交易3
大きい酒造所は一通り見て回ったが、最初の酒造所で聞いたようにどこも売約済みだった。小さな酒造所はまだ行っていないが、行くまでもないかもしれない。この街で酒の買い付けをするのは現実的ではないようだ。
「ねえ、どうするの?」
クレアがつかれた様子で聞いてくる。体力的にというより、精神的に疲れている様子。気持ちはわかる。
「こうなったら、最初に聞いたダニエルっていう商人と交渉したほうが早い。最初の酒造所に戻って、ダニエルを紹介してもらおう」
「わかったわ。リーズを呼び戻しましょう」
リーズは絶賛自由行動中だ。いつものことなので放置している。街を出ることになるかもしれないから、今のうちに呼び戻しておく。と思ったら、リーズが帰ってきた。
「こんさーん! 仕入れは終わった?」
「いや、断念しようかと……って、酒臭っ!」
リーズの口からアルコール臭が漂っている。どこで飲んだんだよ……。
「おじさんが味見をしろってうるさくってさー。こんさんとも話がしたいってー!」
どこかの酒造所で遊んでいたらしい。味見をさせるくらいだから、酒が余っているのかもしれないな。行ってみるか。
「了解。案内してくれ」
リーズに連れられて向かった先は、街外れの閑散としたところだった。小高い丘の上に立つボロい建物。防壁の内側ではあるものの、他の建物が見当たらない。
未開発の地域……ではないな。家の基礎みたいなものがあちこちに残っている。何らかの事情で立ち退いたあとのようだ。ワケアリの土地なのだろうか。
その建物の前で、赤い顔をしたおっさんが仁王立ちしていた。見ただけでわかる。酔っているな。
「おー、リーズちゃん! おかえり! 旦那様ってのはそいつかい?」
いや、リーズよ。この酔っぱらいにどういう紹介したの?
「旦那様ではないが……まあ俺だな」
「オレはこの酒造所の主、グレンドだ。あんた、酒を買いたいんだって?」
グレンドは酒臭い息を吐きながらニヤリと笑う。建物は小さいが、ここも酒造所のようだ。
「そうだな。この街の特産品だっていう酒を探している」
「そうか、そうか。そりゃあ良かった。じゃあ、まずはこの酒を飲んでもらおうか」
グレンドはそう言って、琥珀色の液体が入ったカップを差し出してきた。そのカップからは、鼻をつくようなツンとした匂いが漂っている。かなり強い酒だと思う。
「悪いが、俺は酒が飲めないんだ」
年齢の問題もあるが、俺は酒を飲んだことがない。まったく興味がないってわけでもないんだけど、飲めないってことにしておく。
「テメェ、味も知らないで買うってのか?」
「飲んだって、良し悪しがわからないからな。持って帰ってから詳しい人に確認してもらうつもりだ」
「わからないからこそ、確認するんだろうが。味も知らないガキに売る酒なんかねぇからな!」
なんだか無茶苦茶な言いがかりを付けられている気がする……。けど、言っていることは間違いではないかもな。味見くらいはしておこう。
差し出されたカップに口をつける。ウィスキーのような匂いが口の中に広がり、喉を通り抜ける。一瞬ひんやりとした感覚があったが、次の瞬間には燃えるように熱い。
不味くはないと思うが、これ以上はもういらないかな。一口でも酔いそうだ。
「そっちのお姉ちゃんも、ほら。飲んでみな」
クレアも飲まされようとしている。
「いや、アタシは……」
「いいから飲め!」
グレンドの気迫に押され、クレアもカップに口をつけた。
「うっ!」
と唸ってすぐに吐き出す。かなり弱いのかな……。
「お姉ちゃんにはまだ早かったかな? まあ、徐々に覚えていけばいいぞ。いずれはリーズちゃんみたいになれる」
グレンドがそう言うと、リーズは照れくさそうに笑う。いや、リーズ……どれだけ飲んだの? まあいいか。
味見はしたものの、やっぱりよくわからない。味見以外で判断する方法はないのかなあ。
「ところで、この酒はどうやって造るんだ?」
製法がわかれば、善し悪しを判断する基準になるかもしれない。
「よく聞いてくれた! アガベという植物を知っているか?」
「ああ、あの変な草だな。ここに来る途中で見たよ」
