四十八話 轟雷に夜空は揺れて
(決めるには一撃。あのメリルとかいう女が止められず、避けられない一撃が必要だ)
兵馬は決着までの手順を逆算する。帰結はイメージできたが、そのためには威力と速度を両立させなくてはならない。
手にした雷剣を体の右に、刃を下に提げ持つ。
柄に備えられたトリガーを弾くと、ヴヴと鈍い音を鳴らしながら刀身が微かな光を帯び始める。傍らの地面へと突き立てて、視線を静かに研ぎ澄ます。
(特大の雷で仕留める。ただ、チャージには時間がいる。その間は……)
「あっは!!!!」
(こいつの猛攻を凌がないとな!)
メリルは乱杭歯をむき出しに、前のめりの突撃から右腕を振るう!!
首を潰しに来た一撃、兵馬は身を引きつつ肘でそれを払う。構わず、メリルは勢いそのままに身をもたれさせるようにタックルを狙ってくる。
もちろん狙い通りに組ませる気はない、ほぼ密着の距離で振り上げる膝、腹部へと蹴りを見舞う。左側へと身を滑らせて回避。
「効かなァい!!!」
「なんて硬い腹筋……蹴ったこっちの膝が痛いな!」
左、右! メリルは即座に向きを変え、両腕を交互に泳がせる。
掴まれては危険だと誰の目にも明らかなほど、彼女が手を振るたびに豪風が渦を巻く。掌中という局所的な威力だけを見れば、エルタの町で交戦したあの巨人ピスカよりも上だろう。
プラス、特筆すべきはそのスピード。怒涛の攻めは兵馬へと武器を取り出す暇を与えない!
凶器の両腕は細身の外見とはバランスが不釣り合いなほどに長く、ぬるりと伸ばされた左がついに兵馬の服、その襟へと指先を掛ける。
瞬間、兵馬の姿がメリルの視界から消える!
否、背中を後ろにわざと倒れ込んだのだ。
草むらへと受け身で衝撃を殺しながら転げ、頭を地面に脚は天に、伸び上がるように蹴り上げる!
「うぎゃあっ!!」
(顎に一発、からのもう一発!)
逆立ちの姿勢から背筋を軋らせ、ギロチンじみて重力任せの両足かかと落とし!
「クッヒ」と歪な笑いを浮かべ、メリルはのけぞりながら横に飛んでそれを回避。靴底が砂礫を削り、反復横跳びの動きから兵馬へと横蹴りで返す!
月闇に二打、三打と打擲音、互いの荒い息が響いている。
微かに聞こえるジャキジャキとした律動はメリルのイヤホンから漏れる曲。アップテンポの鼓動は兵馬へも薄く届き、戦いのペースを加速度的に上げていく。
肉を抉られてうつ伏せに倒れたままの神崎は動かず、あのままのペースで血を流したのなら長くは保たないだろう。
一刻も早く止血をして、村でクロードと合流する必要がある。医師ならまだ施せる処置もあるはずだ。
そもそも、村のあの様子では詩乃たちがどうなっているかもわからない。
(ダラダラしてはいられないな。早々に決める!)
時間の猶予に追われた状況が、兵馬の攻めに一手の焦燥を産んだ。
高速の体術戦、そこに生まれた一瞬の間隙。兵馬とメリルの双方が間合いを取るべく、同時にバックステップを踏んだのだ。
新たな武器を取るべく、兵馬が赤布を手にしてはためかせる。
メリルはその瞬間を狙っていた。後ろへと下がったのはブラフ、卓越した筋力と骨を唸らせて、細身に凝縮された力が砲弾のように開放される! 前へ、そして伸ばす怪手!!
「捕まえたァッ」
「しまっ……!」
掴んだのは赤布の端。鈎のように折り曲げられた指が片端を絡め取っていて、そのまま剛力で布を引く!
兵馬もそれを手放さず、力比べではメリルに大きな分がある。必然、布と一緒に振り回されて、そのまま勢いよく投げ飛ばされる!!
「ッッぐ!」
「ほらぁ!! プレゼント!!」
木の幹へと背中からぶつかり、兵馬の視界は白黒と眩む。
吐き出してしまった空気を吸い直し、すぐさま意識を取り戻す。が、そこに降るのはメリルが重機よろしく怪力で引き抜いた樹木!
