★十七話 平穏な朝に
ジリ、リリ、と調子外れに、壊れかけのベルが鳴っている。
「んむ」
詩乃は寝ぼけ眼を擦り、枕元の目覚まし時計を叩き止めた。
頭が回らない。二度寝しようか。布団へとうつ伏せに顔を埋め、呼気が布越しに鼻元を温める。
しばらくの静寂……時計が再び鳴り始める。
「……わかった。わかったから」
誰へとでもなく不機嫌に呟き、むくりと身を起こしてアラームをしっかりと解除した。
旅先だろうとパジャマはきっちり着るタイプ。頭へは寝癖防止にナイトキャップを乗せている。
同じベッドの片端にはプリムラの姿。
口を開けて寝息を立てている顔からは、人形らしさが微塵も感じられない。
(いつものことだけど)
大きめのベッドだ。少女と人形の体格なら、枕を並べても窮屈ではない。
詩乃はベッドから立ち、窓へ歩んでカーテンを引き開ける。時刻は朝の9時、差し込む陽光は穏やかだ。
詩乃にプリムラ、 別室に兵馬。
一行がアルベール家へと寝泊まりを始めて3日目になる。
重い瞼をごしりと擦り、欠伸を一つ。と、外から騒々しい声が聞こえてくる。
「兵馬ー! これでどうだろ!」
「よーし、いいぞ! やれカミロ!」
カミロと兵馬だ。
初日には逃げ回っていた兵馬だが、3日目にして早くもすっかり打ち解けている様子。
「点火ァ!」「点火!」
威勢のいい掛け声と共に、バシュ! と小気味良く空へと何かが打ち上がった。
後方から火を噴き、爆弾めいた何かは高々と舞い上が……るはずが、推力を失い途中で落下。
自分たちへと落ちてきたらしく、兵馬とカミロが慌てふためき…爆発!!
「うおおおッ!?」「ぎゃああああ!!」
「アホくさ」
ぽつりと口にし、詩乃は窓際からゆっくりと離れた。
室内に置かれている小さな机、その上に置いてある一通の便箋を手に取る。
既に開封済み。先日リュイスに手渡された、六聖アルメルからの手紙だ。
涼やかな達筆で綴られた書面へ、もう一度目を通す。
その中身は行方知れずの詩乃の保護者、“ゲイでフリーの雑誌記者”ことマルゲリータの消息についての情報だ。
「……元気にしてるのかな」
自分と同じように暗殺組織から付け狙われている可能性が高い。
自衛できるだけの実力はある人だが、心配は募る。
書面には幾つかの街の名が記されている。それらしい人物の目撃情報があった街だそうだ。
その中には幾つか、元々向かう予定だった方角に位置している街もある。ベルツ、チェルハ、リリエベリ……
(余裕があれば寄ってみよう)
ぼんやり考えつつ、三角帽を脱いで服を着替えた。
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「兵馬兵馬、さっきのは何がダメだったんだろ」
「爆薬が足りなかったんじゃないか……?」
粗末な外観のアルベール家、平屋型の家屋の屋上には兵馬とカミロ二人の姿。
先の爆薬の暴発によって、その顔や全身はコメディめいて黒焦げている。
兵馬がカミロを抱えて爆風から逃れたため、怪我や火傷などはない。
数日の生活の中で、カミロは兵馬樹という青年の価値を“実験台”から“助手”へとシフトさせていた。
昼行灯的な外見に反し、存外に使える。そう判断してからは二人の関係はなかなかに良好だ。
少年は用がなくとも「兵馬兵馬」としきりに呼ぶ。
趣味である発明、実験のために利用しているだけかと言えばそうでもない。一日中構ってくれる年上ということで、わりと素直に懐いているのだ。
顔にこびりついたススや埃をボフボフと払いつつ、兵馬は背伸びを一つ。
「そろそろ朝飯にしようか」
「そうだな! 腹減ったー!」
時刻は9時を回って少し。
起きてから数時間、何も食べずにカミロに付き合っているのだから、兵馬もなかなか面倒見が良い。と、屋上から下へ目を向け兵馬が声を。
「詩乃、プリムラ。おはよう」
詩乃は「ん」と素っ気なく片手を上げ、プリムラは瞼をシパシパとさせながら「おはよー」と挨拶を。
「二人とも、今日は随分早起きだね」
カミロの子守り役がある兵馬とは違い、特に用事もない二人は昨日、一昨日と昼頃まで熟睡していた。旅疲れが溜まっていたのだろう。
