三十話 魔術師たちの輪舞
六聖、ザシャ・エーヴェルト。
彼の手元には既に高密度のマナが練り上げられていて、それはリュイスを助けるために用意していた魔力だ。
しかしゲオルグが助けた後では使い道もなかったのか、彼はそれを惜しげもなく霧消させた。
並の魔術師であれば溜めるのに一日を要するほどの魔力の塊。それを躊躇なしに手放してしまえるのは、この程度の魔力はいつでもどこでも瞬時に用意できるという実力の表れか。
先日、詩乃たちを介して何かしらの書物のやり取りをしていたように、ゲオルグとザシャの間柄は決して悪いものではない。
新旧の宮廷魔術師、高い領域で互いの力量を認め合っているのが雰囲気に読み取れ る。
(宮廷魔術師が二人、こりゃ楽できそうだぜ)
命拾いをしたリュイスはへたり込んだまま、呆けた表情で思考を巡らせ……と、そこへザシャの声が向けられる。
「君を存分に使うようにと、アルメル隊長からの連絡だよ」
「ま、マジっすか」
「『サボるなよ、リュイス』との伝言を預かっている」
キリリと睨んでくるアルメルの表情がありありと目に浮かぶ。
死線を一つ越え、まだまだ休めそうにない。参ったぜと肩を竦め、溜息を吐いた。
「いや、必要はない」
そこへ割り込んだのはもう一人、別の声。
ハイドラの猛撃がグラウンドを掘り荒らし、重い土塊が豪雨のように降り注ぐその中。まるで悠然、平然と歩み寄ってきたのは勇壮な金髪の男性だ。
その姿を間近に、リュイスは反射的に背筋を伸ばして全身を硬直させて敬礼を。
「げ、元帥閣下っっ!!」
ヴィクトル・セロフ元帥。
その立場は六聖の上。唯一無二、ユーライヤ国軍の絶対指揮者。
勇猛な兵の全てを束ね、率いるからには相応の力量を当然有しているわけで、その手には最高司令官の証である元帥杖が握られている。
獅子のたてがみを思わせる金色の髪は絶対的な威圧を滲ませていて、全身に纏ったマナは美しく色濃く、重々しい。
騎士の中で は期待のホープ扱いであるリュイスだが、彼を前にすれば流石に全身が竦む。ヴィクトルもまた若輩にはまるで興味を示さず。その視線を向ける相手はゲオルグだ。
「アルベール老。隠居の身であれば、大人しく下がっていろ」
「ヴィクトル、貴様……孫の件については後で正式な説明をしてもらうぞ」
互いを見据える視線には煌炎。二人の間柄は元から良好でないようで、そこへ孫のシャルルの婚約発表の件が絡み、一触即発の気配が漂っている。
いつもは割にマナーを欠くリュイスでさえ、そのヒリついた空気には呼吸すら重苦しい。
「何にせよ、まずはあのハイドラを」
両者の間へと声を挟んだのはザシャだ。
三人、人外の実力者たちがその殺意を多頭の怪物へと向ける。
哀れハイドラ、その余命は既にカウントダウンの領域へ。
まず踏み出したのは元帥ヴィクトル。竜の首はますますその数を増していて、仮に一時間も放置すれば聖都全体にこの怪物が跋扈する有様になるだろう。
それを一瞥し、冷然と宣ずる。
「目障りだ」
軍を束ねる首長に相応しく、彼はあらゆる局面に対応できるオールラウンダー。
武器攻撃だけでなく、魔術に関しても高度な能力を有している。瞬時に結集させたマナは尋常の域を逸脱していて、偉丈夫たる体躯からは光輝が溢れ出ている。
「っ、すげえ……」
リュイスは眩さに眼前に手を翳し、攻撃対象であるハイドラは危機を感じ取って咆哮を上げる!
グオオオオ! と幾重にも空震。鼓膜を揺らす叫びが響き、増殖した巨大な首が一斉にヴィクトルを見捉えた。
ハイドラの元は地中で暮らす爬虫類の一種。そのため眼球は退化していてぬるりと虚ろ。モグラめいて視力は弱い。
代わりに発達しているのは蛇の熱感知、ピット器官に近似した部位だ。
ただし感知するのは熱でなく生体から発されているマナ。人でも虫でも草木でも、この惑星に生まれた生命は大小あれど、総じてマナを発しながら生きている。
なので捕食にはそれだけを感知すれば事足りるというわけだ。
そんな多頭の怪物の面前、一度も感じたことがないほどの高密度の魔力が凝縮している!
ハイドラの知性はカラスほど。愚かではないが、人と比べれば大いに劣る。が、本能的にその魔力が敵性の存在であることを理解する。ならば早々に攻撃、圧殺するまで。
だが、遅すぎた。ヴィクトルは既に悠然、大魔術の詠唱を完了させている。
「“千々舞う光葉、紅奔る乱瀑。亜天、高啼きの刃に架橋を描け”」
全身に満ちた魔力が元帥杖へと移行、さらに圧縮。
頭上、掲げられた杖先から天空へと投射。雲間から金色の光が地へと注がれる。
『赫亜槍』
術名を諳んじると同時、空から降るのは光の柱、光の雨!
