18話 街と裏切者
さて今まで20回殺され続けてきたピナ・フレッサ。
世間からは稀代の悪女として語られてきた。当然だ。嫌がらせや悪口なんて可愛らしいものじゃない。王太子妃になれなかった伯爵令嬢が、愛したはずの王太子を毒殺しようとしたのだ。ただの傷害や殺人未遂ではない。もはやテロ行為、謀反、国家反逆罪と言われても相違ない行為だった。
イエーロは殺人未遂を犯した自分のことを切り捨てた。今まではひどい人だと思ってきたが、領を預かる伯爵の身、フレッサのためには必要なことだったとわかる。結局、王弟であるエンファダードにも切り捨てられ、イエーロ自身も幽閉されてしまったのだが。
ドロシーをはじめとした、私が良いように使ってきた者たちは、死ぬまで私に忠実であり続けた。使い捨てられようと、乗った船が泥船だと気づこうとも、見限らず、可哀想なまでに私に従い続け、死んだ。
糾弾、切り捨て、忠誠。
私の失墜への反応は主にこの3つだった。
けれど一人だけ、私を裏切った者がいた。
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「お嬢様、くれぐれもわたくしから離れないでくださいね! 今日はわたくしがご案内いたしますので!」
そう息巻いて宣言するドロシーは、いつも見慣れたメイド服ではなく彼女のよそ行きの一張羅だと言うワンピースを着ている。
森の異変を感じたアルフレッドから森への立ち入りを禁じられたため、私は別にできることを探していた。
一般的な勉強は今もイエーロの手配でこれでもかというくらい学んでいる。家庭教師たちは入れ替わり立ち代わり来ては私の頭や体に知識やマナーを詰め込んでいっていた。
けれど今後、幸せになるために欲深くなると決めた私には、それでもまだまだ足りなかった。
世界の強制力は、おそらくもうない。私は私として今後も自由に行動ができるだろう。それでもなお、ピナ・フレッサが王太子を毒殺するという未来が完全についえたかと言われればそういう訳でもない。次期王位を求める王弟は、私を利用して王太子を亡き者にしようとするだろう。運命的な強制力はなくとも、外堀を埋められ、そうせざるを得ない未来が来る可能性はある。
私がその外堀を何とかするために不足しているものはたくさんある。私には武力も財力も権力もない。ただの小娘ではとても太刀打ちできない。であれば、今のうちに少しでもそれをかき集めるべきなのだ。
そしてその一歩目がこのお出かけなのだ。
「ええ、頼りにしてるわ。よろしくね、ドロシー」
今日の私の格好は普段着ているドレスより1ランク下の簡易的なドレス。装飾の多いワンピースとも言えるこの格好は、お出かけに張りきった良いとこの平民のお嬢さんにも見えるだろう。目立ちすぎず、街を歩いても浮かないことを目標としている。年の離れた姉妹、のように思ってくれると都合がいいが、あいにくと私の特徴的な髪色のせいで血のつながりは見た目から感じられないだろう。
「では、本日は簡単に街を見て回って、それから少しだけ買い物をしましょう。お花でも食べ物でも、気になった物があったら言ってくださいね!」
そう言って街の中へと繰り出していく。
改めて6歳の身体で街の中を歩いていると自分の視線の低さに慄いてしまう。森にいる間は比較対象がアルフレッドと野生動物たちしかいないため、自分が小さくて当然だと思っていたが、こうして街の中にいると店の棚も看板も、街の掲示板も何もかもが高すぎる。視界はほとんど人々の足で構成されているし、顔など見ようものなら足元がおろそかになる。
「お嬢様、普段からお買い物は外商からされていて、自分でお店へ行くことも、自分でお金を支払うこともないと思います。けれど私たちのような平民がどんな生活をしているか、社会がどんな風に回されているのか、そんなことを学ぶのもきっと役に立つと思います」
「……ええ、きっと。なんだって役に立つわ。私は何にも知らないもの」
私はとても世間知らずだった。
父の用意したものだけに囲まれ、綺麗に整えられた学園や王都で生活していた私は絵にかいたような箱入り娘だった。いざ街へ出入りするようになったのは毒草の売買を秘密裏に行うようになってからだった。ある程度のことは部下に任せても、薬草など専門知識が必要なものについては自分で買い入れていた。けれど高額なものを吹っ掛けられても迷いなく購入する私はきっと闇市に来た鴨だったことだろう。
何もかもが私の力になる。すべてが布石になるように、私はとにかくなんでも学び、吸収すると決めた。
「ドロシー、あれはなに?」
「読売ですよ。近頃のニュースを掲示板に貼り付けて、ああして読売人が読み上げるんです。みんな必ずしも文字が読めるわけでもありませんので」
「あそこにいる人は何?」
「あれは煙突掃除人です。お屋敷にも来ていますが、お嬢様のお目には触れないよう作業をしていますので」
