銀座の高級クラブ
銀座の高級クラブはとかくお高い。
実際、万札1桁では門前払いだろう。
政治家の先生をはじめ、上場企業の重役さんや銀行の頭取などが主な客層だ。
ササミの叔父さんといえども、株式上場さえしていない社長など田舎のおっさんとたいして変わらない。
甥っ子の合格祝いに大奮発したのだ。
「いらっしゃいませ。お二人ですね」
「ああ。社会見学だ。よろしく頼む」
「賜りました。こちらへ」
フレグランスというお店で、並んで迎えてくれた彼女たちは抜群のスタイルを誇る体にきれいな顔が乗っていた。
胸元が開いていてもいやらしさは無く。体にフィットする薄いシルクは、スタイルをさらに際立たせてセクシーだった。
「お飲み物は何にいたしましょう?」
「甥っ子の合格祝いだ。シャンパンを頼む」
「かしこまりました」
ボックス席に案内され、3人の美女が両脇と二人の間に座った。
会話の中でここに来た目的と2人の関係を伝える。
よくある話だが、ホステスたちが対応しやすいようにする気配りが無いと、逆に馬鹿にされるのだ。
無論、そんなそぶりは見せないが、それが銀座のクラブの怖いところだ。
「どこの大学か聞いてもいい?」
「あ、はい。明桜大です」
みつるの右側に座った1番若い子が甘えたような声で聞いてきた。
「すごい偶然。由香も明桜大よ」
「先輩でしたか、よろしくお願いします」
「失礼しちゃうわね。同級生よ」
「す、すみません」
むろん本当に怒っているわけではない。
彼女たちのすごいところは、お客の好みを瞬時に感じ取り、楽しく過ごせる相手になり切ることだ。
18歳でこのようなお店に勤めるのは無理があり、そうなれば明桜大生も怪しくなってくる。
しかし、それを指摘するのは野暮というもので、ホステスの話に乗っかって楽しむのがクラブというところなのだ。
田舎者のみつるはそのまま信じていたが、そっちも心配はいらない。そんなことなど彼女たちにはお見通しで、そのうえで場を盛り上げてくれるのだから。
「ねえ?学部は?」
「教育学部です」
「先生か。由香は無理かな」
「どうして?」
「だって、いじめとかあったらどうするのよ。由香の方が登校拒否になっちゃうよ」
「ああ、たしかに」
「でしょう?あ、シャンパン来た。乾杯しよっ」
みつるは彼女の脳天気さに苦笑いをしたが、それもまた演技だとは気が付いていなかった。
来たのはドンペリ、最高級シャンパンだ。値段は聞かないほうがいい。
叔父さんはみつるの相手を一人に任せ、自分は両手に花を楽しんでいた。
むろん、むやみに触ったり口説いたりしない。美女を侍らせてお酒を飲むというシチュエーションを楽しむだけだ。
ここは本体、こうして静かに楽しむ場所だ。
今日は若いみつるをもてなすために雰囲気を変えてくれたのだ。
そして、そんな甥っ子を見守る叔父のためにそっと寄り添っている。
それが銀座の高級クラブなのだ。
「みつるは今度店長になるんだ。いや。もうなったのか」
「え?みつる君すごい。なに?何のお店?」
話題を投げかけると、ホステスはすぐに食いついてくる。
「熱帯魚屋さん。だけど、まだ改築もしてないし、掃除しているだけだから」
「何言ってんのよ、すごいじゃない」
ペチリと叩いてくるのは肩ではなく腿だ。
付け根から離れているから不自然ではないが、若いみつるには刺激の届く場所だ。
「そ、そんなことないって」
「熱帯魚って言うとエンジェルフィッシュとかね」
「え?」
みつるは由香の言葉に驚いた。
「え?違うの?」
「いや。え?ちょっと待って」
みつるは片手を上げて彼女を止めた。
「そうかエンジェルフィッシュだ。何で気が付かなかったんだろう。グッピーや金魚は繊細なヒレを守るために水深の浅い水槽を使うけど、エンジェルフィッシュは逆だ。背ビレと胸ビレが伸びるから水深がいる。だから深い水槽ばかりだったんだ」
みつるは完全に自分の世界に入っていた。
話しかけるホステスを無視し、触れてくる手を押し返すほどに。
「しかし、それでも水深1メートルは異常だ。もしかしたらロングフィンか?エンジェルフィッシュも交配可能種だし、リボンがスワローの遺伝子が出たとしても不思議はない。そうか、新種を作出したんだ。そうに違いない。だとすればその遺伝子情報は残っているはず。アナログデーターは無かったし、あとは。SNSだ。ブログに残したんだ。きっとある。絶対だ」
みつるがスマホを取り出し指を走らせた。
「どこだ?どこだ、どこだ?」
必死の形相でのぞき込むスマホに大きな手が置かれた。
「え?」
「美女たちを前にその態度は失礼じゃないかな?」
「あっ!」
叔父さんの声にみつるはようやく今の状況に気が付いた。
自分の合格祝いのために叔父さんと3人の美女たちがいた。
「す、すみません」
スマホを仕舞って小さくうつむいたみつるだが、そのままにしておくホステスはいない。
「もう一度乾杯しましょ?」
「はい」
