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四十四話 束の間の安堵

「あの、あの、どうですか! 詩乃は!」


 頭突きをしそうなほどの勢いで、流れの医者であるクロードへと尋ねたのはプリムラだ。

 ぶつからないようにと少し身を引きながら、詩乃の腕へと幾度目かの注射を終えて傷口に綿を当てる。

 

 馬を探しに行ったはずの兵馬が連れ帰ってきたのは医者だった。思わぬ幸運に、プリムラが跳ね上がって喜んだのは言うまでもない。

 それから数時間が経過した。昼を過ぎ、夕を越えて日が沈み、田舎村は夜闇に包まれている。

 

 脈拍を測り、熱を測り、プリムラにはわからない細々とした数字を手早く測り、そうしてクロードはようやく顔を上げた。

 

「心配はいらない。症状は収まったよ」

「本当ですか!?」


 周りも気にせず叫んだプリムラへ、クロードは優しく頷いてみせる。

 医療道具を鞄へとしまい、落ち着きを感じさせる口調で淡々と詩乃が(かか)った病の説明を述べていく。

 

「ジョフロワ熱は厄介な風土病だけどね、適切な治療を施せば完治も早い」

「はえ~」

「ただ、この子の場合は危うい状態だった。間に合って幸いだ」

「うう、ほんとに、本当に助かりましたぁぁ……」


 プリムラは泣きじゃくる。人目もはばからず声を震わせ、人形にも関わらず涙をポロポロと零している。


 震える声にはたっぷりの想いが含まれている。

 詩乃とプリムラとの間に築かれた絆の深さが窺い知れる光景で、人によっては少しばかりもらい泣いてしまうかもしれない。

 

 そんな人形少女の涙をクロードは穏やかな目で見つめ、(何の液体だろう。可動を保つための潤滑油か、コアから溢れた余剰マナが液体化しているのか……)と、浮かぶ疑問を楽しんでいる。

 この男、少々情に薄いところがある。

 

 それはともかくとして、詩乃の病は峠を越えた。

 プリムラの泣き声に安堵の色が混ざっているのを、兵馬、それに神崎アンナは部屋の外で聞いている。

 

 邪魔にならないようにと小規模なロビーの机に腰を据えて待機していて、二人の手にはトランプが握られている。

 詩乃が心配で気 が気でない様子の兵馬に、気紛らわしにと神崎が勧めたのだ。

 

「あら、大丈夫だったみたいね。あの子」

「……はぁぁ」


 プリムラの安堵が伝播したかのように、兵馬は長めの溜息を一つ漏らした。

 両腕を上げて伸びをして、そのままのけぞり椅子に背をもたれさせる。

 

 そんな兵馬の様子を目に、神崎はからかいの色を浮かべて長いまつげをふわりと揺らす。

 

「顔を見に行かなくていいの? 大切な子なんでしょう」

「君、その言い方は何か勘違いしてるだろ。一つ断っておくと、詩乃は恋愛対象じゃない」

「そうなの。真昼の村で血相を変えて、ナイフを手に騒ぎを起こそうとする程度にしか気に掛けて いないのね」

「……いちいち、嫌味な言い方をする奴だな。入っていいと言われたら行くさ。恋愛対象じゃない、ってのは本音だぞ」


 ゆるゆると曖昧な笑みを向けられて顔をしかめながら、兵馬はトランプの手札を扇形に広げて神崎に差し出す。

 

「引けよ、君の番だ」

「それじゃあ、貴方が襟筋に隠したスペードの8を引かせてもらえる?」

「……」


 イカサマを看破され、ぐうの音も出ない顔で兵馬はそのカードを差し出した。

 ゲームは神崎の勝利。お互いに小銭を賭けあっていて、敗戦に次ぐ敗戦で兵馬の財布は随分と軽くなっている。


 つくづく金に縁遠い。ジュースを買うのにも躊躇(ためら)いを覚える懐具合にめまいを覚えながら、手元に残ったカードを卓上にばらまいた。

 

 そこに、トンとマグカップが置かれる。

 ずっと詩乃のことを気に掛けてくれていた宿の女将が、気を利かせて温かいホットチョコレートを持ってきてくれたのだ。

 

「あんた、甘い物は嫌いじゃなかったよね?」

「あ、どうもご丁寧に。チョコは大好きですよ。好き嫌いはないタチで」

 

 へらへらと笑いながら、甘く温かいそれを喉へと落とし込む。

 安物のココアとは違う、鍋でミルクとチョコレートを混ぜ合わせた、一目で手作りとわかる真心の品だ。

 もたりと重く揺れる液面を吹き覚ましてもう一口。ほんのりとスパイスが利かせてあって、甘さに隠れた一匙の爽やかさが一層(こころよ)い。

 

