五十二話 クロードからの請求
「このパイうまっ」
ザクザクと良い音を立てて、ミートパイを手掴みにかぶりついたのは詩乃だ。
ベルツ名物は大量生産大量消費、客を待たせないよう続々と焼いてはカフェの店頭に積まれていくパイは生地に程よく油っけが回っている。
中身のミートソースには労働者好みの濃い味付けが施されていて、そこにチーズまでが入れ込んであって、齧れば熱を保ったままのチーズがトロリと溢れてくる。
危うく唇の端から零れそうになったそれを指先で受け止め、デロリと伸びるままに持ち上げて口へと放り込んだ。
「うっま……」
もう一度しみじみと呟く。
一週間続いた熱病からの病み上がりということで、昨日はでろでろのお粥と少しの果物を口にしたぐらいだった。
そして今日、クロードからの診察でついに食事にオールグリーン。満を持して、この消化に優しくはなさそうなファストフードを胃に収める運びとなったのだ。
昨日食べたお粥……いや、お粥と呼ぶにも薄すぎる重湯みたいなものに比べて、ミートパイの旨味のなんて芳醇なことか!
刻んだ黒オリーブの実が混ぜ込んであるのもアクセントになっていて、きっと大人なら一緒に酒を飲みたくなるんだろうな。と考えつつ食べる。
「ちょっと詩乃ちゃん、女の子なんだからもう少し気を付けないと」
「んむ……」
夢中でかじりついている詩乃の隣から、ハンカチで口元を拭ったのは神崎だ。
外見年齢は詩乃より少し上という程度に見えるのだが、物腰や口調にはまるで大人と子供のような差が感じられる。旅の商人として世間の荒波に揉まれてきたためか。
コミュ障気味、他人に対する警戒心の強い詩乃だが、懐にするりと入り込むようなタイプの神崎には警戒を解くのが早かった。
以前に駅で神崎から買ったサンドイッチが美味しかったのも警戒を解くのに一役買っていて、詩乃なりにだが割と懐いている。
そんな詩乃をやれやれと見つつ、神崎も同じパイを上品に口へ運ぶ。
かわいい系と美人系、薄めの体と人目を惹くスタイル。容姿も性格もまるで似ない二人だが、どこか姉妹のように見えるのは東洋系の血がそう見せているのだろうか。
あるいは、神崎が詩乃を見る目にどこか慈愛のような色が混じっているせいか。
二人が座るテーブルはカフェのオープンテラス、テント状の簡易な屋根の下に位置していて、面した通りをしとしとと細雨が湿らせている。
そこから少し離れ、店内。
「さて、兵馬君にプリムラ君。ビジネスの話をしようか」
「びっ……」
「ビジネス」
黒い笑顔のクロードは、テーブルを挟んで向き合った二人を緊張させる。プリムラはあからさまに表情を引きつらせていて、兵馬は頬を強張らせて。
詩乃が完治し、大都市へと立ち寄ることのできたこのタイミング。いつかは来る話だとは思っていた。
“治療費”
「当然だが、私は慈善で医者をやっているわけではなくてね」
「そ、そうですよね~……えはは、肩とか揉みましょうか!?」
全力で媚びまくり、動きをカクつかせてプリムラは立ち上がる。
ぎこちないにも程がある動きで指を添え、クロードの肩をギチギチと強烈に揉み始める。明らかに力加減を失敗している。
「それ以上は遠慮しておくよ。私の肩の治療費まで請求する羽目になりそうだ」
「ひいっ! ごめんなさい!」
「請求書だ。紙にまとめておいたから確認したまえ」
兵馬は茶封筒を受け取ると、中に収められた紙を恭しく開く。
何故だか目を閉じてしまい、細めた目を徐々に開けていきながらクロードが書きつけた神経質そうな書体を視認していく。
そして、その紙を取り落とした。
「ぐ、ぐうううっ……!!」
「ひょ、兵馬! いくら? 詩乃の治療代はいくらなの!?」
「に……」
「に?」
「20万ライル……!」
「にじゅっ……ひえええええ!!!」
と、プリムラが悲鳴を上げてみても、それがどれほどの額かは伝わりづらいだろう。
物価を並べて尺度を示すのも良いが、もっとシンプルに一言で表すことができる。
“残りの旅費、ちょうど全額”だ。
兵馬はクロードの全てを見透かすような目に対し、どうも苦手意識を拭えずにいる。プリムラはサノワ村で見たクロードの戦いぶりに恐怖を刻み込まれている。
だがそんな二人でさえ、反射的に抗議の声を上げずにはいられない!
