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2ササミ

 翌朝、熱帯魚店に笹岡みつる(ササミ)の姿があった。

「諦めてくれってことは、このシャッターも直してくれないってことだよな」

 昨夜聞いた警察官の言葉を思い出してため息をついた。

「もともと錆び付いて少ししか開かなかったし、壊す手間が省けた、とか、ないよな」

 シャッターが壊されてよかったのは店内が明るくなったことくらいだ。

 警察官の乱入で陳列ケースのいくつかは壊されていたが、商品はそのまま残っていた。

「1年間このままだったんだよな。周辺機器はいいとしても、餌は大丈夫なのかな?」

 床に落ちた商品を適当に拾い上げ、無事な棚に放り上げていった。

「一通りの餌はあるんだろうけど、グッピー以外は素人だし、投げ売りにした方が無難だな」

 壁に陳列されていた高額商品は無事のようだ。

「外部濾過器は充実しているな。二酸化炭素ボンベの種類も多い。水草水槽に力を入れていたのかな?おーっ!これは水中殺菌灯にオゾン発生装置だ。実物を見るのは初めてだな。これは鳥籠、じゃない爬虫類用だな。電熱灯も多い。干からびた生体がいなくてよかった」

 レジ後ろの棚には薬品もあった。

「パラザンはじめ、劇薬が勢ぞろいか。使うことは無いと思うけど、こいつもすごいや」

 奥に扉があり、開けて見ると倉庫だったが、さすがに暗い。

 新品の水槽や段ボールが山積みになっているようだ。

「暗いな。この段ボールは何だ?」

 明るいところまで持ち出してみると、大きな缶詰に入った餌だった。

「おお、クリルの缶か。ずいぶん多いな。こっちは?おいおい、ブラインシュリンプの特大缶だと?すげーっ。これ1つで5万はするぞ。こりゃ、お宝発見だな。テンションが上がるぜ」

 しかしと、小首をかしげた。

「ずいぶんと偏った在庫だな。なにがメイン商品だったんだ?」

店には適正在庫というのがある。前店主は適正だと思ったのだろうが、彼にはそう見えなかったのだ。


 倉庫を閉め、振り返ると冷凍庫が目に入った。

「冷凍庫には赤虫とワームにハンバーグだろうな。電気が切れて1年か。今、開ける勇気はないな」

 手を触れずに奥へ行く。

 水槽が立ち並ぶエリアは薄暗いが、何とか分かる。割れてはいなかったが、ひびの入ったものが何本かあるようだ。

 昨日のせいなのかは不明だが、手を出すには大仕事すぎると言いながら奥まで行き、立ち止まった。

「これは?」

 そこには巨大といってもいいほどの水槽があった。

 幅が1.8メートルもありながら、高さが異常だ。特注の水槽でも、水圧の関係で60センチが限界のはずなのに、どう見ても1メートル以上ある。水族館ならまだしも、熱帯魚店にあっていい物ではなかった。

「これ、いくらするんだろ?前店主の趣味なんだろうけど、ぶっ飛んでるな」

 今は空だが、水を入れれば2トンは越える。そのためだろう、土台はH鋼だった。

 横には巨大な濾過装置もある。

 使われている濾材は見たこともないものだし、水替え用のサブタンクにつながる配管には大きな浄水器までついていた。

「海水魚かな?いや。海水の元の在庫は目立つほどなかったし、東京湾から運ぶのか?いや。車はないって言ってたから無理だろう。あら塩を使う手もあるけど、ここまで凝っているんだからそんな手抜きはしないだろうし。うーん、分からん」