 神崎も同じ物を供されて、感じの良い会釈を見せてからそれを啜る。

 

(性悪の癖に……)


「シナモン、それにカルダモンね。ふふ、美味しいです」

「旦那がこれを大好きだったの。去年逝っちゃったんだけどねぇ」

「あら……」

「当たり前だけど、死に別れるのは辛いからね……あの子、お医者様が見つかって本当によかったよ」


 恰幅(かっぷく)の良い体を揺らし、老いた女将は人好きのする笑顔を浮かべてくれた。

 何日も何日も良くしてくれて、感謝してもしきれない。

 兵馬は頭を下げてもう一度お礼を言いつつ、ふと気になったことを口にする。


「女将さん、なんだか顔色が良くないようだけど。まさか……詩乃の熱が感染って」

「あらやだ、そうかしら。でも大丈夫よ、ジョフロワ熱には子供の頃に一度罹ってるから免疫があるの」


 そう言うものの、やはり少し目眩がするようで首を傾げる。

「寝不足かしらねえ」と呟きながら、笑って自室へと下がっていった。


 まあ、あくまで顔色だけ。心配するほどのことでもないのかもしれない。

 老女の背を見送りながら、兵馬と神崎は話題を大きく切り替える。


「で、そろそろ商売の話に移るけど。入り用の物はあるかしら?」

「ああ、種類はなんでもいい。これで買えるだけ分けてくれ」


 兵馬は心もとない重さの財布からなけなしの紙幣を掴み出し、それを受け取った神崎は手慣れた手つきで枚数を数える。


 この国の通貨、ライル紙幣には建国の英雄エフライン1世の横顔が印されている。


(こいつを風呂桶にいっぱいにして、その中に飛び込めたら。頭まで埋もれられたらなあ)


 タブロイド紙の下品な広告のような、なんとも低俗なことを考えている兵馬をよそに、淡々と数え終えた神崎は彼女の大荷物から商品を取り出して卓に並べる。

 ナイフ、鉄剣、手斧(ハチェット)に伸縮するロッド。単発式の拳銃に、小型の吹き矢を1セット。隠し持てるナックルダスター。


「この金額ならこんなものね」


 彼女は分野を選ばない商人だ。

 女性の身には重すぎる品の数々をかばんに背負い、旅に鍛えられた足腰で各地を放浪している。

 物騒な時代だ、彼女が扱う商品の中には当然ながら武器も含まれている。


「少ないな」


 文句を言いつつ、兵馬は並べられた武器を一つ一つ検品していく。

 重さ、形状、握り心地を確かめて、把握すると左手にいつもの赤布を。

 手にした武器をすっと覆えば消えて失せる。その様子を胡乱げに眺めつつ、神崎はぽつりと声を掛ける。


「相変わらず妙な技術……」

「出す、しまう。それだけさ」

「武器、作り出せるわけじゃないのよね?」

「そんな真似ができるなら君から買ったりするもんか。それどころか僕が武器商人になってる。作り放題の売り放題ってね!」


 最後の方は楽しげに話し、そして絵空事に虚しくなったのか、兵馬は肩を落としている。


(要はただの収納上手。しょっぱい力ねぇ……)


 思うが、余計に落ち込ませても面倒なので口にはしない。


 ふと、兵馬は神崎に目を向けて尋ねる。


「気になってることを聞いていいかい」

「どうぞ。答えるかはわからないけど」

「クロードさん。あの人は何が目的で旅をしてるんだ」


 ああ、そんなことと鼻先を上げ、気安い調子で神崎は答える。


「彼の目的は二つね。一つはシャングリラを追ってる」

「シャングリラを」

「でも、それが何のためかは知らないわ」


 駅のトイレの斬殺体がシャングリラの教団員だったのは、やはり偶然ではない。

 だとすれば、この村に現れたのもフランツらシャングリラを追っての事だろうか?