春、緑を纏ったブナの木は夜風に揺れてモンスターじみたシルエット。それが裂空、五本続けて上から注ぐ。投槍を投じる程度の気安さで!!
兵馬は思わず息を飲む。ブナの木は水分を多く含んでいて、他の木に比べても目方が重い。
それが轟然と落ちてくるのだから、まともに受ければ致死は必須。と、他の木でも似たようなものだが。
「う、おおおおっ!!」
回避とは気合いだ。待つ死に足を絡め取られることなく、判断早く足を動かす精神力と勇気!
立ち上がり、駆け出すまでが早かった。間一髪でその落下圏から逃れた兵馬の背後へ、ドスンズドンとブナの大槍が落下する。
その音にぞっと気を取られた一瞬……ザリと地を踏む足音、そして間近に殺気。
「ほら死んだァ」
頭に衝撃、こめかみの辺りへと横ざまに、メリルの掌打が炸裂している。
掌打とは言っても高等な体技ではない。まるで熊が放つ一撃のように、膂力だけを頼みに相手の肉体をごそりとこそぎ取るための動きだ。
重ねて、直撃した位置は側頭部。脳の横を叩かれた。頭蓋がひしゃげれば脳が潰れ、脳が潰れれば人はその生命と意思を断たれる。
地を転げた兵馬、その体が滑った後には赤黒い痕跡だけが残されて……
「ンんふァ……」
フルフルと震え、漏らした吐息は確殺の実感。
メリルは五秒たっぷりと余韻に浸り、それから背を向け、村の方向へと歩き始めた。
「ァ~まあまあ。雑魚の中の90点ってカンジ? ついでだから佐倉詩乃も殺しとこ」
「……それは、聞き逃せないな……」
立ち上がる。
兵馬は突っ伏した姿勢から、ゆらりとよろめきながらも身を起こし、姿勢を整えた。
その頭部からは血が流れている。だが目は生きている。頭の回転は正常に保たれていて、つまり脳は潰れていない。まだ戦える!
「ハァ~?」
メリルは白目がちな瞳をギョロリと剥いて、その様子を不愉快げに睨みつける。
今までに数多くを叩き殺してきた。全力で殴りつければトマトみたいに頭が潰れ、真っ赤に汁をぶちまけてそれで終わり。最高に気持ちのふわつく瞬間だ。
だのに、アイツは立ち上がってきた。理解ができず、ただただ不快感に視線を歪めている。
兵馬が耐えられたのは偶然ではない。兵馬の体が鉄で出来ているわけでもない。
布を掴んで放り投げられたあの時、その手には既に新たな武器が握られていた。
それはごく小型、ギリギリで掌へと収まるサイズ。叩き付けられても樹木の凶撃に晒されても、決して手放すことなく一瞬を狙っていた。
メリルの殴打が兵馬の頭を捉えようとした、その直前。兵馬は掌中に隠していた筒、神崎から買ったばかりの吹き矢をメリルの腕へと的中させていた!
(即効性の麻痺毒さ。その馬鹿力も右腕だけは封印だ。それでもメチャクチャ痛いけど……)
それでも重い。拳闘家のフックを受けた程度のダメージはある。視界が揺れているが、だが片翼はもぎ取った。
地に突き立てた剣、帯電を進めるオートクレールへと目を向け、そのチャージ量が必要に足るまではもう少し。
激戦に立ち位置は離れてしまったが、メリルに奪われる心配はない。あれは兵馬にしか扱えない剣だ。他人が握れば放電が弾ける。
奪いにくれば発動するトラップの役割も兼ねているのだが、メリルは放置されたままの剣に興味を示さない。勘がいいのか、ああ見えて聡いのか。
「もう一手」
そう呟くと、取り出した武器は広刃の戦斧。
柄の両側へと円形の刃が広げられていて、片手で振り回すには少しばかり重い。兵馬はそれを両手で握り、下段に構えて相手を見据えている。
その目を受けて、メリルは心底から不愉快げに歯を見せる。
「……アタシの右腕に何した」
「急いでる」
「もう終わったんだからさぁあ……ちゃんと死んでろよ」
「悪いけど、お前と話をする気はない」
返した声は冷淡。まともに取り合う気のない兵馬の態度に、メリルは動きの鈍い右腕を苛立たしげに振るう。
吹き矢の矢はあくまで微小で、前腕へと刺さったそれの存在にメリルは気付けない。
「アタシは“二ギア”の片鱗を頂いた存在。不出来な“ウルト”どもとは……質が違うんだよッッッ!!!!」
意味の通らないカタカナ語を並べ立て、そしてメリルは跳躍する!