 最後の扉を開けると生活エリアだ。

 掃除でもしようとして、電気も水道も止まっていることに気が付いた。

 何とかしなければならないのは間違いないが、何処に連絡すればいいのかさえ分からない。

「お隣さんに聞くか。挨拶くらいはしないとな」

 騒がせたお詫びもするべきだろうと、隣の店に向かうのだった。


☆☆☆☆☆


「こんにちはー」

 お隣の和菓子屋さん。安西甘露堂の暖簾をくぐった。

「いらっしゃいませー」

 明るい声が返ってきたが、みつるは入り口で立ち止まってしまった。

「どうかなさいましたか?」

「あ、いや、その」

 見とれたのは琴美が大きな人形に見えたからだ。

 きらめく黒髪と白磁を思わせる白い肌。丸い顔に大きな瞳。かわいく伸びた鼻筋に赤く小さな唇。まさに、日本人形そのものだった。

 しかも、その人形が人間の言葉をしゃべっている。

 ありえないと分かっていながら、頭から離れなかったのだ。

「何かお探しでしょうか?」

 琴美の方は、そんなお客に慣れているのか平然としたものだ。

「えっと、隣に越してきた。いや。今度越してくる笹岡みつるです。ご挨拶にと思いまして」

「え?」

 何とか言葉をつぐみだすと、今度は琴美が驚いた。

「かあ、お母さん。お母さーん!」

 かあさんと言おうとして言いなおし、声まで裏返っていた。


「なんですか?変な声を出して」

 奥から女将さんがやって来た。

 これまた見ほれるほどの美人だ。しかも大人の色気がにじみ出ている。

「お隣の殺人犯、じゃなくて。ほら、誰だっけ?」

「笹岡みつるです。ご挨拶に伺いました」

 人形が慌てているのがおかしくて、逆に落ち着いたみつるが助け舟を出した。

「そう、それ」

「もう。ちょっとは落ち着きなさい」

 女将さんはのんびり近づいてきた。

「昨日はその、お騒がせしたようで、申し訳ありませんでした」

「そうね。いないはずのお店に人がいれば泥棒と間違われてもした方がない。挨拶が先だったわね」

「はい。すみませんでした」

「これからは気を付けなさい。それで、お隣に引っ越してくるのね」

「はい、よろしくお願いします」

 琴美はポカーンと口を開けていた。

 自分たちのせいで誤認逮捕されたのだから。謝らなければならないはずなのに、逆に謝らせている。

 普段はおとなしい母が妙に頼もしかったのだ。

「分からない事があったら何でも言ってきなさい。逆に、こっちもお願いするかもしれないけどね」

「はい。お任せください。そうだ。掃除をしたいんですが、電気も水道も止められていて、何処に連絡すればいいのか教えていただけませんか?」

「そうね。適任者を呼んであげるわ。少し待っていなさい」

「はい」

 ササミは今まで見たこともないような美しい2人を相手に普通に話をしていた。

 本当なら舞い上がってしまうはずなのだが、2人があまりにも美人で別世界の人に見えたのだ。

 恋愛対象になるなどありえないのだから緊張する必要がなく、むしろ、さすがは東京だと、他人事になったのが良かったのだ。


「ねえ?」

「はい?」

 店に二人っきりになると琴美が話しかけてきた。

「熱帯魚屋さん、やるの?」

「そうですね。グッピーのブリーディングルームにしようとは思っていますけど、店売りは時間がないかもしれません」

「ふーん」

 話が終わってしまった。

 自分から話を振っておいてなんだよと思わなくもなかったが、相手は人形だと思って気を取り直した。

「ねえ?」

「はい?」

 終わったと思った話はまだ続くようだ。

「グッピーってさ。金魚食べる?」

「ええー?」

 これにはさすがに驚いた。

「ねえ、どうなの?」

 本当に知らないようだ。

「グッピーはメダカ科の魚だから、食べないというか、金魚の方が大きいです」

「ふーん」

 また話が終わってしまった。

「えっと。どういうことかお聞しても?」

「いいけど」

「……」

 思い切って聞いてみたのだが、返事が返ってこない。人形と話をするのは疲れるという事を発見しただけだった。

