君の心、雨夜の月(1)
ここから青年編です。
少年編の最後に名前が出てきた登場人物もいます。確認は前話でお願いします。
橙のネスルズ。
夜の短いこの地で、日が暮れ始めると急に人々が慌ただしくし出すのは、今も昔も変わらない。それは街だけでなく、王宮内でも同じで、勤めを終えた兵士が行き交う間を、洗濯物や食材を抱えた侍女達がすり抜けて行く。
10年前にネスルズへやって来て、エンダストリア軍第3隊の兵士となったフォンス・ダントールは、日勤の門番と交代する為、足早に歩いていた。
長らく平和が続いているエンダストリアで門番、しかも夜勤となると、完全な雑用扱いである。入隊して10年も経つ兵士がする仕事ではない。それでも仕方がない、とフォンスは諦めに似た感情を胸に仕舞い、愚痴をこぼすことはなかった。
「時間だ。交代しよう」
「は、はぁ……」
フォンスがまだ入隊して1年に満たない若い少年に話しかけると、彼は戸惑いがちに返事をした。
少年が行ってしまうと、フォンスは門を閉めて内側から施錠し、ため息をついた。
「暇だな……」
門の内側に寄りかかったフォンスが一人ごちたのも仕方がない。夜勤の門番はこれ以降、夜間の城下から犯罪等の通報がない限り、起きているしかすることがないのだ。
フォンスは未だ下級兵士だった。10ほども年上の同僚がいるのだから、先程の少年がフォンスに対して戸惑うのも無理はない。
通常は4~5年で上級兵士に昇格する。彼は同期や後輩に次々と階級を抜かれていくことに、最初こそ焦っていたが、だんだんと何も感じなくなっていった。
トリードが謝りに来たのは、もう6年も前になる。彼の話では、合格したてのフォンスが身体検査で当時の下級兵士から嫌がらせを受けた時、加害者の処分に大臣が圧力をかけたことが、軍の上層部の反感を買ったらしい。そして、取り分けフォンスのことをトリードが目をかけていたことも悪目立ちしてしまい、いくらコートルがフォンスを昇格をさせようとしても、その上の司令官が認めず、帰郷許可さえ降りないという事態に陥ってしまった。
"すまぬ……私が感情に任せて安易な行動を取ったからだ。すまぬ……!"
トリードは貴族であるにも関わらず、そうフォンスに謝った。
以前からこうなるかもしれないことをコートルに聞かされていたフォンスは、トリードを責めなかった。それに、あの下級兵士達が追放されなかったとしたら、"スカル人に嫌がらせをしても処分は軽い"という前例ができ、事がエスカレートしたり、他にも加わる者も出てきていたかもしれない。そうなると、帰郷許可を取る前に、フォンスが潰れていただろう。
帰れなくなってから10年が経ち、スカルが今頃どうなっているのか、フォンスには全く見当も付かない。何度か手紙を出してはみたが、返事は一度も来たことがない。そもそも、出した手紙がスカルへ届いているのかさえ怪しいものだ。その逆も然り。
「俺はとことん運が悪い。だが、これからどうしたら良いんだろうな……」
フォンスは何の感情も込もっていない瞳で、紫色の空を見上げた。
フォンスはふと横から僅かな気配を感じ取った。だが見なくても分かる。クレストだ。
「仕事は終わりですか? クレストさん」
「ち、つまらんな。気配は消せたと思ったんだがよ」
昔は成功していた悪戯が、最近めっきり通じなくなってしまったクレストは、残念そうに舌打ちをした。
昇格しなくても、フォンスの潜在能力は群を抜いていた。剣を取らせて彼が負けることはない。入隊時から指南をしていたクレストをも既に上回っている。
「あの侍女はやめておけ」
クレストがポツリと言った。
「はい。そうします」
フォンスが即答すると、クレストは小さく吹き出した。
「理由も聞かずに従うのか?」
「女のことは、クレストさんの言う通りにして間違いはありません」
「そいつはどうも」
少しの間笑っていたクレストだったが、急に真面目な顔になって声をひそめた。
「エミューンの回し者だった」
「彼女が?」
「ああ。お前に近づいてきた時、何となくキナ臭いと思ったんだ。あの女と仲の良い他の侍女に知り合いがいてな。そっちに聞いたらあっさり喋った。口の軽い侍女を使う辺り、エミューンもまだまだ青いぜ」
「彼女の友人という侍女と、どのような知り合いで、どんな状況で聞き出したのかは、言わなくて良いですよ」
放っておくと、どんどん話が下世話な方へ向かいそうな予感がしたフォンスは、苦笑しなが遮った。
クレストは、「硬い硬い。ディクシャールは乗ってくるぞ」と言って肩をすくめた。




