48話 魔女と司祭
学園の敷地は王都に位置しているにも関わらず広大だ。座学を受けるための校舎が6棟あるだけで多いというのに、敷地内には学生寮、食堂、教会、闘技場、ホール、乗馬場とあらゆる施設が軒を連ねている。そしてその中で最も大きいのが図書館である。
学園の図書館であるが、許可があれば学外の者が利用することもできるため、王立図書館に次ぐ蔵書数と利用者数を誇る。もっとも、学外の利用者というのは厳重に審査を受けた研究者や専門家など限られるのだが。
「ラズベリーパイ、根を詰めすぎちゃダメよ?」
「ええ、ご心配ありがとうございます」
「生徒から喧嘩を売られたり絡まれたり誹謗中傷されたらすぐに言うのよ?」
「重々気を付けますが、その時はご相談させていただきます」
「知らない人にはついていかないこと」
「当然です。わかってますから」
ライラとのルーティンと化した茶番を交わしながら、彼女の後ろ姿を見送った。
先日グラナダが教えてくれた複数の人目につかないスポットの中で、私が頻回に利用することになったのが、この図書館の端のテーブルだった。本棚に追いやられるように、所狭しと置かれたテーブルと椅子は見事に表から見えない。もともと図書館自体巨大な建物なのだ。その奥ともあらば、生徒たちもなかなか近寄らない。
授業後空いた時間があれば私はここで過ごしていた。ライラたちとそこで課題をすることもあれば、一人でひたすら本を読みふけることも多い。そうして一人で過ごすことになっても、3人のうちの誰かがここへ送り迎えをしてくれる。あまりに心配性が過ぎると思うのだが、あえてそれを固辞してはいなかった。端的言って、少しそれが嬉しいのだ。
そして何より、私は知識を求めていた。
知らないことが多すぎることに加え、学内では実際に薬草を使用した薬の開発が難しい。新薬や薬草の栽培については手紙でアルフレッドとやり取りをするしかないのだが、どうしてもやきもきしてしまう。フレッサ領の価値を高めるために、製薬事業の展開は欠かすことができない。実際の調合はできずとも、この図書館にはあらゆる知識が収められている。それを少しでも自分のものにしつつ、自領の事業に活かしたかった。
たとえ今回、私が誰も殺さず、殺されなかったとしても、未来は続いていくのだ。
子供のころは、ただ逃げ続けるだけであるいは引き篭もっているだけで良いと思っていた。そうすれば生き残れると。けれど今ではそれがいかに浅慮であるかを知っていた。生き残った先にも、未来があるはずなのだ。私が生き残ったとしても、王弟に与した原因である領内の産業の不安定さや私兵の維持について考えていかなければ何も解決しない。
私一人、部屋に引き篭もっていれば良いだけの話ではないのだ。
薬草に関する書籍をいくつか選び取り、テーブルへと運ぶ。薬学に関して、授業で取り扱うことはない。それでもそれらに関する書籍を取り揃えていてくれるのはありがたかった。子どものころから薬学に触れられる環境にあった。それが一般的でなく、自分が特異であると知ったのはこの学園に入ってからだった。流行り病の特効薬を作ったという成功経験、学内の誰とも違うという特異さゆえの万能感。
自由になった今でも、その感覚を忘れるべきではないと肝に銘じている。その快感は、きっといつだって人を狂わせる。謙虚さを忘れず、自分の目的を忘れず。
「ヒヨス」
「へ?」
「気になりますか?」
私が本を読み始めてどれだけ経っただろうか。気が付けば本棚の合間から差し込む光は橙色に変わっていた。
夕日を背負って立つ男性は柔らかな表情で笑っていた。あらゆる考えが脳内をめぐり、警戒音が自分の中でけたたましく鳴り響いた。しかしそんな私の考えを見透かしたように、男性は首から下げていた入館許可証を私へ見せた。
「怪しい者ではありません。私は王都の第6教区の司祭のプルケと申します」
「第6教区、というと」
「中心街からは少し離れた場所です。住宅が多く、商業的に栄えている場所ではありませんので、フレッサ様がご存じないのも当然でしょう」
よくよく逆光となっている姿を見ればアガウエ―教らしい白装束で、その衣装には幾重にも世界が重なることを示す重なり合う葉の刺繍が施されていた。
流行り病の特効薬となるルビアシアの木の栽培にあたって、アルフレッドとともに複数の教会を回ったがそれはあくまでも街から離れた僻地ばかり。王都付近の教会へ出向く機会などなかった。
「イエーロ・オルゴーリオ・フレッサが娘、ピナ・オルゴーリオ・フレッサと申します。わたくしをご存じなのですか?」
「失礼いたしました。神の従僕たる我らのうち、あなた様を存じ上げない者はいないでしょう。家族を救いたいという純粋な祈りをもって、聖女ライラ様に呼びかけられたという」
「え、ああ……それは」
思わずしどろももどろになってしまう。アルフレッドを救うため、王都にいるライラへ直談判しに行ったことを知っているのは、ライラの傍に仕えている者と王宮の一部の者だけだ。それ以外、それこそ身内であるイエーロや当事者であるアルフレッドすらその真実は知らず、「森の中で三日三晩祈っていた」ということになっているのだ。つまり実際の場に居合わせなかった者はその私の嘘を今も信じているのだ。ルビアシアを育てるために教会を巡った時の信者たちの目線の居心地の悪さを思い出した。