「あれはなにしてるの?」
「代筆屋、のようですね。あちらの女性が手紙の代筆をお願いしているようです。お店自体は別のお店で、間借りしているようですから、片手間の小遣い稼ぎなのでしょう」
目に映るものすべてと言っても過言ではなく、目についたものすべてドロシーに聞いていく。最初こそ自信ありげだったドロシーだったが、今ではつないだ手が湿ってきている。おそらく、答えられなかったらどうしよう、とでも考えているのだろう。それならそれで別にいいのだが、自信満々に啖呵を切った手前、わかりませんとは言いづらいと思われる。意地悪をしているつもりはなかったけれど、あれやこれやと聞いてみたくなってくる気はする。
「……ドロシーあれは」
「つ、次は……ああ! あれは大聖堂ですよ。お嬢様も授業で絵は見たことがあるかと思います」
この街で最も高く、大きな建物。領内に大きな建物を建てるときは領主たるイエーロの許可がいるのだが、教会だけは話が別だ。王家に次ぐ地位を持っていると言っても過言ではない、サンタ・ヘンシアーナを開祖とするアガヴェー教。アガヴェーの前には一地方の規律などあってないようなものだ。
天高く突き上げる尖塔、空の光を余すことなく注ぎ入れようとする数多の窓。巨大な壁を支えるフライングバットレスに、それをただの補強のものとしない繊細な彫刻。絶対的権威をこの街に示していた。
「本当にアガヴェー教の聖堂は美しいですよね。うちの田舎だとここまで立派なものはありませんが、それでも敬虔な気持ちになりますもん」
「……そうね。ランドマークにもなるし、技術屋さんの仕事の創出にもなるし、あるだけで布教になる。効率的だわ」
「わあ、私の感想が馬鹿みたいになっちゃいました」
「ドロシーの感じ方が正解よ」
そう思わせるように作られているのだから。
信仰心よりも宗教学的な考え方でとらえるとそう思える。
もっとも、信仰心などもともとない。
女神アガヴェーは、死者を次の世界に誘うという。そしてそれを繰り返して、いつか天上に至るのだと。ならばすでに20回殺されていて、どこにも行けない私はいったい何だと言うのか。
この世にアガヴェーが存在するなら、私にとっては悪魔と同然だ。
「聖堂前の掲示板を見てもいいかしら」
「ええ、教会ごとにああいった掲示は書いてあることが違います。聖書の一節であったり、ありがたいお言葉であったり」
人混みをすり抜けながら、人が入れ代わり立ち代わり出入りする聖堂の入り口へ寄る。近づくと。やはり掲示板は思っていたより高いところにあり。半ば真上を見るように掲示板を見つめた。
「……聖女」
「え、聖女、ああ、本当ですね。新しい聖女様が見つかったみたいです。前聖女様が亡くなってしばらくたちますもんね」
交代制のアガヴェー教の聖女は、聖女と定められたら死ぬまでその責務を全うする。そして死後、次代の聖女を探すのだ。
「って、次の聖女様、まだ6歳じゃないですか……! こんな小さな子でも聖女に選ばれてしまうんですね」
「……そうね。幼かろうと、老いていようと、聖女は聖女。教会にとっては年齢なんて関係ないんでしょう」
次期聖女の就任の掲示を前に、私はただそれを見つめていた。そこには何度も見てきた名前がある。
ライラ・ブラウン・サウセ。純白の聖女。
いまだ6歳でありながら、とある地方で起こった内乱に際し、奇跡を行使し数多の命を救ったのだという。
「さぞ、ご立派な方なんでしょうね」
掲示板をどれだけ見ても、簡単な見目の説明と、奇跡を起こしたことしか書いていない。
私は、聖女ライラ・ブラウン・サウセに嫉妬していた。
神に選ばれ、人々に尊敬され、王太子に愛される彼女に嫉妬してた。なんでも持っているのに、私の愛する一人の人の心すら簡単に攫って行くのかと、勝手に憤っていた。
そして、毒を盛られた王太子を、彼女はその奇跡をもって救ったのだ。複数回にわたる実証実験の末、必ず死に至る毒物を生成したつもりだった。けれど結局、聖女の奇跡の前では何もかも児戯に等しかった。
ライラ・ブラウン・サウセ。私はその実、彼女のことをまともに知らない。
聖女であること、周囲から愛され、求められていること、見目麗しく聡明であること程度しか知らない。深い因縁があったはずなのに、私は彼女の人となりを何も知らないのだ。
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
急に黙りこくった私の顔をドロシーが覗き込む。
「いいえ、ただ少し会ってみたいと思っただけです」
「うーん難しいかもしれませんね。奇跡を起こせるくらいですから、国中から引く手数多でしょう」
「ええ、思っただけよ。今のフレッサに聖女の奇跡は不要だわ」
ふいと興味なさげに目を逸らしたが、不自然でもなかったようでドロシーは気にした風もない。
私が彼女と出会うのは、まだまだ先の話だ。




