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四十六話 扼殺魔《ストラングラー》

「おばあちゃんは中にいてね、危ないから出てきちゃダメだよ」


 宿屋の玄関前、プリムラは女将へと優しく諭すように言って聞かせている。

 人形少女の判断基準は全てが詩乃基準。病身の詩乃に嫌な顔ひとつせずに床を貸し続けてくれた老女へと恩義を感じていて、危ない目に遭わせまいと張り切っているのだ。

 

 危ない、とは言うまでもなく、宿の周囲を取り囲んだ村人たち。

 重篤(じゅうとく)に出血熱を患い、呻いて吠えながら血を流す彼らは誰の目にも正気を失っているのが明らかだ。

 

「プリムラちゃん、大丈夫なのかい?」

「うん、私すごく強いんだから。ほらほら見て」


 手首をポンと外してみせて、右腕は砲身、左の手は物々しく機関砲。老婆は「へえっ!?」と肝を抜かれたような声を上げる。

 自分のことを自律人形(オートマタ)だとは説明をしていたが、戦闘用だとは教えていなかった。

 素朴な田舎娘から戦士の目へと色を変え、女将へと力強く頷いてみせて玄関から飛び出す!

 

「村の人たちごめんなさい! 詩乃を狙うなら……動けなくなってもらうからね!」

 

 ドラムロールめいて盛大に、夜空に銃声が鳴り響く。プリムラが戦い始めたのを呆気に取られて見つめる女将、その肩にぽんと手が置かれる。

 振り向けば長身、背後に立っているのはクロードだ。

 

 気配なく歩み寄っていた。驚き、少しびくりと身を竦ませた女将の背を彼が押す。


「どうぞ自室へ。この場所では外とは扉一枚を(へだ)てただけ。安全とは言えません」

「お、お医者さま……村の皆はどうしてあんな事に」

「一時的なパニックでしょう。大丈夫、すぐに元通りですよ」


 笑みを浮かべ、落ち着いた口調で言い含める。

 それでも動揺を隠せない老女へと移動を促しつつ、部屋へと入ったところで外から戸を閉じて声を掛ける。


「外に出た彼女と私で食い止めます。が、万一の場合に備えて鍵を掛けさせてもらいます」


 彼女の返事を待つことなく、クロードは部屋の外から南京錠を施した。

 重々しい音を響かせて、部屋は堅牢に閉ざされる。錠前の具合を確認し、クロードの顔から繕った薄笑みが消えた。


(村人たちのあの様子、風土病の菌を化けさせたか。さて、錠が持てばいいんだが)


 身を(ひるがえ)し、ロングコートの裾をはためかせる。

 患者、詩乃が眠る部屋に視線を向ける。同じジョフロワ熱に(かか)っていたわけだが、詩乃には完全な滅菌と予防処置までを施しておいた。同じように暴れ始める可能性はないだろう。

 

 両手に手袋を嵌める。その仕草はオペ室へと向かう外科医のようで、瞳は怜悧に冴えていく。

 腰に佩いた刀、その柄へと手を掛けると、銃声響く外への扉を押し開く。



「こっ・ち・こ・な・い・でええええええええ!!!!!!!」



 叫ぶプリムラ! 左手を水平に薙ぎ、手当たり次第に掃射!

 村人たちの接近を拒むように、猛然の勢いで弾丸をばらまいている。

 彼女の胸部、その奥に仕込まれた動力源(コアハート)

 そこから供給される魔力、疑似血管を通して全身の四肢末端にまで駆け巡るエネルギーを上腕部に備えられた機構で固形化することで弾丸を生んでいる。

 装弾数はコンディション次第、お腹が減るまで弾は尽きない。

 

 正気を失った村人たちが怪物の様相を呈しているとは言え、素人に負けるプリムラではない!

 

 はずなのだが、相手が一般人なのが彼女の枷となっている。

 

「あーもう、来ないでってえ……足を撃つ!」

 

 どうしてこんなことになっているのかはまるで理解できないが、殺してしまうのは避けようと遠慮して戦っている。

 足の甲、膝の関節、かかとの腱。そんな部位だけを狙って撃ち抜いていて、その遠慮が制圧力に隙を生む。


 小さな村と言っても人口は数百人、物量に押され、押され、徐々に包囲が狭まっている。

 もちろんプリムラもそのことに気付いている。いるのだが、頭や胴体、致命傷となる部位を撃ち抜くことはどうしてもできない。

 彼女の最大の欠点は、戦闘人形としては心優しすぎるという一点だろう。

 

 そしてついに、弾幕を越えて飛びかかった村人の手がプリムラへと掛かる。開かれる口、閉じられる顎! 

