金の狐と黒い熊(23)
合格から20日間は、地道な走り込みと筋力訓練が続いた。フォンスとラビートは訓練が終わると、毎夕剣を交え、お互いを高め合った。
ある日の部屋で、ラビートが着替えているフォンスに言った。
「お前の腕、太くなってないか?」
「……ラビートに言われてもな……」
「いや、嫌味とかじゃないさ。肩から肘までなんか、最初の頃より一回り違うような気がする」
フォンスは自分の腕を見下ろした。最近ラビートの剣をまともに受けても、耐えられるようになったとは思っていたが、見た目の変化はそこまで自分では分からなかった。
「お前、人の身体を観察するのが趣味なのか? しかも男の……」
フォンスはきな臭そうに目を細め、身を一歩引いた。
「何言ってんだ。俺をあの変態大臣と同じ目で見るんじゃねぇ」
ラビートはそう言って身震いをした。
3日前、走り込みを終えて皆が休憩している時、軍の敷地にフラフラとトリードが現れた。彼はフォンスを見つけると、派手に両手を振りながらやって来た。
隙あらばとと髪に魔の手を伸ばしてきたが、フォンスは素早く察知して避けた。ここまではフォンスも予想の範囲内だったのだが、あろうことか、隣で座り込んでいたラビートの目の前で、「友達にもう1人可愛い天使がいるらしいな! ディクシャールとはどの子だ?」と大きな声で言ったのだ。これにはフォンスを始め他の少年達も絶句せざるを得なかった。ラビートに至っては、顔面蒼白で空いた口をわなわな震わせていた。
そして何も知らないトリードは、そんなラビートに向かって、「お前も、ディクシャールがどの子か知らぬか? あのマグワイル殿が可愛いと言うのだから、きっと小さくて丸くて……」とたたみかけた。堪らずラビートが立ち上がってトリードの胸ぐらに手を伸ばしかけたのを、必死でフォンスが「辞めろ! 大臣だぞ!」と止めたが、口までは止められない。「俺がディクシャールだぁあ!!」とラビートが叫ぶと、トリードは「何と! 何とぉーーー!?」と悲鳴のような声を上げ、卒倒した。
肥満により重量のかなりあるトリードを、大柄なラビートが治療室に運ぶ羽目になったのを、フォンスと周りで見ていた少年達は、気の毒そうに見送るしかなかった。
「あれでも一応俺の恩人なんだから、穏便に見逃してやってくれ……」
フォンスは、またもや起こってしまった騒動を思い出しながら、力なく呟いた。
「ふん、俺は間違っても男を観察する趣味はない。最近お前、急に食う量も増えたし、もうちょいガタイが良くなりゃ、ナメられなくなるかもなって思っただけだ」
「俺までラビートみたいになったら、トリード大臣はどうなるかな」
「……泣くんじゃないか?」
トリードはラビートを見た時、この世の終わりが来たかのような表情をした。フォンスはそれを思い出し、クスクスと笑った。
隊の振り分けまでの1ヶ月も残り3分の1になると、訓練の内容が変わり、それまでとは違う訓練場に移動した。そこは、背の高い木が突如として生えていたり、壁にロープが垂らされていたり、様々な高さの台が設置されていたりと、障害物の多い訓練場だった。
そして今回からの監督役が現れた時、フォンスは嬉しさのあまり息を飲み込んだ。
さらりと後ろへ流した薄茶色の髪、 狼を思わせるしなやかな体躯、太陽の照り返しに眩しそうに細めるヘーゼルグリーンの瞳。
「クレストさんだ……」
まだ正式に第3隊となっていないフォンスは、今まで全くクレストとの接点がなかったのだ。久し振りに見たその姿に感動すら覚えた。
「フォンス、何を惚けてやがる。恋する乙女か」
「……う、うるさいな。男でも憧れる人くらいいるだろ」
「あんな欠伸しながら"各自勝手に準備運動始めろー"とか言ってる奴にか?」
ラビートの言葉通り、クレストは相変わらずやる気無さげに肩を回していた。
「そこじゃない。戦闘能力の高さに憧れてんだ。コートル隊長も、理想像があった方がいいと言ってたし……」
フォンスが必死に言い訳をしている最中に、クレストが召集をかけた。
「はーい、しゅーごー。ああ、点呼とかかったるたいことしなくていいから。じゃ、まずあれを登れ」
クレストが指差したのは、大人が抱え込める程の太さで、真っ直ぐ天に向かって高くそびえる木だった。少し間を空けて数本並んだそれらは、所々に細い枝があったが、訓練で長く使われてきたからだろう、あちこちに傷があり、葉はほとんど生えていなかった。
困惑する少年達が顔を見合わせ、ざわざわしだすと、クレストは苛々しながら手を3回打ち成らした。
「静かにしろー。新人の基礎訓練も毎日同じじゃ飽きるから、なんて隊長から言われて、応用編なんつう糞面倒臭いことを担当する羽目になった俺は、すこぶる機嫌が悪い。訓練内容を考えるのも面倒臭いから、この第3隊専用の訓練場で手っ取り早く済ませる。しかーし、使用許可は降りなかった為、早急に終わらせなければならなーい。以上の諸事情を心に刻み、黙ってさっさと登れ」
クレストは腕組みをしながら、至極勝手な持論を語った。当然少年達から無許可使用への戸惑いと、登り方の説明を求める声が上がる。しかしクレストはそれらをはね除けた。
「見つかる前に終わらせろっつってんだろ。登り方なんざぁ自分で考えろ。何でもすぐ人に頼らず、自ら解決するというのは大事なことだぞ。ああごちゃごちゃうるさい奴らだ。おい、ダントール!」
「え……は、はい!」
まさか呼ばれるとは思っていなかったフォンスは、慌てて返事をした。
「お前登れ」
「へ?」
「へ、とか言ってボケてんじゃねぇよ。ちったぁ弟子らしいことしやがれ。まずお前が登れ。今すぐ登れ。出来なくても登れ」
「はい!」
指名を受けたフォンスは、張り切って木まで走った。
フォンスはクレストに弟子と言ってもらえたのが嬉しかった。かと言って、師範などと呼んだらまたやめろと言われるだろうし、冗談混じりの"弟子"だということは分かっている。だがあの他人に興味が無さそうなクレストが、少しは自分を気にかけてくれたということに意味があったのだ。
俄然やる気になったフォンスは、木に手をかけ、地面を蹴った。




