31話 破壊と同盟
「……なるほど、確かに死ぬはずだった人の未来を覆すのは、一つの大きな変革でもあるわね」
自分自身を納得させるように、あるいは確固たる指針に沿わせるように、ライラは私の手を握り返した。
「わかった、あなたの願いを叶えるわ。瀕死である伯父様に奇跡をもって全快を祈りましょう」
「ライラ様……!」
「でもあくまで奇跡は奇跡。常に私が起こしえるわけではないわ。全力をもって祈るけれど、その結果があなたの望むものとは限らない。それでも私に頼るかしら」
「もう、聖女様に縋るほかにないのです」
ライラは柔らかく微笑み、私を安心させるように頬を撫でた。
張りつめていた糸が途切れるように、身体から力が抜けていった。まだ解決したわけではない。奇跡で救えるかどうかわからない、聖女がアルフレッドに会うまでもたないかもしれない、今この瞬間にこと切れているかもしれない。それでも何もできない凡夫の嘆きより、可能性がわずかでもある奇跡に縋ることができるなら、目の前が明るく開ける音がした。
未来が、変わる。
「あなたの願いを叶えるわ。それで、あなたは私に何をしてくれるの?」
「っ、」
一瞬口から出かけた疑問符を、無理やり飲み込んだ。そして自分自身の厚顔さを恥じた。
勝手に思っていたのだ。聖女であれば、神の代行者であれば、救いを求める者の願いに応えてくれるだろう、と。人智を超えた力を、奇跡をもって救ってくれるだろうと。その博愛と慈悲深さをもって。
なんの代償もなく、懇願すれば叶えてくれるだろうと、当然のように思ってしまっていた。
慈悲深き聖女を殺そうとした分際で、救いの神などいないと宣い、努力を一瞬の息吹をもって消し去る奇跡を理不尽と嘯く、敬虔な信徒とは程遠い不敬者であるのに。
その博愛の対象に、自分も入っているのではと。
「……ライラ様は、何を望まれますか」
「あら、私の願いをあなたが叶えてくれるの? 私に叶えられないことを、あなたが叶えてくれるの?」
楽し気に問いただすライラを見つめ返す。
「私にできることならなんなりと、と申し上げたいところですが、そう口にすることができず、申し訳ありません」
「かわいい子、馬鹿正直ね」
「私は、家族とともにありたいがために、ここへお願いに上がりました。その思いに反するようなことは、私にはできません」
「うふふふ、面白いことを言うのね。私があなたの家族を傷つけるようなことを願うとでも?」
「言葉には責任が伴います。本当にできないことは、口にすべきではありません。それが私なりの誠実さです」
「……本当、かわいらしいラズベリーパイだこと。子どもに見えても中身はちゃんと大人ね。ずっと空っぽに見えていたのに。かわいそうなラズベリーパイ」
菫色の目がにんまりと笑う。
きっと彼女も同じだけ繰り返してきた。見た目は幼気な子供でも、中身はその分だけずっと大人だ。今目の前にいる私のように。けれど私の目には、自分よりもずっと彼女が老成しているように感じてならなかった。
可愛らしく、怖い人だ。
「ライラ、そこまでだ。考えがあるようだから黙って見ていたが、無意味なことをやめてやれ」
「えーなあに? 意味ある問答よ?」
「ない。そもそも彼女がここへ来たこと自体が君の、僕たちの願いを叶える一助になっている」
静観し続けていたラウレルが厳しい声色でライラを糾弾した。菫色の目が、私ではなくラウレルを映したことで、自分が息を詰めていたことに気が付いた。
そして同時に、ライラの願いを敢えて、僕らの願いと言い換えたラウレルに目を瞬かせた。
いや、むしろ最初からここにラウレルがいること自体おかしいのだ。私はライラに救いを求めに来た。そこに王太子が同席する理由など本来ない。
「ライラ様の願い、ではなく、お二人の願いなのですか?」
「ああ、プロフェタから君が来るという話を聞いたから、場所の提供の代わりに僕も同席をさせてもらったんだ。君に初めて会ってからずっと、もう一度君と話がしたかった」
1周目の私なら泣いて喜びそうなセリフだ。だがそのセリフに浮ついた感情などまるで乗っていないことは明らかだった。
「僕らの願いは、きっと君にとっての願いになる」
「わたくしにとっての願い……」
「ねえ、あなたもわかるでしょう? 私たちの苦痛も懊悩も、そして渇望せずにはいられない希望の光も」
