五十三話 ジャンクヤードにて
「……で、なんでまだいるんです。クロードさん」
兵馬はいよいよ不信も露わに、隣の椅子に座ったクロードへと訝しむ視線を向ける。
ここはホテル・マクミラン。ベルツの中層部、高くも安くもない中流ホテル。ロビーには旅行客たちが多く集っていて、兵馬とクロードはそこのソファに肩を並べている。
詩乃は珍しく仲良くなった神崎とベルツの街並みの見物、それと買い物に繰り出していて、プリムラは護衛に。
兵馬がホテルの部屋取りを請け負って、そして今の状況に至っている。
そんな兵馬からの問いかけに、クロードは素知らぬ顔で声を返す。
「私が泊まろうとしたホテルに君たちがいた。それだけだよ」
「医者でしょう、がっぽり稼いでる。それも今20万ライル手にしたばっかりだ。もっといい宿に泊まれるはずだ」
「勘繰られても困るな。ほら、これを見なさい」
「ベルツ観光ガイド? ええと、ホテル・マクミラン。夕食のビュッフェは星三つ……」
「理由は十分だろう?」
涼しげに告げられ、兵馬は口をへの字に曲げながらガイドブックをクロードへと返した。
食い意地の張った詩乃やプリムラならともかく、それほどの大食いにも見えないクロードが食べ放題を理由にしたところでどうにも胡散臭い。
だが人の夕食にケチを付けるのも野暮というもの。理由付けを予め用意している辺り、つくづく如才ない男だ。
口でやりあって勝てるタイプではない。兵馬は諦めに溜息を一つ、チャリリと掌でルームキーを弄ぶ。
510号室、詩乃とプリムラと同室だ。ある程度のセキュリティが備えられているとはいえ、多くの人々が宿泊する中流のホテルなだけに人の出入りは多い。
先のサノワ村でフランツが仕掛けてきたように、シャングリラが襲ってくる余地はいくらでもあるように思える。そして三人で話し合った結果、部屋を分けないことにしたのだ。
「ベッドは遠くに離すけどね」
相変わらずの淡々とした口調で詩乃はそう言った。ただ村での一件を経て、少しばかり距離感が縮まったような気はしている。
そんな兵馬の手元、キーの部屋番号を横目で見たクロードが自室のキーを見せてきた。その数字は508号室。
「おや、二つ隣だ」
「……」
「ちなみに間の部屋は神崎君だ。私たちには切っても切れない縁があるらしいね」
「そうですか……」
あからさまに張り付かれている。
何を目的にしているのかは知らないが、監視めいていてどうにも気が滅入る。
だがまあ、いるものは仕方がない。喧嘩を吹っかけたところで厄介を招くだけなので、とりあえずは追い払うことを諦めて話題を探す。
ふと、兵馬の目はクロードの手荷物へと向けられた。
サノワ村で会った時は医師鞄を一つ持っているだけだったのが、手元にもう一つ黒箱が増えている。
バレーボールが収まりそうなほどのサイズの漆黒の箱で、前面にはスライド式の蓋。上には持ち運ぶための取っ手が付いている。例えるなら出前用の岡持ちに似た形状だ。
(馬車で村を出た、あの時から持っているんだよな。この黒い箱)
じっと見つめていると、時たまガタガタと揺れているような気がしないでもない。
いや、そう感じるのは兵馬が気にしすぎているせいなのかもしれないが……
「どうかしたかな、さっきから見てきているようだけど」
「いや、その箱は何が入っているのかな、と」
「ああ、これかい。大した物じゃないさ」
「……」
(絶対に“大した物”だ)と察しつつも、問い詰めれば口を割るというタイプでは決してない。
兵馬はそれ以上の追求を諦めて、ロビーのエントランスを通して外へと目を向ける。雨は静かに降り続いていて、春の空気をひやりと沈ませている。
詩乃とプリムラは大丈夫だろうか。まあ抜け目のない神崎も付いてるし、きっと大丈夫だろう。
そんな心配をぼんやりと浮かべながら、兵馬は壁に背をもたれさせた。
