17話 森と異変
「ピナっお前は本当にっ……!!」
「うぐっ……!?」
伯爵令嬢にあるまじき声が出てしまったがどれもこれも私のことを抱きつぶそうとするアルフレッドの所為だ。
入浴後睡魔に負けた私はアルフレッドの帰宅を待たずに寝てしまった。だがそれも仕方がないだろう。私の身体はまだ子供だし、怪鳥に伯爵家の責務、自分の仇にイエーロのデレ。あまりにも多くのことがありすぎた。私の体力は屋敷に帰った時点で底をついていたのだ。
「お、伯父様苦しいです……!」
「イエーロから聞いたぞ! お前ひとりで森に入ったと! いくら森に慣れてきているとは言えお前はすべてを知っているわけじゃない。まだまだお前の知らない危険な植物や動物だっているんだ。ピナみたいな小さな子供、一口で食べられてしまうかもしれない!」
「お、お言葉ですが伯父様、それでも私は行くべきでした。お父様から聞いているとは思いますが、大きな鳥に攫われた子供がいたんです。鳥がフレッサ領の森へ入っていたのなら、フレッサとして相応の対応が、」
「いいや、それでもお前は入るべきではなかったよ、ピナ」
腕を緩められ、ようやく解放される。けれど初めて聞くその声の硬さに慄いた。
「伯父様……」
「いいかい、お前が生きて帰ってこられたのは偶然だ。運がよかった。鳥に攫われた少年が生きていたこともただ運が良かっただけだ。そこに必然はない」
赤紫の力強い目が明確な意志を持って私を見下ろす。今まで見たこともない表情、聞いたこともない声。アルフレッドは怒っていた。
「で、でも……」
「確かに、一人の善人としては何も間違っていないし、誠実な貴族としての責務としても間違っていない。だがフレッサとしては間違っている」
「フレッサとして……?」
アルフレッドの言っていることがわからず鸚鵡返しにすることしかできない。
私はフレッサとしてどう動くべきか考えて行動したつもりだった。むしろグラナダと認識できていなかったからこそ私的な感情や考えをすべて排して判断していた。フレッサ領、立ち入り禁止の森、怪鳥、少年、森へ入らないイエーロ、アルフレッドの不在。それらの要素を鑑みたうえで、私は森へ入ったのだ。思い返しても、それ以外に選択肢がない。
「ではフレッサとしてどうすべきでしたか?」
「お前は見て見ぬふりをするべきだった」
「え?」
思わず耳を疑った。
アルフレッド・オルゴーリオ・フレッサとは実直で誠実な人間だ。勤勉で素朴、粗野だが情に厚く、上っ面を塗り固められた社交界を苦手とする。
そんな彼が“見て見ぬふりをする”ということを最善としたことが信じられなかった。
「で、でも見てしまいました! 罪のない子供が死ぬかもしれないのを、看過できません!」
「看過すべきだった。もしくは近くの大人に伝えるべきだった」
「お父様に伝えても、探してはくれません。お父様は森へは入りませんし、」
「イエーロに伝えれば、イエーロはお前を止めただろう。そして対応はすべて俺に任されたはずだ」
「それは、そうだと思います。ですが状況は一刻を争うものでしょう? 伯父様がいつ来るかわからないのにそれを待つのは」
「うーん」
アルフレッドは淡々とわかり切ったことを言う。もちろんアルフレッドの言っていることは分かる。それも選択肢の一つであり、私が消した選択肢だ。待っている間に少年、グラナダは死んでいたかもしれないが故に、自分で却下した。
「もっと問題はシンプルにしよう」
「え、ええ」
「死体は一つと二つどっちがいい?」
思わず息を止める。
彼のさす二つの死体が誰のものかは問う必要もない。
「おっと、0という選択肢はないよ。あの森はそれほどまでに危険な場所だ。10にも満たない子供が二人生き延びれるほど甘くはない」
「でも、」
「言ったろう? 偶然だって」
言い聞かせるように私の顔を覗き込むアルフレッドに何も言い返せなかった。二人とも無傷で帰ってこれたのは奇跡なのだ。偶然怪鳥がわかりやすい場所に降り立った。偶然グラナダが気づかれていなかった。偶然ストルーティオーの群れがすぐそばにいた。すべて偶然であり、どれか一つでも欠けていたならきっと二人で戻ってこられるということはなかっただろう。
