五十五話 頂の会談
「アンタの兄貴は俺を騙した。素直に協力はできねえな」
企業連のビル、その高層の応接間。
御曹司リオ・ブラックモアは来客との間にテーブルを挟み、ドカリと卓上に脚を投げて、不遜な視線で相手を見下している。
「そんな! 話が違うぞ!」
声を上げ、その机へと身を乗り出したのは六聖アルメル。
いや、今はブロムダール家の、そして教皇派のアルメルとして、兄テオドールの使者として出向いてきている。
しかし面前に向き合えど、リオが見ているのはアルメルではない。その背後に見えるテオドールの影だ。
テオドールの計画の実働要員として依頼を受け、リオがリーリヤを誘拐したのが先日の一件。
その誘拐の途上、軍からリオへと差し向けられた追っ手の六聖シャラフはテオドールと手を組んでいた。
だがその協力関係はリオには知らされておらず、彼が保身のために依頼者であるテオドールのことをシャラフに漏らすようであれば“殺せ”と命じていた、と、それが事の顛末。
今のリオは諸々を聞き、察していて、その結果として協力を拒んでいる。
まあ当然といえば当然、しかし困ってしまうのはアルメルだ。
彼女の格好は普段の銀鎧とは違い、貴族の子女らしく清楚なスカートスタイル。26歳ではあるが、私服の彼女にはまだ10代にも見える瑞々しい艶がある。
そんなアルメルは当惑に眉をしかめ、手振りを含めて抗議を示す。
「兄からは貴方との協力関係は続いたままだと聞いている! 教皇派の一員として兵馬樹らの確保に手を貸してくれると! その約束を反故にするつもりか!?」
「はん、嫌がらせだよ、嫌がらせ。どこの世界に命を狙ってきた野郎に飼われ続ける馬鹿がいるってんだ? ええ?」
「飼わ……待て、誤解だ。私たちはあくまで貴方と、ブラックモア家と対等な協力関係を築きたいと考えている」
「そりゃあアンタの考えだろう、アルメルちゃんよ」
「ち、ちゃんだと」
この国に、いや、周辺諸国にまで勇名を馳せる六聖を“ちゃん”付けで呼び、リオはふてぶてしく背を反らし、背後のテーブルに乗せてあったビール瓶を手に取る。
手慣れた手つきでそれを開けると、客前にも関わらずグビリと含んだ。
そして口端に付いた白泡を拭い、片眉を下げ、挑発的な表情を浮かべてみせる。
「だがな、アンタの兄貴はそう考えてねえ。あくまで俺を“手駒”にしようと目論んでやがる。都合のいいコマにな」
「む……」
「そしてテオドールは教皇派の中核だ。エフラインは政争をこなせる年齢じゃねえ。テオドールの意思は派閥の意思だ。つまり教皇派は俺を使い捨てにするつもりでいる。違うか?」
「……それは」
アルメルは正直だ。兄と違い、腹芸のこなせない性格をしている。
リオの言い分は彼女がよく知るテオドールの性格……1にアルメル、2に自分。3、4も5もなくそれ以外は等価に無価値という性格を正しく捉えていて、正論を前に口ごもってしまう。
そんな彼女の様子を一笑に伏して、リオは早くも空になった瓶を傍らに置いた。
「はっ、兄貴と違って素直なこった」
「……私は、嘘は言わない主義だ。しかし、リオ・ブラックモア。それならどう身を振るつもりでいる? これだけは断言できる。枢機卿派は、兄よりも容赦なく貴方を使い捨てると」
「んなこたァ理解してるさ。騒動のど真ん中に身を置いちまった以上、どっち付かずってわけにもいかないって事もな」
「なら……」
「勘違いすんじゃねえぞ」
リオは右に傾けていた重心を正し、背筋を伸ばし、誇示するように両手を広げてみせる。
軍の屈強な男たちにも負けない大柄な体格だ。私服のアルメルと比べてみれば、その体躯は余計に大きく見える。
見下した視線をさらに威圧的に、リオはゆっくりと言葉を続ける。
「教皇派と枢機卿派、俺は今、そのどちらとも足並みを揃える気はねえ」
「ではどうすると」
