47話 魔女と友人
新しい季節が始まった。
あたりには同世代の子供たち。これまで屋敷、もしくは森の中でしか基本的に過ごしてこなかった私には荷が重かった。少なくとも、ループしていた時はある意味で無責任でいられたのだから。
「ああ、あの4人はいつも一緒にいらっしゃるのね」
「本当に。神童と名高いラウレル殿下に、今代の聖女様。なんて神々しいのかしら。お近づきになってみたいけれど、あの中には到底交ざれないわ」
「ボタニカ様も殿下直々に指名された護衛らしいわ。男爵家の家系でも抜擢されるほどの腕と、お兄様から聞いています」
「それにフレッサ嬢、薬の開発をしていて先の流行り病の特効薬を作っただとか。そういった縁もあって聖女様と懇意になさっているらしいわ」
あちらでこそこそ、こちらでぼそぼそ。私は長らく噂される側ではなく、噂する側だったのだが、これほどまでに居心地が悪いものとは知らなかった。
「ほらラズベリーパイ。表情が強張っているわ。もっと自然に笑って」
「そ、そんな顔をしていましたでしょうか……」
「口の端が引きつっていたのは確かだな」
ラウレルの言葉に思わず頬に手が伸び欠けるが、その手をライラが素早くとって美しく微笑む。
「幼子たち相手に緊張する必要はないわ。彼らはあなたのことを尊敬の眼差しで見るでしょうけど、あなたはただの背景としてみれば良いのだから」
「さすがにそんな風には思えないかと……!」
「ラズベリーパイは甘いのね。あんなもの背景で良いのよ。どうせ彼らが何を思おうと口にいしようと何も変わらないわ」
ライラの声色は甘く柔らかいのに、その言葉はどこまでも冷たく無関心だ。けれど彼女の物言いにも随分と慣れてきた。
「……確かに、同じように繰り返しているのに、それに気づかず生きることのできる彼女らのことを“ずるい”と思ってしまうその気持ちもわかりますが」
「“ずるい”とかそんなことは言ってないわラズベリーパイ」
「そう聞こえてしまったので、違っていたなら申し訳ございません」
「……っ」
あからさまにむくれて足早になる聖女を苦笑いで見送ると隣にいたラウレルが笑いをこらえながら囁いた。
「よくもまあ彼女の図星が突けるものだね。下手したらその場で激昂しそうだ」
「そう簡単に激昂されることはありませんわ。周囲の目もありますし、よもや聖女様が、なんて噂されるようなことをするほど、彼女は軽率ではないでしょう」
くすくすと笑う私たちの背中を固い掌が軽く押す。その掌に思わず息が止まるが、それを気づかれないよう、ゆっくりと静かに息を吐きだす。
「ほら二人とも。思慮深いという聖女が少し先で俺たちが来るのを待ってる。揶揄うのもほどほどにしてくれ」
「揶揄ってなんかいないさ。彼女が可愛いという話をしていただけなのだから。だからそんな胡乱げな目でこちらを見ないでくれ」
少し先でふてくされたようにこちらを見るライラに向かって、少しだけきれいに見えるよう意識した笑顔を浮かべた。2度目の促しを待つことなく、足を速める。
「まさに持てる者たちって感じよね」
どこからか名も知らぬ女子生徒の噂話が聞こえたが、聞こえないふりをした。聞こえていても、聞こえていなくても変わらないのだと、きっとライラは鼻で笑うから。
持てる者たち。私たちはそう見えるだろう。それくらい、私たちは華々しいはずだ。
その実態が、殺そうとした者、殺されそうになった者、殺されそうになった者を助けた者、殺そうとした者を殺した者と、およそ怨嗟に塗れていようとも。
どうせその物語はここにはないのだから。
フレッサ領を離れ、王都にある学園に入学して早数か月。私たちは当初の予定通りの学園生活を送ることができていた。
4人一緒に過ごすこと。
これだけ聞けば仲良しな4人組のお約束のように聞こえるが、実態はそんな可愛いものではない。
ループ前、王太子と護衛はいつもセット、聖女は有力者や熱心な信徒と共に過ごし、私は取り巻きと一緒に過ごしていた。
この形はこの形でメリットはある。だがデメリットも十分あった。
王太子と護衛のセットは、護衛が何らかの理由で一時的に傍を離れなければならないとき、どうしても1人になってしまう。学園内とはいえそれは極力避けたいことであった。
聖女は常に人に囲まれ求められているが、各家の思惑や教会の思惑、ライラの養父の思惑などの柵も多く、辟易としていた。