それが今日はまだ朝の範疇に起きてきた。
不思議そうに問う兵馬へ、詩乃が視線を上げて声を掛ける。
「後で街に出たいんだけど。付いてきて」
「へえ、構わないよ」
何の用かは知らないが、護衛の役割は継続中。二つ返事でオーケーを出した。
「で、何をしに街へ行くのさ」
居間へと移動し、朝食の席についた。フォークの先端でスクランブルエッグにケチャップを絡めつつ、兵馬が問う。
詩乃はざくりとトーストを噛み、しっかりと咀嚼して飲み込んでから口を開いた。
「もう一回あのアルメルって人に会いに行こうと思って」
「え、そうそう気安く会えないんじゃないかな」
「ん、まあ駄目元で」
「そうかい」
そう言うなら付いていくまで。
兵馬は頷き、その横の席ではカミロが厚切りのベーコンをむしりと噛みちぎっている。
「人形ー! マヨネーズとって!」
「む、私はプリムラだってば! 名前覚えてよー。はいどうぞ」
テレビには今日の天気予報が映し出されている。天気は快晴。外出には絶好の日和だ。
口に押し込んだ食べ物をよく冷えた牛乳で流し込み、少年は兵馬へ期待の目を向ける。
「なあ! 付いていっていい?」
「駄目。うるさくして叩き出されるよ」
兵馬より先に詩乃が拒否し、一理あると兵馬も頷く。
数日の付き合いでなんだかんだ良い子なのはわかったが、騒々しい少年であることに変わりはない。
王宮に入り込んで騒いだのでは、一行揃って衛兵から叩き出されておしまいだ。
「えー! 兵馬出かけるんだよね? 暇だよー!」
「懐かれてるねー」とプリムラが笑う。そこへ詩乃が無情な一言を言い放つ。
「プリムラ、カミロの面倒見てて」
「でええ!? わ、私は詩乃の護衛を……」
「んー、兵馬の方が強いし」
「そんな! ひどい!」
どちらか一人を残すならプリムラを。実利を取った無情な判断に、プリムラは目を白黒とさせて悲鳴を上げる。
すると、奥の間からゲオルグが現れた。
午前中にも関わらず目元には隈が。夜通し研究に耽っていたのだろう。老体に似合わぬ不摂生ぶりは、孫のシャルルにも通ずる精神性だ。
そんなゲオルグはカミロの頭へポンと手を置き、戒めるように強めに撫でる。
「カミロ、皆さんの邪魔をしてはいかんよ。今日は私が相手をしてやろう」
「ほんと!?」
老人の言葉に、カミロは10歳の少年に相応しい朗らかな笑顔を浮かべた。
多忙なゲオルグに構ってもらえるのは何よりの喜びなのだ。
そんな様子を微笑ましく見つつ、プリムラは内心でほっと胸を撫で下ろす。
(相手せずに済んでよかったー。大変そうだもん)
そんなやり取りを経て10時過ぎ、一行は無事、プリムラを含めた三人で城へと足を向けている。
まかり間違って暗殺者集団に遭遇してはたまらない。人通りの多いところで交戦を避けるべきか、人目に留まらず目撃されるのを避けていくべきか……
「連中、街中でも平気で仕掛けてくるからな」
兵馬の一言に、「だよねー」とプリムラが相槌を打つ。ということで、三人は裏通りを抜けるルートを選んで城へ。
すんなり中へ入れるのか? その点は問題ない。
式典に備え、シャルルが連日城の中の演奏室で練習を重ねている。差し入れを持っていけば入れる寸法。
(それにしても)
ふと路地の隙間から青空を見上げ、詩乃は小さく嘆息する。
(なんでこんなことしてんだろ)
兵馬が“大道芸にシャルルの演奏を付けたい”と、この街に留まっている理由はそんな実にどうでもいい事。
詩乃にしてみれば下らないの一言だ。
そもそも兵馬が大道芸にこだわる理由も未だによくわからない。
ほっといて道を急ぎたいぐらいだが、しかし護衛の力は借りたい。
(難しい……)と内心で呟く。
まあ、聖都セントメリアへ訪れるのは初めてだ。
せっかく滞在するなら楽しもう。と頭を切り替える。
「僕は薄切りのタイプが好きだね。あくまでクリスピー感が大切だ」
「えー。私は厚いのがいい! ギザギザしてると嬉しいな」
「ギザギザ? 好みが合わないな」
「あ、ザラザラのも好き! 筒とかに入ってるやつ!」
「成型だって? あれこそ僕の好みに合わない!」
やたらに熱く議論を交わす二人、兵馬とプリムラの言い合いというのも珍しい。
