53話 騎士と後悔
「半分、正解だ」
グラナダは振り絞るように言った。
「俺は君の死体を見た。何より、君を“そう”したのは俺だ」
青い目はまっすぐ私を見据えた。その目はいつも通り、強い意志を感じさせた。けれど何より、私が言葉を失ったのは、その目が後悔に塗れていたからだ。
いつも強く、気高く、自身は正しいと胸を張り、記憶にある限り、ひたすら忠義に厚かった青年。そんな彼がこんな目をしたことはない。
ただ一度を除いて。
私は一度だけ、その目を、その顔を見たことがあった。
塔から落ちていくその瞬間。
ただ落ちていくしかできない私を、彼は助けようとでもするように手を伸ばした。その時の目だ。
私を殺した、20回目。
落ちながら、自由になったことに気づいた私と同じように、彼は落ちていく私を見ながら自由になったことに気が付いたのだ。
お互い、遅すぎたと思いながら。
可哀そうな人だ。
口に出せば、それが侮辱になるとわかっていたから、私は口を噤んだ。
「……あなたがそう思う必要はありません。何も、私たちはできなかったのですから」
「確かに、今まで殺した19回はそうだったかもしれない。俺は君を殺すしかなかったし、君は殿下と聖女を殺すしかなかった。……でも1回目は違う。俺は明確な意思を持って、君を殺した」
「ええ、殿下たちを守るために。あなたの選択は間違っていません」
「間違っていた」
淡々と、けれどきっぱりと彼は私の言葉を否定した。それは十分想定の範囲内だった。だが私は彼に書けるのにふさわしい言葉など持ち合わせていない。いやきっとどのような言葉も、彼には響かない。
「あの時点で、君があの塔に閉じ込められた時点で、殿下たちの安全は確保されていた。あとは、法が君を裁くだけだった。……なのに俺は、独断で君を殺すと決めた。幽閉や他の罰では足りないと思った。思ってしまった。ただの一騎士でしかない学生の身である俺が、君を殺すと決めて、それを実行に移した」
私は、彼にとって目を逸らしたい現実だ。罪の証だ。一度ラズベリーパイになったにも関わらず、何度でも彼の目の前に現れる悪夢。
「俺は、俺のために、君を殺した」
青い目は怯えていた。恐れながらも、私を見るのをやめない。
ああ、と私は唐突に理解した。いつかに彼が口にした言葉を。
『いつまでも怖いものを克服できない』
いつまでも私が、グラナダ・ボタニカを恐れるように、彼もまた恐れているのだ。
「あなたは、わたくしが恐ろしいのですね」
私がいつか、再び罪を犯す日が来るのではないかと怯えるように、彼もまた、再び私を殺すのではないかと怯えているのだ。
少なくとも、1周目、私たちは私たちで人を殺す道を選んだのだ。
私は自らの欲望のため。
グラナダは自らの忠義のため。
「俺は、君を再び殺す日が、恐ろしい」
彼はそこから、繋げるべき言葉を見つけられなかったのか、黙り込んだ。私に口を開くよう促すでも、それ以上語るべき言葉を持たないと壁を作るわけでもない。ただ。シンプルに、何も考えていなかったのだろう。私を殺すことを恐れていると言って、だからどうとか、私にどうしてほしいだとか、そういう意図のない無計画さがその表情から読み取れた。
「あの日、フレッサに迷いこんだ俺を、君が助けに入った時から、ずっと考えていた。君は間違いようもない善人だった。君のことを殺した俺を見殺しにせず、森の外まで連れて行った。君は気づいていただろう? 俺がかつて君のことを殺した奴だと」
「……気づいてはいました。ええ、だから私は、一時はあなたのことを見殺しにしようとしました。私も、いつか私を殺すあなたが、恐ろしかった」
あの日のことは、今も鮮明に思い出せる。だがそれはもう、恐ろしさや陰鬱さ、後悔ではない。ただ既に起こった事実としてシンプルに捉えていた。むしろある種の清々しささえあった。
「私はあなたを見殺しにしようとするくらいには、矮小で、愚かでした。幾度とない人生を歩みながら、絶望の中でようやく希望を、自由を得たとしても、私の性根は卑怯でした」
未だ何も知らないかもしれない子供を、我が身可愛さに見殺しにしようとした。