 

「痛ったあぁ……っ!!」

 

 首筋に噛み付かれてしまった!!

 

 フランツによって調整されたこの病は、粘膜、傷口を介しての体液感染も招く。

 つまり吸血鬼、あるいはゾンビめいて彷徨う患者に噛まれてしまえば、そのまま連鎖的に感染が広がっていく恐ろしさを持っている。

 

 ただ幸い、プリムラは人形。

 人のように血液が巡っているわけではなく、細菌に冒される体をしていない。

 肌の手触りははすべすべと柔らかだが、しかし人の歯で食い破られない強靭さも有している。

 

 大丈夫、大丈夫だ。だが問題は、噛み付かれて生まれた隙。

 弾幕は途切れていて、必然、(せき)を切ったように殺到する村人たち!!!

 プリムラは抑えつけられ、呻く村人たちは濁流めいて扉へと押しかけていく。

 

 

「だ、駄目! 駄目だよっ! 宿の中に入らないで! 詩乃ぉっ、逃げ……!!!」

 

 

 ――伐。

 

 

 抜き打ち、鞘走った刀が閃いた。

 

 宿からの明かりを受けて照り返し、研がれた刀身は赤く血に濡れている。

 

 さらに二撃、三斬。

 憂慮なく振るわれた刃は人垣を切り裂き、夜闇に血霧を生んでいる。

 伝う雫を残心に払い、現れたクロードは刀を低い位置に構え直した。

 

「手伝おう、プリムラ君」

「お医者さん!」


 プリムラを取り囲んでいた村人たちも退けられて、姿勢を立て直すだけの余裕が与えられる。

 だが、人形少女の顔は悲痛に引きつりを浮かべていた。


「た、たすかったぁ……けど……」

「医者としての判断だよ。彼らはもう助からない」


 感情も薄く言いきって、クロードはさらに刀を躍らせる。

 強い踏み込みから横払い、振り落とし、胴を裂き、唐竹割りに叩き斬る。

 卓越した立ち回りと判断、折を見て刀身を鞘へと戻し、息を吐き出しては居合いで撫で斬りに。

 彼の周囲、半径にして三メートルほどの円が制圧圏と化している。立ち入れば絶命。憐憫(れんびん)の色をまるで浮かべず、さながら腕利きの執刀医めいて。 


 そうして既に二桁を切り捨てて、「さて、多いな」と呟く。

 一人一人を斬っていくことに手間を感じたか、クロードはその足元から土地に満ちた土の魔素(マナ)を集め、収斂(しゅうれん)させる。

 途端、空気が澱んだような感覚をプリムラは抱く。

 

「な、なにこれぇ……」

「プリムラ君、少し魔術を使うよ。あまり快い光景ではないから、目と耳を塞いでおくといい」

「ひえ! は、はい!」


 風が止まっている。足元の土は粘りつくような質感へと変貌しつつあって、コポ、と。まるで水面であるかのように、地面に泡が浮き上がる。

 下に、何かいる?

 不吉の帳は既に降りている。濃く漂う“死”の気配にプリムラは動力源(コアハート)を心臓めいてバクつかせながら、言われた通りにうずくまって目を閉じる。


「“腐土の楽園、朽ち枯れた双樹。罪科刻むは南の熒惑、人鬼の彼岸に標を立てよ”」


死猟区(ヤーマ)


 ……プリムラが目を開けた時、そこに広がっていたのは地獄の顕現。

 一体何が起きたのかはわからない。ただただ眺める一帯に転がっているのは、腕に足に首に、体を四分五裂と解体された村人たち。

 

 プリムラは、凄惨の中に動けずにいる。

 お腹のあたり、胃袋が蠕動(ぜんどう)している。彼女が人形でなく人だったなら、きっと中身を逆流させて吐き出してしまっていただろう。


 それでもクロードは淡々と、残存している村人たちを掃討するべく刀を薙ぐ。


「選びなさい。佐倉詩乃を守りたいのなら、彼らを諦める勇気を持つんだ」

「詩、乃。う、うううう……っ!!」


 足を震わせて歯を食いしばり、プリムラは心を殺して両腕を構え直す。

 狙いを定め、人々の頭部へと砲を向け……

 

「で、できないよおっ!!!」

 

 弾丸、砲弾を地面へと撃ち込む!!!

