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21周目の魔女は今度こそ生き延びたい  作者: 秋澤 えで


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24話 聖女と邂逅

 華美でない、しかし質のよさそうな白亜の馬車が屋敷につけられる。白い馬、馬車がならぶ一行の後ろにはまるで絶対的威光に集うように数十人もの市民が列をなしていた。


 フレッサ家は手の空いている者総出で聖女一行を迎え入れた。ずらりとならび聖女を出迎えるのは歓迎している、丁重にもてなすという意思表示。それから屋敷までくっついてきた市民たちへのアピールのためだった。

 馬車のうちの一つから、小さな少女が降りてくる。



「まあ! とっても大きくて綺麗で素敵なお屋敷ね!」



 日の光に当たりきらきらと輝く長く白い髪、紫水晶のような丸い目を縁取る睫毛は風さえ起こせそうなほど長い。くすみ一つない真っ白なドレスを着た少女は目を輝かせ、一通り屋敷を見まわしてから、イエーロの前に立った。



「ようこそおいでくださいました。私はフレッサ領主のイエーロと申します」

「ありがとうございます。お会いできて光栄です。名乗らせていただいてもよろしいですか?」

「もちろんです」



 一瞬イエーロは動揺したが、まるで気づいていないかのように聖女は恭しく礼をした。



「わたくしは第15代聖女のライラ・ブラック・ベルベットと申します。まだまだ経験の足りない未熟者ではございますが、何卒宜しくお願い致します」



 愛らしく、舌ったらずな口上は年相応ではあったが、あくまで堂々とし、初対面の大人にも物怖じすることもなかった。この国では珍しい、透き通るような白髪も相まっていかにも聖職者らしい威厳を携えていた。

 イエーロはすぐに膝をつき、ライラと同じ目線に降りてきた。こんな風に人前で膝をつく姿を見るのは初めてだった。

 他者に対しては常に不遜で狡猾。そんなイエーロが年端もいかない少女に目線を合わせることが異様なのだ。表に出てきていた使用人たちも、声を出すことはないが緊張が走る。それほどまでに重要視する相手なのだと。


 微かに振り向き、私を見やると下がるよう顎をしゃくった。イエーロはおそらく、聖女一行と言っても連れているのはあくまでも大人の従者や他の聖職者であると高を括っていた。だから聖女の相手を私に任せようとしたのだ。

 だが聖女が挨拶をしている間も、同行している大人たちは何一つ口を挟まずただライラのことを見つめるだけだ。力関係は明白だった。ライラという少女はお飾りの聖女や神輿にただ担がれるだけの人形ではない。



「突然の訪問、お許しください。けれどことは一刻も争うと思いましたので」

「一刻を争う、とは……申し訳ありませんが、いったい何のことでしょうか」

「アルフレッド・フレッサ様のことです」



 イエーロは今度こそ明確に動揺した。

 アルフレッドが死の淵に瀕していることを知っているのはこの屋敷の人間に限られる。早々に緘口令を敷き、弱みとなりえるその情報の一切を統制した。

 ライラはにっこりと笑うと、膝をついたイエーロの脇をすり抜け、屋敷の中へと勝手に進んでいった。



「お、お待ちください、なぜ聖女様が兄のことを、」

「祈りが聞こえたのです。真摯で、切実な祈りの声が」



 イエーロには目もくれず、ライラはずんずんと進んでいく。まるで行き慣れた教会であるかのように迷いない歩みの少女に、誰も彼もあっけにとられるだけで、控えていた衛兵も、待機していた使用人たちもただライラのことを見送った。



「祈りだなんてそんな、」

「いいえ、聞いたのです。彼女が、ピナ・フレッサ様が何日もの間、伯父様の回復を祈っているのを、私は確かにこの耳で聞いたのです」



 誰にも何にも目もくれなかったライラは私に駆け寄ると右手をとった。



「さあ教えて。あなたの祈りを、あなたの願いを。神はあなたの声を聞き届けました。さあ!」

「ええ、こちらですわ、聖女様」

「ピナ!?」



 ライラの左手をとり、軽やかに走り出す。

 くすくすと、いたずらでもするようにライラが笑う。楽観視できる状況ではないはずなのに、かのフレッサの屋敷に乗り込んできて、廊下を走る聖女というあり得るはずのなかったおかしさに口元が緩んだ。