 ……憶測をしても仕方がない。話を進めよう。


「君とクロードさん、どういう関係なんだ?」

「協力者ね。利害が一致してるから一緒に行動してる」

「ふうん。あの人、性格はどんな感じだい」


 そうねえ、と口元に指を当てる。

 形の良い唇へと視線を誘導する、蠱惑(こわく)的な仕草だ。

 兵馬に向けているわけではなく、それが自然体として身に付いている。

 武器などの商いをする身の上、男からの心証の良さはそのまま強みになるのかもしれない。


 ただ彼女の性悪を知る兵馬から見れば、全てがわざとらしく感じられて仕方がない。

 例えるならば女狐、そんな印象だ。


 さておき、神崎は片手を揺らしてけららと笑う。


「本心の読めない男よねぇ。彼氏にはしたくないタイプ」

「うーん」


 彼氏だなんだという答えを聞きたかったわけではないが、とびきりのクセモノな神崎から見ても内面が知れないということはわかった。

 やはり印象通り、一筋縄では行かない男らしい。


 質問をもう一つ。


「それで、もう一つの目的は?」

「はい」

「はい?」


 掌を上に、神崎は片手を兵馬へと向けている。

 この仕草はつまり。


「情報も大切な商材、ぜぇんぶロハってワケにはねぇ。財布の残り、置いていきなさい?」

「この女……」


 にやにやと神崎、歯噛みする兵馬。

 そんな二人の傍らに寄る気配。


「楽しそうな話をしているね」

「あ、あらぁ……」


 処置を終えたクロードが、いつの間にか部屋から出てきていた。

 長身からの冷たい微笑が神崎を見下ろしていて、たじろぎ気味に愛想笑いで返している。


「口には気を付けて。信用できなくなれば、君を切らなくてはいけないからね」

「じ、冗談よぉ。冗談……」


 神崎は両手を顔の横に挙げて弁解するも、表情の引きつりは隠せない。


 クロードは部屋の中だと言うのに、常に腰へと刀を提げている。

 彼の言う“切る”は協力関係の手切れなのか、あるいは切り捨て御免と言いたいのか。

 どうにも判然としないところが、彼の(かも)す怖さだろう。


「すまないね、兵馬君。彼女の言う二つ目の事情を教えるわけにはいかない。ただ、君の敵ではないよ。少なくとも今はね」

「はは……だとしたら、助かります」

「それより、治療は終わったよ。顔を見に行ってあげたらどうかな」


 促されるまま、兵馬は部屋の中へ。


 ベッド際には相変わらずプリムラがぴったりと離れずに添っていて、けれどその表情は安堵に和らいでいる。


 詩乃は……顔に浮かんでいた、死相めいた色味が失せている。苦痛からの険が取れている。

 手足から力を抜き、安らかに目を閉じていて、兵馬はゆっくりと側に歩み寄る。


「……」


 無意識に、指で頬を撫でている。

 少し()けただろうか。けれど柔らかい。

 平熱の人肌には健康的な赤みが差していて、きっとクロードの言う通りにもう大丈夫なのだろう。


 プリムラは隣、兵馬が詩乃に触れているのを見ているが、それを止めようとはしない。


 一緒に心を痛め続けてくれた。

 詩乃のことを案じて駆けずり回ってくれた。

 ならまあ、ほっぺたに触るくらいは許してやってもいいかなーと、人形少女はそんなことを考えている。


「クロードさんがね、栄養注射も射ってくれてたよ」

「うん、血色でわかる。良かった、本当に……」


 実感と安堵に、ようやく兵馬の肩から力が抜けた。

 その時、詩乃がうっすら目を開けた。


「詩乃っ!」


 嬉しそうに声を上げたプリムラに、詩乃は弱々しく、けれど生命をしっかりと感じさせる目で微笑んだ。


「プリムラ……兵馬……ありがとね」

「いいんだ。まだ、寝てた方がいい」

「……すぐ、動けるようになるから」


 気丈に身を起こそうとする詩乃だが、プリムラがそっと肩を抑えてそれを留める。

 淡い茶色、汗ばんだ髪の毛が頬に張り付いていて、兵馬は指先でそれをどけた。


 背後、部屋の入り口からクロードが声を掛けてくる。


「安静にさせたいところだが、早く村を離れた方がいい」

「シャングリラですか」


 問い返した兵馬に頷き、窓の外、濃く降りた夜の(とばり)へと目を向ける。


「村外に馬車を隠してある」

「馬車……!」

「森の中だ、あの場所なら無事だろう。取ってきてもらえないか? 案内は神崎君にさせよう」


 神崎は「えっ」と抗弁しかけるが、クロードの冷笑に口を噤む。

 さっき口を滑らせかけた代価といったところだろう。


 詩乃はまだ病み上がり、医者が付いていた方がいいのは道理だ。

 クロードがシャングリラに類する暗殺者だという線は兵馬の中で消えている。害するつもりなら、治療をする理由は何もない。


 ただ、依然として正体の知れない部分は残されている。

 詩乃と二人で残すほどに気を許してはいない。

 そもそもシャングリラがいつ襲撃を掛けてくるかもわからない状態、この場所に残す戦力は必要だ。


 踏まえて、兵馬はプリムラに目を向ける。


「わかりました、僕と神崎で行きます。プリムラ、クロードさんと一緒に詩乃を見ていてくれ」

「わかった! 気を付けてね、兵馬!」


 力強く頷いたプリムラに見送られ、兵馬と神崎は玄関から外へ。


 村は暗く、人気がない。

 しんと静まり返っていて、既に何かが起きているのは明白だ。


 ぬるり。


 生温くも悪寒のする風に髪を撫でられ、「はぁ、不吉ぅ……」と神崎が呟いた。

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