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四十九話 動乱の口火

 聖都セントメリア。

 

 詩乃たちが滞在したおよそ一週間、出不精(でぶしょう)の傾向がある二人と一体はアルベール家にばかり入り浸り、普通の観光客ほどには街中を出歩かなかった。

 観光スポットに当たる場所は両手で数え切れないほどにあるのだが、訪れたのは宮殿と式典の行われた大スタジアムぐらい。

 そして詩乃らが訪れなかった観光スポットの一つ、厳そかに佇む灰色の宮。

 入り口は厳重に警備されて立ち入ることは出来ないのだが、数百年の歴史を刻んできた建造物の歴史的価値に、日々多くの人々が近辺へと訪れては遠巻きに眺めていく。

 

 ユーライヤ神聖議会。

 広大な国家を仕切るための立法機関であり、700を越える議員たちが国の方針を舵取るための話し合いを繰り返している。

 

 正面入り口には巨大な石柱が立ち並び、美しいというよりは威圧的な玄関をくぐれば木造の内装と赤絨毯が議員たちを迎える。

 木造、とは言っても貧素なそれとは一線を画す。艶と深みのある上質な色合いが延々と続く大廊下。道中の左右にある数々の小部屋は議員たちに利用される委員会室、控室であったり、休憩所であったり。

 そして警備員たちの前を通り過ぎ、辿り着く深奥には重厚な大扉。押し開けば……その場所こそが、神聖議会の大議場だ。

 

 議長席を中心点に、半円に放射状に設けられた席数は700余。

 その議題は多岐に渡る。立法、予算、税制、インフラに諸々。この場における多くの話題は物語において触れられる必要のないものだ。


 だが、今日の議会は異様な熱を帯びている。この国の根幹に関わる議題で紛糾(ふんきゅう)しているのだ。

 

「私は提言する。まだ幼いエフライン14世猊下(げいか)には、この国を率いていくだけの度量は未だ備わっていないと!」

「ならばどうする!」

「権威の譲渡を。王権の一部を、国を任せるに足る人間へ!」

「譲渡を!」

「賛成!」

「ふざけるな!」

「反対!」

「賛成!!」

「賛成!!!」

 

 そう、議題は少年教皇エフライン14世の統治能力への問題提起。

 ユーライヤ正教を国の(いしずえ)とする宗教国家、ユーライヤ教皇国において、教皇エフラインとは全ての人々から敬われる現人神(あらひとがみ)

 つまり今、神聖議会では“神下ろし”が公然と語られているのだ! 

 

(全く、ありえない話だ)


 嵐のように議論が渦巻く議会の中、冷めた瞳でそれを見つめている議員が一人。

 端正な顔立ちに若干の神経質さを漂わせながら、長い指は苛立たしげに椅子の端を叩いている。

 年齢は30に満たず、彼はアルメルの兄、青年議員テオドールだ。


 妹の前で見せる極度のシスコンとしての顔とはまるで別、彼の瞳は怜悧に議員たちの動向を伺っている。

 

 神下ろし。そんな考えを公の場で口にするなど、本来であれば不敬罪だ。

 しかしそれを誰も……少なくとも半数以上の議員たちは、まるでそのことを気に留めていない。

 

 何故こんな状況になっているのか、その原因は二つ。

 

 一つは先日の一件、式典における宮廷歌手リーリヤの誘拐。

 前王を(とむら)う儀は国中全て、さらには国外からの視線を集まる国の面子を賭けたイベントで、そこで大事件が起きてしまったという事実がそのまま少年教皇の指揮力のなさを示していると。

 

 無論、言いがかりに近い。責任を問われるとすれば軍人たちで、エフライン少年にとががあるわけではない。

 それでもそんな暴論が口にされるのは、攻め込んできた西の大国ペイシェンとの戦争を終えてからまだ日が浅いという点が大きい。

 戦争は講和で幕を閉じた。決して勝利したわけではなく、未だ国境線では緊張状態が続いている。

 さらには北国サルネシアも不穏な動きを見せていて、外部の目が集まる式典での失態はそのままエフライン14世の指導力のなさ、ひいては国力の低下を示し、外から侵略を掛けられる可能性を招く……そう主張されているのだ。

 こうしてエフライン少年が吊し上げられる引き金となった騒動、その首謀者はテオドールなわけだが、もちろんそれを顔に出しはせず涼しい顔をしている。

 リオ・ブラックモアへ下した誘拐の指示も、高度な政治的判断からの行動だ。今の状況もあくまで想定の範疇。

 

 それよりも大きな問題、もう一つの原因はテオドールの視線の先にいる。

 赤みを帯びた髪を左に流し、纏う衣もまた緋色。議事堂の茶色と議員たちのスーツのくすんだ色味の中に、一輪の花……否、毒花の存在感を示す女性が一人。 

 