「変なってなんだよ。このあたりではありふれた植物なんだぜ」
グレンドは得意な顔で説明を始めた。
なんでも、あの草を使った酒の造り方は数十年前の大火事で偶然発見されたそうだ。火事で蒸し焼きにされたアガベが、とても甘くなっていたという。それを元に造った酒を改良したものが、竜舌酒と呼ばれるようになったらしい。
「オレのご先祖様が偶然発見したんだ。スゲェだろ」
グレンドのドヤ顔が若干イラつく。まあ、酔っぱらいの自慢話はこういうものか。自慢話は適当に聞き流しつつ、もう少し説明を聞こう。
「へぇ。ということは、あの変な草の汁を発酵させて造っているんだな」
「いや、それだけじゃねぇぞ。そのまま飲んでも甘くて美味いが、保存ができねぇんだ。だから、一回煮る」
「煮る?」
「煮立たせて湯気を集めるんだよ。そうすると、濃い酒になる」
ややこしい言い方をしているが、つまり蒸留だな。匂いが似ていると感じたが、やっぱりウィスキーのような蒸留酒だということか。
「へぇ。この酒を作るのに10年以上掛かるって聞いたんだが、そんなにかかるものなのか?」
最初の酒造所でそう聞いた。しかし、今聞いた工程で10年も掛かるとは思えない。
「そうだぞ。まず、材料を育てるのに最低でも5年、下手すりゃ10年かかる。そして、絞って酒にするのに1年。あとは熟成だ。だいたい1年から3年くらいで出すことが多い。長く寝かせたほうが美味くなるな」
ほぼ草の育成期間かよ。あの変な草を育てるのに、そんなに時間がかかるのか……。割りに合わないような気がするが、そこまでしてでも飲みたい酒だということだな。
「まあ、寝かせないほうが好きだってやつも居るがな。ダニエルってやつみたいに」
また出たよ、ダニエル。かなり有名な商人らしい。
寝かせなくてもいいというなら、寝かせないで売ったほうが儲かるんじゃないかな。どうなんだろう……。
「寝かせると、どんな違いが出るんだ?」
「熟成しないと香りが薄くて辛口になる。クセは無いが、面白みも少ないな。長く熟成すると甘みと深みが出る。まるで果実水のように飲めるぞ」
さらに聞くと、この酒の熟成期間は色で判断できるらしい。熟成なしの状態は透明で、熟成期間が長くなるにつれて色が濃くなっていくそうだ。
果実水というのは盛りすぎだが、なんとなく違いがわかった。
需要はそれぞれにあるが、おそらく長期間熟成したほうが単価が高いだろう。日本に居た頃にコンビニで見たことがあるのだが、ラベルに寝かせた年数が書いてあった。同じ銘柄なのに、年数が違うだけで倍以上値段が違ったんだよなあ。
そういえば今試飲した酒、めちゃくちゃ濃い色をしているけど……。
「これは何年なんだ?」
「聞いて驚け! なんと10年! 今、この街に、これ以上寝かせた酒はどこにも売ってねぇ。買えるのはうちだけだ」
すごいな。酒の味なんかわからないが、時間の価値なら少しわかる。『10年も熟成させました』なんて触れ込みで売れば、味なんか関係なく売れるんじゃないかな。
酒は在庫として持っておくことができないはずだったが、蒸留酒となれば話は別だ。たとえ長期在庫になったとしても、置いておくだけで価値が上がっていく。
エルミンスールの宮殿は魔道具で完璧に温度管理されているから、保存が悪くてダメになるというリスクも低い。少しずつしか売れなかったとしても特に困らない。大量に買い込んでも問題なさそうだ。
ただひとつ怪しいのは、なぜこの酒だけ売れ残っているのか。実は10年も売れ残るほどに飛び抜けて粗悪なのかもしれない。
「そんなにいいものなら、どうしてこんなに売れ残っている? 他の酒造所の話も聞いたが、どこも売れ残りなんて出ていないようだったぞ?」
「……いや、なんだ。そこはいいじゃねぇか。とにかく、オレはあんたに買ってもらえればいいんだ」
怪しい……。クソ不味いとは思わなかったが、売れ残っている理由が何かあるはずだ。
「悪いけど、ちょっと考えさせてくれ。他の酒造所も見て回りたいんだ」
「止めやしねぇけど、どうせ無駄だぜ?」
