49話 魔女と過ち
「暗くなる前に帰ろうとするのは良い心がけだけど、私のお迎えを待てないのはよくないわ……あら、なんだか顔色が悪い? 血の気が失せているように見えるわ」
夕日の中なのに不思議ね、とおどけているような言葉を真剣に口にしながら私の両頬に触れた。
「あなたどこか様子がおかしいわ。図書館でいったい何があったの?」
「わ、たくしは」
「うん?」
「わたくしはまた、あなたを殺そうとしてしまうのでしょうか」
まあるい紫色の瞳が丸くなって、それからゆっくりと瞬いた。
ライラは応えるよりさきに私の手を取って踊るように足を進めた。軽やかであるが優雅な足取りに、私がつんのめることもない。日の落ちかけた校内は人もまばらで日中とはまるで違う場所のようだった。
「可愛い可愛いラズベリーパイ。今度は何が怖くなってしまったの?」
「……また、わたくしが間違いを起こしてしまうことが」
「間違いを起こしてしまう理由があるの? あなたは私やラウレルを殺したいの? 自分のものにしたいの?」
歌うような問いかけは優しく冷たく私の中へと入り込む。ライラは答えを最初から持っている。私のことも、自分のこともきっとまるで疑わない。
「いいえ、まったく」
「じゃあ大丈夫よ」
「でも、わたくしはまた、無意識に毒草の活用を行おうとしていました」
「それはどんな風に活用するの?」
「……鎮痛剤の効果があり、麻酔として利用しようと思いました」
「それはいけないの?」
「いけなくは、ありません。ですが、数多の薬がある中で毒草から麻酔薬を精製しようとすること自体が、」
「麻酔を必要とする誰かのための薬でしょう。何でできていても。ある一面から見たら毒かもしれない。でもある一面から見たら人を救うための薬でしょう?」
澄み切った瞳が異論は許さないとでも言うように私を射抜いた。
「ラズベリーパイ、あなたは仲間。私たちの友人。私たちと助け合う人。あなたが毒草をもって薬を作ろうとしてもそれは変わらないわ。あなたが優しい人だって、あなたが怖がりな人だって、未来のためなら勇気を出せる人だって知ってるわ」
「で、ですが毒草を敢えて使おうと」
「あら、あなたはきっと毒草の活用が得意なのね。なら隠してないで伸ばしていかないと」
私の言葉など風に攫わせるようにライラは淡々と言葉を重ねた。
紫色の瞳は疑っていない。万が一にもあり得ないと胸を張るように。彼女にそう言い切られるだけで、私の不安は溶けてどこに逃されて行く気がした。
「何も心配いらないわ。だって私が付いてるんだもの。私がいて、ラウレルがいて、グラナダがいる。この3人が仲間になっていて、あなたが恐れることがあるとでも思う。あなたが愛し、嫌い、恐れたものがあなたの味方なのよ。怖いものなしだと思わない?」
ごく自然に、ストンとその言葉が肚に落ちた気がした。恐怖も警戒心も疑心も剥いで捨て、自分の言葉を信じさせる。聖女という肩書だけでない、その無垢さや天真爛漫さ、甘やかな傲慢さに、きっと人はついていこうとするのだろう。
「馬鹿な子ね、大丈夫。あなたが間違えたなら私たちが連れ戻すわ。だって役に立ってもらわないと困るもの。私たちの友人として、生きていて。魔女にもラズベリーパイにもさせないわ」
「で、もたとえわたくしが間違えずとも、毒物を扱うことを理由に、誹謗中傷されたら、皆様にもご迷惑をおかけしてしまいます」
「あら、奇跡を起こす清らかな聖女と神童と名高い王太子が“それが正当”であると認めてなお、誹謗中傷できる輩なんて随分と面の皮が厚いのでしょうね。ぜひ名前を聞いてみたいところだわ」
綺麗な顔を歪ませることなく美しく微笑む口元から繰り出される言葉は容赦がない。きっと私にしか聞こえていないだろうけれど、彼女がこんな言葉を吐いていると知れば同級生たちは耳を疑うことだろう。