「さあフレッサとして考えよう。フレッサにとっての問題は、「フレッサ領に生息していると思しき怪鳥が子供を攫った」という事実だ。これに含まれる要素は何だと思う?」
「フレッサの、森及び鳥獣の管理不足、監督不行き届きと糾弾される恐れがあります。そして子供が誰かによって問題の大きさも変わってきます」
「そうだね。それが一番危惧すべきことだ。じゃあここに、しらをきることもできる要素は?」
「えっ」
しらを切る要素。つまりは知らぬ存ぜぬを貫き通すための材料だ。実際、イエーロはグラナダを探しに来た騎士団に対して似たような対応をしていた。
「……目撃者が、定かじゃない。怪鳥がフレッサ領の森に降りたという証拠がありません」
「そうだ。そもそも証拠なんて出しようがない。口頭で確認するしかない上に、「信憑性に欠ける」なんて言えば森の怪鳥の存在はなかったことになる」
「そんな……」
「他所に訴え出られたしよう。巨大な鳥に子供が攫われました、だなんて。いったい誰が信じる?」
その表情は明確な嘲りがあった。6歳の子供を抱えて飛ぶことのできる鳥など、いない。古代種の存在を知らない一般の人間からすれば、訴え出る方がフレッサにばかばかしい因縁を付けようとしてきていると感じることだろう。
「それに必ずしも目撃者がいたかもわからなければ、攫われた子供に探してくれる親がいるかもわからない。要するに、「フレッサ領に生息していると思しき怪鳥が子供を攫った」という最初の状態だけでは、今後フレッサにとって問題になるかはわからないんだ」
アルフレッドの言う通りだった。もし攫われたのがグラナダでなければ。家族のいない天涯孤独な子供であったなら、きっと誰も見てはいないだろう。
「その状態で、フレッサのたった一人の子供であるお前が、森へ入る根拠とはなんだ?」
私は何も言えなくなってしまった。
選択肢のメリットデメリット。判断の妥当性、根拠。
「万が一お前が森に入って……死んでしまった場合、それは本当にフレッサだけの問題で済むと思うか? 責任ある立場であったため、責任ある行動をとった。その結果死んでしまったが、これで今回の不祥事は終わり、ってなると思うか?」
おそらく、すまないだろう。イエーロはそれを決して許さない。そのどれもが私の判断だとわかったとしても、その原因たる攫われた少年とその仲間のことを責め立てるだろう。
もし二人とも死んでしまったとしても、伯爵家第1子にして唯一の子供である私の命と、爵位を継承することもない男爵家の3男の命では、命の重さが釣り合わない。
この世は残酷なまでに、命の重さに違いがある。
「良いか、ピナ。正義っていうのは美徳だ。誠実というのも素晴らしい長所だ。だがそれだけじゃ人間は生きていけない。保身をしなければ、この世を上手に生きていけない。貴族ならなおのことだ」
「はい……」
「意地悪で言ってるんじゃない。俺たちはお前のことが何より大切で、守りたいだけなんだ。だがな、守りたい対象がこうも命を軽々しく投げ出してしまうと、俺たちだって守り様がない。わかってくれるな」
「はい……ごめんなさい」
アルフレッドの言う通り、私もグラナダも生きて帰れたのは偶然なのだ。いくつもの偶然が重なったからこそ、私たちは無傷で帰ってこられた。
「……さてお説教はここらにしよう! 俺はこういう真面目な話をするのが苦手だ。とりあえず、よく無傷で帰ってきてくれた! しかも攫われた子供まで連れて! すごいじゃないか!」
先までの重苦しい雰囲気が霧散し、アルフレッドは破顔して私のことを抱き上げた。
「え、え、」
「運が良かったのもあっただろう。だがそれだけじゃなかったはずだ。一緒に森に入って俺が教えたこと、ピナが自分で勉強したこと、そしてその場で判断せざるを得ない難解なこともあったはずだ。そしてお前はそれをことごとく乗り越えた」
「伯父様……」
「聞かせてくれるかい? あの森であったピナの冒険のことを」
