二十四話 少女たちの雑談
開演に向けてボルテージの高まるスタジアムの端、花火を高空へ打ち上げるためのスペースはスタンドの外壁上部に位置している。
そこには幾人もの魔術師が詰めていて、宮廷魔術師であるアイネを中心として火力と色彩の管理が行われていた。
いかに宮廷魔術師とはいえ、アイネはまだ歳若い。
そのため責任を軽くしてもらえたのか、あるいは国事の仕切りは荷が重いと見られたか。
比較的楽なポジションに割り振られたと認識。それを残念と感じる性格でもないが。
(ふー、楽で嬉しいな)
周囲にお偉方がいるでもなく顔を見知った同僚だけ。火術に優れたアイネにとっては花火の管理程度は朝飯前。
マナの出力バランスが表示されている計器類に目を配るだけの簡単なお仕事と言える。
そのため、おしゃべりをしている。
話相手は魔女帽が印象的なロネット。今回の式典、会場の警備を受け持っているのはシャラフ隊だ。
そのシャラフ隊に属しているロネットは、高所からの全体監視を担当している。ということで、花火の管理とは無関係なのだがアイネの隣で地上を見下ろしていた。
とはいえ、そうそう危険な事態が起きるわけでなし。
せわしなくクルクルと客席を見渡しながら、二人でとりとめもない会話を続けている。
「ねえアイネ」
「なあにロネット」
「見なさいよ、あそこ。アンタんとこの仲間がサボってる」
双眼鏡を手渡され、指さされた位置に目を凝らす。
「あ、ホントだ。リュイスとニコラさん、それにもう一人、影になっててよく見えないや」
「あれはダヴィデ隊のエミリオかな。ったく、大人が三人雁首揃えてペラペラおしゃべりって……」
「私とロネットも喋ってるけどね」
「こっちは仕事してるからいいのよ」
不機嫌なロネットとあっけらかんとしたアイネ。
タイプの異なる二人だが、いつも隣にいるので周囲からは不思議に見られている。まあ、友情に理由はないのが世の常だ。
共に14歳。そんな年齢の二人が暇潰しをするとなれば、恋愛トークが手頃な話題。
ただ、二人に今のところ彼氏はいない。なので、ロネットは双眼鏡の視界をリュイスらへと合わせる。
「アイネはさ、あの連中とかどうなわけ?」
「どうって?」
「アリかナシかって話よ、彼氏として」
「え、リュイスたちの事だよね。歳が離れすぎててピンとこないよ。10歳近く違うし」
「はぁ、アイネはまだまだ子供ね」
眉を上げて首を斜めに、ロネットは訳知り顔でやれやれとわざとらしい溜息を吐いてみせる。
恋愛絡みの話題になるといつもやたらに上から目線になるのだ。だが実際のところは単なる耳年増。生まれてこの方、彼氏がいたことはない。
そんな調子のロネットはかなり癖のある性格とも言えるが、田舎出身の素朴さと寛容さを持ち合わせているアイネからすれば“面白い子”の範疇に留まる。
その辺りが上手く噛み合い、二人は良い友人関係を築けているのだろう。
「じゃあロネット。どんな人がタイプなの?」
「私はね、モテる男が好きなの」
「へ、なにそれ」
「モテる男はね、女の扱いに慣れてる。相手を楽しませるサービス精神に溢れた人間なの。逆に、真面目で浮気もしない、彼女もいない男は女の扱いが下手なのよね。遊んでもつまんないし、すぐに飽きちゃうわ」
「はえ~」
「だったら最初からモテる男に行くのが正しいでしょ?」
賢しらに語るロネット、曖昧な相槌を打つアイネ。
(ロネット、また変な本を読んだのかなぁ)
親友のそんな内心はいざ知らず、ロネットは青年たちを指して採点を始める。