いや違う。ただの光ではない。ヴィクトルの魔力を礎に光は凝縮され、それは質量を有する光。
尖り、巨槍と化して上空から降り注いでいる。穿ち、穿ち、絶え間なく穿ち続ける!!!!
轟音、怒涛、狂乱。
光槍は十や二十ではなく、のたうつ巨竜へと楔を打つ。
刺し貫かれた首からは血潮が噴き、まさに殲滅という言葉が似つかわしい高威力の術式! が、ハイドラは未だ息絶えず。
不気味な外見に相応しい生命力だ。しぶとくのたうち回り、絶命した自らの首をはね退けながら再度の増殖を試みる。
「追い打ちと行こうか、ザシャ君」
「ええ、やりましょう」
ゲオルグとザシャ。片方は隠居の身だが、二人の宮廷魔術師が歩み出る。
老人は羽織ったローブを揺らめかせ、微かに前傾した直立のままに諸手を前へ広げてみせる。そして詠唱を。
「“廃堕、起源、虚日の結実。慈牢尽き果て、明滅の床に浸れ”。『闇星』」
生き残った首の中、最も激しく暴れている一つ。その周囲の色彩が、急速に黒へと変化していく。
灰色へ、薄墨へ、見る間のうちにハイドラの巨頭が黒の球塊に包括される。
外見にはわからないが、黒球の内部は一点の白なき闇。それはおよそあらゆる生命の活動を停止させる呪詛に満ちた空間。ゲオルグ・アルベールは数多の命 をこの術で奪ってきた。
好々爺然とした姿からは想像もつかないが、先の西国ペイシェンとの大戦では“闇の権化”、“死神”などと恐れられた男なのだ。
そして幾度となく繰り返してきたように、ハイドラの首を成す術なく絶命させる!
「いかんな、若い頃よりキレがない」
なお悠々、これが宮廷魔術師の実力。並の術者が束になっても及ばない超常の使い手!
その隣、六聖ザシャ・エーヴェルト。彼の魔術師としての能力は、ゲオルグのさらに上を行く。
一般に、魔術師には二通りの種類がいる。
一つは単属性を極めた特化型の魔術師。アイネがこのタイプ、ひたすらに火の操作を極めている。
もう一つは複数の属性をバランス良く操る万能型。アイネの親友ロネットはこちらで、器用さに長けている。
そしてザシャ。
“万理”という二つ名が体現する通り、全ての属性魔術を操ることが可能。では後者の万能型か? いや違う。
彼はそれだけでなく、全ての属性を極めている。突き詰めている。最高峰にある。魔術師に求められる理論上の極致、机上の空論めいた理不尽な性能。
その意味するところはつまり最強!
「“劃期三道泡沫に飛沫。滾れ、躍れ、喧閑の隨に”」
水平、左手を横へ。
その動きに合わせて、空気中のマナが青に反応する。 輻湊、収斂。
『青の群雀』
スタジアムに、それどころか聖都全域から上空に至るまで、大気に満ち満ちた水分を集束させる。
ザシャが横に伸ばした左腕、そこを基点に水色の塊、水色の鳥が幾百羽と現れる。大きさはスズメほどの、水が象る小型の鳥。それが小刻みに羽ばたいている。
「さあ、行くんだ」
右手の魔術書は触媒。左手がするると前を指し示し、応じて水鳥が一羽、ハイドラへと鋭く接近する。
ヴィクトルやゲオルグの術式に比べれば傍目に地味。リュイスは首を傾げる。そんな量の水をぶつけたところで――着弾。炸裂!!!!
水鳥がハイドラへと接触し た瞬間、莫大な量の水分が弾ける!! 例えるならば巨大な滝のその滝壺、大瀑布の波濤!
ザシャが宙に浮かべる十数センチほどの水鳥は、魔力で超高密度に圧縮されたトン単位の水塊の爆弾! 自律飛行する水のミサイル!
それはただ一羽でもハイドラの巨身を圧倒するのに十分すぎる威力を誇っていて、そんな代物がザシャの周囲に幾百と漂っている。手掌を煽り、それをハイドラへと殺到させていく。
水が触れ、魔力が膨れ上がり、水蒸気爆発にも似て爆ぜる。膨大な水は高熱の蒸気へと姿を変え、しかし微細に静動されて収束。巨大な敵影を包み隠すほどに!!!
「す、凄え!?」
その迫力、威力にリュイスは言葉を失って いる。
ザシャの魔力は巨大な怪物を完全に制している。これほどの大規模、凄絶な魔力が人に向けられる場面を想像する。その戦力は個人で一軍にも匹敵するだろう。
リュイスは想像する。自分にあの魔力が向けられたとして、どう戦えば抗えるだろう?