「かわいい金魚がいっぱいいたのに、みんな餌だって。もう、信じらんない」

 しかも、その人形が突然怒りだした。

 少し驚いたが、美少女は顔をゆがめてもブスにはならないことは発見した。

「餌金ですね。となると、アロワナとか、ガーパイクとかいましたか?」

「なに?それ」

「ああ。じゃ、コオロギは?」

「いた。もしかしてコオロギも餌?」

「たぶん」

 沈黙が重い。

「ねえ?」

「はい?」

 まだあるようだ。

「金魚を餌にしたら絶交だから」

「はい。絶対にしません」

「ならいい」

 ようやく終わった。

 美少女は難しい。なるべく話しかけないようにしようと思うみつるだった。


「すぐに来るわ。座って待ってなさい」

「ありがとうございます」

 女将さんがお茶を持って戻って来た。

 店内にテーブルは無く、籐製のベンチがあるだけだ。

「おくにはどちら?」

「福井です」

「福井というと、有名なのは永平寺だったかしら?」

「はい。あと、東尋坊と、最近では恐竜博物館ですかね」

 お茶を手にしたものの、飲むタイミングが難しい。

「カニは?」

「ああ、越前蟹もですね」

 琴美が口をはさんできて、またしてもお茶は飲めない。

「あれ高い」

「ですね。地元民はメス蟹の方を好みます。安いし美味しいですから。といっても1杯1000円くらいなので、お正月に出るカズノコみたいな扱いですかね」

「ふーん」

「今年の漁は終わりなので、冬になったらおすそわけに来ます」

「うん」

 琴美の笑顔から蟹が好きとみた。

 ようやくお茶を口にしながら、解禁直後は高いけど頑張る価値はありそうだと思うみつるだった。


「スポーツは何をやっていたのかしら?バスケとか?」

「とくには何も」

 女将さんの身上調査は続く。ちなみに、みつるの身長は180あった。

「得意な事は?」

「グッピーと、かるたくらいですかね?」

「かるたって、犬も歩けばってやつ?」

 琴美が口をはさんできた。

「いや。百人一首の方。俺の地域では小学3年になると皆やるので」

「アニメで見たことある。強いの?」

 体を乗り出してきた。すごい食いつきようだ。

「一応、A級です」

「じゃあさ、じゃあさ、高校の全国大会とか優勝した?」

 かるた部の事だろうけど、福井では道場に通うのが普通だしな。

「いや、中学でやめたから」

「なんでやめたの?お爺さんがなくなったとか?」

 今度は話が飛びすぎて分からん。

「えっと」

「琴美、失礼ですよ」

「だって」

「ああ、いいです。中1でグッピーに出会って、師匠に辞めたいって言ったら、A級になったら辞めていいって言われて、2年の時にA級になれたんで辞めました」

「何でよ?続ければよかったのに」

「睡眠時間3時間でも足らなくて、グッピー全滅させた時、もう無理だって思って」

「ふーん」

 終わった。また終わってしまった。


「お店は継ぐのかしら?」

「一応、そのつもりです。ただ、大学生なので休みの日にしか店は開けられないかと」

 女将さんが話題を変えてくれた。

「どこの大学なの?」

「明桜大です」

「まあ。琴美と同じじゃない」

 両手を顔の前で合わせた。

「そうなんですか?」

「新入生よね」

「はい」

「同級生よ。よかったわね。琴美」

「べつに」

 つっけんどんな感じというか、お人形さんは言い方がきつい。

「えっと。俺、嫌われてる?」

「嫌ってない」

 琴美がそっぽを向いた。

 これはもしかして、ツンデレとかいう奴か?まあ、俺相手にそれはないか。

「琴美は男の子と話すのが苦手なのよ」

「そんなことない」

 そんなことはないらしい。だが、少なくともみつるの手におえる相手ではなさそうだ。


 そして、琴美がさらに何かを言おうとした時、来客があった。

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