「リュイス、あれは35点。エリートで顔もまずまずだけど、男同士でつるんでるのが楽しいってタイプでしょ。ガキよね。ああいうのがモテるのは子供時代まで」
「でも、リュイスには彼女さん……みたいな人がいるよ? モテないってわけでもないんじゃないかなぁ」
「知ってる知ってる。幼馴染で、はっきり付き合ってはいないんでしょ? じゃあやっぱガキよ。子供の頃の関係性を引きずってるだけ。はい35点。隣のニコラさんはマシね、62点?」
なんとも辛辣な物言いだ。それならとアイネは別の方向、貴賓席を指差してみせる。
「じゃあ、アルメル隊長のお兄さんのテオドールさんは? 有名人だよ」
「有名人って言っても悪評じゃない……0点。顔良し、血筋良し、財力良し。でもシスコンの変態じゃね」
「んー……ザシャ隊長は? 六聖だし、頭いいし、強くてファンも結構いるよ」
「50点。なんかなよっちいのよね。確かにファンはいるみたいけど、一部にモテるだけなタイプでしょ? 理想とは違うわ」
酷評の連発に面白さを感じつつ、さらにアイネの目は別の方向へ。
「他に……あ、兵馬さんとか。ロネットも会ったでしょ。大道芸人の」
「あの胡散臭い男ねえ。……45点。稼がなさそう。甲斐性のなさが顔に出てる」
挙げる相手挙げる相手、まるでロクな点数が提示されない。
アイネはふにゃりとした苦笑いを浮かべつつ、やたらにバサバサと切り捨てる辛口な親友へと問いかける。
「もー。誰なら高いの?」
「そうね、うちのシャラフ隊長はいい線いってると思う! 85点は付けられるかな」
「わぁ、高いね」
「あの大人びた雰囲気はその辺の男には出せないわねー。経歴が不公開だったり、影があるけどそこも魅力よ。顔立ちが少しエキゾチックなとこで減点付いてるけど、微妙に好みが別れるかも? ってだけで美形なのは間違いないし!」
ロネットのテンションがやにわに上がる。
結局はシンプルに顔の好みで語っているように見えるのだが、アイネは特にツッコむことはなく笑いながら話を聞いている。
そんな間にも、澄み切った青空へと盛大な花火は打ち上げられ続けている。
式典の準備は既に全てが終えられていて、あとは開始の合図を待つばかり。
客席は満席、一般席には人がぎっしりと埋まっていて、ロネットの監視の目にも目立った動きはこれといってなし。
そこでふと、彼女の手にしている双眼鏡が横滑りを止めた。
その視線は貴賓席の空席へ。遅まきに入場してきた大柄な青年の顔を凝視している。
「見て! 見てよアイネ! あれが100点! かっこいい! 超モテそうじゃない!?」
「え、どれどれ?」
「見なさいよ早く! ……っと、待った、ストップ」
浮き立った表情を沈め、アイネへ手渡そうとした双眼鏡を引き戻す。
フライトジャケットにゴーグル、男は飛行士なのだろうか。
体格はそこらの兵士よりも良好。貴賓席に入れる以上、どこかの貴族か富豪の子息なようだが……
ロネットは男の横顔へ、鋭い視線を飛ばしている。
「100点はやっぱなし。92点かな」
「そのマイナス8点はなに?」
「……なーんかキナ臭いから、減点。ちょっと行ってくるね」
そう言い残し、ロネットは足早に高所から降りて行った。
ロネットは危機感知能力に優れている。それは勘のような曖昧なものではなく、
そんなところが特殊任務を主とするシャラフ隊に抜擢された理由であり、その能力に疑いの余地はない。
残されたアイネは波乱の予感を感じずにはいられず、ロネットの背へと大声で呼びかける。
「気をつけてね!!」