二人とも、もう笑ってはいなかった。
そして私もまた、二人が何を希い、何を望まんとしているかは口にせずとも、理解できた。
「……この、ループを終わらせること」
「ええ、ええそうよ。このくだらないループを終わらせること。意思も何も関係なく、あなたに恨まれては毒殺されかかり、必ず奇跡が起きて私たちは助かる。そうしてあなたは、必ず、グラナダによって塔から落とされる。……何度も何度も何度も何度も、何度だって繰り返される! もういや、頭がおかしくなりそうよ!」
今まで何度となく、ライラの姿を見てきた。
仲良くなることも、深くかかわることもなかったライラ・ブラウン・サウセ。いつも穏やかな笑みを湛え、誰に対しても愛を惜しまない博愛の人だと思っていた。
しかしそんな聖女はつい先ほどまで鼠を甚振る猫のように笑い、今は目には見えない何かを睨みつけ、激しい怒りをにじませていた。
「私たちは何のために生まれて、死んで、そうしてやり直しているの。私たちは操り人形じゃない。私たちには意思がある。私は世界を許さない」
憎悪とは、かくも恐ろしいものかと、息を飲んだ。神を拝し、人を愛した聖女が、世界を恨む。神の作った世界を愛さず、許さないと断じる聖女は、それでも聖女足りえたのだ。
「ピナ、ずっと知ってたよ。僕は何度も、君に殺されかけた」
「っそれは、申し開きのしようがございません……」
「ただ1度、最初の一回を除いて、君はずっと僕のことを好きでもなければ殺したいとも思ってなかった。口は流暢に愛を囁くのに、君はいつも死んでしまいそうな目をしていた」
自嘲とも苦笑いともとれるようにラウレルは笑う。つられて私も笑ってしまった。
「だって、ずっと、死んでしまいたかった」
言葉は簡単に唇から転がり落ちた。
そして口にした途端。どうしてか涙が止まらなくなった。
「そっか、死にたかったんだ、私、」
今までいつもいつも、逃げ出したいと思っていた。
必ず殺される運命から逃げたいと、王太子と聖女を毒殺しようとする運命から逃げたいと、身の程知らずの恋をしてしまう運命から逃げたいと。
そのすべてから逃げれば、どこかに幸福が、生きていける未来があるんじゃないかって。
けれど私は繰り返した。
行動を変えることもできず、運命を覆すこともできず、逃げ出すこともできなかった。そうして私は周囲を不幸にし続けた。
死んでしまいたかった。
振り向いてくれない王太子より、自分の努力を無に帰す聖女より、塔から突き落とす騎士より、生きているだけで不幸を周囲に振りまく自分自身が大嫌いだった。
自分が死ねば、誰かが救われるのではないかと、行動すら縛られた身で夢想した。
何も成せない癖に、人を不幸にしてばかりの私は、死んでしまった方が世界のためだと。
そして自由の身になった今、手っ取り早く不幸を取り払う術に気づいてしまった。
「生きて」
凛と透き通ったような声に顔を上げた。
滲んだ視界で、降り注ぐ光を吸い込むような菫色が見えた。
「生きて、ピナ・フレッサ。必ず死に至る、かわいそうな魔女」
「どう、して」
「この世界はね、バカバカしいの。王太子と聖女は奇跡によって危機を乗り越え結ばれる。諸悪の根源、悪い魔女は塔から落ちて死んでしまう。くだらない、女児向けの御伽噺、つまらない勧善懲悪」
聖女は怒っていた。
幾度となく殺そうとした私ではなく、幾度も繰り返されたこの世界に。
「エンディングを迎えたら、この世界は巻き戻る」
「エンディングって……?」
「悪は滅び、恋は叶い、幸せに暮らしましたとさ。……この世界にその先はないの。それで打ち止め。後は一気に過去へ戻されるの」
まるで観客のために演じられ続ける物語のようだ。
「私は、引き金があなたの死だと思っているわ。かわいそうなラズベリーパイ。だからもし、あなたが死ななければ、この世界が巻き戻ることはないんじゃないかって」
「私が……?」
理解が追いつかず、ラウレルに視線で助けを求めるが、その点については彼も織り込み済みのようでライラの言葉を補足するように口を開く。
「本当に不思議なこととしか言いようがないのだが、君が、あの塔から落とされて死亡が確認された直後、世界が巻き戻っているんだ。……おそらく、君がそれを知覚することはないだろうけど」