そして私と取り巻きだが、彼女たちの家は悉く王弟派であった。学園内にいる間、王弟が直接的にコンタクトを取ってくることはない。けれど彼女らを通して私に指示をしたりコントロールすることは可能だ。間接的な脅迫も可能である以上、王弟派の家の子女に関わること自体リスクがある。
だがもしこの4人が一緒にいたらどうだろうか。
王太子は護衛がおらずとも一人になることはなく、いざとなったら奇跡が起こせる聖女が傍にいる。そして聖女は王太子の傍にいれば無礼な要求をしてくるものもおらず、王太子に遠慮して擦り寄ってくる者も減る。同様に、私もこのメンバーと共にいれば王弟派の子女に擦り寄ってこられることもなくなる。
さらに言えば私が王太子の傍にいれば辛うじて王弟の指示に従っているようにも対外的には見えるだろう。
王弟はさして私に期待していない。けれどもし私と王太子が懇意となれば、私をコントロールして害をなすことも可能と考えていることだろう。
まだその途中段階だと勘違いされれば、追加の指示をされることはないだろう。それでどこまでフレッサ家への圧力が軽くなるのかは推し量れないが。
そして周囲との壁を築く駄目押しとして、4人そろって成績優秀品行方正。試験では4人で学年の成績上位者を独占し、素行やマナー立ち振る舞いはその辺の大人と遜色ない。
当然だ。20年間勉強し続けた内容。中身はとっくに大人なのだから大人と遜色のない振る舞いをするのは至極当然。
人生1周目と自認している子供たち相手に大人げないと糾弾されるだろうが、大人げなくて結構。こちらも必死なのだ。
その結果、4人そろうことで体よく虫を払いながら、集団行動をするという安全性も確保することができた。
おかげで私たちは憧憬の的。視線や噂話にやや辟易とするが、余計な謀略からも距離を置くことができ、誰にとっても良いルートを進めることができていると自負している。
「ピナ」
一つ問題があるとすれば、私は未だにこの護衛が、かつて幾度となく私を殺してきた彼が恐ろしくて仕方がないということだろう。
「グラナダさん」
「なぜ中庭の目立たないベンチにいるんだ? 景色が良いわけでもないだろう」
中庭の中でも植木が鬱蒼としているスペースに置かれた小さなベンチ。すっかり隠れてしまっていたが、姿を隠したかった私にはちょうど良かったのだ。
「ライラ様と一緒にいたのですが、急に教会から呼び出しがあったみたいで。一人になってしまったのですが、近くに王弟派の子女の方々がいたのでとりあえず姿を隠そうと思って」
「……周囲に誰もいなかったが?」
「ベンチの下に薬の材料になる花があったので、どうにかして学園内で栽培できないかと考えていたんです」
ベンチや植木の陰に咲く小さな花。密集しているわけでもなく数株生えているだけで、おそらくどこからか種が運ばれてきたのだろう。学園内では勝手に調合も研究もできない。そして薬草などを見つけてしまうとつい持って帰り栽培したくなってしまうのだ。私が気を取られてしまっているうちに件の生徒たちは立ち去ってしまっていたようだった。どこか呆れているようにも見える無表情に恥ずかしくなり慌てて立ち上がった。
「……まあ勝手に栽培してはまずいだろうな」
「ですよね。グラナダさんはお一人ですか」
「俺も殿下と一緒にいたが、殿下だけ教師に呼ばれた。その間校舎をうろついていたらピナを見つけた。ここ、周囲からは見えづらいが、校舎の窓からはしっかり見えるぞ」
上からならほら、と指さされると思った以上に青空と校舎の壁がしっかりと見えた。
確か窓から見下ろせば私とベンチはよく見えることだろう。せっかく見つけた憩いの場のつもりだったが、どうやら穴だらけのようだった。
「少なくともこそこそと何かを栽培するのに中庭、という人通りの多い場所はあまり望ましくないかもしれない」
「それは、まあ……」
考えてみれば全くもってその通りなのだが、入学して今に至るまであまり学内を散策できていない。この学園には何度も通ってきたが、伯爵令嬢のピナ・フレッサは人目につかない場所や日陰など探したりしないため校内の様子について詳しくないのだ。ならば改めて散策すればよい、という話なのだが、それでも事情を知る3人と一緒にいない時間に一人で歩き回る勇気がない。いつなんとき、私は再び悪役に、魔女になりかねないと思ってしまう。少なくとも、彼らと一緒にいるあいだは、同じ過ちを繰り返さないでいられると思えるのだ。
ちらりとグラナダが校舎の時計に目を向けた。