想像が及ばず、深く息を飲み……そこへゲオルグが声を掛けた。
「優れた魔術師だよ、ザシャ君は。恐ろしいほどにな」
「……やっべえ」
リュイスが呟きを漏らした頃、ようやく猛撃が収まり、波濤の残響が空に散っていく。
弾けた水は魔力操作ですぐさま蒸発し、周囲へと余計な爪痕を残すこともない。
未だ手元に十羽ほどの水鳥を残したまま、ザシャの視線の先には水の暴圧に息絶えた首、首、首。
いかな生命力を誇ろうがこの魔術に耐えられるはずもなく、増殖に増殖を重ね、隆盛を誇っていたハイドラも今や一頭を残すのみ。出現した時と同じ姿へ戻っている。
余力を残したままに、ザシャは指先を大きな帽子のつばへ添える。止めを焦る事はしない。ザシャはおもむろに上を見上げると、眩しそうに目を細めて微笑。
「そうだね、締めは任せようか」
「はいっ!」
言葉を向けた先、上空にはもう一人の宮廷魔術師。
小柄な体、まだあどけない童顔、返事は大きく快活に。リュイスはその姿を目に、思わず声を上げる!
「うおっ! アイネ!?」
「わたしだって……結構強いんだからっ!」
その手には巨大化させた触媒鎌が握られていて、高々振り上げた刃は赤熱、蜃気楼に大気が揺らぐ。
目の前で繰り広げられた高位の術師たちの競演を目の当たりに、のんびりとした性格の彼女なりに刺激を受ける部分が大きかったのだろう。全身にやる気が満ち溢れている。
巨身のハイドラの上、遥か高空への大ジャンプは足元で魔力を炸裂させての一発芸。
これくらいの小技は宮廷魔術師にとって造作もない。長らく花火を打ち上げていた影響で、スタジアムの上空には火のマナが満ちている。
それを刃へと集めて隷属させる。イメージはガラス工芸。不可視の魔力を集め、体内を炉のように燃やし、練り、高め、そして刃先へと固めれば完成だ。
振りかざし…降す!!!
「灼火超温!! 『爆熱直下式!!』」
シンプルを旨とする火の術師らしく、単純至極にして豪快に。小型の太陽を思わせる大火球を成し、それをハンマーの如く地上へ一撃!!
織り成される炎乱流、鉄さえ溶ける熱が敵を飲み込む。眩い閃光と共に数秒の劫火。
そしてアイネが魔力回路を閉じると同時、その炎はたちまち消え、後には怪物の骨さえ残されていなかった。
地上からの余熱に気流が上へ、風にふわりと煽られつつ、アイネはバランスを取って上手に着地……いや、前のめりに転んだ。
「いったたぁ……火力強すぎたかな。やりすぎちゃった」
「アイネお前、一応すげえのな」
「む、一応って何。ひどいなぁ」
見せつけられた盛大な魔術の威力に、リュイスは唖然と感想を漏らした。
仲間として彼女が宮廷魔術師なのは当然知っているが、普段の細々とした任務ではここまでの魔術を目にする機会がない。
なので褒めたのだが、アイネ当人は微妙な賛辞にそれほど嬉しくなさそうだ。
ともかく、年下の同僚への見る目を少しばかり改めざるを得ない。
「リュイス君、アイネ君。ご苦労だったね。ハイドラの駆除はこれで完了だ」
「お疲れ様です。ザシャ隊長」
労いの声を掛けてきたザシャに敬礼を返し、リュイスは荒らされたグラウンドへと視線を向ける。
モンスターに掘り返された穴があちこちに空いていて、魔術により芝は焼けて剥げてしまっている。
式典はここまでか。続行は不可能だろう。
リュイスが内心に考えていると、奇妙な光景が視界の端に留まった。
少し離れた位置、グラウンド上の舞台の近辺に、兵馬、詩乃、プリムラの姿があるのだ。
おかしい、ここにいるはずが。いや、式典を観に来て客席にいたとしてもおかしくはないが、グラウンド上にいるべき理由がない。
遠目にだが、何やら誰かと一緒にいて、しかも揉めている……?
そこへ突如! 低空を這うような軌道、一隻の飛空艇がスタジアム直上を飛び越えていった! すると兵馬たちの姿は消えていて、そしてスタッフ、兵士たちが大声を上げる!
「り、リーリヤ様が飛空艇に! 不審者たちにさらわれた!!」
「……はああ!!?」
リュイスは意味の分からない展開に思いきり疑問の声を張り上げた。
不審者たちとは兵馬ら三人のことなのか? あの一行がリーリヤを誘拐する理由は? 結局シャングリラ絡みの悪人だったのか?
様々な考えが頭を巡る中、ザシャの無線機から六聖シャラフの声が響く。
「追跡する」