 

簒奪(さんだつ)を目論むか、アナスターシャ)

 

 

 アナスターシャ・パリス。

 国教ユーライヤ正教の枢機卿であり、地方都市に実権を持つ六将軍の一翼。テオドールとアルメルのブロムダール家と並べて語られる大貴族パリス家の長子、アナスターシャが議場を見据えながら瞳を尖らせている。

 彼女こそがこの争議の原因、反エフライン派の旗頭であり、それを束ねる首魁(しゅかい)たる存在なのだ。

 

 アナスターシャ派には有力な議員も数多い。

 豪腕セルゲイ・グリム、夫婦ともに有力議員のフランセル夫妻、南部に強固な地盤を持つラウリーニ家のフェデリカ、他にも老獪(ろうかい)な古狸たちが数多く。

 そんな彼らがこぞってエフラインの力不足を唱えていて、最大派閥を占めている。

 

「北のサルネシアが急速な軍拡を進めている。それを踏まえれば取るべき道は自明。14世猊下は自ら決断を下せるほどに成熟しておられない。故に、我々が道理を示さねばならない」

 

 口を開いたアナスターシャ。断固とした口調は無駄を削ぎ落とした抜き身のサーベルめいていて、女性ながらに軍人でもある彼女の性質をそのまま示している。

「そうだ!」「ふざけるな!」「その通り!」

 意味のない同意と反論の声が飛び交う。

 立場を確定させた議員たち以外は黙し、あるいは当たり障りのない野次に徹し、どちらの派閥に付くのが自分たちにとって得なのかを見極めようとしている。


 教皇派か、枢機卿派か。エフライン派か、アナスターシャ派か。

 今やこの場は“神聖”議会とは名ばかり、それぞれが利己を丸出しに、生き残りを賭けた判断の場なのだ。

 

 

「14世。“あれ”は駄目だ」



 以前、アナスターシャは傲岸(ごうがん)にも議場の中でそう言い放ってみせた。

 曰く、「国を統べていく意思がない。今を生きる目をしていない」のだと言う。

 父の崩御(ほうぎょ)から流れのままに、準備も少なく即位した少年教皇に何を求めようと言うのか。しかしそんな暴言を口にしてもついに咎められなかったほどに、アナスターシャは権勢を増している。


「廃位を!!」


 ついに誰かが直接的な表現を口にした。

 その声を引き金に、「誰が言った!」「不敬罪だ!」「首を刎ねろ!!」と、議会はやにわにやかましさを増す。


 茶番だ。

 アナスターシャ派が廃位、王位の簒奪を目論んでいるのは既に公然の秘密で、それを今更口に出したから何だというのか。

「静粛に」と告げる議長の声も、怒鳴り合う両派を止めることは叶わない。そしてついに、議席の前方で血気盛んな議員たちが殴り合いを始めた。


(……早すぎる)


 そんな怒号と混乱の渦中、テオドールは思い悩む。

 想像していた以上にアナスターシャ派の足場固めが早い。

 

 勝ち馬は明らかにアナスターシャ派。信心深いわけでもなく野心家、そんなテオドールの性格からすれば、本来ならばアナスターシャ派に鞍替えしている場面だ。

 しかしテオドールは翻らない。彼にとって絶対的に、エフライン派以外の選択肢はありえないのだ。それは何故か?

 

(アルメルはエフラインを守る騎士だ。気に掛けている。ならば、派閥など選ぶまでもないだろう?)


 テオドール・ブロムダールの行動指針は常に一つ、妹アルメルを如何に幸福たらしめるか。

 アナスターシャがこれ以上の隆盛を得たならば少年教皇の懐刀(ふところがたな)のである妹は立場を悪くする。その時点で枢機卿アナスターシャの存在は、テオドールにとって不倶戴天(ふぐたいてん)の大敵なのだ。


 さて、こんな状況の議会で未だ一定数の議員たちが立場を決め兼ねているのは、一人の大物議員の存在に起因している。

 

 ドミニク・エルベ。

 