「ぼったくりだ!!」「ぼったくりだよ!!」
「僻地での治療、それも村を全滅させるほどの特殊な風土病。治療しなければ確実に死んでいたんだ、本来ならもっと請求したいところなんだがね」
「ううっ……」
兵馬は口ごもる。
クロードが言った以外にも、詩乃が彼の医者鞄を武器にした時に薬などが割れている。その弁償も含めての額。
医療関係の費用に詳しくはないが、言っていることは妥当なようにも思える。
なにより、治療を受けていなければ詩乃が死んでいたのは間違いない。兵馬とプリムラは詩乃を万敵から守ると決めているが、病気だけはどうしようもない。
そして今のクロードの口ぶりを聞くに、こちらの懐事情を見通している。把握した上で、全財産を支払えと言っているのだ。
当然、困るのは詩乃とプリムラだけではない。
今の兵馬は護衛を対価に詩乃の旅費に寄生している状態で、その枯渇は自分にとっても死活問題! まずはダメ元で問いを一つ。
「ま、負けてはもらえませんか」
「ビタ一文まからないね」
「う、うう、この人悪魔だよ、兵馬ぁ……詩乃を助けてはもらったけど……」
(くっ、どうする……!)
兵馬の目はこれまでの旅路で一番の尖りを見せる。その眼光はハヤブサめいて、頭の中を回るのは金額計算のカウンター。
シャングリラの暗殺者を退けてみせる実力を持つ兵馬だが、そんな彼が最も苦手とするのは金の話!
いくら戦えば強いとは言っても、だからといってすぐに稼げるというものではない。
まさか押し込み強盗や道行く人に追い剥ぎを仕掛けたりするわけにもいかないし、セレブの護衛を努めて稼ごうにもまともな身分証明がない。そんな相手を雇う物好きは少ないだろう。
「金は寂しがり屋」なんて言い回しがあるが、それは事実。ある場所には集まり、ない場所からは逃げていく。
金のない人間は信用されず、まっとうな稼ぎ口は信用が減るのに応じて少なくなっていくものなのだ。
プリムラの表現は全く正しい。クロードの顔に張り付いた微笑は悪魔的と称するのがあまりにも相応しい。
テーブルに肘を付き、口元で両手を組み合わせた姿勢。兵馬とプリムラを睨め付ける様子は医者というよりまるっきり借金取りのそれだ。
「窮することはないだろう? 君たちの支払い能力は把握した上での金額だ。さあ、出すものを出しなさい」
(何か、何かないか。20万……いや、せめて10万! 今すぐに稼げる仕事は!)
こと金の話題になると、この青年からは堅実という言葉が綺麗に抜け落ちる。
まあ状況がそれを許さないのも事実なのだが、とにかく一攫千金ばかり考えている。
幸い、と呼ぶべきなのかはわからないが、肉体労働者が多く集って荒々しい気風のベルツにはギャンブルの類が多く営まれている。
ゲートから街に入って二つ目の通りに売り場のあった宝くじ? 機械化されたベルツ特有の魔素燃料で走るバイクレース?
「よし、少し待ってくれクロードさん。有り金をありったけバイクレースに」
「ギャンブルはNGだ、兵馬君」
「くうっ……!」
「君はつくづく金が身に付かない性格をしているな」
冷笑を浴びせられ、兵馬はいよいよ困窮極まる。
プリムラは何を思ったか、「お金、探してくる!」と叫んだかと思うと店を出てすぐのところにある自販機の前で底部の隙間を覗き始めた。
(冷静になれよプリムラ、今小銭を集めて何になるって言うんだ……くそう! 頼りにならない!)
南無三とばかりに額に手を当て、兵馬は「うぐう」と呻きを漏らす。
ここで有り金をはたいて支払ったとして、今後も旅を続けつつ詩乃を守っていくためにはある程度の金が必要だ。
詩乃もプリムラもよく食べるから食費は必要、夜休むときのセキュリティを考えれば宿代もあまりケチりたくはない。他にも詩乃の弾薬費だとか、日用品を買うための雑費だって必要。
それを捻出するためには……
(よし、大道芸で稼いで……ああ、わかってるさ。僕の芸では稼げない!! かといって、命を狙われている詩乃にバイトをさせるわけにはいかない。そんなのは格好の的さ)
思考はぐるぐると堂々巡り、いくら考えても考えても、認めたくない一つの答えへと帰結する。
(働く……働くしかないのか。働いて金を貯めるしかないのか。この僕が? バイトを!? だけど、嗚呼!!)