空に浮かぶ月光を背に浴びて、餓狼の叫びに膠着が破れた!
縦にグルグルと回転しつつ、メリルが振るうのは無論左腕。その怪物性が失われたのは右腕だけで、三肢は未だ健在。
薄い唇に乱杭歯を垣間見せ、恐るべき怪打が兵馬へと振り落とされる!
だが動じず、兵馬は握ったバトルアックスを逆袈裟の軌道で打ち上げる。
左右の二択が片側に絞られれば、戦い慣れた兵馬にとってアドバンテージは計り知れない。猛然の一撃を大斧の腹で重く叩き、そのまま重量を活かして遠心力に回転斬!
憂慮なく振るわれた斧は勢いを増して、避ける側へと回ったのはメリルだ。
えぐみを振りまいてきた凶笑は表情を変え、歪に眉を曲げて刃を躱す。
筋肉に骨格、皮膚に至るまでが頑強にできている。それでも兵馬が上体、地に付けた足までの力を併せて大刃を叩きつければ傷は付くだろう。
数々の武器を破壊してみせたのも、その怪力が両手に備わっていればこそ。
額を伝う血が兵馬の眉へと伝い落ちた。しかし構わず、メリルの横薙ぎを身を屈めて回避する。
そして体を前へと倒した勢いのまま、幾度目かの斧撃を全力で振るう。それはかいくぐってのカウンタータイミング、重量のある刃はメリルの首への軌道を描いている!!
「神崎の恨みだ。あんな奴でも友人でね」
「ッッ、舐めんじゃねえァァ!!!」
硬く、疾く、靭い。人をひねれば飴細工のようにねじり切れて、自分は無敵だと自負していた。
そんなメリルが生涯に初めて味わう臨死の際、凶女の膂力と反応速度は完全な人外のレベルへと至っていた。
とっさにかざされた左腕、閉じられる指。メリルは重量に溢れた戦斧の大刃を、その五指で掴み止めたのだ!
「……!」
「ッハ!!!」
瞬間、交錯する視線。メリルは怪力を失したその右腕に、砕けた石片を拾い上げている。
距離は近接、兵馬の両手は斧の柄に。密接の立ち位置、突き出した石はナイフのように、兵馬の濃紅のシャツへと切っ先を立てる!
「心臓を抉る! お終い!! 勝ったア!!」
が、仕掛けていたのはメリルだけではない。
兵馬もまた同様に。
その意識が攻めに偏重したメリルは、兵馬の手先と足捌き、四肢だけに警戒を払っていた。
赤布の奇術にさえ制限を掛ければ与し易い、そう踏んでいたのだ。
故に気付かなかった。侮っていた。兵馬の目に燃える、手段を選ばぬ鈍黒の害意を。
兵馬は反動を付けるように首を引き、思い切り前へと突き出している。
頭突き? いや、違う。歯だ。
多種多様な武器を操る兵馬が頼みにしたのは自らの肉体、歯。眼光は獣のように、メリルの首筋へと鋭く噛み付いたのだ!!