 先日の式典でテオドールと会話を交わした男性議員で、年齢はテオドールより一回りほど上。

 ただし外見は若々しく精気に満ちて、しかし政治家にありがちな眼光のギラつきは決して見せない。

 ウェーブのかかった長髪に、薄化粧を施しているのか血色の良い肌。袖を通したスーツはエメラルドグリーンで、アナスターシャのルビー色とは異なる存在感を示している。

 ゆるやかに浮かべた笑みは理知と慈しみで彩られているように見える。少なくとも、外見的には。


「大騒ぎですね」

「おや、テオドール君。いけないね、席を離れては」

「あの様子です、しばらくまともな進行は無理でしょう」


 起きた騒ぎを良いことに、テオドールはドミニク議員の座る席の側へと移動している。

 おあつらえ向きに彼の隣に座っていた中年議員は赤ら顔をさらに真っ赤に、前方の騒ぎの中でヘッドロックを決めている。


 テオドールらエフライン派に残された数少ない逆転の目は、彼を派閥へと引き込むこと

 気鋭の青年議員であり、家柄が国内でも有数の大貴族であるテオドールは派閥の主力であり、期待された役割を果たすべく、ドミニク議員との交渉に訪れたのだ。

 そして彼を引き込むための工作は今日一日に始まったことではない。これまでに幾手をも重ねてきていて、それを踏まえた上でテオドールは単刀直入に口を開く。


「大義のために。教皇派へと力を貸しては頂けませんか、ドミニク議員」

「大義? ふふ、テオドール君、言葉が若い。賢い君なら大義で人は動かないことくらい知っているだろうにね」

「ですが、貴方は中立を保っている。日和見(ひよりみ)主義という性格でもないでしょう。何が貴方を動かすのです?」

「愛だよ」

「……愛?」


 ドミニク議員の繊細な指先が宙に踊る。するすると、おそらくはユーライヤ文字で“愛”と書いたのだろう。

 今は政治の話をしている。権謀術数(けんぼうじゅっすう)を語っているのだ。そこに何を言うかと思えば、愛? 

 困惑に首を傾げるテオドールに、ドミニクはたおやかささえ感じる笑みを見せる。

 

「世界を動かすのは理屈ではない。愛だよ。私を動かしたければ、君が心に秘めた愛を語りなさい」

「……失礼ながら、仰ることの意味が……」

「どんなものでもいい。どこを向いていても構わない。愛なき人間に正しき選択は成し得ない。それが私の唯一のポリシーだよ」


 この場で何を語れと言うのか。

 テオドールは本気で戸惑い、ドミニクから斜めに視線を逸らす。


(ドミニク・エルベ、思えば中性的な外見をしている。愛を示せとは? 男色家の噂はなかったが、まさかその手の意味で言っているのか?)


 混乱はテオドールの思考を明後日の方向へと迷走させる。

 と、そんな考えを察したようでドミニクはへらりと曖昧な表情で手を左右に振って示す。


「あ、そういう意味ではないよ」

「でしょうね」


 相槌を打ったが、しかしまったく意図がわからない。愛で政治が語れるものか。

 ただ、無理やりに理屈を見出すとすれば……本音を語れ、本性を晒せと言いたいのだろうか?

 テオドールの本性、本質。それはシンプルなただ一点へと集約する。実妹アルメルへの、倫理を超越した深い深い愛!

 

「語りたまえ。君を動かすその愛を」

「良いだろう、求めるならば語りましょう。私の愛を!」


 議員たちの紛糾は止まる様子を見せず、いよいよ流血沙汰へと発展したところで介入した警備兵が荒れる議員たちを引き剥がそうとしている。

 そんな喧騒の中に紛れてテオドールは語る。妹アルメルへの愛をぶちまける。


「アルメル、ああアルメル! 薄紅の髪は絹の指通り、白い肌の吸い付くような滑らかさ。至上の宝玉にも勝る吸い込まれるような瞳は私を移し、美を体現した麗身に女性的な曲線美も備えている」

「……」

「痩躯に引き締まった筋肉の機能美。声は涼風の清らかさに芯を通し、恥じらいの表情はまさに甘美……あの愛らしい寝顔と寝息、あれを横で眺めることこそが我が世の春!」


 語る語る、テオドールは言葉の限りを尽くし、妹アルメルの素晴らしさをリビドーのままに早口で延々と語る。

 勢いに少しばかり気圧されながら、ドミニク議員は微笑を浮かべてそれを聞く。聞く。……が、ついに業を煮やしたか、テオドールの語りへと茶々を入れるように声を挟む。


「それで、私はいつまで君の妹のプレゼンを聞かされるのかな?」


 が、テオドールは声を荒げてそれを遮る。


「そんなアルメルの!! お兄様と慕ってくれるアルメルの心を、体を、声に瞳に、髪の一本に至るまでの全てを、私はどこの誰にも渡すつもりはない……」

「ほう……?」


 ドミニクは微笑む。彼が見たいのはテオドールが政を志す動機、彼の中核を成す欲求。

 そんな期待に応えるように、テオドールは赤裸々な欲望をつらつらと語る。

 

「ドミニク議員、私の目標はただ一つ、この議場のトップへと上り詰めること。そして妹を世界一幸福にしてみせること。14世はそのための止まり木に過ぎない。そしてアナスターシャ、あの女が邪魔なんだ」

「何故、妹への愛と上を目指すことが結びつくんだい?」

「知れたこと」


 テオドールは吐き捨てるように笑い、怪鳥めいて両腕を広げる。


「世のルール、倫理を形作るのはいつだって政治家。ならば私はそのトップへと上り詰め、変えてみせよう、常識を」

「常識を?」


 恍惚と。



「法を作り変える。世に認めさせてみせる……兄と妹での結婚を!!」


「……んん?」



 言い切ってみせ、テオドールは至福の面持ちでフルフルと振るえながら議場の天を見上げている。

 ドミニクはぽかんと口を開き、目の前の青年議員の顔を呆けたように眺めている。

 そして理解した。この青年、度を越した馬鹿かつ単なる変態だ!


