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五十一話 煙の工業都市、ベルツ

 ベルツ。機械化の先鋭を行く工業都市。


 窪地に沿って建造された地形で、街は高低差の激しい多層構造。

 ユーライヤの工場とも称される大都市は、夜も煌々と明かりを灯し続ける。

 立ち並び煙を吐き続ける工場群は二十四時間稼働、工員たちはひっきりなしに出入りを繰り返してその生産が止まることはない。


 必然、昼夜を問わず活気がある。

 昼から夜は住民たちや観光客が都市部を行き交い、夜から朝にかけては夜勤を終えた工員たちが空き腹を抱えて飲食店を賑わせる。名物のミートパイにビールを併せ、立ったままの角打ちで食せばベルツスタイル。


 物を作り、他都市へと売り捌く。

 生産の中心地である工業都市には多くの人々がビジネスのために訪れ、そんなベルツは人種も貧富も言語も入り乱れる文化のるつぼ。

 同規模の街である聖都セントメリアや中枢都市リリエベリと比べても、全てが雑多とした様相を呈しているのだ。


 そんな都市を見下ろす高所、窪地の壁面に築かれた巨大なビルの集合体。

 都市を統べる企業連合の本拠である建造物の最高層から、初老の男が都市に灯る光列を見下ろしている。


 ダリル・ブラックモア。

 企業連のトップであり、実質的なこの都市の支配者である男。

 齢は60に迫りながら背筋はピンと伸び、身の丈は180半ばの偉丈夫。


 その眼光は商人に特有の、利に対する聡さを宿している。

 ゴツゴツとした壮年の指に太葉巻を挟み、マッチを擦って火を灯す姿はまさに豪商のイメージ像そのものを象ったかのようだ。


 ブラックモア家はエフライン6世の時代から現14世までの長年に渡り、代々武器商を営んできた家系だ。

 戦争とあれば即座に嗅ぎつけ私服を肥やす。死の商人と後ろ指を指されたこともあるが、しかし重ねた歳月に着々と財を築き上げてきた。

 その積み重ねの結果が今の地位。大都市ベルツに得た自治権、その首長とは即ち、大貴族や軍部の将軍たちに匹敵、あるいは上回るほどの権力が掌中にあるということ。灰煙の工業都市に、一族の権勢は華と咲き誇っている。


 そんな壮年の男ダリルは室内へと視線を戻し、ゆっくりと口を開く。


「リオ君、あまり無茶をしてはいけないよ」


 コワモテの外見にそぐわぬ穏やかな口調、彼が口にした名はリオ。

 そう、ベルツの支配者ダリル・ブラックモアは、リオ・ブラックモアの父親なのだ。


 そして部屋の中、ソファにはオフィーリア号の戦いを生き延びたリオが座っている。

 父と同じく大柄な体格と長い指のせいか、手にしたグラスは実際以上にやたらと小さく見える。褐色に透き通った酒を煽り、父からの戒めにふらりと手を振ってみせる。


「ああ、わかってるよ親父殿。後処理やら隠蔽やら、厄介を掛けて済まねえ」

「厄介などとは思わんとも。大切な一人息子だからね」

「感謝してるさ」


 軽い調子で返しつつ、ナッツをガリゴリと噛み砕く。

 実際、大事をやらかしたリオを国から匿う、手を出させないように手を回すための労力は生半可ではなかった。

 父だけでなくベルツ企業連の多くの人々が奔走し、工作を行い、それでようやく一応の安全を得ることができている。


 実家を離れて遊び歩いているリオだが、親との関係は決して悪くない。

 むしろ少しばかり過保護なくらいで、そんな環境に辟易(へきえき)して飛び出したのが今の無頼漢的な生き方へと繋がっている。

 だが危機となれば実家に身を寄せる。全力で頼る。使えるものは使うのがポリシーだ。


 リオを世間的に死亡扱いにできているのは父ダリルの力だけでなく、ブロムダール家、テオドールの工作の影響も大きい。

 ただの商人でなく武器商なのも大きく、軍の深部にまで顔が利くからこそ情報を握り潰すことが可能だったのだ。

 だが一般層にはともかく、元帥ヴィクトルや枢機卿アナスターシャら国の上層にいる人間たちにとってはリオらの生存は公然の秘密。政治的なバランスで手出しをさせずにいるが、引き渡しの圧力を掛け続けられている状況でもあるのだ。


「それにしても、まさかあの歌姫リーリヤを誘拐してくるとは……」


 ダリルは同じ部屋、リオとは別の方向へと目を向ける。

 そこにはリーリヤが自室もかくや、椅子へと尊大にふんぞり返りながら不機嫌な表情を浮かべている。

 

「どうも。おたくのクソ・ドラ息子さんのせいでわけわかんない立場になってるリーリヤです」

「本当に済まないね、リオ君が迷惑を掛けてしまって」

「ほんとにね。スケジュール立て込んでたのに。マネージャーが白目剥いてんじゃないかしら」

「おいリーリヤ、言っただろうが。お前殺されるところだったんだぜ」

「それは何度も聞いたわよ、耳にタコができるほどね。ま、それが事実だとして腹立つのには変わりないし? せいぜい全力でもてなしなさいよって話」

「ったく……つくづく態度のデカい女だ」


 眉をしかめるリオの視線をやり過ごし、柑橘の添えられたトロピカルな紅茶をストローで吸っている。

 リーリヤはこうして悪態をついてはいるが、実のところ内心では今の状況を“棚ぼた”的に捉えている。

 

