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斜陽世界《アフターグロー》に終止符を  作者: 抹茶
聖都セントメリア編
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二十八話 婚姻

「リュイス見て、シャルルが!」

「つ、ついに出番か。こっちが緊張するぜ……」


 会場の片隅、目立たぬ一画の警備に回されているリュイスとカタリナ。

 角度が悪く演目はろくに見えていないのだが、その分舞台裏の様子はスタンドよりもよく見える。


 幼馴染、二人にとって弟にも近い感覚のシャルルが一世一代の大舞台へと臨もうという直前。

 下手をすればリュイスとカタリナの方が緊張しているほど。表情も硬く冷や汗を滲ませ、そして現れたシャルルの背へと老婆心めいて応援の目を向けてしまう。


「が、がんばってシャルル! がんばって!」

「いやいや聞こえねえよ、カタリナ。気持ちはわかるけど」

「心配だな、転ばないかな、過呼吸にならないかな……」

「普通に想像できるから困るぜ。っと、でもあれだな。表情が……なんか怒ってないか? あいつ」


 睨んでいる。リーリヤへと鋭い眼光を向けている。

 そう、控え室でのやり取りを経て、シャルルは隣を歩く宮廷歌手リーリヤとの間にすっかり強固な対立関係を作り上げてしまっている!

 リーリヤの本性を言い表すなら傍若無人。シャルルを対等の共演者ではなく、“演奏家その1”ぐらいに考えている。

 当然、そうですかと受け入れられる扱いではない。受け入れるべきではない。


 シャルルにも音楽家としての矜持(きょうじ)がある!

 宮廷音楽家とはつまり、国中で屈指の演奏者であるとエフラインのお墨付きを承った存在なのだ。

 自分の演奏への侮辱は教皇への侮辱に直結する。

 少なくともシャルルはそう考えていて、信心深い彼が現人神エフラインへの侮辱を許すはずもない。そんな過程を経て、緊張と動揺は怒りに塗り潰されていた。


 付き合いの長いリュイスとカタリナは遠目にも表情から感情を読んで取る。揃って不思議に首を傾げ、顔を見合わせた。


「あいつ、今日は緊張してないみたいだな」

「そう、だね? 成長したってことなのかな」

「ならいいけどな」


 事情を知らない二人にすればなんとも得心がいかないが、それでも心労は少し和らぐ。

 何にせよ手助けが出来るわけでもなし、そのまま上手く演奏し通してくれるのを願うばかりだ。


 また一つ演目が終わり、拍手と歓声の渦が沸き起こる。

 そこでふと、カタリナが視線をスタンドへと向けた。


「リュイス、あそこの柵」

「あん……? っと! 乗り越えようとしてる馬鹿がいやがる!」


 熱狂にあてられたか。どうにも様子のおかしな人々が視線を泳がせて数人、グラウンドとの間を仕切るフェンスへとよじ登ろうとしている。


「どいて」「僕が先」「急げ、急げ」


 声を震わせながら我先に、周囲の客たちから奇異の視線を向けられているにも構わず塀へと登っていく。

 フェンスはそれなりの高さがある。もし落ちれば良くて骨折、悪くすれば死にかねない!

 グラウンド側に落ちて当人が死ぬだけならまだしも、柵を越えようとするタイミングでバランスを崩して客席に落ちられたのではたまらない。式典を乱されてたまるものか!


 リュイスとカタリナは急ぎ駆け寄り、数名の不審者たちへと声を掛ける。


「あの、危ないです! そこから降りてください!」

「おいバカ! 降りないと引っ捕えるぞ!」


 リュイスは帯剣の柄へと手を掛けている。

 まさか一般人を斬るつもりはないが、脅しを掛けるにはこれが手っ取り早い。


 二人の腰には銃も。中には暴徒の鎮圧などに用いられる麻痺弾が装填されていて、殺傷せずに捕らえることが可能だ。

 だがよじ登っている連中は既にそれなりの高所。痺れさせてしまっては転がり落ちる。本末転倒だ。なんにせよ、まずはそこから降りてもらわなければ。


「いやだ。降りたくない」

「ここから出る!」

「家に帰りたい」


「……っち」


 リュイスは苛立ちに舌打ちを一つ。

 よじ登っている面々は喋り方がやたらに幼稚、表情は弛んでいて様子がおかしい。

 どうやら彼らは最近あちらこちらに蔓延っている、様子のおかしい人々の同類らしい。

 宗教組織シャングリラが売り捌いている麻薬の中毒者か、あるいは春の陽気に頭をやられた馬鹿だろうか?


 どちらにせよ問題が一つ。彼らは総じてリュイスと反りが合わない!