買えないことはわかっている。無駄なことは百も承知だ。でも、グレンドに対する調査ならできる。買うかどうかの判断は調査を終えてからだ。
酒造所から離れると、リーズが不思議そうに訊ねてきた。
「買わないの?」
「もう少し調べてからだ。安いものじゃないから、グレンドの話を鵜呑みにするわけにはいかないんだよ」
「ふぅん?」
リーズは首を傾げながら返事をした。たぶんよくわかってないな。普段からちょっと抜けているところがあるが、今日はさらに酒を飲んでいるからなあ。
10年も売れ残っているものが、今いきなり売り切れるなんて考えにくい。軽く調査をするくらいの時間は十分にあるんだよ。
のんびり歩いて市街地に戻る。話が聞けそうなのは、最初に行った酒造所だろうか。とりあえず向かってみよう。
目的地に到着すると、さっきと同じおっさんが建物の前のベンチに座っていた。
「よう、また会ったな。どうだ? 酒は買えそうか?」
俺は仕事中かもしれないと遠慮したが、おっさんのほうから話しかけてきた。暇なのかな。
「今、グレンドというやつの酒造所に行ってきた。あいつは売ってくれるらしいが、どう思う?」
「グレンド!? あいつから買う? やめとけ、やめとけ。あいつと関わったって、ろくなことにならんよ」
おっさんは心底嫌そうな顔で首を横に振った。よほどヤバイ奴なのだろうか。悪い人には見えなかったけど……。
「どういうことだ?」
「あいつは疫病神なんだよ。ボヤが3回、大火事が1回。酒の運搬中に樽を破壊すること5回。商人を招いた祭りで調子に乗って暴れること毎回! どうしようもねえバカなんだよ、あいつは」
1つでもヤバイやらかしが複数回か。そりゃあ愛想をつかされてもおかしくないな。
さらに話を聞くと、祭りでのやらかしが一番の問題だったらしい。ゲストである商人に対する暴言や一気飲みの強要、最終的には裸で踊って大暴れしたそうだ。しかも毎回。商人から強烈に嫌われ、誰も相手にしなくなったらしい。当然だ。
さっきもそうだったが、グレンドは飲むことを強要してくる。商談の場ですらあの調子だったのだから、それが酒を飲む場ならさぞ酷いことになるのだろう。商人が離れていくのも無理はない。
今売っているのが10年目ということは、10年未満の在庫も大量に抱えている。売り先が決まらないとなると、行き着く先は破産か夜逃げだな。そして犯罪者の街へようこそ、となるわけか。
人間性には相当難があるということはわかった。しかし、ここで重要なのは味だ。
「それで、あいつが造った酒の味は?」
「悪くねぇ……けど! うちの酒のほうが数倍美味い!」
自分の酒のほうが上だと言いたいらしいが、一応味は認めているようだ。
「味が悪くないなら、どうして売れ残っているんだ?」
たとえ商人から嫌われたとしても、誰かが仲介すれば問題ないだろう。売ろうと思えばどうとでもなるはずだ。
「あの酒造所の周りを見ただろ? それが答えだ」
「ん? どういうことだ?」
「火事だよ。あの辺り一帯が全部燃えた。家を無くした奴だっている」
さっき言っていた、大火事の話だ。そのせいで酒造所仲間からも嫌われ、誰にも庇ってもらえなかったんだな。
グレンドの酒造所の周りに何も無かったのは、大火事で焼けてしまったかららしい。大火事の以前にも3回のボヤという前科があるため、いまだにあの近くには建物が建たないそうだ。
「ちょっと可哀想になってきたよ……」
「本当か? その火事の原因が、酔って作業をしていたせいだとしても?」
「うわ……同情できないわ」
事故だったら仕方ないと思ったが、完全に自業自得だ。蒸留は火を使うはずだから、酔って作業するなんて絶対にありえない。でも、さっきだってしっかり酔っていたからなあ。あいつならやりかねないと思ってしまうよ。
「だろ? 素行が悪すぎんだ、あいつは」
「参考になった。ありがとう」
造り手はどうしようもないアホみたいだけど、そんなことは味には影響しない。これは大きなチャンスなんじゃないかな。どうせアレンシアで売るんだから、造り手の人間性なんかまったく関係ない。購入決定だ。
さっそくグレンドのところに戻ろう。






