最終話:きっと世界は優しいのだろう
さて、粘土板へ薬草・毒草・美味しい野草の区別を書き記している俺達だが足の悪い子は基本的に洞窟でしか寝泊まりできない。
梯子だと義足では上り下りが難しいしな。
でもやっぱり寂しいのだろう。
「ぼくもあそこでいっしょにねたいなぁ……」
「そうか、そうだよなじゃあ、俺の背中につかまって一緒に登るか」
「わーい、あいあとかみたま」
俺は足の悪い子を背負って高床式住居のはしごを登る。
「しっかりつかまってろよ」
「あい」
はしごを登りきるとワイワイ騒いでる子どもたちがいた。
「おーい、この子も一緒にあそばせてやってくれ」
「あーい」
「なにしょっかー」
「なにしてたのー?」
どうやら一緒に遊ぶことにはみんな問題ないみたいだな。
もちろんいまみたいな小さいうちは背負ってあげたりして高床式の家に入れてあげることは出来るが大きくなるとそれも難しくなってくるだろう。
21世紀だとエレベーターなどがあったりホームエレベーターをあとづけしたりして足の悪い老人などでも高い所への上り下りが大変でないように出来るがこの時代には当然エレベーターなどはない。
「できればなんとかしてあげたいんだけどな……」
やるとしたら高床式住居の入り口までを緩いスロープにするか幅の大きな階段を作るかだろうか。
とはいえ高床式の入り口を梯子にするのは害獣や害虫を入ってこさせないための手段でもあるんだよな。
「あんまり床が高くなくて入りやすい広い高床の家をみんなで作るとするか」
もちろん狭くても高いツリーハウスとかもあるわけで、そこにはいけないのはどうしょうもないということになるけどな。
・・・
俺がこの時代のここに来てからは衣食住の心配のない平和な生活が続いていてる。
金持ちや権力者が一般大衆の生殺与奪権を握っている21世紀とは大きな違いだ。
「食べるものをみんなに行きわたるように訳あって誰も食べるのに困らなければ、後はみんなで楽しいこと探しするだけでいいもんな」
「そーだねー」
フローレス人も楽しいこと探しは大好きだ。
彼ら彼女らにはずいぶん助けられたよな。
「そうですよね」
サピエンスたちもずいぶんと明るくなったよな。
食べるものは充分あるのだからみんなが満足するだけ分け合って食べても全く問題はない。
誰かだけが一人締めしようとするから争いが起こるのに何故人間は争うことをやめられなくなったのだろうか。
造物主と言われる存在がいるなら人間の愚かさを嘆くのは当然だろう。
無謬の存在であると言うならなんでそんな失敗を犯したのかとも思うが。
「まみさま、おいもとってきたー」
「かみさあ、かいもとってきたよー」
「そうかそうか、じゃあみんなで煮て食べような」
「わーい」
「たべゆー」
子どもたちがまだ小さくても自分たちで出来ることはやるし、焼き畑での農作業もみんなで混じって行う。
まあ子どもたちは飽きたら別のことをし始めてしまったりもするが。
「うまいな」
「おいちー」
「うまー」
勉強だの何だので競争を強制し社会に出ても競争をさせられる社会は優しくないと思う。
だが、みんなで食べ物を分け合い出来ることを分担して争わないですむ社会は優しいのではないだろうか。
「ずっとこうやってのんびりみんなで暮らせていけるといいな」
「だいじょぶー」
「いけるよー」
そうだな、きっとこれから先ものんびり暮らしていけるのだろう。
いずれは氷河期が終わり海面が上昇してスンダランドは島になり済んでいる人間もいろいろな場所に散っていくのではあろうけど。
それでも世界は優しくあり続けるのだろう。
人間が争うのは世界のせいではないのだから。
そろそろネタなどもつきてきたのでここで一旦完結します。
続きを思いついたらまた番外編などは書くかもしれません。




