表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/540

四十二話 吸血鬼の村で

 聖都セントメリアから大きく西方、そこには鬱蒼(うっそう)とした森林地帯が広がっている。


 見通しが悪く、道路の整備も不完全。

 凶暴なモンスターも生息していて、人の領域とは言い難い。

 準備なしに踏み入れれば方向を見失い、そのまま出られずに果てる旅人も少なくない。


 そんな森の只中に、一つの村がぽつりと佇んでいる。


 小村サノワ。

 人口は千人に満たない程度、煉瓦(れんが)造りの古風な家屋が軒を連ねている。

 

 生活のための商店は中央広場に密集していて、そこがこの村の目抜き通り。

 とは言っても、お互いを見知った住民たちがまばらに行き交うだけ。


 活気とは程遠い、そんなサノワ村のそばには小高い丘がある。

 そこに聳えるのは無人の古城。ひなびた村には似つかわしくない瀟洒(しょうしゃ)なシャトー。

 経年に外壁などが劣化してはいるが、それでも昔は煌びやかな暮らしが営まれていたのだろうと察するに余りある気品を保っている。


 かつてジョフロワ家という一族が居住していた城で、嘘か真か、彼らは吸血鬼だったという文献がいくつか残されている。

 伝説の真偽はともかく、古城は村にとって唯一の観光資源。

 吸血鬼伝説を追い求めて時たま訪れるオカルトファンたちは貴重な来訪者だ。


 その数も決して多くはない。概して、外との交流が少ない田舎村なのだ。


 その村を、一人のよそ者が歩いている。

 包帯で左腕を吊っていて、暗めの赤、ワインレッドのシャツが地味な街並みの中に映える。



 兵馬だ。



 小さな商店でパンと少しの缶詰を小脇に抱え、ついでにと土産物の饅頭を手に取る。


 “吸血まんじゅう”。

 鮮血を思わせる真っ赤な生地が食欲をそそる……かはわからないが、せっかく吸血鬼伝説があるのだからと作ってみたのだろう。

 手にしたまま少し悩むが、無造作にかごへと放り込む。


「クルミが原料の餡か……詩乃が喜ぶかな?」


 ぜんざいが好きなのは前に聞いたが、あんこ全般まんべんなく好物だとも聞いている。

 クルミあんはどうかはわからない。別物のような気もする。が、好きかもしれないので買っておく。

 ちなみに生地の赤色は地産のトマト由来。血ではないので安心だ。

 会計を済ませ、店から出て村を歩く。



 リオ・ブラックモアの船、オフィーリア号からの転落から一週間が経過していた。

 歩きつつ、空を見上げてぼんやりと、あの時のことを思い出している。


 まず落ちたのはプリムラ、それを追って詩乃。

 少しの間を開けて、兵馬が空へと身を投げた。


 落下の最中、兵馬は身をまっすぐに、空気抵抗を減らして少しでも早く落ちようと試みる。

 

 その眼下、詩乃とプリムラは空中で合流していて、しかし落下を留める手段は二人ともに持っていない。


 追って落ちてくる兵馬を見て、プリムラはとっさの判断を下す。

 片腕の砲口を開き、地上へと向けて砲撃を放った。何発も何発も、腕の砲身が焼け付くほどに連続で!

 強烈な反動は体を跳ね上げ、落下速度をわずかに緩めてくれる。

 

 そのプリムラのもう片手をぎゅっと固く掴んだ詩乃は、もう片方の手を高らかに伸ばす。


 追う兵馬、その瞳が迫り……

 

「兵馬!!」

「詩乃っ!」

 

 掴んだ!


 あとは兵馬の仕事だ。

 痺れて動かない片腕を気合いで動かし、赤布を(ひるがえ)して取り出したのは三人の体重を支えられるだけの巨大なパラシュート。

 だが、安全な着地ができる高度は既に過ぎている。


「ぎゃああああ! 地面近い近い!」

「……!」

「くそっ、一か八かだ!」


 プリムラの絶叫が残響、詩乃は唇を噛み締め、そして開く落下傘!!