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「兵馬。あれはオススメしないわよ、詩乃ちゃん」
「そうなの」
指を立てて箴言めいて、語る神崎に詩乃は相槌を打つ。
「そうよぉ、男は金とは言わないけど、最低限自分で稼いでこない奴はダメね。ダメダメ」
「ふぅん」
「あれは甲斐性なしって言うんだよね! さっきお金を請求された時なんて死にそうな顔してたもん!」
自分のことは棚に上げてプリムラが語る。
まあ、事実ではある。兵馬はとにかく金の身に付かない青年で、自分用の財布に紙幣が5枚以上入っていることはまずない。
「どこかで借金こしらえてても不思議じゃないわねえ」と眉を上げながら言う神崎に、詩乃は「なるほど」と頷いてみせながら不思議に思う。
(別に、兵馬が貧乏でも私には関係ないんだけど)と。
神崎のように側から見れば、それなりの年齢の青年と少女が旅をしていればそこにロマンスを見出して不思議ではない。聖都でノーラと話した時もそうだった。
しかし、詩乃は愛だとか恋だとか、そういう感性の薄い少女だ。
もちろん、感情は人並みにある。表情の起伏が緩やかで表には出にくいが、物事を楽しみもするし怒りも悲しみもしている。
ただ恋愛感情については希薄。それも未発達というよりは枯れている。
恋愛沙汰は未経験にも関わらず、どうしてそうなってしまったのか。
それはやはり、ゲイバー育ちというあまりにも特殊な環境に起因しているのかもしれない。
アゴヒゲを生やした屈強なおかまが包丁を振り回し、痴情のもつれからの大立ち回り。そんな状況を目にしたことも何度かある。
そこからヨリを戻し、殺し合いに発展しそうな喧嘩をしていたおかまたちが翌日には睦まじく腕を組んでいるのも見たことがある。
そんな特濃の恋愛ばかりを見せられて、恋愛全般に抱いた感情は「アホくさ」と。
そんなわけで、今のところ詩乃が兵馬に抱いている感情は
“すごく頼りになる護衛、兼友達”といったところ。
それでも出会ったばかりの頃に比べれば、詩乃にしては信頼を深めていっているのだが。
さて、神崎とプリムラと連れ立って、詩乃が今いるのはジャンクショップ。
と、言っても普通の街に存在するそれとは規模も質も量も、まるで比べ物にならない。
なにしろ狭い店内に壊れ物が陳列されているのではなく、広大な敷地に大量の廃棄された品が野ざらしにされている。
その面積はセントメリアで式典が行われた10万人収容のスタジアムとほぼ同一、見渡す限りの廃材、廃材、廃材。
膨大な数の工場が立ち並ぶ工業都市ならでは、製造過程で生まれてしまう動作不良のワケあり品が、全てここに集められて処理されていくのだ。
週に二度、並べられたジャンクは全てゴミとして処分される。そして新しいジャンクが積み上げられていく。
つまりは巨大なゴミ処理場でもあり、それでも少し直せば使えるものも混じっていたりするため、有料で一般人を立ち入らせている。
都市が運営する公共施設だ。徴収した料金を都市のインフラ維持などの足しにしつつ、『使えるものがあればどうぞご自由にお持ちください』、と、そういう場所。
さながらジャンク品の大海に、詩乃は言葉を出せずにいる。
ビニール傘を片手に、「すごいでしょう?」と笑う神崎。詩乃もプリムラもすっかり光景に圧倒されている。
「こんなの初めて見た。私が住んでたカンパネラも大きな街だけど、こんなゴミの山みたいなのは……」
「臭くはないのが幸いよねぇ、生ゴミとかは別の場所だから。工業製品ならなんでもあるのよ、家具に車に、ほら、あそこには飛空艇のパーツまで」
「プロペラ! でもあんなの買う人いるの?」
不思議そうに首を傾げるプリムラの目の前で、スーツ姿の中年の男がそのプロペラを運んでいった。
「いるのよ、案外ね」と神崎。感心して頷く人形少女。
「パッと見ればただのゴミ山。でも目利きができるなら宝の山よ。そうねえ……プリムラちゃん、そこから突き出てる黒っぽいのを掘り返してくれる?」