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「そろそろ、そのガタガタ歯を鳴らすのをやめたらどうだい」
兵馬がシャルルへと声を掛ける。
だがこれは怯えからの震え。止めろと言われて止められるのなら苦労はない。
繊細な青年は灰色の髪を神経質に弄りガチガチと、“歯の根が合わない”という慣用句を忠実に体現してみせる。
「これ食べる?」
「食べなよー。落ち着くかもよ?」
もごもごと口を動かし、詩乃とプリムラは出店で買った10個入りの小籠包をシャルルへ差し出してみる。
もちもちとした生地には肉汁がたっぷり染みていて、ひき肉にキクラゲに春雨、具材の旨味が弾けて溢れ出る。
兵馬を含めて三人が全員、一口目に唸り声をあげたほどの美味さの逸品だ。
国内では西部を中心に食べられている料理なのだが、離れた土地にしてこのクオリティ。
期待しすぎずに買った露天料理に、聖都の食文化の多様性と奥深さを思い知らされていた。
「………ぃ」
「え、なんて」
「いらないってさ。もう少し大きな声で喋れよシャルル。僕は一個もらうよ」
ヒョイパクと口に放り込み、咀嚼しながら呆れ顔の兵馬。
三人はゲオルグに頼まれ、シャルルの付き添いとして出演者たちの控え室にまで同伴していた。
好奇心旺盛なカミロは面白がって付いてくるかと思いきや、ゲオルグと客席に座ることを大人しく選択した。
どことなく上機嫌だった様子を思い出すに、きっと多忙な祖父と一緒に過ごせるというだけで嬉しいのだろう。
祖父と孫、水入らずの時間を過ごしてくれればいい。
そんな経緯で出演者でないにも関わらず控え室にいるわけだが、ここは劇場などではなくあくまでスタジアム。
個室の控え室などの設備はないため、必然、大部屋での待機となる。
ロッカーがずらりと並んでいて、普段行われている競技の選手たちのロッカールームだと窺い知れた。
チームのファンであれば感動の体験なのかもしれないが、あいにく詩乃やプリムラ、それに兵馬もスポーツ観戦の趣味はない。
周りの様子を観察するよりも、シャルルの介護で忙しい。連れてきた時はゲオルグの秘薬で仮死状態だったから良かった。
のだが、本番前にいつまでもその状態のままとも行かず、もう一つ渡された気付け薬を飲ませて目覚めさせたのが30分前。
それからは状況を察し、差し迫る演奏を前に、すっかり黙りこくって歯を鳴らしているのだ。
ひょっとすると処刑前の人間はこんな顔をするのかもしれない。
詩乃の脳裏にそんな考えが過るほどにシャルルの顔色は悪く、色濃い死相さえ感じるほど。と、そこへ。
「ごめんなさい、待たせたかしら」
シャルルのバイオリンを抱えて歩いてきたのは彼の幼馴染、ノーラだ。
教皇がいる場で使用する楽器。間違ってもテロが起こらぬよう、危険物が仕込まれていないか事前の検品が義務付けられている。
しかし当人はこの有様で、それなら大切な楽器を誰に運ばせるか、シャルルが名を挙げるのはノーラ以外にいない。
シャルルとの間には共に過ごした時間に見合った信頼関係が築かれている。
バイオリンが収められたケースを丁寧な手付きでシャルルに手渡し、「大丈夫?」と一声を掛ける。
「…………ぁぁ」
「声ちっさ!」
プリムラがぴしゃりとツッコミを入れ、しかしシャルルは薄く唸るだけで反応は返ってこない。
それでも「ああ」と答えたのは大きな進歩だろう。ノーラの存在は多少なりとシャルルを落ち着かせるのかもしれない。
「……ん?」
ふと、詩乃は周囲から漏れ聞こえる密やかな声に気付く。
ひそひそ、ひそひそと。その声は詩乃たちの方向へと向いている。
(何の話?)