「そうか……そうかそうかそうか! そんなことがあったのか! いやあすごいな。本当に冒険と表現するにふさわしいな!」
森でのこと、怪鳥やグラナダのことについて一通り話すとアルフレッドはキラキラした目でなんともすごいすごいと繰り返した。
「いやあ、森での俺の思い出なんて一人で淡々としてるか一人で四苦八苦してるかしかないから新鮮だ! 身を挺して誰かを守るかどうかの懊悩なんてまったく冒険譚らしい」
「そう、ですね。確かに思い返してみるとなんだか何かの夢物語のようです」
少なくとも、伯爵令嬢を主人公とするにはいささか野蛮すぎるのだが。
すべてが偶然うまくいったから、こうしていられる。だがその中の選択肢にだって私なりの考えや判断があった。それをこうして認めてもらえるのは単純に嬉しい。
「それにしても、気になるな……」
「怪鳥のことですね」
「ああ。ピナの話を聞く限り、その体のサイズじゃこの森で生活するのは難しい。状況からしてももともとこの森に生息する種という訳ではないんだろうな。俺自身、一度もそんな目立つ鳥には遭遇してない。となると、どこからか飛んできて、ここに住み着こうとするが失敗、と言ったところだろう」
アルフレッドの見解の通り、翼が大きく、足の短いあの鳥は木々の多い森の中で向いているかと言われれば否だろう。あれでは生活もままならない
「なんとなく、古代種ってフレッサにしかいないイメージだったんですけど、フレッサ領以外にもいるんですか」
「いるだろう。何もここだけがすべてじゃない。この国にはおそらくフレッサ領にしかいないだろう。だが国境の山脈を超えたなら話は別だ。……あの先に何があるのか、何が住むのか、詳らかに周辺国へ明かされるのはどれほど先になることか」
遠くを見つめる赤紫の瞳には、きっと想像することしか許されない景色が広がっているのだろう。
「かつて俺が飛び去る竜を見たように、きっとこの世界のどこかに、彼らが自由に生きられる場所があるんだろう」
現状では、私たちは国境を越えたその先へ行くことは許されない。古代種の研究がどれほど隣国でされているのかはわからない。けれどその先を見ることで、さらに知ることのできる何かがあるのだろう。だが隣国は和平を結んでいるとはいえ仮初と言っても相違ない間柄。かの国を訪問したところで、他国に見られても問題がない上っ面の部分しか知ることはできないだろう。政治は好奇心を許さない。
「何かが変わり始めている」
「何かが……本来フレッサの森にいるはずがない怪鳥がここにいる……?」
動物はその生態にあった場所に住む。あの怪鳥にとってフレッサの森は快適とはいいがたかっただろう。にもかかわらず、この国を訪れ、フレッサの森に巣を作ろうとしていた。
「……元居た場所に住めなくなったのかもしれませんね」
ではなぜ住めなくなったのか。あれほど巨大な怪鳥に、果たして天敵などがいたものであろうか。
「ま! いずれにせよピナはしばらく森へ立ち入り禁止だ!」
「……え、え、え!? なんでですか!?」
どうしてそんな話になるのか皆目見当つかず目を白黒させる。
「ここのところ入り浸りすぎて、森にならさせすぎたかと思ってな」
「慣れるならいいじゃないですか!」
「慣れたからこそ、慢心しはしなかったか? 森のことは知っているから、自分が少年を助けに行くべきじゃないかと、慣れたと自負して、自分ならできると思わなかったか?」
「うっ……」
何もかもその通り過ぎて返す言葉が見つからない。
調子に乗っていたかと言われれば弁解のしようもなかった。生きて帰ってこられたのが偶然の産物と懇々と諭されてしまった今、これ以上厚顔なことは言えない。
「今回の異変の正体がわかるまで、しばらくはおとなしくしていること。散々心配かけたんだ。たまには年頃の娘らしくして、イエーロのことを喜ばせると良い」
「はあい……」
もともとアルフレッドなしでは森へ入れないのだ。監督者たる彼がそう決めたのであれば、私は逆らうという選択肢は取れない。何より今回のことについても反省していないわけではないのだから。
森での学び以外にも、やれることはある。