「ンあ゛!?」
「……ッッギぃ!!」
ブチブチと、兵馬の歯は力ずくに頸動脈を破っている。
そのまま肉を引き裂き、上下の顎が閉じる。鮮血を顔に浴び、メリルの首肉を喰い千切る。
「痛ぎゃ、アッ!? いぎ、ィ!!」
激痛に目を白黒とさせ、メリルは手負いの怪物めいた悲鳴をあげる。
今にも兵馬の腹を突き破ろうとしていた右手は反射的に引かれ、だくだくと血を溢れさせる傷口を抑えるために使われている。石片は突き刺さるに至っていない。
「……美味くはないな」
ブペっと肉を吐き出し、兵馬は口元の血を拭う。
すかさず八歩、地に立てたオートクレールを手に取れば、既にチャージされた電量は青く気を放っている。
兵馬は静かに息を吐く。
「……詰みだよ」
「ふ、ざ、けるなッ! このアタシが! 貴様らよりも優れたこのアタシが!!」
銀刃の鍔に付随した金具へ指を、広刃の剣が中心線で二つに割れる。
二つ別れしたオートクレールの先端はメリルに照準を定め、頑強な拵えの鍔からは伸びる筒。双刃に流れる電流が作用しあい、トリガーを引けば全ては終わる。
決着を知って取り乱すメリルへ、兵馬は静かに口を開く。
「一つ言っておくと……僕も“二ギア”だ」
「ひ、あ!? そんな、聞いてない!!」
――雷撃。
極大の雷波はメリルに回避を許さない。
電速の光は青白く森を染め、轟く射出音は木々を揺らして葉を散らす。
空震が収まり……多くを殺め、死を撒き散らしたメリルは膝から下を残すのみ。大部分を消失させて、そして残る足も傾いで倒れた。
「お前は殺しすぎだ」
残心、一振りにオートクレールの変形が解除される。
赤布へと雷剣を収め、兵馬は倒れたままの神崎へと駆け寄っていく。
(時間を掛けすぎた。さっきの出血だと、もう……すまない、神崎)
「あらぁ、やっと終わった?」
「は?」
伏していた神崎が身を起こして手を振っている。
胸元の破かれた着物を片手で抑え、もう片手でひらひらと。
敵の怪力に損なわれたはずの肉体、腕と胸部の傷は何故だか修復していて、兵馬は思わず顔をしかめてしまう。
「なんで生きてるんだ、君」
「もっと嬉しそうにしなさい? 友人が無事だったんだから」
「……」
「ふふ、軍が使う疑似肉の薬液。欠損部を補ってくれる代物よ。商人だもの、横流し品ぐらい揃えててなんぼよねぇ」
「まさか、体は無事なのに援護もせずに死んだフリをしてたのか」
「ええ、そうだけど。私が茶々を入れたところで邪魔なだけだったでしょう?」
きっと邪魔になっていたのは事実。下手に動けばメリルから目を付けられ、人質なりに利用されて状況を悪くしていたかもしれない。
そう、最善の判断だった。だがそれを悪びれもせずに言われるとムカっ腹が立つものだ。
憮然と佇む兵馬を尻目に、ゆるゆると立ち上がった神崎は馬車に乗る。
「ほら、戻りましょう」
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しばらくの後、未だ病に呻く村人たちを蹴散らしながら、サノワ村の街道を一台の馬車が突っ切っていく。
幌馬車の後ろからはプリムラが顔を出し、備え付けの銃座から弾丸を撒き散らしている。
村をそのままに逃げ出すことに心痛を抱きながらも、詩乃を守るという決意に表情は力強い。
御者は神崎だ。着物の上から拾ったコートを羽織り、負っていた怪我が嘘のように巧みに手綱を操る。
それでも失血に頭がふらつくのか、干したプラムをしきりに口へと運んでいる。
荷台に座るクロードは兵馬の手傷の手当てを済ませ、周囲の喧騒を意に介した様子もなく本のページをめくっている。
彼の傍らには医師鞄とは別に一つの黒箱。バレーボールが収まるほどのその箱には、一体何が入っているのだろうか?
そして荷台の中、広いスペース。
病み上がりの詩乃と怪我を負った兵馬が、少しの、手を伸ばせば届くほどの距離を開けて寝そべっている。
「揺れるな」
「だね」
二人揃って顔をしかめながら、幌の天井をぼんやりと見上げる。
まだ村を出てはいないが、突破は時間の問題だろう。一夜の攻防を終えた倦怠に身を委ねて伸びを一つ。
くるりと、詩乃が兵馬の方へと体を向けた。
「無事でよかった」
にっ、と。唇の間から白い歯をわずかにのぞかせ、珍しく浮かべた笑顔は確かな信頼。
兵馬は同じ表情で詩乃へと返し、「お互いに」と言葉を返す。
そして二人は手を伸ばしあい、パシンと。高い位置でハイタッチを交わす。
馬車は森へと轍を刻み……血に彩られたサノワ村の一夜が、幕を閉じた。