でも私は知っていた。彼女はこういう子だ。清く正しい聖女なんかじゃない。強くたくましく、頼りになる子。
「私たちの目標はあなたが死なない未来なの。その未来にたどり着けるなら何をしても良いでしょう。せっかく好きに動けるなら、好きにした方がいいわ。好きなことができるのは、とっても楽しいもの」
最強のケツ持ちがいるのだから遠慮せずに好きになさい、と半ば歌うようにライラは言った。
昼の温かさを残した風がライラの白い髪を弄った。マナーも気品もあったものではない。でもそれでいいのだと思えた。口をあけて笑うと、自分の中にたまっていた不安の欠片が外にとびだしていなくなってしまった気がした。
「ねえライラ様」
「なあにピナ」
「あなたはどんなことをしたいですか。あなたが楽しいと、嬉しいと思えることの手伝いを、わたくしもしたいんです」
ライラは急に足を止めそれから両の瞼を閉じた。紫の目が、薄い瞼に覆われる。けれど今の彼女なら、瞼越しに何かを視ているような気さえした。
「……楽しいことも、嬉しいこともいっぱいあるわ。この世界はとっても美しい。でもね、私が何より嬉しいと思うこと、楽しいと思えることは決まっているの」
「……それは、いったい何ですか?」
「内緒。まだね。でもきっといつか言えるわ。もう欲しいものが目の前にある気がするの」
ゆっくりと瞼が開かれる。その目は沈みゆく夕日のさらにその先を睨みつけているようだった。
「さあ! もう寮へ帰りましょう。勉強熱心なフレッサ嬢にお付き合いしていたら遅くなってしまったって、寮監に言い訳しなくちゃ!」
きゃらきゃらと軽やかに笑う彼女の後ろをついて歩く。
彼女の欲しいものが何なのかわからない。けれど、彼女は欲しいものや願いのために祈ったりはしないのだろうと思った。鋭いあの目で見るように、きっと彼女は自らの手で掴み取ろうとすることだろう。
週末は学園の授業も休みの日。学園の敷地内にある教会で早朝から祈りを捧げればあとは授業もなく自由の時間だ。それぞれが趣味に耽ったり、勉強の予習復習をしたり、友人たちと町へ繰り出したりと思い思いの時間を過ごす。
「それにしても、デートの相手が私で良かったんですか、お嬢様」
「あなたが良かったのよ。それからそれは私のセリフ。ライラ様じゃなくて申し訳ないわ」
茶化すように口の端で笑うプロフェタに冗談半分で返事をする。
学園に入ってからはあまり接触の機会がなかったプロフェタ・バロ。もとはと言えば危険人物である私の様子を見に来ていたのだ。それが比較的品行方正で聖女との関係も良好。ライラと私の伝令という役割も務めていたプロフェタだったが、入学して寮暮らしとなった今では窓からの来訪はなくなった。私とライラがともにいるということもあるが、万が一夜の学園内に侵入していたと知られればいくら人智を超えた力を持つ予言者と言えど、無罪ではすむまい。
そんな彼は時折学園内に現れる。ライラが他の信者を介して呼び出すとき、それから図書館など民間人の立ち入りが許されている場所。そして週末の祈りの際に司祭や信者に紛れて姿を現す。今日はそんな信者に紛れていた彼を捕まえたのだ。
「それじゃあ、これよろしくお願いします」
「ええ、確かに承りました。ではうちの配達員に預けてフレッサ領へ持っていくよう頼んでおきますね」
「……くれぐれも」
「届け先はお父上ではなく伯父上へ、でしょう。わかっていますよ」
どこか微笑ましいものを見るようなプロフェタの表情に辟易とするが、わざわざ追加で説明する気にもなれず、持ってきていた封筒を彼へと渡す。
郵便は寮母を通して郵便局へ頼むことはできるのだが、安全性を信じ切ることができず、こうしてアガヴェー教団内のネットワークに便乗させてもらっているのだ。
プロフェタが用意した地味な外套を羽織り歩き出す。休日ということもあり街の中は活気にあふれていた。