やさしいフォローが入り、ホッとしたみつるだったが、彼はホステスというものを知らなかった。
銀座の高級クラブはその世界では日本1のお店だ。そして、そこで働く彼女たちも同じだ。
美しさと色気はおまけに過ぎない。政治や経済、文化や芸術、医学からスポーツにいたるまで、いかなる話題にもついていける知識と機転があるのだ。
そして、彼女たちはそのことに自信と誇りを持っている。
みつるが著名人だったならまた違ったかもしれない。
しかし、彼は上京してきたばかりの田舎者で、彼女たちからすればがきんちょに過ぎない。
自分たちの魅力に骨抜きになってもおかしくない彼に無視をされた。このことに、少し、ほんの少し腹が立ったのだ。
「あっ」
由香の手が再び腿に置かれた。先ほどと同じ場所で、付け根からは遠く、たまたまそこに手を置いたと言われても不思議はない場所だ。
しかし、みつるの気持ちとは別に、若い体は反応してしまう。股間が大きく硬くなるのだ。
みつるはそっと手を押し返すしかなかったが、由香は驚き、傷ついたという表情を見せた。
「ご、ごめん」
みつるが小さく謝ると、由香は腕を組んできた。
「これならいいでしょう?」
「う、うん」
おねだりをするように見上げられてはうなずくしかなかった。
「乾杯、していいよね?」
「も、もちろん」
由香は左手をみつるの右手に絡めている。
そのまま体を前かがみになれば、とうぜんみつるの右手は柔らかいものに当たることになる。
ビクリとうぶな反応を見せるみつるのグラスにドンペリが注がれる。
右手は動かない。いや、動かしたくない。
みつるは左手でグラスを取った。
「カンパーイ」
「乾杯」
笑顔の由香とぎこちないみつるが乾杯した。
「ねえ?エンジェルフィッシュって、そんなに好きだったの?」
「いや、ごめん。そうじゃなくて」
「うん?」
「その。好きなのはグッピーなんだ」
「あっ、由香知ってる。ヒレがきれいな魚でしょう?」
「そう、すごくきれいなんだ」
みつるが好きな話題になれば、口数も増えてゆく。
しかし、その裏で動きもある。
由香が体を戻せば柔らかな感触は無くなるが、その由香の左手が、話すたびに体に引き寄せるように力が入るのだ。
このまま行けば再び柔らかい感触にたどり着く。それはみつるが望むことなのは言うまでもないが、その動きはあまりにも自然で、抵抗する方が不自然に思えるのだ。
みつるの右手は少し、また少しと楽園に近づき、たどり着いた時には気が付かれていないかと叔父たちの方を見てしまうほどだった。
そして、会話が途切れたことに気が付く。
由香の方を見ると、泣きそうな、許しを請うような目で見上げている。
その顔は、こんなことされたら感じちゃう。恥ずかしいようと訴えているようにしか見えないのだ。
「ご、ごめん」
みつるは素早く右腕を引いた。
はずみで引き離された由香の左手は再びみつるの腿の上だ。
しかし、今度はそれをどけることは出来ない。
なぜなら、由香が下を向いたままだったからだ。
「えっと、また、乾杯する?」
「いいの?」
そっとお伺いするみつる。
「もちろん」
「怒ってない?」
恐る恐る聞いてくる由香。
「当たり前じゃないか」
「ほんとに?」
「ほんとだ」
「よかった」
ようやく由香に笑顔が戻った。
ほっと息を吐いたみつるは由香の左手が叔父さんたちから見えないように右手を動かした。
そう。由香の手を受け入れたのだ。そして、受け入れてしまえばそこには快感がある。
とろけるような喜びはみつるを笑顔にし、初めてのお酒が酔いを加速させる。
「グッピーって言うのはすごい魚なんだ」
「そうなの?」
「ああ。グッピーに始まりグッピーに終わるって格言があるくらいなんだぞ」
「すごいね」
「ああ。いいかい、そもそもグッピーはだな……」
普段のみつるからは考えられない饒舌ぶりを発揮し、満面の笑顔でグッピーのすばらしさを語った。
そう。銀座の高級クラブで、ホステス相手にグッピーを語ったのだ。
グッピーのすばらしさを。そして自分がどれだけグッピーを愛しているのかを。
「あれでも甥っ子なんだがな」
「でも、楽しそうですよ」
「それは、まあ、そうなんだが」
「ふふふ」
叔父さんの腿にも手が置かれた。
みつるは知らないだろうが、これは銀座のホステスにしてはあり得ないほどの大サービスで、邪魔をするなとのメッセージでもある。もはや、諦めるしかない叔父さんだった。
「ありがとうございました。またいらしてくださいね」
「うん。ありがとう。来るよ、絶対また来るよ」
みつるはふらふらする体を叔父さんに預けながら、夢のようなひとときに満足していた。
「楽しかったね。ありがとう、叔父さん」
「ああ」
二人の姿は光と闇の中に消えていった。
「久しぶりの若い子だからって、少し遊びすぎたかな?」
「いいんじゃない、あのくらい」
「明日、目が覚めて何を思うか楽しみね」
見送るホステスたちの会話が二人に届くことは無かった。