「降りろって言ってんだろうが! ぶった斬るぞ!」


「ひぃぃ」

「あの人頭おかしい」

「悪いやつ」


「くっそ、その甘ったれた喋り方をやめろ! イラつく!」


 街の異常者たち。彼らは口調こそ弱々しいが、外見は皆立派な成人。目の前で壁を登っている三人はヒゲの紳士、屈強な青年、壮年の女性と見事に大人ばかり。

 それがタラタラとした声色で喋ってくるのだから、気の短いリュイスにしてみればカンに触って仕方がないのだ。

 

 そんな連中を相手にするには適性というものがある。隣のカタリナがリュイスの肩を叩き、優しげな笑みを浮かべる。


「それじゃ駄目よ、怖がらせるだけ」

「あいつら大人だぞ!?」

「そうは言っても怯えてるのは確かだし……任せて?」


 そう言って歩み出て、カタリナは彼らへと声を掛ける。その様子は児童に接する教師のよう。落ち着かせ、諭して(なだ)める声だ。


「心配しないで。武器は使わないし暴力は振るわない。だから、そこから降りてくれないかな?」


「い、いやだ」

「ここにいちゃダメ」


「どうしてかな? 席にいられない理由があるなら、教えてほしいんだけど……」


 カタリナの態度は穏やかで、彼女の優しい人柄をそのまま誠実に伝える。

 どうやら軽い恐慌状態にある彼らにもそれは伝わったらしい。顔を見合わせ、ぼそぼそとした声色でカタリナへと返事を返す。


「危ないから」


「え、危ないって……?」


「ここは危ないから」

「はやく逃げなきゃ」

「家に帰りたい」


 はっきりと要領を得ない言葉を口走り、彼らの顔色は青ざめている。それだけではカタリナも意図を測りかね、リュイスも困るしかない。


 ……と、カタリナの会話は時間稼ぎにはなったらしい。 スタンド側から忍び寄った警備兵たちが彼らを掴み、フェンスから続々と引きずり落としていく。

「ああああ」「離して」「嫌だああ」と彼らは暴れるが、どうにも力が篭っておらず弱々しい。芯が通っていないとでも言うべきか。


「そいつら、薬物検査に掛けてくれ」


 騎士である二人は警備兵たちよりも立場が上だ。リュイスがテキパキと指示を出し、連行されていく彼らを顔をしかめながら見送った。


「ううん。危ないって、何だと思う?」

「さあなぁ。誇大妄想だろ」


 雑に言い捨てつつ、それでも全く気にしないというのは無理がある。

 教皇、貴族、政治家に富豪たち。重要な客が集った場だ、まさかテロが起きたのでは困る。


「一応、上に報告しておくか」




----------




 また一つの演目が終わり、拍手が止み、そして会場が静寂に包まれる。

 今までとは雰囲気が違う。全体が高揚に包まれていて、詩乃はその空気を明確に感じ取っていた。


「次、シャルルの番だね」

「一気に会場が静まり返った。期待が凄いな……」


 兵馬が相槌を打つ。国でトップクラスの音楽家。そう理解はしていたが、いざ目の当たりにすると実感が湧く。彼は若くして国民の期待を一身に背負っているのだと。

 遠方、客席に小さく見えるカミロとゲオルグ、それにグラウンドにいるリュイスとカタリナ。


 シャルルに親しい人々の顔には緊張が浮かんでいて、それは裏手の良い席で見ているはずのノーラはなおさらのはずだ。


「そういえば、ゲオルグさんはどうしてカミロに深く帽子を被らせてるんだろうね?」


 ふと気になったのだろう、プリムラが脈絡もない疑問を呈する。

 今それを聞く? とばかりに眉をひそめ、詩乃は「大人しくしてるようにじゃない」と適当に返す。


 そしてついに、二人がその姿を現した。


『続いては、宮廷歌手リーリヤ、そして宮廷音楽家シャルル・アルベール。年若き天才二人の初共演。どのような美を体現してくれるのか。どうぞご清聴下さい』


 司会が流れるように口上を述べ、シャルルがバイオリンを構える。リーリヤの口が薄く開き……

 弦の音色、そして美しい声が重なり響き始める。


 聴衆からは咳き一つ起こらない。


 詩乃は息を飲む。プリムラは目を丸くする。


 演奏しているのはユーライヤで古くから歌い継がれている、一種の民謡のような曲。

 建国者であり英雄、エフライン1世。彼が好んでいたと言われている歌で、現教皇のエフライン14世もまたこの歌を好んでいる。それは誰もが子供の頃から耳に親しんだ曲だ。


 しかし、その音色は涼やかにして流麗、初めて聴く特上の芸術。

 楽器と声、二つの波が魔術で拡散され、会場へと効率的に行き渡る。

 安席で聴いている庶民にも、特等席のエフラインにも等しく、空震は音楽として伝わり、鼓膜、皮膚から染み入り骨肉へ、全身に駆け巡る血液へと麗を刻み込んでいく。

 

 人々の間では一番、ないし二番だけが歌われるが、本来は長い曲だ。

 それをフルに奏でてみせるシャルルとリーリヤ。事前に揉めていたとはまるで思えないほどに息が合っていて、二つの音の波長は並んで補い合い、一分の隙もなく芸術を成し続ける。


