五十四話 街角の騎士たち
「クッソ、陰気臭え天気だな。ジメジメジメジメしやがって」
ベルツの街中、川べりに腰掛け、傘越しに雨を見上げて顔をしかめているのはリュイスだ。
アルメル隊の精鋭の一員として来訪した彼だが、自治都市であるベルツに軍服である騎士姿で入っては角が立つ。ということで、今日は私服に袖を通している。
動きやすいパーカー姿にフードを被り、腰には軍刀ではなく旅人に愛用される汎用的な鉄剣を帯びている。
ユーライヤでは帯剣自体は禁止されておらず、旅人であれば武器を所持しているのは珍しくない。
教皇に仕える騎士とはいえ23歳。シンプルな服装で街角に立てば、まだまだ学生にも見える外見だ。よくよく見れば、体付きは戦闘者のそれなのだが。
「僕は雨は嫌いじゃないけどね。晴れの日には見えない風情がある」
「周りに山が多いから雨が多いんだよ、ベルツは!」
二人それぞれに口を開いたのはルカとアイネだ。
ルカの私服は地味中の地味。見栄えのしない量産品の上下を身に纏えば一瞬にして没個性。
騎士服でいたって目立たない風貌をしているのだから、そんな服に着替えてしまえば一般人よりもよほど一般人的。
リュイスと同じく腰に提げている剣で、ようやく彼だと判別が付く程度。
一方で、アイネのセンスは自己主張が激しい。
明るい色調のシャツとスカートは14歳という年齢に似つかわしい愛らしさ、ティーンズファッションの枠内だが、その印象を上書きするのは普段の魔術師ルックの時とあまり変わらない奇妙な帽子。
左右のサイドに毛玉のような飾りがふわふわと浮いていて、悪目立ちを招いている。
三人はそれぞれに私服を見合い、へらりとお互いを嘲りあうような笑みを浮かべた。と、横から中年の男が声を挟む。
「おい、あまりはしゃぐな。仕事で来ていることを忘れるなよ」
「ええ、わかってますよ。メルツァーさん」
頷き、ルカが敬語で返事をする。
メルツァーと呼ばれた彼は、アルメルの執務室で任務の説明を受けた時に疑問を呈していた古株の騎士だ。
がっしりとした軍人らしい体格、首元に残るアザのような色はかつての戦争でのヤケドの跡。
誠実な人柄をしている。アルメルからの信頼は篤く、隊内での立ち位置は副官の三十路男、ケイトに次いでナンバー3。彼自身も上官アルメルを年下ながらに尊敬し、忠を誓っている。
副官ケイトはアルメルに代わって隊を仕切るために聖都へと残っていて、今回の任務に限ればアルメル隊では二番手の立場。
隊の騎士たちが集団で動いたのでは目立つ上に、兵馬一行を探すのにも効率が悪い。
そんな諸々を踏まえて、リュイスら若手騎士たち三人の引率がメルツァーに任されたのだ。
「まったく、どうして俺がこいつらのお守りをしなくてはならんのだ」
「なんつうか、教師っぽいからじゃないっすかね」
雨に湿気った頭をガシガシと掻きながらリュイスが言う。
メルツァーはそれをどう受け取るべきか決めかね、微妙な表情で眉根を寄せる。
「教師だと……」
「あ、メルツァーさん! あそこのアイスを買ってきてもいいですか?」
「メルツァーさん、少し歩いてきても構いませんか」
「お、メルツァーのおっさん! すげえ! 二階建てのバスが走ってるぜ!」
「うるさい! 貴様ら、一度に喋るな!」
アイネ、ルカ、リュイス。立て続けに喋った隊員たちは三者三様、どうにも自由な気質の現代っ子。軍人気質の中年騎士は対応に辟易させられる。
年齢は四十ちょうど、セントメリアに愛妻と娘が二人。
そんな彼が若者を三人連れて歩けば、リュイスが言うように他人からは学生旅行の引率か何かに見えるのではないだろうか。
そもそもアイネは下手をすれば娘の年齢。それを任されたのでは気苦労が絶えず、ベルツに入ってからやたらに溜息が増えたと自覚している。
(それにしても……憂鬱だ)
彼の憂鬱が増している理由は三つ。
一つはひよっこ三人組の引率、もう一つはベルツに降りしきる雨。そして三つ目は、今回の任務に待ち受ける戦死の可能性。
前述した通り、メルツァーには娘が二人。これから学費がかかり始める年頃だ。ゆくゆくはしっかりと大学にまで通わせてやりたいと考えていて、これからが子育ての大変な時期。
上の娘は反抗期へと差し掛かっているが、下の娘はかわいい盛り。胸元のポケットには下の娘のお手製、厚紙と色鉛筆で作られたお守りが入れられていて、その愛しい感触がメルツァーをより臆病にさせている。
軍務に燃えるよりは生活に安定を求め始めてしまう年頃で、そんな時にもし、自分に何かあれば……
そんなマイナスなことばかりを考えてしまうのは、元帥の部隊、それも三鬼剣と交戦する可能性があるからだ。
(三鬼剣……同僚殺し、気狂いじみた粛清部隊。ああ、勘弁してくれ……娘のピアノ発表会が控えてるんだ)
その時、トン、と。背後から彼の肩が叩かれた。
「うっおおおお!!?」
すくみあがって大声を上げたメルツァー。バネに弾かれたように振り返った彼の背後にいたのは、首を刎ねるべく鋭い刃を振りかざす三鬼剣!!!