「働きたくない……!!」」
「……」
心底からの懊悩を漏らした兵馬。旅路にはわかりにくいが、その実態はニート気質。
ついにテーブル上に頭を抱え込んだ兵馬を、クロードは表情一つ変えることなく見下ろしている。まるで鷹、恐るべし徴収者の眼光だ。
いや、“執行者”か。
元六聖、名乗っていた偽名はクルド。ペイシェン戦で最も恐れられた男。その経歴はプリムラから聞いた。
一切の油断を許さないその雰囲気に、兵馬は思わず視線を泳がせる。
……だが。ほとんど空になった皿、その上に残っていたリーキのピクルスを口に運び、クロードはふと雪解けめいて表情を緩める。
「聞けば、詩乃君はファルセルのローズ将軍と既知。そこに庇護を求めての旅だそうだね」
「……そうらしいです。僕もよくは知りませんがね」
「なら、将軍に治療費を求める手も私にはあるわけだ。つまり、支払いに猶予を付けても構わない。もちろん条件付きだがね」
「……! その条件は!?」
「君たち三人。しばらくの間、私の旅に同行してもらおうか。荷物運びに雑用に、人手はいくらあっても足りないからね」
流れるようにそう告げて、「決めなさい」と言い添えた。
さて、兵馬は思い悩む。
悪い条件ではない、ような気もする。もちろん自分の一存だけでは決められないが、小銭集めに夢中になっているプリムラはともかく、詩乃に話を通してみるだけの価値はある話だと思う。
だが……ずっと、決定的に気になっている点が一つ。
(サノワの村に、どうして彼は現れた? 鉢合わせたのは大方、神崎が何かを仕込んでたんだろうさ。だけどそれにクロードが付いてきた理由は? 仮にも元六聖、理由なしに動く男にはとても見えない)
不穏と違和感の塊。そんな男と、詩乃を長らく同行させたいとはあまり思えない。
元軍属、顔見知りのリュイスの兄という身元保証があってなお、纏った万死の空気は強く存在感を示している。
いや、いくら推し量っても答えが出ることはないだろう。ここは直球、尋ねるべき場面!
「クロードさん、あなたの目的は……」
と、投げようとした質問を遮るように、横から気安い声が挟まれる。
「お、いたいた。おおい、兵馬君!」
「ん、呼ぶのは誰……って、エドガーさん!」
手を振りながら現れたのはリオの仲間、オフィーリア号の飛空士、エドガー・ディールだ。
ならず者めいたリオの仲間とは思えないほどに人の良さが前面に出た男で、長く会話を交わしたわけでもないが好感の持てる青年だと思っていた。
それだけに、彼が無事なままで現れたのは兵馬にとっても嬉しいこと。思わず笑顔で手を振り返す。
「いやあ、ああやって落ちて無事だとは。詩乃ちゃんとプリムラちゃんは?」
「ああ、無事だよ。ほら、詩乃はあっちの席に。それとプリムラは、どこかその辺の通りに……ああ、あそこで溝をさらってる」
「……あれは何をして? ま、無事ならいいか」
うんうんと頷き、相席のクロードに軽く挨拶をしてから兵馬へとアタッシュケースを手渡す。
「これ、リオからだ」
「うん?」
「この前の一件の謝礼さ、助けられたって言っていたよ」
受け取り、開けた瞬間に兵馬は思わず声を上げる。
「な、なんだこの大金!!?」
「30万ライル。リオからの感謝の証だよ。時間がある時に企業連のビルに顔を出してくれ。この街はブラックモア家の自治領みたいなものだからな」
そこまでを告げ、「じゃ、伝えたからな。また今度会おう!」と言ってエドガーは去っていった。
その背へと心からの感謝を込め、手を振って見送り、そして兵馬はクロードへと向き直る。詰め込まれた札束を両手に握り、テーブルへごっそりと盛り付けて快笑!
「きっかり20万ライル! こいつで手切れだドクタークロード! あっははははは!!!!」
「これはこれは……」
「ついでにこいつはお会計! 僕の奢りさドクタークロード! ああ、まだ10万も残ってるじゃないか……やったぜ!!」
積み上げた札束とは別に、自分用の財布を逆さにしてテーブルへと小銭を広げる。
会計分には足りていないのだが、兵馬は気付いていない。
金が入れば途端に態度が大きくなる。そんな小者っぷりを全開にしつつ、兵馬は詩乃の方へと去っていく。
誘いをやり過ごされたクロードは小さく肩を竦め、「やれやれ」と呟きながらテーブルの金を1ライルも余すことなく自分のカバンへと収める。
「振られてしまったね。まあ、他にもやりようはあるが」
そう呟いて、静かにエスプレッソを飲み干した。