 詩乃は風の吹き抜ける草原をイメージする。火山の脈動をイメージする。天を仰げば雨が頬を濡らし、揺らぐ水面と聳え立つ大樹。

 二人が奏でる曲は、広大なユーライヤ教皇国そのものを体現しているのだ。

 

 プリムラは詩乃と過ごしてきた日々の喜びを、憂いを、充実を思い出す。

 リュイス、カタリナは二人並んでこの音色を聴けた幸福を実感する。


 会場に集った万を超える人々の全てが、体を震わせる音の波濤(はとう)に自然を、過去を、感情のさざめきを呼び起こされていた。


 兵馬は……絶句していた。

 思い起こすは過去。記憶が暴流を成し、呼び醒まされる感情。


 動揺、絶望、苦悶。渇いた心に清水を垂らされたような衝撃。

 飄々とした青年はその瞳から大粒の涙を溢れさせ、呻くように言葉を漏らした。


「……ライラの歌だ」


 左、詩乃はそれを聞き逃していた。感動の渦に揺さぶられ、兵馬の押し潰されたような小声は耳に入らなかったのだ。

 だが、右隣。富豪の子息にして動乱を企む飛空士、リオ・ブラックモアはその声を耳に捉えていた。

 兵馬が漏らした“ライラ”という名に、まるで異様な怪物を見出したかのような視線を向けている。


(ライラ、だと? コイツまさか、知ってるのか?)


 会場の警備は厳しく、武器の持ち込みは厳重にチェックされている。

 だが、国内きっての富豪の子息であるリオはその七光を用いて身体検査をやり過ごしていた。コートの裏に潜めた短銃身のショットガン、そのグリップへと手を掛け……


(もしそうなら、潰すか。今ここで)


 裾越しに発砲する。脇腹をブチ抜いて即死させられるはずだ。

 だとして、その先はどうする? 親の威光にも限界はある。教皇を含む大衆の面前、そんな場所で殺人を犯し、ここで捕まれば死罪は免れない。

 この“兵馬”だとかいう青年に、今ここでリスクを犯しても殺すべき価値が、危険性があるのか…?


 逡巡するリオ、その瞳へと兵馬の瞳が映り込む。兵馬は向けられた銃に気付いている。

 視線が交錯し、底の見えない沼地、そんな威圧がリオの臓腑へと鉛を落とし込む。


(やめておけ)


 口の形だけ。


 兵馬は声を出さずに示し、リオは即時に自分の考えを修正する。

 無理だ。この青年はショットガン程度では殺せない。


 そこで静寂が訪れた。曲が終わりを迎えたのだ。

 シィ、ンと、耳が痛くなるような無音。しばしそれが続き、シャルルとリーリヤが気品に溢れた仕草で一礼を。


 ドォっ!!!! と、万雷の拍手が空間を埋める。

 スタジアムの中だけではない。聖都全体、広がる青空までを満たす拍手の渦波が世界を塗り詰める。


 中継の視聴率は90%を超えていて、会場にいない人々もこの音色を共有している。

 つまり比喩でもなんでもなく、聖都、そして国中が二人の天才への賞賛に満たされていた。

 その兵馬は発してみせた人外の迫力などまるで無かったように、人の好い青年然とした態度で拍手を送っている。。


「いやあ、凄かったですね。リオさん」


 ぺたぺたと両手を叩き合わせ、間の抜けた声で白々しい台詞を述べてくる。

 リオは鼻白む。そんな態度に腹が立ったので、せめてもの仕返しにと情報の優位性で威張ってやる。


「ああ。だがな、真のショーはここからだぜ」

「真のショー?」


 未だ興奮冷めやらず、頬を少し上気させている詩乃が疑問を呈した。


「まあ見てな。すぐだ」


 リオの言葉に呼応するように、演奏を終えたシャルルとリーリヤが佇んでいる舞台の上へと一人の軍人が登る。

 壮年の男だ。黄金の髪、威圧と野趣を感じさせる瞳は共に獅子めいた印象を感じさせる。一挙手一投足が覇気に満ちていて、間違いなく高い地位にある人間だろうと理解できる。

 

「あれは誰?」

「ヴィクトル・セロフ。元帥だ」

 

 首を傾げるプリムラへと注釈付き、リオが軍人の名を口にした。

 元帥。つまりはあのアルメルやザシャよりも上。六聖と六将軍、十二人の将たちを束ねるユーライヤ軍の首魁。

 そして元帥は厳粛を滲ませ、重低な声で宣言する。


「宮廷音楽家シャルル。宮廷歌手リーリヤ。この二人は今日、現人神たる教皇エフライン14世の名において……婚姻を結ぶ!!」


「……はぁ!?」


 珍しく、兵馬が素っ頓狂な声を出した。

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