そう思考したうえで、私は選んだ。
「でもあの日、あなたの姿を見て、ただ怯え生きるのではなく、善良たらんとしました」
私はどこまでも身勝手であった。人を人と思わず、命を軽々に扱った。全くもって救いようのない悪党であった。それこそ、死んで、殺されて当然なほど。
けれど私が落ちていく最中、自由になった彼は私に手を伸ばした。
幾度となく悪党を殺し続けたグラナダは、その瞬間私を助けようとした。助ける理由など、どこにもないことは明白であるというのに。
ただ落ちていく人間を、理由もないままに助けようとするその善性は、私には持ちえないものだった。
私はそれに呆れていた。
だが同時に、私はどうしようもなくそれに憧れてしまった。
「ただただまっすぐに善良足らんとするあなたを、見殺しにはできませんでした」
恐れていたのは事実だ。だが憧憬を抱いていたのも事実だった。
「あなたはきっと、わたくしがまた間違えない限り、わたくしのことを殺そうとはしないでしょう。幾度となく殺されたわたくしが保証します」
「……君は、再び罪を犯してしまうのではないかと、恐れることはないのか」
「怖いですよ。今もずっと。間違えてしまわないか。でもさっきライラ様も仰っていたでしょう? そのためにわたくしたちは協力しているのです。わたくしも、あなたも、一人ではありませんわ」
また間違いを起こしてしまうなら、その前に相談を。それでも間違った道を行こうとするのなら、どうか連れ戻してほしい。
「…………また今までのように自分で思った通り行動も、発言もできなくなったとしたら」
「もしそうなればもう仕方がありませんわ。皆きっと同じようになっているのでしょうし」
「それはそうだが、」
「でももしわたくしが死んで、また子供の時分に戻されるのであれば、わたくしはまた、幼いあなた方を探すことでしょう。今度こそ、うまく行くと信じて」
そう笑うとグラナダは言葉を失った。けれどそれは驚きや絶望ではないとわかっていた。きっとそれはある種の気づきだ。
これまで私たちは誰に相談できることもなく、ただ無為に人生を過ごしてきた。けれどグラナダやライラたちと出会い、言葉を交わし、同じ希望を抱いた。それは再び死んだとしても変わらない。私たちにとって変わることない希望なのだ。
何者にも縋れない私たちは、ただ一つ、語り合い見出した希望だけを見据えるだろう。
「……君は、本当に別人のように変わったな」
「ええ、善く生きたいと思っていますので。ですからどうか今世は殺さないでくださいね」
「そういうブラックジョーク、俺はギリギリ受け止めきれるから良いが、ライラにはするなよ。彼女は絶対耐えられない」
「ライラ様が気にすることはないと思うのですが」
「君が変わらず悪人であったなら気にはしなかったさ」
ふとどこかから楽しそうな声が聞こえてきた。どうやら数名の生徒がこちらへ向かってきているらしかった。
「そろそろ戻ろう。ライラも落ち着いている頃だろう」
「ええ、本当にライラ様が気にされることではありませんし!」
ベンチから立ち上がり再び校舎内に戻ろうとして、足を止めた。
自分の中にある不安に関して、皆の前で口にすることには躊躇いがあった。だから今聞いておきたいと突然思い至ったのだ。
「ピナ?」
「一つお聞かせください。わたくしが死ぬまでのあと数年、その結末を逃れるためには何が必要だと思いますか」
見上げた青い目がつるりと、作り物のように鈍く光った。薄い唇がかすかに笑う。
「……それについて、これから話し合おうか。いい加減、そこについて皆がどう考えているのか知りたい。目指すべき目標は同じでも、たぶん、俺たちは思い描いている道筋が違う。うすうす違うとわかっていたからこそ、ここまで誰も口にしなかった」
「……グラナダさんは、どのようにお考えですか」
「俺は打って出るべきだと思ってる」
「……打って出る?」
どこか不穏な生ぬるい風を感じた。先ほどより近づいているはずの生徒たちの声が、ずっと遠くに感じる。
「諸悪の根源を叩くべきだ」
迷いも躊躇もないその表情に、私はそれ以上詳しくこの場では聞けなかった。




