☆二十一話 疑心と、興味と
「これを届けに。ゲオルグさんからです」
「……ああ、なるほど。思ったよりも早かったな」
視線を合わせずに受け取り、独り言めいて呟きながら包み紙をバリバリと破いて床に捨てる。その仕草一つを見ても、片付けられないタイプなのがありありと感じられる。
包みの中身は本だった。ザシャはページをめくり、中を手早く確認していく。横に立っている兵馬からも中のページが見えた。記されている達筆な文字はゲオルグのものだ。
市販のものではなく、分厚い一冊の本の全てはどうやらあの老人が書き綴った物らしい。
凄まじい速度でページを捲り続け、魔術師はたちまち中身の概ねを把握したようだ。
「流石だ。素晴らしい」
満足げに頷き、詩乃たちに視線を戻し、魔術詠唱をおもむろに。
「“踊れ逆風、奔れ風脈。闊達なる我が手腕を成せ”」
そして指をパチンと打ち鳴らす。
『風の指』
かすかに魔力光が迸ったかと思うと、唐突に烈風が巻き起こる!
「っ、な」
「うわ」
「ギャー!?」
兵馬、詩乃らが驚きに声を上げる中、ザシャの巻き起こした一人の風は室内に散らかった書物の数々を空へ舞い上げる。それらを素早く本棚の元あるべき位置へと収めていく。著者名順、巻数の並びも的確だ。
それが終われば次はゴミの処分。もう一度パチンと指が弾かれ、床に残された紙屑にホコリの塊、それに痛んだ飲食物が空中へと巻き上げられる。
その真下へ、ゴミ箱がまるで車輪が付いているかのように自走して滑り込んだ。
続けざま、ザシャはぽつりともう一つ詠唱を。すると空中のゴミが燃え上がって炎の塊へと変貌する!
それはわずか一瞬の強烈な火力。全てが黒炭へと変貌し、そのまま落下してゴミ箱へと収まった。
最後に、もう一度ささやかな風が巻き起こる。そよぎはカーテンを開き、外の陽光を室内へと差し込ませる。
長らく陽を浴びていなかったのだろうか、ザシャは小さく「う……」と呻き、穴底から引きずり出されたモグラのような表情を見せた。
やがて、風が収まる。
兵馬たちが目を開けると部屋はすっきりと片付けられ、中心にはいつの間にやら小洒落た丸テーブルが据えられている。
湯気を立てるカップには紅茶、銀皿の上にはジャムクッキーやスコーンも並べられていて、そしてザシャは片手で一行を促した。
「どうぞ、掛けて」
部屋が片付いて陽光が差し込み、空気も入れ替われば雰囲気は変わる。排他的な印象から打って変わり、今のザシャは友好的な表情に見える。
詩乃とプリムラは困惑しつつも顔を見合わせ、兵馬は内心に強い警戒を抱き続けている。
(何故プリムラの名前がわかった? 名乗っていないのに)
秘密があるのか、心が読めるのか。いずれにせよ油断はできない。
詩乃は促されるままに掛け、続いて渋々とプリムラが腰を下ろす。
ザシャが座り……兵馬の椅子がない。
一体何の嫌がらせだろう。兵馬がザシャに視線を向けると、魔術師はいつの間にか手にしていた小包を差し出してきている。
「君はこれを持ってゲオルグさんへと届けてくれ」
「なるほど」
兵馬ははっきりと彼の意思を感じ取る。それは敵意。
お前の席などない。ここから去れ、と告げているのがわかる。
プリムラ、それにいつも素っ気ない詩乃も、心配げに兵馬を見上げている。
大人しく座したものの、やはり見知らぬ相手の面前、状況に不安はあるようだ。
さてこの男。ますますキナ臭い。
兵馬はさらに警戒を強め、同時に彼への興味を深める。
(明らかに詩乃に興味を示している。それはプリムラが考えるような、安っぽい好意からのものなのか?)
黙し、一人立ったままに思考を巡らせる。
詩乃の顔を見た途端に態度を変えた。そして同行の男を追い払おうとしている。素直に受け取ればプリムラの発想は間違いではないかもしれない。だが!
兵馬は華麗な手捌き、どこからともなく赤布をはためかせる。
久々、その能力を行使しようというのだ。プリムラは驚きに目を見開く!
(え、ちょっ、いきなり攻撃を仕掛けるつもりー!?)