「ブラックモア家はこの街の顔役だ。力は隅々にまで行き届く。そいつをフルに使って、テメエらどっちの派閥よりも早く、兵馬たち三人を取っ捕まえてやる」
「馬鹿な、それで何の得があると……」
「売り込むのさ」
瞳は尊大と不遜、それに豪胆を宿していて、野心家の色を隠そうとしない。
「軍人どもを出し抜いて俺の力を示す。その上で、俺の腕をより高く買った方に付く。兵馬たちを手土産にな」
そこで言葉を切り、すっと呼吸に力を抜きつつ、喜劇俳優めいて両の掌を上に向けた。
「シンプルな話だろ?」
「…………」
アルメルは無言だ。
リオの言動に応えて眼光鋭く睨みつつ、内心では少し驚いている。その驚きは眼前の男にではなく、任務に出る前にテオドールから伝えられた言葉に対してのものだ。
『リオ・ブラックモア。あの男は恭順せずに、単独行動に出るはずだ』
(お兄様はそう言っていた。協力を拒んでくるのは予想通り……)
さらにアルメルは思い返す。テオドールはこう続けた。
『仮に素直に従ってくるとすれば……フフ、その程度の男なら、組む必要もメリットもない』
『しかし、いざ出向いて協力の約束を反故にされたとして、そこから私はどう動けば?』
『いいかいアルメル、あの男が約束を破ったとすれば、次はこう仕掛けてくるはずだ』
(そう、お兄様の予想では……)
「ところでアルメルちゃんよ。今日はなぁ、もう一人来客の予定があんだよ」
(……これは!)
息を飲んだアルメルを横目に、リオは応接室の外に控えている使用人へ、「おう、入れていいぜ」と声を掛ける。
部屋のドアがガチャリと開かれ、そこに現れたのは黄金、獅子のたてがみめいて靡く見事なブロンド。
「……アルメル・ブロムダールか」
「っ、閣下……!」
元帥、ヴィクトル・セロフがそこに立っている。
言うまでもなく敵対勢力、枢機卿派のその二頭が一人。
確固とした実力の重みを秘めて、金の眼差しがアルメルを見据える。
「何故、貴様がここにいる? アルメル」
ヴィクトルのその問いは疑問ではない。無論ながら、理由など承知の上。
アルメルが敵対勢力の最主力であると重々に理解した上で、元帥は六聖よりも上の階級としての威圧と叱責を下しているのだ。
私服で訪れたアルメルとは違い、ヴィクトルは軍服に袖を通し、権威の証である元帥杖までを携えてこの部屋を訪れている。
「二度問おう。何故私が令を下していないにも関わらず、聖都を離れてここにいる」
「……」
「アルメル・ブロムダール。貴様の使命はエフライン様を護衛する事だ。それを……」
「……フ」
笑った。
微かに、しかしはっきりと、アルメルは元帥の言葉を失笑で遮った。
「“エフライン様”だと? 戯言を、閣下」
そこで言葉を一度切り、少し考えてから言い直す。
「いや、貴様を閣下と呼ぶ道理など、最早どこにもないな。国賊、ヴィクトル・セロフ!!」
「ほう……その言葉の意味するところ、理解はしているな? 教皇の剣よ」
ヴィクトルは座すことなく、立ったままにアルメルを睥睨する。
式典でのハイドラ退治の時、あのデリカシーと遠慮を持ち合わせないリュイスでさえ元帥の存在感に姿勢を正した。それほどの威圧、軍務における絶対者。
しかしアルメルはその瞳を真っ向から受け止め、そして凛と闘志を向け返す。
これまでは国軍の体裁を保つため、無為な混乱を避けるため、対立を表面化させるのは両派ともに避けてきた。
しかし状況は変化している。先の神聖議会、アナスターシャはついに教皇降ろしをはっきりと推し進める姿勢を打ち出してきた。安穏としてはいられない。
ここは工業都市ベルツ。駐留軍がおらず、教皇国の民法も軍法も及ばぬ自治領ベルツ。
元帥ヴィクトルは老獪に笑む。この街でなら相争い、殺したとしていくらでも工作のしようがある。
(さあて、お互いどう出る?)