 

 急遽、大幅な減速。

 しかし完全には勢いを殺しきれないままに、三人の身はついに地上へと迫る。


「いや、危なかったな。本当に」

 

 買い物袋を提げて歩きつつ、兵馬は溜息を吐いている。


 こうして思い返してみても、なかなかの無茶をしたものだと思う。

 森の木々が緩衝材(かんしょうざい)の役割を果たしてくれた。

 そして人よりも頑丈なプリムラが自分の身を最後のクッションに、どうにか二人と一体は体の形を保ったままに生き延びることができたのだ。


「……うん。左腕も、動くようになったかな」


 六聖シャラフとの戦いで浴びた毒の後遺症に腕を吊っていたが、握力や関節の動きはほぼほぼ元に戻ったようだ。

 包帯を解いて懐にしまい、久々に束縛のなくなった手で空気を掴む。


 日は天頂を過ぎ、西へと傾き始めている。 


 周囲を見回し、尾行がないかと背後と物陰に目を配り、そして足早に仲間の待つ宿へと足を向けた。




----------




 時刻は昼下がり、しかし詩乃はまだベッドの上だ。

 目を閉じて眠っている。


 怠惰からの惰眠(だみん)? 違う。


 寝息は浅く、横顔は苦しげで、額には大粒の寝汗が浮かんでいる。

 プリムラはその汗を拭い、触れた指先に熱を覚える。


 詩乃は病に臥せっている。

 サノワの村に着いた翌日に倒れ、以来熱が下がらないのだ。


「詩乃……苦しそう」


 不安げに呟き、プリムラは水に浸したタオルを絞る。

 少し前に測った時は39度近く、そんな高熱が漫然と続いている。


 咳や嘔吐などはなく、症状はただ発熱があるだけ。

 意識のない時間が長く、起きている時に食事をさせようとするのだが、ほとんど喉を通らない状態。

 長引く病に、体力をひどく消耗している。


「……ご、めんね、プリムラ」


 うわ言を口にする詩乃。

 この数日間、一睡もせずに看病を続けてくれているプリムラに申し訳なさを感じているのだろう。


「私こそ、ごめんね、詩乃……」


 人形のプリムラは病を得ることがない。

 病の苦しみを正しく理解してあげることができない。

 それがもどかしくてたまらない。


 詩乃が体調を崩したのはプリムラと兵馬のためだ。


 落下から詩乃たちを守り、プリムラは体に多大なダメージを。

 兵馬は毒に落下のダメージを重ね、意識を薄れさせていた。


 降り出した雨、肌寒い春の森を、詩乃は二人を抱えるようにしてこの村へと辿り着いたのだ。


 冷え切り、疲労しきった体に病原菌が入り込んでしまえば猛威を振るう。

 その結果としての長病となっている。


 この宿の主人曰く、詩乃の病はジョフロワ熱と呼ばれる風土病の可能性が高いらしい。

 ちょうど今、村人にも同じ病が流行しているのだと言う。


 ただし免疫があるのか、村人たちの場合は命に関るほどに悪化するケースは少ない。

 だが、よそ者の詩乃は耐性を持たないために、病状が酷くなってしまっているのかもしれない。


 詩乃が自分を助けるために飛び降りていなければ、この村に来ていなければ、この病気に罹ることはなかったわけで、その事もプリムラの胸を痛めている。


「死なないでね……いなくなったら寂しいよ、詩乃……」



――コン・コン・コン。



 三度。

 さらにコンコンと二度、部屋のドアがノックされる。


 立ち上がって鍵を開けて、入ってきたのは兵馬だ。

 部屋の中のテーブルに袋を置いて、眠る詩乃へと目を向ける。


「兵馬、買い物ありがとね」

「うん。詩乃は?」

「今は落ち着いてるよ」


 今までの旅路では、兵馬は女子二人とは別室に泊まっていた。

 けれど今は詩乃が病身。そうも言っていられず、同室で寝泊りをしている。


 今のところシャングリラからの襲撃はないが、意識の朦朧(もうろう)としている詩乃が一人でいるところを襲われればひとたまりもない。

 付き添う人数は、常に多いに越した事はないだろう。


(連中、どこにいるかわからないからな)