その赤布は手品めいて武器を出す技術。二度に渡るシャングリラとの交戦で、兵馬の強さはプリムラも十分に見知っている。
だが目の前のザシャは六聖、あの巨人ピスカを退けたアルメルと同格だ。兵馬でも勝ち目は見えない!
(それに、そもそも戦ってとまでは言ってないし!)
暴力沙汰を予見し、泡を食った表情を見せる人形少女。
――が、ゴトンと。兵馬が生成したのは一台の椅子だった。
「あいにく。自前の椅子があるんですよ」
「おや」
煽るような手つきと共に、挑戦的な口調でザシャへ告げ、招かれざる食卓へと割って入る。
卓上からスコーンを一つ手に。いびつな拳骨大のそれを、大口を開いて齧って見せた。
「腹が減ってたんです。美味しいですねコレ」
無礼には無礼で返せとばかりの態度を見せつけられ、ここで追い払うのも面倒だと考えたか。ザシャは含みのある微笑を浮かべ、兵馬の着座を受け入れた。
「美味しいだろう、部下に気の利く子がいてね。茶菓子にと差し入れてくれた」
「都会っぽい味ですねえ」
褒め言葉もそこそこに、兵馬は次いでクッキーへ手を伸ばす。
蔑ろにされたのが彼なりに腹立たしかったのか、ボリボリと噛み砕き、やたらふてぶてしい態度を決め込んでいる。
ザシャは兵馬から視線を切り、そして詩乃の瞳を覗き込む。
「……」
「む……」
無言のまま、詩乃の瞳を見つめるザシャ。その眼光は瞳孔を通して深奥へ。
詩乃はそれを受け、奇妙な感覚に目を逸らせずにいる。
(なんだろう。不快じゃないけど、変な感じだ)
プリムラが警戒してくれているのはわかる。
兵馬も護衛らしく、菓子を貪りながらもザシャの様子を窺っている。
だが……この魔術師の眼差しからは、何か別の感情を感じる。
やがて、ザシャがゆっくりと口を開いた。
「詩乃、君は」
「っ……! 痛っ! いた……っ……!?」
突然、詩乃が頭を抱えて卓上へと突っ伏した。
あまり泣き言を言わない詩乃だが、酷い顔色で額に脂汗を浮かべている。
「何をしたのッッ!!!!」
プリムラが机へと片足を乗り上げた! 腕の砲身をザシャへ突き付けている!
彼が怪しげな術を用い、詩乃へ辛苦を与えていると考えたのだ!
対し、兵馬は詩乃が痛がり始めた瞬間にも反応を示さず、穴が開くほどザシャを凝視し続けていた。
故に見逃さなかった。痛みを訴える詩乃を前に、ザシャはほんの一瞬だけ酷く狼狽える表情を見せたのだ。
「待つんだプリムラ、この人が何かをしたわけじゃない」
兵馬は片腕を平らに、憤る人形を制する。
だが彼女の激昂は収まらず、痛みに苦しむ詩乃を見て泣きそうな顔になり、ザシャを脅すべく天井へと銃弾を撃つ!
「何かしてたってしてなくたって関係ないよ! あなた、すごい魔術師なんでしょ! 詩乃を助けて!!」
プリムラの怒声を受けつつ、ザシャは既に平静を取り戻している。
立ち上がり、棚に並べてある瓶から一錠の薬剤を手に乗せ、そして詩乃へと差し出した。
「これを飲みなさい。痛みが治まる」
「っ、んぐ……」
促されるまま手に取り、指先ほどの粒を水で一息に飲み下す。
「変な薬だったら殴るから! 詩乃に何かあったらぶん殴るから!」
ギャアギャアと叫ぶプリムラを横目に、薬は素早い効き目を見せる。
詩乃の顔から苦悶の色が失せ、すう、と一つ深呼吸をして顔を上げた。
「……大丈夫、痛くなくなったよ。効いたみたい」
「よかったー! 詩乃よかったぁぁ!!」
「プリムラうるさい、頭に響く……」
日頃の二人はざっくばらんな友人関係にも見えるのだが、いざ詩乃が苦しげにするとプリムラの保護者の側面が顔を見せる。
過保護にも思えるほど大仰な騒ぎようで、心配されている当人の詩乃が呆れ顔だ。
ともあれ、ザシャに渡された薬の効き目は覿面だったらしく、すっかり顔に血色が戻っている。一安心だ。
ただ、突然の頭痛の原因が気になるが……
兵馬は依然、ザシャから目を離していない。席を立ち、歩み寄る。
「随分、心配そうな顔をするんですね」
詩乃たちには聞こえない小声。ひそりと、耳元で囁いた。
「……おや、何の話かな」
魔術師は“おかしな事を言うね”とばかりの表情でシラを切る。
だが、兵馬は垣間見た彼の狼狽に確信を得ている。この男は詩乃の記憶に何らかの関係を有している。彼女の過去に関係のある人物だ。
血縁者? 疑いを持って見れば容姿はどことなく似ている。
外見から見るに、この男の歳は20代後半から三十路ほど。知人か、あるいは血縁か?