 

 

 

 ……詩乃は眠り続けている。

 

 病み上がり、熱は下がっても体力は失われたまま。

 外から響く戦いの声にも目を開くことはなく、嘘のように静かな寝息を立てている。

 

 その傍ら、軋む床板。

 

 クロードは危惧していた。時間を稼げればと南京錠を掛けていた。

 それでも扉は叩き壊され、彼女は詩乃の寝顔を覗き込んでいる。

 

「うウ゛、ううう゛……!!!」


 女将だ。熱病に冒されている。

 口元から滴る血液、壊れるほどに大口を開けて……その牙が、詩乃の白い首筋へと触れた。

 

 

 

----------

 

 

 

「ぜえっ、はぁぁ! ひぃ……そ、そろそろ着くわよ……」

「や、やっとか……!」

 

 兵馬と神崎、二人の遁走はようやく村の外へと至っている。


 立ちはだかる村人たちを避け、躱し、兵馬が叩き伏せての道のりだった。

 神崎は相変わらず怯えているが、ここまで駆け抜けただけでも御の字だろう。気を入れ直すように両頬を叩いて、あと少しの道を急ぐ。


 やがて見えてきたのは木々の合間、小さく拓けたスペース。


 そこには二頭立ての馬車が留めてあり、ブルルと小さく嘶いている。ようやくの到着だ!

 兵馬は村人たちが追ってきていないか背後へと気を配っていて、神崎は人肌よりも温かい馬の背を慈しむように撫でる。


「よかった、生きてた。もしやられてて徒歩で戻らなきゃってなったら、私もう無理だったわぁ……」

「休んでる暇はないぜ。少し向こうを見てくるから、馬を出す準備をしててくれ」

「はいはぁい、了解」

 

 気だるげに掌をゆらし、復路の哨戒(しょうかい)に向かった兵馬を見送る。

 倦怠も露わ、恐怖に身を強張らせ続けた神崎は既に、心身ともに深く深く疲れ切っていた。

 

 ……注意力が落ちていた。

 

 木の幹に結わえてあった手綱を外しに掛かる。念には念をと固く結びつけていて、外すのもそれなりに億劫だ。


「ああ、もう。面倒ねえ……」


 馬たちの後ろ、繋がれた車には(ほろ)が掛けられている。

 乗り込むための入り口は布で覆われていて、それがぱさり。内側から音もなく開かれる。

 

 ショッキングピンクの髪が揺れて、耳のイヤホンからは微かな音漏れ。

 シャングリラの刺客、メリルがそこに立っている。


「くぁ」と楽しげに口を開き、歯並びは悪く乱杭歯。白目がちな瞳が捉えたのは神崎の細いうなじだ。 

 両の手がすっと開かれ、月光に照らされた指は奇異なまでに長い。160に満たない身長に見合わず屈強な指、それは扼殺魔(ストラングラー)という異名に説得力を与えている。


 そして手が伸ばされ、手綱をほどく神崎の背へと忍び寄り……

 

 ぽき、と枯れ木を踏む音。振り返る神崎! その手には既に短銃が握られている!

 

「臭うのよ。血の匂いが馬鹿みたいにね!!」


 逡巡は皆無、トリガーは即時、顔面めがけて放たれる銃弾!

 音は振り返るきっかけに過ぎず、メリルの全身にはあまりにも濃すぎる死臭がまぶされている。森を吹き抜ける夜風でも拭えないその臭気に、神崎は敵の存在に少し前から勘付いていたのだ。

 それでも素振りを見せなかったのは、彼女の腕前でも確実に的を捉えられる至近へと引きつけるため。

 そして、メリルの面前でマズルフラッシュが弾けた。 

 

「ィィィッ」

「……嘘」


 メリルの口は真横に引き伸ばされ、まるで笑っているように見える。いや、笑っている。

 歪な歯が、神崎の放った弾丸を噛み潰している!


 偶然? いや、当然とばかりの表情。コンマ以下の秒間に、軌道と着弾を見切ったのだ。

 愉快げにひしゃげた鉄の(つぶて)を吐き出して、「アァ!」とカラスのような亜叫を上げる。服の上から神崎の二の腕を掴み!