 さて、詩乃がここまでの状態になってしまったのには大きな理由がある。 

 医者がいないのだ。


 このサノワの村、数ヶ月前にただ一人の医者が馬車事故で亡くなって以来、無医村となっている


 医師のいる近隣の村までは遠い。

 有り金をはたいて馬車をチャーターする手もあるが、悪路を行く揺れに今の詩乃が耐えられるかは危うい。


 何より、もし道中でシャングリラの襲撃を受ければ、身動きの取れない詩乃を守り抜くのは難題だ。

 暗殺者だけでない、人の手が入らない森にはマナ溜まりが多く存在していて、必然モンスターの影も多い。


 とりあえずの熱が下がらなくては移動もできず、手詰まり。

 市販の薬で詩乃の体調が快方に向かうのを待っている。


「このままじゃ、まずいよな」

「……」


 村の鐘が鳴り、木々の彼方に日が沈む。

 まるで一枚の絵葉書にでもできそうな光景だが、兵馬とプリムラの表情は暗く沈む。


 また無策なままに、1日が終わろうとしているのだから。


「ねえ、その布から、すっごい薬とか出せないの?」

「……出来ないよ。ごめん、プリムラ」

「だよね……」


 幸い、今は詩乃の寝息は安定している。

 静かだ。時計の針だけが音を刻む部屋。


 ふと思い立ったように、プリムラは兵馬の横顔へと目を向ける。


「ねえ、兵馬はどうして詩乃を守ろうとするの?」

「気まぐれさ」


 小さく笑い、兵馬は答える。

 あくまで本音を語ってくれるつもりはないらしい。


 飛空艇での戦いの末、兵馬は詩乃を助けるために飛び降りた。

 その事実はプリムラにとって大きく、彼は共に詩乃を守ってくれる仲間なのだとはっきり認識するに至っている。


 それだけに、まだ心中を明かしてくれないことがプリムラには寂しい。

 少しうつむき「そっか」と呟き、それ以上を追求しようとはしなかった。


 だが。心境が変化しているのはプリムラだけではない。


「……いや、良くないな。秘密ばかりじゃ」

「へ?」


 兵馬もまた、詩乃を庇って地に墜ちたプリムラの姿に胸を打たれていた。

 得体の知れないところがある青年だが、決して冷血な人柄ではない。


 彼の発した言葉が意外だったのか、人形はその目をまんまるに見開いている。ぽかんと口を開けている。

 その表情がおかしくて少し笑い、兵馬は言葉を続ける。


「昔から、自分のことを喋るのは苦手なんだ。だけど、そうだよな。仲間には知っておいてもらうべきこともある」

「あ、えへへ」

「うん?」

「んん、なんでもないよ」


 どこか内の冷めた印象のある兵馬が“仲間”という言葉を使ってプリムラを示してくれた。それが嬉しくて笑みが溢れたのだ。

 が、話の腰を折るべきではないとすぐに口を噤んでいる。


 兵馬はゆっくりと言葉を選ぶ。



「詩乃は、詩乃は……そう、昔そっくりな人がいたんだ。僕はその人を守ってあげられなかった」

「守れなかった……死んじゃったの?」

「うん、そうだね」



 兵馬は窓の外へと目を向ける。

 ガラスに写し見た表情は寂寥(せきりょう)に満ちていて、彼の中に潜む暗いものをプリムラは垣間見る。

 ただ、それだけではわからないので踏み込む。


「女の人だよね? その子のこと、好きだったの?」

「大好きだったよ」

「……んん? じゃあ、詩乃をその子の代わりとして狙ってるってこと?」


 プリムラの言葉に少しの険が宿る。

 護衛人形にとって何よりも大切な存在である詩乃を、誰かの代替品扱いされたのではたまらない。

 だが、兵馬は苦笑を浮かべてそれを笑い飛ばした。


「いや、ないね。断言しておくけど、僕から見た詩乃は恋愛対象とかそういうのじゃないよ」

「ふーん?」


 わかるような、わからないような。

 今の話を聞くに、兵馬は過去の悔悟(かいご)を拭うために詩乃を守ろうとしているわけだ。

 動機は理解できた。質問をもう一つ。


「兵馬は、詩乃をどんな風に見てるの?」

「関係性の話かい? ううん、友達だとか、妹だとか、いや、金銭面で頼ってるから小うるさい姉みたいな印象もあるな……」


 言いつつ、自分の言葉に首を捻っている。


「自分でもよくわからないな」

「なにそれ」


 兵馬が困っている。

 どこか一段上から物事を眺めているような印象のあった兵馬が、自分の質問に困って眉根を寄せている。


 それがなんだかとても愉快で、プリムラは数日ぶりにしっかりと笑い声を上げた。


 青年と護衛人形は詩乃を見つめ、決意めいた声を交わす。


「詩乃、絶対に助けようね」

「ああ、絶対に。どんな手を使ってでも」


 頷き合い、明日こそは打開策を見出そうと意思を固める。


 残された時間はきっと多くない。

 このまま弱らせてしまうくらいなら、いっそ強引に馬車で隣村を目指すのもいいかもしれない。行動を起こす勇気を持つべきだ!


 兵馬とプリムラが、詩乃を想う同志としての信頼を深め合った、それから遅れること数刻……深い森を抜けて、外部からの来訪者がサノワへ足を踏み入れる。


 一人、二人。

 三人、四人と。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