「あの時はわたくしも必死だったと申しますか……」
「ええ、ええ、お身内の危篤とあらばそうもなるでしょう。しかもその後もハーブウォーターの啓蒙の助力や、解熱剤の材料となる樹木の提供など、アガヴェー教に多大ご貢献をいただいていると耳にしております」
「み、身に余る光栄です。しかしわたくしはいつもわたくしにできることをしているだけですので」
「ああライラ様と同じように謙虚でいらっしゃる」
なんと返答するのが正解かわからず愛想笑いを浮かべておく。日は傾き始めていて、図書館を出ていくのもおかしくはない。
開いていた本を手に取った時、プルケは再び囁いた。
「ヒヨスに、ご興味が?」
「ええ、そうですね少し。何かに使えないものかと」
「ヒヨスと言えば幻覚に催淫作用。あまり良い話は聞きませんが」
「そのように、毒性にばかり注目され敬遠されますが、その分強い麻酔の効果もあります。用法容量や煎じ方を検討すれば適した使い方もできるかもしれません」
どこか咎めるような声色の彼の視線を遮るように本を閉じた。
ヒヨスはまさしく毒草である。麻酔の効果は確かであるが、接種方法を間違えれば強い幻覚剤になる。だがだからこそあまり使用されず、解毒薬の研究以外あまりされていない。ヒヨスだけではない。一定の毒性が認められた植物は敬遠される。
つまり毒性が強い植物で作られた薬は競合がいない。つまりシェアを独占できる。精製方法の詳細を伏せておけば、その危険性から後追いする者も少ない。そのうえ草本はあまり場所を取らず、ルビアシアといった樹木よりはるかに成長が早い。
うまく行けば市場を独占できる。
ルビアシアと違い特定の疾病に関する特効薬でなければある程度独占していたとしても許される。そして取り扱いの困難さもその理由になるだろう。
「それに、ヒヨスの花は美しいでしょう? ちょうどこの時期に咲くかと思います」
紛れもない打算で、金勘定だ。
花が美しいだなんて、浮かべた笑顔と共に白々しいと言われてもなんの反論も浮かばない。
「……確かに、花は美しいですね。ベラドンナやアサガオとも似たラッパのような形。ですがそのどれも幻覚を齎す毒性があります。幻覚は酩酊とも似ていて、神事でテキーラを飲み行う良い酩酊とも同一視できるかもしれません」
「……幻覚と神事における酩酊を同列にはさすがに語れませんわ」
「慎重で助かります。流石ですね」
改めて見れば、司祭は赤い夕陽に包まれ今にも燃え上がりそうなほどの赤を纏っていた。
「悪しき酩酊は狂気を齎します。そしてその酩酊に誘うラッパは推奨されません」
「……ええ、異論はございません」
「…………私のような修行不足、浅学の者が説くなど、不要でしたね。ご無礼をお許しください。ただ少し、ええ、心配になっただけでございます」
まるで風見鶏が振り向くように、プルケは声色を一変させた。あからさまな明るい声は、いっそ道化のであるのに、その明朗さは不安を覚えさせた。
「では、もう時間も遅いので寮に戻ります。プルケ様はどうぞゆっくりなさってください」
得も言われぬ不安感に従い席を立ち、帰り支度を始める。
プルケは決しておかしなことは言っていない。むしろ言葉自体は好意的と言えるだろう。けれどなぜか私は警戒心を覚えていた。彼はただの敬虔な司祭だ。少なくともそう見える。
「フレッサ様」
「ええ、」
「毒草の取り扱いにはお気を付けください。効能は毒にも薬にもなるでしょう。しかし常に人の命を奪いかねないものです。そして毒物を取り扱う者は往々に、悪意ある者によって悪役に仕立てられがちです。人は、強い者や特異なものを恐れます。恐れるゆえに攻撃しようとするのです」
プルケは変わらず笑みを浮かべていた。私の行動を純粋に諫めているようにも、脅しているようにも聞こえた。
「お帰りのところ引き留めて申し訳ございません。私はたびたびこちらの図書館に来ていますので、またお会いしましょう」
「……タイミングが合いましたら。それと、先ほどの言葉も肝に銘じておきます」
「少しでもお役に立てれば光栄です」
バッグの中に筆記用具や本を詰め足早に図書館の入り口を目指す。
ひどく落ち着かない気分だった。みっともなく地面に寝転がってしまいたいような、持っているものすべて地面に床に叩きつけて走り去ってしまいたいような、そんな気分だった。
毒物を持っていれば、無実だとしても濡れ衣は着せられやすい、世間からそういう目で見られやすい。どうして私は他人から指摘されるまで気が付かなかったのだろうか。そんな簡単なこと、少し考えればわかったはずのことだ。薬草など数多にある。にも拘わらず私はなぜ毒草を選んだのだろうか。不安感の正体はプルケではない。軽率で浅慮な自分自身に不安を覚えているのだ。
何も考えなければ、これまで死んでいった自分に近づいてしまうのではないかと。
「あらっ、危ないわラズベリーパイ。私が迎えに来るまで我慢できなかったの?」
「ライラ様……」
図書館の入り口には不思議そうな顔をした聖女が立っていた。