「まだ時間もある。良ければ俺が見てきた場所も案内する。時間があるときに散策はしたんだ。俺は君たちと違って他の生徒に群がられたりすることはないからな」
「あ、」
私が何か言う前に、グラナダは明らかにハッとした顔をして、気まずそうに眼を泳がせた。
「ええと、殿下が戻ってくるまでにまだ、時間がある。だがもちろん、君にもつ都合があるだろうし、入学して間もない。生活が変わったことによる負担もあるだろう。早く休んで方がいいかもしれない。遠慮する必要はない。また時間があるとき、あるいは聖女がいるときにでも案内すれば良いだろう」
私が考える間もなく逃げ道を作ったグラナダは常にないほど落ち着きがなく、私の様子を伺いながらも、凝視することがないよう気でも使うように落ち着きなく目線を動かしていた。
なんとなく、私は入学して以降、彼からそう気を遣われてきていたのだろうと気が付いた。4人でいても、極力私と彼の間にラウレルかライラが入るように。私は彼と向き合って、二人きりで会話をしたことはほとんどない。それこそ、ずっと前、彼が怪鳥に攫われてきて以来。
私は今も彼が怖い。
けれど真摯さには誠実さで返すべきだと、そんな基本的なことは十分にわかっているつもりだ。
「……ではお言葉に甘えてお願いしてもよろしいでしょうか」
「ああ、もちろん君が変に遠慮することはない」
「ええ、ですので案内をお願いしてもよろしいでしょうか」
一瞬、グラナダがひどく面食らった表情が見て取れた。けれどそれは十二分に想定内で、私はまっすぐ彼を見上げた。勇気と覚悟となけなしの誠実さをかき集めなければならない私は、まだまだ未熟だ。
「……喜んで。殿下が戻られるまでだが、嫌になったら、疲れたらすぐに言って欲しい。君に無理をさせたいわけではない」
「お気遣いありがとうございます。けれど体力には多少自信がありますので」
そう微笑むと彼は緊張していた目元を微かに緩ませた。少なくとも、目の前にいる伯爵令嬢は怪しげな森に単身で乗り込み、名前も知らない大きな鳥に跨りかけるお転婆なのだ。そして彼はよくそれを知っている。
「失言だったようだ。謝ろう」
「謝っていただく必要などありませんわ。わたくしが伯爵令嬢らしからないのがいけないのですから」
「いけないわけないだろう。今の君はとても勇敢で、俺の憧れだ」
冗談だとしても身に余る言葉だと、半笑いになるが、グラナダは思った以上に真面目な顔をしていた。
「君は勇敢だ。いっそこちらが恥ずかしくなるほどに」
「まさか。騎士であるあなたこそ、勇敢という言葉は相応しいでしょう」
「俺なんて、勇敢とは程遠いさ。いつまでも怖いものを克服できない」
深い青色の瞳はここではないずっと遠くを見てるようだった。
私にとっては、彼こそ怖いものの権化で、死の象徴だった。そんな彼の怖いものが気にならないはずがない。だが、ここでそれが何なのかを聞くのはあまりにも不躾であることは明白だった。喉まで出かかった問いかけを何とか飲み下す。
「……あなたの恐れるものが何なのか、わたくしにはわかりかねます。でもきっとあなたなら乗り越えられることでしょう。少なくとも、今回のわたくしたちは自由です。克服する努力もできます」
今までは怖くても変えられなかった。選択も許されなければ、努力することさえ許されなかった。けれど今は違う。
「わたくしに協力できることがあれば仰ってください! できることは限られてしまうかもしれませんが、全身全霊でお手伝いいたします」
「……ありがとう。きっとその時は君に助力を願い出るだろう」
「ええ、いつでも。今のわたくしたちは仲間なのです。どうぞご遠慮なさらずに」
「まずは怖いものを君に伝える、その勇気の出し方を考えてみるよ」
グラナダは少しだけ困ったような顔をして笑った。
自分の弱みを晒すことは、不安だろう。けれど手伝えることがあるなら手伝いたいと、私はなんの打算もなく思えた。その思いの半分でも良いから、彼に伝わっていると良いと願わずにはいられない。
困ったような笑顔は、遠い記憶にある顔とはやはり似ていなかった。
私にはまだ知らないことがあまりに多い。
「さあ案内するよ、おいで」
グラナダは先ほどの表情をすぐに消すと明るい声色で私を促した。
そうだ私も怖がっている暇などない。
仲間意識と、恐怖は同居できてしまうと知ってしまった。けれど遠くない未来、その恐怖が溶けてなくなってしまえば良い。きっと彼のことや状況について知れば知るほど、その恐れは薄れていくだろうから。