問い詰めてみるか? いや、不用意な言動は慎むべきだ。
さっきの詩乃はザシャを見て何かを思い出しかけ、そして頭痛に襲われた。
おそらく記憶に作為的な鍵が掛けられていて、それが外れかけた事で痛みに襲われたのだろう。
それなら、迂闊に記憶を掘り起こそうとするのは好ましくない。
「どうしたのかな、兵馬君。人の顔を穴が開くほどに見つめて」
「……」
ザシャの口調、表情には、何を問われたとしても答えるつもりはないという意思がはっきりと現れている。
そもそも。記憶を封印するには魔術を用いるはずで、目の前にいる国内最高峰の魔術師たる六聖はそんな芸当をこなすに最も相応しい人物のように思える。
仮に、詩乃へと封印を施したのがこの男だとすれば……と、何の根拠もなしに、そこまでは穿って考えすぎか。
「何でもありませんよ」
真偽がどうであれ、現時点での追求は無理だ。
少なくとも、詩乃に対して敵意を持っている人間ではないように思える。なら、今は放置で構わないだろう。それが兵馬の判断だった。
仕事机に置かれている内線が無機質なメロディを奏でる。ザシャは立ち上がり、それを取って二、三会話を交わす。
漏れ聞こえた声は慌ただしげ。六聖である彼はよほど多忙なようで、短い会談はそれで終わりを迎えた。
「すまないね。まともにもてなせず」
「こっちこそ、騒がせてごめんなさい」
詩乃は相変わらず殊勝な態度で、ぺこりと小さく頭を下げる。
突然の頭痛で驚かせてしまった事を謝罪しているのだ。
それを受け、ザシャは相変わらずのボソボソとした声で「いや、構わないよ」と告げる。
そして再び指を鳴らす。
手品めいて、どこからか小さな小箱が現れ、それを詩乃へと手渡す。
「お土産だよ。持って帰って食べるといい」
「あ、いや……」
詩乃は遠慮するが、構わず押し付けられる。礼を言い、魔法陣を踏み、元来た道を帰り、城を出て。
見上げれば空は斜陽。時刻はすっかり夕方になっていた。
「初対面の人ばっかりでつっかれたぁぁぁ~……」
間延びした声、プリムラがぼやくのも無理はない。人と会うのがそれほど苦でない兵馬でさえ気疲れしている。ましてやコミュニケーションが苦手な詩乃の疲労ぶりは一目に明らかだった。
明らかに口数少なく、ぼんやりと口を半開きに歩いている。いや、その表情は単なる疲労ではない。
ふと思い立ったように、プリムラは務めて元気な口調で詩乃へと尋ねかける。
「ねえ、あのザシャって人から貰ったお土産の中身は?」
「僕も気になるな」
「ん」
詩乃も頷いた。家路を急ぐ雑踏から外れ、川沿いのベンチに腰掛け、ガサガサと荒っぽく包みを破く。
パッケージは東の国で用いられている字体、大きく記されている商品名を目に、兵馬は物珍しげな顔を浮かべてみせた。
「ぜんざい? 瓶に入ってる食べきりの」
「や、やったあ!」
詩乃の声を聞き、兵馬はますます珍しげな顔になる。
あまりテンションを上げない彼女の語尾が上がっている。エクスクラメーションが付いている。同行を始めてから少し経つが、こういう声色は初めてだ。
「ぜんざい! 私ぜんざい好きなの!」
目をキラキラと、意味なく拳を上下させて兵馬へと主張している。珍しく見せる年相応の少女のような仕草。
そんな様子に兵馬は困惑と苦笑を浮かべつつ、ザシャへの疑心を一層深める。
(好物まで知っている、か)
ガラン、ガランと、聖堂からの鐘の音が夕暮れの街に響き渡る。
橙に染められた宮殿を遠目に、兵馬は視線を鋭く細めるのだった。




