お怒り
会合の翌日、いつもの食堂で朝食を済ませたササミは安西甘露堂にやって来た。
「おはようございます」
「いらっしゃいませって、なんだ、みつるか」
琴美は通常運転のようだが、もはや呼び捨てだ。
「女将さんいる?昨日の会合で助けてもらったから、お礼を言いたいんだけど」
「ふーん。かあさん!」
その方が気が楽だし、同級生なんだからため口のままでいいだろう。
「なーに?あら、みつる君、いらっしゃい」
「おはようございます。あの、昨日はありがとうございました」
「大したことしてないわよ。それより、昨日はかっこよかったわよ、さすがは私の息子ね」
「ど、どうも」
「いつからお母さんの子供になったのよ!」
女神の悪戯っぽい微笑みにみつるは苦笑いで、琴美が突っ込み役だ。
「あら?琴美と結婚すれば、息子でしょう?もう決まったようなものよ」
「ないから!絶対ないから!」
琴美が大声で否定した。考えてもいなかったが、そこまで否定されるとさすがに傷つく
「みつるの良さが分からないなんて、まだまだ子供ね。新作菓子の相談でもしてみたら?」
「うぐっ」
母親に子供扱いされたら何も言えない。琴美の天敵だ。
「昨日言われてたあれですね。参考になるかはわかりませんが、今度叔父さんが来るときに福井の和菓子を持ってきてもらうように頼んでおきました」
「え?」
「ね。さすがでしょう?」
偶然思い付いただけなのだが、まあ結果オーライだろう。
「なに得意そうな顔をしてんのよ!お菓子を作るのは職人さん。私は売る方法を考えてるの!」
さすがにお人形さんだ。怒っているのにかわいいとしか言いようがない。
「もしかしてブログとか?」
「なんで分かるのよ!」
「いや。パソコン開いているし。そうかなって?」
「もう。そういう言い方が腹立つのよね」
そんなことを言われても困るのだが、心配なこともあるので言葉をつづけた。
「ホームページを作って写真を載せるとか?」
「そうよ。あんたんとこに写真を載せただけでお客が来たしね.本格的にやるの」
「やっぱり。それ、やめた方がいいよ」
「あ!の!ね!」
琴美は立ち上がり、今にも飛び掛かってきそうだ。グーで殴られたらさすがに痛そうだが、言わなければならない。
「写真を載せたら一気に人気が上がってランキングに入るかもしれない。お客はたくさん来るよ。100人くらいかな」
「いい事じゃない」
とりあえず、怒りの矛先は変えた。
「1時間あたりだけどね。1日なら1000人くらいかな。顔を見たいだけの人も多いから、店の商品がなくなっても100人以上の客が店を取り囲む」
「え?」
「悪意を持った人も必ず来るから、大声で騒いだり、喧嘩をしたり。窓ガラスなんか毎日割られるだろうな」
「うそ?」
「ストーカーなんて当たり前。ボディーガードを付けなきゃ町も歩けなくなるぞ。SNSの炎上なんて珍しくのないのは知っているだろう?匿名にしないとリアルで危険なんだ」
「……」
話はかなり盛ったが、これくらい言わないと琴美を止められない。
「通販だって無理だぞ。売れない日があれば、1日1000個出る日もあると思う。通販は工場で作る体制が無きゃ無理なんだけど、ここで出来るの?」
「……」
「あっ」
琴美は立ち上がったままうつむいていた。
泣いているのか怒ってるのかは分からないが、握られた両こぶしがプルプルと震えていて、ササミは言いすぎたことを悟った。
「えっと。だから、ほら。俺のところで売ればいい。個人を特定する書き込みは削除して。5000円くらいのセットで。和菓子箱にはしおりというか商品説明の紙が入っているだろ?あれに琴美さんの写真を入れて、話しかける口調で説明するんだ。そうすれば、写真欲しさに買う奴が出てくる。箱には店舗名と住所が書いてあるから、店にも来る。もし来なかったら、ポーズを変えた写真を5枚用意して告知すれば5個買う奴が出てくる。5枚目が水着なら確実に出てくる。絶対だ。保証する」
「ふ、ふざけるなー!誰が、誰が水着なんか着るかー!」
「ご、ごめん。また来る」
「二度と来るなー!」
ササミは店を飛び出していった。
☆☆☆☆☆
「あらあら、追い出しちゃった」
「当然よ」
女将が笑顔でそう言えば、琴美は琴美はドカッと椅子に座った。
「みつる君の提案、琴美は使わないの?」
「使わない。絶対使わない。なにがあっても使わない」
腕組みをするとおっぱいが盛り上がって見える。着やせするタイプかもしれない。
「そう。じゃ、春の新作で使うわね」