「大丈夫、大丈夫よ、ピナ」

「……ライラ様、」

「だいじょうぶ、助けるわ、きっと」



 日の光を反射させ輝く瞳は、今まで見てきたすべての宝石よりも、ずっと美しくまぶしかった。




 医務室の扉をノックもなしに開け、なんの躊躇もなく踏み込み奥のベッドへ足

を進める。



「え、は、え、お嬢様これはいったい!? 彼女は、いや、ここは立ち入り禁止ですっ、お嬢様のお友達でも、お引き取りを、」

「先生、この子は聖女です。伯父様を助けに来てくださったの」

「は、」



 医務室にこもりきりだったシカトリスは聖女の来訪など知らなかったのだろう。先日よりも濃くなった隈をこしらえたまま、眠そうな目を限界まで見開いていた。

 ライラはまたおかしそうに笑うと閉められていたカーテンを勢いよく開けた。

 窓から差し込む光に照らされたアルフレッドは、いくつも管につながれたまま、薄い呼吸を繰り返していた。



「っ伯父様……」



 以前より窶れ、今にも呼吸が途切れてしまいそうな姿に心臓が締め付けられた。自分の呼吸の仕方さえ忘れそうになった私を察して、ライラは握ったままの手に力を込めた。



「大丈夫、大丈夫よ」

「ライラ、」

「そのために私が来たの」

「聖女様っ、いくらアガヴェー教の聖女様と言えど限度と言うものがありますっ」



 ようやく状況を飲み込み追いかけてきたらしいイエーロが声を荒らげる。



「閣下、病室ではお静かに、」

「兄の件は我が家の問題です。聖女様に診ていただくようなものでは」

「それは、領主さまのご意見ですか?」



 ライラは初めて振り向いた。

 先ほどまでの笑顔など霧散し、彫刻のような無表情をイエーロに向ける。



「ええ、介入いただけるような内容ではございません、ご無礼を承知ですが、お引き取りを」

「敬虔な少女が祈りました。伯父様を助けてほしいと。生かしてほしいと。自らの危険も顧みず祈りました。その声が、この耳に届いたのです。私の耳まで届かせたのは、彼女の献身的で純粋な思いと、神の思し召しです」



 ライラはおよそ真上を見るようにイエーロのことを見上げた。



「領主さまのご判断は、女神アガヴェーの思し召しよりも、貴く、絶対とおっしゃるのですか」



 試すように、糾弾するように、瞬き一つしないで視線でイエーロを突き刺した。

 理不尽で、非論理的。だが元来宗教とはそういうものだ。

 聖職者と無神論者では見えている世界も常識も違う。同じ土俵では戦えない。



「神が祈りを聞き届けたのです。故に聖女の耳まで伝えられた」

「アガヴェーはおっしゃった。祈る者には希望を、嘆く者には救いを」

「死に瀕する者あらば、行ってその手を握ってやり」

「病に喘ぐ者あらば、行ってその病を払う」

「それが神の思し召し」


 先ほどまで言葉を発しなかったシスターたちは示し合わせたように口を開く。まるで追い返そうとするイエーロを責め立てるように。

 不気味さと神聖さは表裏一体だ。

 けれど彼らの身に着ける白いローブと、降り注ぐ太陽、そして輝く瞳を持つ少女。それだけで十分にそれが神聖であると感じさせ、仰ぎ見たくなるような荘厳さを醸し出していた。



「聖女様、どうか伯父をお救いください」

「ええ、祈りは聞き届けられました」



 ライラはおもむろに私の手を離すと、小さなモミジのような両手をアルフレッドにかざした。



「今ここに、祈り在り。我らが母よ聞き届けられよ。……奇跡あれ」



 ライラがそう呟いた途端、医務室は目も眩むほどの光に包まれた。家具の影、窓枠の影すら消し飛ばすほどの閃光。誰も直視することは敵わず瞳を庇うように手のひらで目元を覆った。だがそれも数秒後には収まり、医務室には宝石をまいたような細かい光だけが残った。光はアルフレッドの身体に寄り添い、そして間もなく消えていった。



「い、今のはいったい」

「奇跡です」



 のけぞり目を瞠るシカトリスに、ライラはこともなさげに言う。そしてアルフレッドの身体を遠慮なく揺さぶる。




「ま、待て重病人だぞ!?」

「ええ、重病人でした」



 ライラはアルフレッドに巻かれた包帯を取り去った。

 シカトリスとイエーロは息を飲み、私は安堵の息を吐いた。


 アルフレッドの顔にあったはずの大きな傷は、すでにすべて傷跡と化しており、先ほどまで滲んでいたはずの血や膿はただの汚れとなって肌にこびりついているだけだった。

 先ほどのまでの浅く薄い呼吸は、深く穏やかな呼吸に変わっている。



「そんな……、これが奇跡だと……」

「ええ、これが奇跡です」



 口の端で笑うライラの胸中を知る者はここにいない。

 礼を言うより、喜びを露わにするより、何よりも先に私の瞳から涙が零れ落ちた。


 慈悲なき神の起こす奇跡は、どこまでも理不尽だ。

 だがほかに比類なく、たとえようもないほど美しかった。


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