るの忘れてた。自分、隊長からもよくそそっかしいって怒られるんですよね」
「隊長?」
「はい!」
頷き、女性は背筋を伸ばして胸を張る。
「ユーライヤ軍“ビルギット隊”副官、ミシェル・マルロウって言います。よろしく」
「六聖の副官……!」
名乗りを聞くと即座、兵馬は警戒に神経を尖らせる。
忘れてはいけない、彼らはリーリヤ誘拐に加担した犯行グループと見做されているのだ。
死亡扱いとされている記事を新聞では見かけたが、こうして軍人が目の前に現れ、そして自分を認識しているとなれば話は別。それも副官、つまりは将校クラス!
戦るのなら手は抜けない。すぐさま左手へと赤布を。
が、そこでミシェルが両手を上げた!
「っと、っと、それ使って武器出すんスよね? ストップ!」
「ストップ、って。逮捕するつもりだろ、もちろん抵抗するさ!」
「や、違くて! 違うんすよ!」
「じゃあ一体なんだって言うんだよ」
「逮捕に来たわけじゃなくって、むしろ協力をお願いしたいんすよね……」
「協力……?」
疑問に兵馬は動きを止めて、それを目にしてミシェルはほっと胸を撫で下ろす。
兵馬たちの事情はリオを通じて知れている。シャラフと対等の戦いを繰り広げたというこの青年と事を荒立てるのは避けたい。
(幸い、アルメル隊長と兵馬くんたちは面識あるんすよね。名前を出して悪いようにしないって伝えりゃ、多分穏便に確保できるはず……)
心中でそう考えつつ、どこから話すかとミシェルが少し考える。
だが、状況はその余裕を許さなかった。
「副隊長! 敵、来ます!」
同じ廊下、端の方から女性が声を上げる。
おそらくは同じビルギット隊の騎士なのだろう。報告を受けた瞬間、ミシェルの顔色がさっと変わり、ゆるめの雰囲気が一気に尖る。
「戦闘準備! 目標は抑えてる、時間稼ぎに尽力して!」
「敵だって!? 一体どういう状況なんだ!」
「今は説明してる暇がないんすよ。言えることは……捕まんないでとだけ!!」
銃撃!!!!
階段を駆け上がる足音、現れたのは軍服の男たち。乱入即座、腰から拳銃を抜いて引き金を引いた!!
彼らが狙うのはミシェル、それにフロアの随所を固めていたビルギット隊の軍人たち。
だが当然ながら、ホテル・マクミランには一般の宿泊客たちが大勢いる。それをまるで省みることなく、無慈悲にばらまかれる弾丸の嵐!!
その所業はまるでテロリストだ。だが銃撃をする男たちは間違いなく軍服を纏っていて、そしてミシェルの呻きが事実を裏付ける。
「っ、ヴィクトル隊……頭イカれてんじゃないっすか!」
(ヴィクトル? ヴィクトル・セロフ? 国軍トップ、元帥の部隊だっていうのか?)
上がる悲鳴、散る血液、ヴィクトル隊の銃撃にミシェルの部下の一人が手傷を負い、その穴から防衛戦を突破した軍人たちがフロアを駆ける。
迫る敵兵、兵馬は赤布を手に応戦を試みる。が、それよりも速く!
「ビルギット隊ナメんな……!」
ミシェルが屈み、自らの靴へと手をあてがう。「“水天一碧”!!」の一声に結集する清浄の魔素、浮き上がるように散る水華。
水色の桜は足元へと吹雪くように渦を巻き、跳ぶ。
銃を構えたヴィクトル隊の軍人、数メートルの距離を瞬時に詰め、ひらりと上体を捻っての回転蹴り。青を纏った靴先が相手の肩へと触れ、青光。
「因果応報っ、ぶっ飛べ!!!」
「う、ごっ!!」
沸き起こる水流!!!
それはさながら鉄砲水めいて、彼女の足元へと留められていた膨大な水気が水龍のように放たれた。
ヴィクトルの兵の一人、さらに隣で銃を構えていたもう一人、一切の抵抗を許さぬままに巻き込み、押し上げ、流し、そして階下へと叩き落とす!