この手の声、微かに聞こえる密談というのは決して心地の良い物ではない。ただ、この声色は……
「黄色い声ってやつだね」
「プリムラ。話の内容聞こえてるの?」
「私、人形だし。人間よりは耳いいんだよ」
曰く。
「ほら見て、あの物憂げな眼差し」
「きっと難しいことを考えていらっしゃるのよ」
「細くすらりとした指先、はぁぁ」
「爪まで美しい……バイオリニストの繊細な指先よ」
「はぁ、シャルル様ぁ……」
「そんな内容だよ」とプリムラは告げる。
「ははあ、モテるんだ。シャルルって」
それを聞いても詩乃にとっては不思議でしかない。酒浸りの神経質なヘタレ野郎。
偶然の成り行きで実家での様子を見てしまった詩乃にとっては、シャルルの印象はそんなものしかない。
だが実態を知らない端から見れば、
“儚げな”
“美形の”
“天才音楽家”なのだ。
なるほど、モテる要素しかない。
いまいち納得がいかないながらも、頭では理解できた。それでも詩乃が不思議を克服できないままにいると。
ギシリ。ギリリ。
何かが強く擦れる音が聞こえてくる。
何の音だろうか。詩乃は周囲に目を向け……音の出所はノーラだ。
「……シャルルのことを何も知らないくせに。ミーハーな低脳女共……!」
その音は強烈な歯軋り!
ああ、そうだった。嫉妬深いノーラは他の女性がシャルルへ近づくのを極度に嫌っている。
その好意は下手をすれば刃物を持ち出しかねないほどで、詩乃はすっかり困ってしまう。
(穏便に済ませなきゃ……)
ローテンションな性格ではあるが、あくまで常識人。コミュニケーション嫌いの原因を突き詰めれば気遣い屋なため。
余計な気苦労を背負い込んで、気疲れしてしまうために人付き合いから遠ざかっていく。そんなタイプなのだ。
(生意気な……淫売め……罰を……刺す? そう……そこの櫛で……刺すしかない……刺す……刺す)
あからさまに危険な表情を浮かべるノーラ。
彼女の視線は化粧台に並べられた色々な道具に向けられていて、例えば香水瓶。例えばドライヤー。スプレー缶。
そのつもりで見ればどれもこれも凶器になりそうで、大惨事の予感が脳裏をよぎる。
シャルルへと艶のある視線を向けているのは式典の出演者、踊り子に舞台女優と派手な見た目の女性が多く、ノーラが敵愾心を燃やすのもわからないではない。
それだけに、放っておくわけにもいかない。
仕方なし、詩乃は果敢に声を掛ける。
「の、ノーラさん」
「……刺……、って詩乃ちゃん。何かしら」
「あ。いや、じ、ジュース飲みますか?」
「……ジュース」
目が据わっている。普通の会話をしているだけなのに、睨めつけてくる眼光に詩乃は思わずたじろいでしまう。
視線を逸らしつつ、怯えているシャルルを指差す。
「ほ、ほら。シャルルも一緒に。ね?」
「……そうね。飲もうかしら……」
「こ、こっちこっち。コーラとか、オレンジジュースとか。兵馬! プリムラ! シャルルを引っ張って!」
へらりへらりと笑みを浮かべて話しかけ、無料で使えるドリンクサーバーのある廊下へとノーラを誘う。
「ありがとうね、詩乃ちゃん」
気遣いを感じ取ったのか、ノーラは険を解いて素直に礼を言う。
燃えるような悋気さえ発動しなければ、一応は良い人なのだ。内に秘めた激情の制御に自分でも困っているのか、少しばかり疲れた表情で額に手を当てている。
「言われてみれば喉も渇いてるし…」
「の、飲みましょう、甘いやつ。えはへへへ」
気の焦りについつい変な笑いを漏らしてしまうが、とりあえず気を逸らすことには成功したようだ。
ぐいぐいと手を引き、部屋を出た廊下にあるドリンク機へと引っ張っていく。
後ろからは兵馬とプリムラに抱えられたシャルルが続き、部屋中の女性から集まる視線から逃れるべく扉を出る。
「歩きたくない……息もしたくない……放っておいてくれ……」
か細い声で呟くシャルルに苛立つ。
あんたのせいでややこしくなってんの! とは、言わずに堪えて廊下へと出た。