「いつまで親子喧嘩をされているんですか?」
「……親子喧嘩に見えますか」
「見えますねえ」
プロフェタは口元に手を当てていたがその向こう側でにやにやと笑っていることは想像に難くない。
喧嘩、などとは思っていない。もはやどう折り合いを付けたら良いものかわからない。いやむしろ、未来を知っているからこそ、決して私と父イエーロとの関係性が好転するはずがないと確信していた。何をどう足掻いても、あの人は娘を捨てるような人なのだ。
「娘の無茶を心配する父親、なんてごくごく一般的でしょう」
「なぜその喧嘩の内容まで知ってるんです」
「耳はいくらあっても構いませんので。お嬢様は何が気に入らないのでしょう。過干渉な親というのは得てして鬱陶しいものですが、旦那様はむしろ放任主義。たまに本気で心配するのは良い塩梅では」
「あなたのお父様はいかがでしたか」
「父も母もいませんが。いないことくらい想像ついていらしたでしょうに、嫌味にしては大人げなさすぎませんか」
「大人げなくわたくしを揶揄ってらっしゃるので、多少の仕返しは覚悟の上かと」
さして気にした風もなくプロフェタはため息を吐いた。
教会に仕える者は親族がいない者、孤児が多い。貴族の末子が修道院にやられるケースはあるが、プロフェタが予言者となった経緯や普段の振る舞いから家族に恵まれた者でないことはわかっていた。
意地悪が過ぎたと反省はするが、それでもこれ以上イエーロのことについて追及されるより幾分かマシだ。少なくとも私の持つ、いつか捨てられるという不安と不信感はプロフェタに説明のしようがない。
私たちの間に流れる硬い空気を吹き飛ばすように少し暖かい風が吹き抜けた。
「もう夏も近いですね。ああほら、そこのお店ではハーブウォーターを出しているようです。これからの季節にはもってこいですね」
プロフェタが指した先には賑わっている露店があり、いくつもの瓶が並べられていた。花や果物が浸かった瓶に相応しく店先にはいくつもの花が飾られ、華やかな様子だった。
教会が処方する薬ではなく、貴族が嗜む娯楽品でもない。市井の人の生活に花と健康を添える。それは私が当初考えていた理想に限りなく近い姿だった。
「ええ、本当。うまく行って良かった。あなたも満足な善行でしょう」
「今日のお嬢様は随分と皮肉っぽくいらっしゃって困ります。ですがええ、素晴らしいことを為されたと心から思いますよ。他の誰にもできない、あなただからこそできた善行です」
「わたくしの未来は、善いものになるかしら」
本気で気になっているのか、あるいは戯れの延長なのか、私自身にもわからなかった。案の定、プロフェタは困った顔をする。
「……お嬢様、私の予言は夢によって得ます。そして、」
「そう簡単に一点のみを望むまま見ることはできないでしょう。わかっています」
プロフェタの見た未来は、自由になった私にとって暗いものだ。災厄を齎す。私は誰も傷つけず、生きていければそれで良いと、家族が無事ならそれで良いと思っていた。自由になってなお、私は善く生きることもできないのかと自嘲する。
だがそれは決して、足掻くのをやめる理由にはならない。
「ごめんなさい、あなたを困らせたかったわけではないわ。ただちょっと、聞いてみたくなっただけです」
「また何か見ましたら、必ずお伝えします」
人々の活気溢れる雰囲気が徐々に薄くなる。周囲の店は減り、人々の話し声はなくなっていく。整備された石畳の道は舗装されていない地面に変わり、手入れのされていない草本や木々が増える。
街のはずれには人影はなく、ここにいるのは私たちだけであることは確認するまでもなかった。
「つきましたよ。それにしてもこんなところになんの御用ですか。はずれにある尖塔へ行きたいだなんて」
今私たちの眼前には高い塔がそびえたっていた。
高い高い、高い塔。
私が幽閉され、そうして潰れた高い塔。