「はぁイった!」

「ッッ、ああああっ!!!」


 ブチブチと、痛烈な音を響かせて細腕から肉が毟られる。

 考えられないほどの激痛に神崎の視界は白飛びするほどで、皮膚、皮下脂肪に筋肉までが削がれている。

 溢れた鮮血は七分袖を真っ赤に染め、苦痛の悲鳴に肺が空っぽになるほどの息を吐き出してしまった。


 そこに生まれる隙をメリルは逃さない。まさに災禍、人形を弄ぶ子供の表情で伸ばされた第二握は、ラブコメの一幕さながらに神崎の右胸を鷲掴み……引く。

 

「う、あ……!」


 衣服の胸元は引き裂かれ、痛々しく染め上げられた朱。

 胸の片側を脂肪を包む皮膚ごと、メリルは力任せにそれを引きちぎろうとした。……が、一瞬の後退、数センチの差が間一髪で致死撃を免れさせた。

 メリルの指先は神崎の体に指先を掛け、熊爪が引き裂いたような傷を残している。

 

「あっはああ!!! 重そうだから削いであげようとしたのに!!!」

(殺、される……!)


 その力感はまるで粘土を千切る程度、人外の握力だ。

 即死はせずとも重傷、だくだくと溢れる自分の血にまみれながら、神崎は逃れようと地面を這う。その背首を、メリルの怪手が掴み留めた。

 

「次、首逝こっか!」

「いや……!」


 ミシと脊椎が軋み、クヒと笑ったメリルは神崎の首を引き抜――かせない!!!


「ふざけるな!!!!」

「くぎぁ!!?」


 振り抜かれたのは重長なスレッジハンマー。意趣返しとばかりにメリルの首を横薙ぎに、頭部を打ち飛ばすほどの一撃を見舞っている。

 

 兵馬だ!


 勢いよく転がっていったメリル、神崎の首は間一髪で繋がったまま。

 血染めの彼女を抱き起こして、兵馬は気付けに声を掛ける。

 

「すまない神崎、まさかこっちに敵がいたなんて……」

「お、っそいのよ……ああ、もう……服が、台無し……」

「ああ、それだけ喋れれば大丈夫だよ」


 立ち上がり、ハンマーを構え直す。

 軽口を利いてみせた神崎だが、その出血はだくだくと。急がなくては。

 

「……少し待っててくれ。死ぬなよ」


 殺すつもりで殴打した。首をへし折ったつもりだった。しかし敵のサブカル女はブリッジめいて背を持ち上げ、起き上がり人形のように立ち上がってみせる。

 ギャア、ギャアと空に舞うカラスがわめく。月光に照らされた女は全身に返り血を浴びていて、耳に嵌めていたイヤホンを外して片手にぶらさげる。そして兵馬を見つめ、嬉しげに目を細めた。


「あたしメリル。アンタを探してたんだぁ。殺してこいって言われてんの」

「……僕を?」


 兵馬はメリルを静かに見つめながら、鈍器を下段に構えている。

 疑問符の声に頷いた敵は、どこかタガの外れた印象のある甲高い声で言葉を続ける。

 

「アンタがなんなのかは全然知らないけど、今のハンマーは痛かったァ……」

「僕を殺すよう、君たちの言うパパ。ドニ様が指示を出したのか?」


 続けての問いに、メリルは気のない様子で斜め上へと視線を逸らす。


「パパの指示は知らない。全ては母の御意志がままに」


 母。

 

 そのフレーズを耳にした瞬間、兵馬の瞳が暗く冷える。

 これまでの旅路でも、誰にも見咎められないタイミング、あるいはアントンやエーヴァのような敵の前でのみ、瞳に闇を宿すことはあった。

 だが今の兵馬の目はそのいずれとも違う。主義や生き方の食い違いなどではなく、決して相容れぬものとして、メリルの存在自体を否定する目だ。


 そしてメリルの瞳から一瞬と目を離すことなく、確固とした意思を、殺意を持って、武器の突端をまっすぐに突き付ける。


「“ライラの子供たち”か。なら……」


「アハァーッ!! 首を折って殺す!!!」


「この世界から消えてもらう」


 殺意を宣告する兵馬、喜色の狂気を浮かべるメリル。

 踏みしめる夜森、両者は凄烈に交錯する。

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