睨み合う両者、それを横からニヤついて眺めるリオ。
彼がアルメルとヴィクトルをかち合わせたのはもちろん故意。
テオドールはこうも言った。
『リオ・ブラックモアは優秀な男だ。両派を天秤に掛け、どちらに着くかを選ぶだけの才覚を持っている』
『つまり、どういう事です?』
『あの男は両派を潰し合わせようとする。自らは漁夫の利を得て、その上で大手を振って勝ち馬に乗ろうとするだろうね』
(全て、お兄様の予測通り)
ベルツへと訪れた目的は、兵馬ら三人の確保だけではなくもう一つ。
それも教皇派から派遣されている騎士たちの中で、アルメル、そしてビルギットだけが共有している目的がある。
(元帥ヴィクトル、及び三鬼剣の撃破!!)
『厳しい戦いになるだろう。だけど済まないアルメル、ここはリスクを踏んでくれ』
『お兄様、謝る必要などありません。私はエフライン様の剣であると同時に、ブロムダールの……お兄様の剣でもあるのですから』
『アルメル……!!!』
この後に猛然と抱きつかれ、逃げ回る羽目になったことは今は置いておくとして、兄妹の絆は強く深い。
濃密な溺愛、それを疎ましがりこそしているが、戦士としてのアルメル、政治家としてのテオドール、二人はお互い、それぞれの領分に付いては心から信じあい、尊重している。
テオドールは愛妹アルメルを死地へ送ることを厭わない。彼女こそが最強であると確信しているから。
アルメルは兄を信じ、死地へと踏み込むことを厭わない。彼の判断に間違いはないと確信しているからだ。
今後の政争において、同僚殺しを生業とする抹殺部隊、三鬼剣の存在は必ず邪魔となる。
彼らの排除は必須。その上でヴィクトルまでを討てたのならばなおよし!
「ブロムダール。貴様なら力量は理解できるはずだ。いかな“剣聖”であれ、我が力には及ばないと」
「それはペイシェン戦の頃のこと。今の私は、貴様を必ず越えてみせる!!」
臨戦。双方が人域の極みにある達人、抜き打てば激戦は免れない。
ヴィクトルはその指先へと光の魔素を集め始め、彼の得手とする千紫万紅の魔術を放つべく鬼気を澄ます。
金髪金眼、獅子と称されるその姿はさながら“英雄”という概念を擬人化したかのよう。
対し、アルメルは私服ながら、唯一腰へと帯びた愛剣へと手を掛ける。幾多の魔術に通ずるヴィクトルとは異なり、アルメルの戦技はただの二つ。
流麗な剣技を操る彼女だが、実は魔素を用いた技術は不得意。リュイスと似通った、不器用なタイプの剣士なのだ。
――故に、ただ二つの技だけを磨き上げた。
「“あの技”で来るか」
「無論」
小細工は無用、読まれていようが構わない。
アルメルはその剣へ、身魂に漲る闘気を流入させ……!
「おいおい、待ちやがれ!」
手を振って遮り、張り詰めた空気を断ち切ったのはリオだ。
「今ここで戦り合おうとしてんのか? 馬鹿かよ! バケモノ二人に暴れられたんじゃビルが壊れちまう。いいか、そうなりゃ政争もクソもねえ。損害賠償で国庫が壊れるぜ!!」
怒鳴り立てるリオを前に、ヴィクトルとアルメルは共に矛を収めざるをえない。
元を正せば呼び立てたのは彼。それなのに文句を付けるとは勝手な話だが、しかしここはブラックモア家の支配地だ。ここは従うべきだろう。
さりとて、これ以上話すこともなし。
背を向け、先に部屋を去ったのは立ったままでいたヴィクトル。
「覚悟を済ませろ、アルメル・ブロムダール。この街で、貴様らを殲滅する」
「その言葉をそのまま返そう、ヴィクトル・セロフ。猊下の敵は、ここで必ず討ち果たす!」
少しの後、アルメルもまた部屋から去り……
「さて、こいつはとびきり上等な見物だぜ」とリオが呟いた。