「え?」
「だって、売れそうだし。夏はそれ以上売らないとボーナスは出ないわよ。そうそう、ミスコンテストの時は水着審査もあったし、写真はいっぱいあったわね」
「それって何年前の写真よ!詐欺よ詐欺」
母親の若かりしころの水着写真など恥ずかしすぎる。
「ほんの20年前だけど駄目かな?」
「駄目。絶対駄目」
それだけは阻止しなければならない。
「そうお?それじゃ、5年前ならいいかしら?」
「そ、それなら、まあ、いいかな」
「よかった」
なんか、諦めが良すぎる気がする。
「えっと、ちなみにどんな写真?」
「琴美が中学生の時、初めて水着を買いに行ったでしょう?」
「行ったけど」
「どれがいいのか迷って、試着した写真を何枚も送って来たじゃない」
「ちょ、ちょっと待って。もしかして、あれ、まだ残っているの?」
「消去した覚えはないけど」
「私の写真よ!著作権とか私だよ!」
「親権を発動するわ」
「そんな……」
親権と子供の著作権、どちらが上なのかは分からないけど、母ならやりかねないのだ。
「みつる君ね、3か月前にお父さんがなくなったんだって」
「え?」
急に話が飛んだ。しかも重い話だ。
「同じ境遇同士、仲良くしなさい。それが条件よ」
「……」
「返事は?」
「……はい」
写真を使わない代わりに仲良くしろとは理不尽にもほどがあるが、どれほど頑張っても母にかなう娘はいないのだ。
女将さんがみつるを気にいるのは機転が利くことではなく、自分たちと普通に話せることだった。
お近づき目的でなれなれしくするのではなく、自然体で話す男の子。
美しすぎる女の子にとって、それがいかに貴重な存在であるかを知っていたのだ。
☆☆☆☆☆
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした。お昼は相変わらずラーメンなのね」
午前中は掃除に費やし、お昼はいつもの食堂だ。
「ラーメン好きなので。そうだ。福井には不思議なラーメンのチェーン店があるんですよ」
「へえ?どんな風に不思議なの?」
「福井でもいろんなラーメン店が店を出すんです。もちろん、全国チェーン店もあるので、開店当初は行列が出来たりするんですけど、結局いつものラーメンが食べたくなって行かなくなるんです」
「それは不思議ね。どんなラーメンなの?」
「普通の塩ラーメンです。お店側も理由が分からないようで、『なんでかな?』というコマーシャルも流れてます。そして、もっと不思議なのは、福井県民限定だという事です」
「どういうこと?」
「本店は確か石川県だったはずなんですが、なぜか福井でのみ、はやるんですよね」
「それは不思議ね」
「でしょう?僕は餃子と御飯が付いたセットを食べて、お持ち帰りポテトを買って帰るんです。それ以外は注文しません」
「そう。食べてみたい気はするけど、福井は遠いわね」
「ですよね」
なんだか、あまり参考にはならなかったみたいだ。
いつもうまくいくとは限らない。みつるは店に帰っていった。
☆☆☆☆☆
店の前に恰幅のいい紳士が立っていた。
「叔父さん?」
「よっ。元気にしてたか?」
「はい。あの、来るのは来週じゃなかったんですか?」
昨日の今日だ、不自然にもほどがある。
「緊急に店の視察をすることになってな」
「それって。もしかして、俺の話が気になったからとか?」
「なにを馬鹿なことを。そんなことはあるはずがないだろう。絶対無い」
「……ですよね」
叔父さんの目が泳いでいるが、そういう事にしておいた方がよさそうだ。
「それ、羽二重餅ですか?」
「そうだ。思っていたより種類が多いな」
叔父さんは大きな買い物袋を持っていた。
「それじゃ、それを手土産にお隣さんに挨拶に行ってもらえますか?」
「あれか?なんだ、和菓子屋じゃないか?手土産が和菓子なんて失礼だぞ」
「新作菓子の参考にしてもらうんですよ。甥っ子がお世話になってますって挨拶に行ってほしいんです」
「そりゃ構わんが、驚く話はどうなった?」
やっぱり気になるのはそこらしい。
「行けば分かりますって。俺は掃除があるし、挨拶は長くなってもいいですから」
「こっちも暇じゃない。すぐに終わる」
「はいはい。じゃ、よろしくおねがいしますね」
みつるには勝算があった。
なにしろ叔父さんは面食いで女好きの社長なのだ。
まさに英雄色を好むを地で行く叔父さんが女将さんを見て何も思わないはずがない。
みつるはニヤリとしながら店に入っていった。