……ではなく、上品なゴシックドレスに袖を通した女性だ。
「どうしました? メルツァー」
「は、い、いえ! お疲れ様です、ビルギット少将!」
そう、立っていたのはアルメルの盟友、六聖の一人ビルギット・シエステン。
横でリュイスがわずかに顔を歪めたのが目に入る。先日のブリーフィングで二度も顔面を蹴飛ばされて、すっかり苦手意識が芽生えてしまっているらしい。
それは無視して、メルツァーは彼女へと反射的に敬礼を向けている。
長年の騎士生活で培われた俊敏の反応、手足指先に至るまで一分の隙もない完璧な敬礼だ!
が、ビルギットは不興に眉をひそめている。
「メルツァー。潜入中に敬礼はまずいでしょう」
「は……! す、すみません!」
「それと“少将”はいけません。今はお互いに一介の旅行者。その意識を忘れてはいけませんよ」
「き、肝に命じておきます……」
完全な失態だ。アルメルからも街に入る前に口を酸っぱくして「軍人色を出すな」と言われていたのに、ダブルで凡ミスを犯している。
すっかり恐縮してしまったメルツァーに、リュイスがニヤリと笑いながら声を掛ける。
「そうだぜ、メルツァーのおっさん。今日は無礼講で気楽に行かなくちゃよ。な、ビルギット!」
そう口にすると、リュイスはあろうことかビルギットの肩に手を置いて笑ってみせた。
「うわ」とルカ、「ええっ!?」とアイネ。理解が追いつかずに硬直して遅れること三秒、メルツァーは弾かれたようにリュイスの頭を叩いていた。
「いってえ!!!」
「なぁにをしてるんだ貴様は!! リュイス!!」
「いや、お互いに一介の旅行者だって言うから……」
「阿呆が!! 限度を知れ!!」
……と、クスッと。
メルツァーとリュイスのやり取りを目に、ビルギットはその表情を綻ばせた。
基本はポーカーフェイスの彼女だが、口元が緩めば好んで着ているドレスと相まって、まるで精巧なビスクドールのような美しさを感じさせる。
「緊張が解れましたか?」
「……この馬鹿を見ておくためには緊張している暇などないのが理解できました」
ビルギットはアルメルの親友だ。
となれば、アルメル隊に発足当初から所属しているメルツァーとも既知。
家族のために死ねないという彼の心情を理解していて、その恐れがかえって死を招きかねないと危惧し、声を掛けに来ていたのだ。
一応、リュイスがまたしても無礼を働いたのはそれを察してのことではある。
「畜生、思いっきりぶん殴ったな……マジで痛え。死にそうな顔してたからおどけてみせたんだぜ? な、ビルギットさん」
「ええ、そうですね。ただし」
ダン!! と、ビルギットは勢いよくリュイスの足を踏みつけた。
「ぐおお」と呻きながらうずくまったリュイスへ、粗相をした犬を見るような目をビルギットは向ける。
「一介の旅行者同士であれ、親しくもない女性の肩に手を置けば怒りを買う。学びなさい、リュイス・ルシエンテス」
「り、了解……」
「頑張りなさい」とルカとアイネにも目を向けて告げ、手にした瀟洒な傘を広げて歩いて行く。
彼女も潜入の立場なら目立たないようにしなくてはならないはずなのだが、彼女のゴシック調のドレスは煙の工業都市から浮いている。
去る背中を見送りながら、リュイスはしみじみと「怖え~」と呟いた。
「知ってはいるけど、君はチャレンジャーだね。無駄に」
ルカが呆れたように口を開く。先日蹴り飛ばされて痛い目を見て、それでもなお絡んでいこうとする親友の精神力に舌を巻いている。
リュイスは踏まれた足をさすりながら、顔をしかめながら声を返す。
「あの人、アルメル隊長といる時は結構楽しそうに笑ってたりすんだろ。フランクに行きゃあ打ち解けられるんじゃないかと思ってよ」
「いや、他隊の上官と打ち解けようって発想がそもそも……」
「うちのアルメル隊長はなんだかんだ優しいじゃねえか。そりゃ軍務の時は厳しいけどよ」
「まあ、あの人は可愛いから。人として」
「この前なんか缶コーヒーくれたぞ、タダで」
「それ、無糖だったろ。コーヒーは甘くないと飲めないらしいよ」
「マジかよ、初耳だぜ……」
二人がぐだぐだと会話を交わす横で、アイネはビルギットが去った方向を見つめながら「ああいうファッションも素敵だなー」と口を半開きにしている。
(ああ、現代っ子はわからん。本当に……)
気持ちを切り替えることはできた。が、この三人を引率しなくてはならない状況に変わりはない。
その面倒さにがっくりと肩を落とし、メルツァーは渋々の表情で声を上げる。
「そろそろ行くぞ、ウロチョロするなよ」
年齢のバラバラな四人組が歩き出す。
観光客めいて周囲に目を巡らせ、道行く人に写真を見せて聞き込み、無数に点在する宿のフロントで尋ねて回り、兵馬たちを探しながら街を行く。
……そんなメルツァーたちを見下ろす影が一つ。
街の高所、工場から工場へと張り巡らされたパイプラインに腰掛けるのは大柄な体躯に粗野な相貌。
三鬼剣の一人、“重戦車”の異名を誇る男、ジェラルド・ヘイズは悪笑を浮かべる。
「狩りの時間だぜ、アルメル隊。クソ教皇のクソ走狗ども」