「はいはーい……っと、どっこいしょおっ!!」
指示を受けたプリムラは力任せにゴミ山をかき分け、埋まっていた“黒っぽいの”を引きずり出した。
その黒は銃身、姿を現したのはレトロな回転式拳銃だった。
それを拾い上げた神崎は、両手で構えてゴミ山に狙いを定める仕草。
満足げに頷くと、詩乃にひょいと手渡してきた。
「カーライル社の45年式、見た目は古臭いけど今も製造され続けてる名銃よ」
「へえ……うん、格好いいかも」
「そう思う? ふふ、詩乃ちゃんは渋好みよねぇ、ショットガンも骨董品みたいなのを使ってるし」
「そうかな? そうかも。新しいやつより、こういうのが落ち着く」
「それ、持ってていいわよ。後で直してあげるから」
「えっ」
神崎はそう言いつつ周囲の山を見渡し、めぼしいものがなかったようで別の場所へと歩き始める。
詩乃とプリムラも後を追従しつつ、遠慮がちに声をかける。
「いいの? 神崎さんが見つけた物なのに」
「いいのよ。もちろんお金もいらない。拾い物だし、詩乃ちゃんのことは気に入ってるから」
「や、優しいよぉぉ……!」
感動に打ち震えながらリアクションを取ったのはプリムラ。
仮にも銃、買えば決して安くはない。それを提供してくれるだなんて!
クロードからの容赦ない治療費請求を受けたばかりのプリムラには、神崎の微笑が聖母めいたものに見えて仕方がない。
ついに両手を顔の前で合わせて拝み始めたプリムラを横目に、詩乃ははにかみながら神崎へと頭を下げる。
「ありがとう……嬉しいです」
「ふふ、危ない旅だものね。兵馬とプリムラちゃんがいても、本人の装備がショットガンだけじゃ心配。整えてあげるわ、腕利き商人の名にかけて!」
意気揚々と練り歩く二人と一体、もちろん敵襲には細心の警戒を払っている。
視界の利かない雨の中、見通しの悪いゴミ山の間。会敵すれば厄介なシチュエーションなのは明らかで、それだけにプリムラの警戒度はMAX。
ただし利はある。
護衛用の戦闘人形というだけあって、プリムラは敵意の感知には長けている。
その感知は“肌にピリピリと感じる空気”を察していて、視覚に頼ってはいない。
つまり、雨で視認性が落ちているのはかえって有利とさえ言えるのだ。
そんなプリムラが感覚を鋭敏に研ぎ澄ます、感知半径からわずかに外。
同じくジャンクヤードのゴミ山の中に、一人の青年が腰を下ろしている。
朽ちたテレビに腰掛けて、傘も差さずに雨に打たれ。
白雪の髪をした青年は、そぼ濡れた髪の奥に瞳を濡らしている。
「フランツ……」
悼むように呟いたのは失った“家族”の名。
首元、鎖骨のそばに刻まれた紋はシャングリラの教団章。
ただし、彼が今ここにいるのはあくまで偶然だ。街中に詩乃を見つけて追ってきたというわけではない。
もちろん、詩乃の命を狙ってはいる。
だが今回、彼らシャングリラの目的はそれだけではない。
サノワ村に潜んでいた教団員たちから報告を受けている。フランツ・ハイネマンが討たれたと。
同じくサノワへと赴いていたメリルも行方知れずだが、元から奇行と個人行動が目立っていたメリルは自らの意思で失踪した可能性もある。
だが、フランツは別だ。組織のために身を粉にして働き、病に蝕まれた体で儚げに笑う。
そんな青年は首を刎ねられ、その体は無惨に宿へと残されていた。
首を刎ねた下手人はわかっている。
互いを“家族”と尊重しあうシャングリラの暗殺者たちは、詩乃に向ける冷淡な殺意とは別種の憎悪を一人の男へと向けている。
「……クロード・ルシエンテス」
呟き、彼は傍らに立て掛けた大銃を手にする。
長銃身、13mm口径。戦車の装甲をも貫く対物ライフルだ。
結局、彼がこの場で詩乃たちに気付くことはなかった。
ライフルが悪目立ちするのを意にも介さず、白い青年は雨中へと消えていく。
刻一刻、ベルツの状況は錯綜を増していく。