詩乃は小首を傾げつつ「何の話?」と尋ねる。
「ポテトチップスの好みについてさ」
「……あっそ」
「成型ポテトおいしいじゃん! 詩乃は?」
「私は、どれも好きかな。うん」
なんとも実のない話に、詩乃はもう一度小さく溜息を吐いた。
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「そもそも」
口へと芋を放り込み、パリリと良い音を立てて咀嚼しながら兵馬が言う。
三人それぞれの手には円錐型の容器、中身は揚げたてのフィッシュ&チップス。
会話の流れでポテトチップを食べたくなったところにちょうど露店を見かけ、釣られて買ったのだ。
無駄食いの多さはこの三人に共通している。
それはさておき、兵馬は詩乃へと問いかける。
「あの騎士……ええと、アルメルさん。彼女に何を聞くんだ? 君の育ての親のマルゲリータさんについての情報なら、貰った資料に細かく書いてあったじゃないか」
「これじゃ足りない。可能性がある場所を羅列してあるだけだもん」
「それで十分じゃないか」
「ダメ。マルゲリータを探すだけならしらみ潰しに当たってみればいいけど、元の目的はファルセルの街を目指すこと。何箇所も寄り道はできないから」
「可能性の高い順を聞こうって言うのかい?」
「うん」
頷く詩乃へ、兵馬は眉をひそめてみせる。
「あまり有効だとは思えないね。あのアルメルって人、割と親切みたいだ。それを知ってたらあの書類に書いてくれてたはず」
「……それでも」
「無駄足はゴメンだよ、僕は」
「……」
兵馬の言動は素っ気ない。短時間とは言え牢に叩き込まれていた場所だ、あまり気乗りしないのだろう。
それを受けて詩乃は無言に。
普段の飄々とした様子とは違い、うつむき加減に神妙な表情を見せている。自分の行動が合理的でないとは理解しているのだろう。
「でも」
「もう一度言うよ、無駄無駄。ほら、理解したら帰ろう」
兵馬は畳み掛けるようにそう告げ、白身魚のフライを口に運ぶ。
ザク、ザクと衣を噛み、下を向いたままの詩乃を尻目に、アルベール家へ帰るべく踵を返し……
「兵馬のバカ!!」
「な……」
大声で叫んだのはプリムラだ。
「どうしたのさ」
「急に何、プリムラ」
叫んだプリムラへと奇妙な物を見るような目が向けられる。
兵馬と、庇われた詩乃までだ。この二人は共通して、あまり感情の起伏を好まない面がある。
劇的な叫び声に対し、そういうのは寒いとさえ感じるタイプだ。
後方から攻撃を受けたような格好に、プリムラは少したじろぐ。
「ええ、せっかく庇ったのに……じゃなくて!」
だが、すぐさま気を取り直し、兵馬へと指先をピシリと突きつける!
「詩乃は冷静じゃないかもしれないけど、兵馬のそんな言い方はないよ!!」
人形の指摘に、兵馬は首を傾げる。
「冷静じゃないなら周りの人間が指摘して止める。それでいいじゃないか。助け合い。合理的だろ」
「合理的じゃなくていいの! 家族だよ!? 詩乃にとって大切な家族! それを、さっさと帰ろうみたいな…そういうのダメだよ!」
「……死んでたら、どうしよう」
プリムラの擁護に、自身の抱えている茫洋とした不安を明確に認識したのだろう。
詩乃は長い睫毛を伏せ、物憂げな表情を浮かべている。
「家族ね」
その様子に、兵馬はプリムラの言い分に一理あることを認識して唸る。
「うん、悪かった。二人ともごめん」
兵馬は帽子を取り、軽く頭を下げる。意見に固執しないタイプ、非を認めるのが早いのは旅歩く彼なりの処世術。
「思慮が足りなかったよ。プリムラの言う通り、家族なら少しの可能性も辿ってみるべきだね」
「……うん。私はそうしたい」
兵馬の言葉に、詩乃は小さく頷く。彼女には珍しく、明白な意思表示だ。
「わかればよろしい! 行こ、詩乃!」
プリムラは偉そうに頷き、頭一つ背の高い兵馬をペシペシと撫で、詩乃の手を引いて城の方向へと歩き出す。
そんな二人の背後、立ち止まったままに兵馬。
「家族ね。そんなに大事なものだったかな」
ぽつりと。表情は虚ろ、まるで人間味が欠落しているかのような。
しかし彼が漏らした小さな呟きは、誰の耳へも届くことなく春風へと溶け消えた。