流れ弾を受けないように見を伏せて戦闘の変遷を見守る兵馬は、ミシェルが放った一打に驚きを抱いている。
(落とした、一階まで。つまり殺したのか、国軍同士で!)
「一般人に手ぇ出してんじゃねえっすよ、軍人の風上に置けない奴らめ!」
(なるほど、勢力は完全に別。軍内部の全面対決ってわけか)
少しずつ事態の把握を進め、どちらに与するべきか、あるいは詩乃たちを連れて逃走すべきかを判断しようとしている。
だがそこへ、状況はさらなる混乱をもたらす。
ヴィクトル隊が抜剣する。ビルギット隊の騎士もそれに応える。
兵馬たちからは少しばかり距離のある位置で、数人の兵士たちが入り乱れた乱戦が開始される。
打ち合わされる刃、蹴りと拳。揉み合いにも近い泥沼の戦闘の中、斜めに逸れた剣がそばに居合わせた一般人の男性へと向かい……その剣を、一般人の男が素早く絡め取る。
素人にはありえない機敏な動作で掴み、刃を奪い、そして軍人たちへと斬りつけた!
そう、その男は宿泊客などではない! 黒髪を戦風に流し、彼は本性を露わに叫ぶ!
「潜伏はここまでだ。味方以外、戦う者全てを殲滅しろ!!」
「ドニ様のために!!!!」
(アントン! シャングリラの刺客の!)
兵馬はさらなる驚きを隠せない。
巻き込まれてうずくまっていた客たちの中から続々、立ち上がっては狂乱の目で武器を抜く人々がいる。
身のこなしは紛うことなきプロ。暗殺集団シャングリラは既に、詩乃を狙って付近へと迫っていたのだ!
「はあ!? 誰っすかアイツら!! 意味わかんないんすけど!?」
(意味がわからないのは僕の方だ! なんだよ、この状況は……!)
声を上げて混乱を示すミシェル、伏したままに困惑する兵馬。
最初の駅町、聖都での邂逅。二度の面識があるアントンは暗殺者たちの指揮役に回っている。
乱戦はさらに加速し、ついにシャングリラの刺客の一人が兵馬の姿を見留めて斬りかかる。
「おいおい、こっちに来ないでくれよ!」
真上からの振り下ろしに躍る鉄剣、兵馬はすかさず一歩前へ。
腕を受け止め、相手が駆けてきた勢いを殺さないままに一本背負いで投げ落とす!!
「はあッ!!」
硬い床へと背中から叩き付け、暗殺者の一人を見事に昏倒させている。
投げた拍子に相手の体が床を跳ね、戦っているミシェルの足元に転がった。
「おっとぉ!? 危ない! 邪魔しないでくださいよ!」
「っと、失礼」
意図した行動ではない。
兵馬へと敵が襲いかかったのは偶然、投げたのも偶然、そこにミシェルがいたのも偶然だ。
しかし結果として、その一行動が戦況にさらなる混迷をもたらす。
突如、兵馬めがけて上から降り注ぐ怒声!!!
「てッッめえぇええ!!!!」
「この声は……」
「兵馬ァッッ!!!!」
「リュイスっ!?」
剛剣!!!!
大上段に振り下ろされた一斬は落下の勢いをも乗せて、とっさに受けた兵馬の鉄剣へとヒビを入れている。
落ちる勢いで。そう、リュイスは吹き抜けを通し、大跳躍で上階から落下してきたのだ。
吹き抜けから下を眺めた時、兵馬は(よっぽどの馬鹿しか落ちないだろう)と考えた。
その“よっぽどの馬鹿”が、目の前で戦意を滾らせている!!!
「ミシェルさんに攻撃しやがったな!! コラァ!!!」
「偶然だ!!」
「はっ、知るかよ。テメエと会ったらブン殴るって決めてたんだ」
「はあ? どうして!」
「シャルルに恥をかかせやがっただろうが! あのアル中は俺の弟みたいなもんなんだよ、殴らないと気がすまねえ!!!」
「誘拐のことを言ってるのか? あれは……いや、まあいいさ。こっちも君の兄のせいでストレスを溜めてるんだ。憂さ晴らしをさせてもらう!」
はためく赤布、現れる新たな剣。リュイスの瞳が剣気に冴えて、二刃が十字に火花を散らす!!!