 テオドール・ブロムダールの中には“大義”などと呼べる心は一欠片も存在していない。

 彼の中にあるのはただ一つ、妹への湧き上がる愛情の泉だけで、全ての行動原理はそこから来ているのだ。

 つまるところエゴ。ただひたすらに欲望に忠実に、妹を世界から独占するためだけにこの神聖議会に身を置いているのだ!

 

「テオドール君。君はきっとここに集った者の中で、最も教皇への忠義や国へ尽くす心を持っていない人間だ。あのアナスターシャよりも」

「それは……」


 テオドールは返す言葉を言い淀む。

 変わり者と称されるドミニク・エルベが相手だからこそと心中の全て……いや、これでも上澄みの方だが、とにかく心を晒してみせたのだが、やりすぎたかとほぞを噛む。

 ……が、一転。ドミニクは表情を緩め、テオドールへと笑いかけてみせる。


「面白い」


 少なくとも一貫はしている。

 この青年は何があろうと妹への愛だけをただ一つの判断基準としてじゅんじるはずで、そこまでブレのない精神性はこの議場の中でも随一だろう。

 ドミニク・エルベは世界の行く末を見据えている。長く先を見据え、エフライン派とアナスターシャ派のどちらがこの国を良い方向へと導けるかを測っている。

 エフライン派の中核を担うこのエゴだらけの青年に、ドミニクは可能性を見出している。

 

 もちろん、テオドール青年だけを見れば問題だらけ、人間性が優れているとはとても言い難い。

 だが彼の判断基準である妹、アルメル・ブロムダールは音に聞こえた高潔な人柄の女性騎士。アルメルの思いを成す、それこそがテオドールにとっての大目標。

 だとすれば清心と才覚が相まって、正しい方向へと向くのではないか。少なくとも政治家としては。


「道を外れている。愚かな愛だね。けれどチャンスをあげよう」


 ようやく乱闘の収拾が付き、議場の中に静けさが戻りつつある。

 それを見計らって、ドミニクは颯爽(さっそう)と立ち上がった。議場の明かりが彼のスーツを翠緑に照らし、集った人々の視線が一斉に集まる。

 しかし一切動じることなく、彼は悠とした態度を保ったままに口を開く。


喧々諤々(けんけんがくがく)の議論も良いでしょう。しかし結局、趨勢(すうせい)を左右するのは私。では提言を一つ。枢機卿猊下に軍を御せるだけの才覚を見せていただきましょう」


 不遜とも言える物言いに、議場をどよめきが支配する。

 しかし反論は皆無。ドミニクが身の振り方を決すれば日和見を決め込んでいた残りの議員たちも同調するのは明らかで、彼はただ事実を述べているに過ぎないのだ。

 

 ルビーレッド、真紅の衣のアナスターシャがドミニクへと目を向ける。


「ドミニク議員、その手段は?」

「私が独自に得た情報では犯行グループのうち三名、佐倉詩乃、プリムラ、兵馬樹は工業都市ベルツへと向かっているそうです」


 議場がどよめく。こうして国が内憂に揺れているのは彼ら誘拐犯たちのせいなのだ。

「情報の信憑性は」と問う声に、ドミニクは当然とばかりに笑顔を見せた。


「確実な筋からの情報です。アナスターシャ嬢にはこれを抑えていただきたい。それを成せたなら、エフライン様とアナスターシャ。私はどちらの猊下に付くかを決めましょう」

「良いでしょう」


 それを捕らえたとなれば確かに、アナスターシャがエフラインに欠けている資質を有しているという証明になるだろう。

 彼女は頷き、烈女の気迫を纏ったままに議会を退出していく。行動は迅速に、確かに今ここで話すべき話題は残っていない。


 そしてテオドールは理解している。

 ドミニクは言外にこうも告げているのだ。エフライン派が兵馬らを押さえれば、少年教皇に軍を率いるだけの度量があると判断すると。



(どうやら戦うべき時が来たようだよ、アルメル)



 テオドールとアナスターシャの視線が交錯し……新たな対立が今、幕を開けた。

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