 当代きっての国民的人気歌手。兵馬たちが式典の会場で目にした多くのスタッフを従え囲まれた姿が象徴するように、彼女の仕事は既に自分の一存でやめることが不可能な状態。

 マネージャー、そして国に管理されるままに、毎日ユーライヤのどこかで歌い続ける。そんな生活があと数十年と続くはずだったのだ。

 

(歌うのは嫌いじゃないけど、オフもほとんどなしに今後もずっとってのはねえ? 正直ないわー)


 飛空艇へと拐われた時は何事かと面食らったが、いざベルツへと連れてこられてみれば、リオがブラックモア家の一人息子だというのはハッタリでもなく事実だった。

 企業連の豪奢なビルの中、プライベートルームを与えられてのVIP待遇でバカンスを過ごせるというのはなかなか悪くない状況……そう考えている。

 ただ、やっぱり誘拐されたという事実に腹は立つので不機嫌を貫いている。

 

「リオ。茶ァ」

「なんだこの女……」

「言われたら一秒で動くおもてなし精神を見せなさいよ、使えないわね。使用人でもいいわ、茶のおかわり!」


 パシパシと手を叩き鳴らすと、部屋の隅に控えていた使用人がそそくさとリーリヤへ寄っていく。が、リオは片手でそれを制する。

 

「いい、ほっとけ。自分でやりやがれ」

「ああん? 気に食わないわね誘拐男」

「誘拐したのはそりゃ多少は悪いと思ってるがな、テメエは性格が悪すぎんだよ!」

「アンタに言われたくないわねえ、私を丁寧にもてなしてくれる立派なお父様に迷惑かけまくりの放蕩息子の癖に!」

「ああそうだ、俺は放蕩息子だぜ。それだけにあちこちで色んな女の子と遊んできてる、自慢じゃねえがな。その俺が断言してやる。お前は俺が知ってる女の中で一番性格がクソだ!!」

「性格? はっ、んなもんクソ食らえよ。才能がないやつだけニコニコ媚びてなさいっての」

「言いやがった、このアマ……」

「私は歌で人を心酔させられる。全てはそれで十分! 平伏しなさい世の愚民ども!」

「クズかよ……こんなのと婚約させられたバイオリンの兄ちゃん、アイツ災難だな、マジで」


 式典の会場で昏倒させたシャルルのことだ。

 これはリーリヤへの当てつけでもなんでもなく、心底から漏れた同情。

 リオは方々を遊び歩いている男だが、女性に求める条件の中には“ピュア”が含まれている。遊び人ながら、女性に対する幻想を捨てきれていない部分もある。

 ちなみにもう一つの条件は“モデル系”。リーリヤの容姿はその悪辣な表情を除けば可愛い系で、身長もごく普通。全てがリオの基準と合致しない。

 彼にとって考えうる限り最悪の女、それがリーリヤ・ドローニナという女性だった。

 

 そんなリオの胸中などリーリヤにとっては知ったことでなく、空になったグラスに氷を揺らしながら、歌姫はもう一度よく通る声を張り上げる。

 

「茶ァ! お・か・わ・り!!」


 ダリルはそんなわがまま少女に苦笑を浮かべながら、差し出されたグラスを受け取りドリンクを注ぎに向かう。

 慌てて寄ってきた使用人を息子と同じ仕草で制し、部屋の中にある冷蔵庫の方へと歩いていく。

 

「さっすが、息子と違ってお父様の方は話がわかるわね~」


(ありえねえ、こいつだけは)

 

 リオは呆れ返って天井を仰ぐ。

 そもそもリーリヤがここにいるのは誰が呼んだわけでもない。私室にいたはずが暇だったのか、父に呼ばれたリオにふらふらと付いてきてここにいるだけなのだ。


 見ていると骨の髄から疲れる。だったら精神衛生上、視界に入れないのが上策。

 ついにリオはリーリヤへ意識を向けるのをやめ、立ち上がって窓の外へと目を向ける。

 

 縦構造、広く築かれた大都市ベルツ。煙とススに包まれて、地には工場、宙には張り巡らされたケーブルカー。

 飛空艇も多く飛び交い、列車は東西南北と縦横無尽に滑り込んでくる。


 多くの人間が行き交うこの都市で、人々の出入りを把握するのは容易いことではない。

 だがリオは徹底的に調べていた。街の四方に設けられた大ゲートの入街記録に着目し、シャラフと話を付けてベルツへと逃げ込んだその日から毎日調べ続けていた。

 人を使い、自分でも目を皿に。そして昨夜の遅く、ついに彼らが馬車で街へと入ってきたのを目に留めたのだ。

 

「来ると思ってたぜ、兵馬樹」


 佐倉詩乃とプリムラ、そして兵馬が落ちたのはベルツから東へしばらくの森の上。

 仮に生き延びていたとすれば最寄りの大都市を目指すのは自然なことで、必ずベルツを訪れるはずだと目していたのだ。

 

(あの落下から生き延びやがったか。それも詩乃とプリムラも無事に守りきって。いよいよ怪物だな、お前は)


 そして遅れて今日、少数の軍人たちが街へと入ったこともリオは把握している。

 その中には元帥ヴィクトルの姿があり、別のグループには六聖(ベネデッタ)アルメルとビルギットの姿もあった。


(目的はリーリヤか? いや、ベルツでブラックモア家に喧嘩を吹っかけるつもりならもっと大軍で来るはずだ。だとすりゃ……)


 標的は兵馬ら三人。そして元帥と六聖らは敵対している。

 そんな状況を正確に察し取り、リオは悪童の笑みを口元へと浮かべる。

 

「面白くなってきやがった」


 煙の街に、雨が降り始めた。

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