交易2
明日からまたミルジア行きだ。今回はかなり治安が安定した街らしいので、前回ほど用心する必要はない。心配なのは、教会の力が強いという話だけだな。
同行者はクレアとリーズ。ミルジアに最も詳しいアーヴィンは、教会の勢力を理由に同行を断った。行きたくないだけのような気がしないでもないが……。まあ、気にしたら負けだな。
「さて、身分証はどうしようか」
ここでミルジアの面倒な問題。ミルジアでは、身分証が無いと街に入れない。俺はすでに偽造身分証を持っているから問題ない。アーヴィンが使っていた偽造身分証もあるから、あと1人いける。つまり、1人分足りないのだ。
「この程度なら作れるよー」
リーズはテーブルの上に投げ出した偽造身分証を見て、ボソリと呟いた。
「うん? なんだって?」
「偽造防止が特にないみたい。そっくりに作ればいいんでしょ? かんたんだよ」
ミルジアの身分証はアレンシアの身分証とは違い、魔道具で完全武装しているわけではない。1枚の板切れに文字が刻印されているだけの簡素なものだ。
とはいえ、そこに書かれている文字や模様はかなり複雑。かんたんに偽造できるものではないと思うが……。
「本当にできるのか? 材料とかの問題もあるし、かなり複雑だぞ?」
「大丈夫。任せてっ!」
リーズはそう言って、自室に入っていった。
待つこと数分、リーズは謎の木片を持って戻ってきた。ミルジアの身分証にそっくりな材質だ。
「おい、そんなものどうしたんだ?」
「前にミルジアに行ったときに拾っといたの。材料はたぶんこれだよね?」
驚いたことに、リーズのゴミ収集癖が役に立ったらしい。ていうか、そんなゴミ、いつ拾ったんだよ……。
「材料はそれで間違いないと思うが……。本当に再現できるか?」
「大丈夫だよ。ちょっと本物貸して?」
リーズに本物の身分証を渡し、様子を見ることにした。
次の日の朝。リーズは得意げに板切れを掲げてやってきた。
「じゃーん!」
偽造身分証が完成したらしい。よく見ても本物そっくりだ。本当に作れちゃったのか。名前がリーズのままなのが若干気になるが、今回は特に問題ないだろう。リーズ、犯罪の街に行けばその腕1つで食っていけるぞ。
「やるじゃん」
「でしょ!?」
返ってきた俺の身分証と見比べるが、どう見ても本物そっくり。いや、厳密に言うと、俺の身分証も偽造なんだけどね。
俺の身分証は実在する誰かをモデルに作られていて、いざとなったらその誰かに成り代わることも可能だ。それに対し、リーズの身分証はその場しのぎの偽造身分証。戸籍のようなものを調べられると一瞬でバレる。
まあ、俺の身分証はミルジアの役人や兵士になれちゃうような身分証だからな。明らかにオーバースペックだ。街に入る程度の用途であればリーズの偽造品でも十分だろう。もしバレたらその場で転移して逃げる。それで解決だ。
「準備はできたな。行こうか」
クレアには『ジョナサン』の身分証を渡した。すると、クレアは怪訝そうな表情を浮かべる。
「あ……悪い。男性名だったな。クレアの分も偽造するか?」
「そうじゃなくて……こんなにかんたんにミルジアに行けちゃうのね」
本来、ミルジアに渡航するためには渡航許可証を申請する必要がある。冒険者ランクに制限があったり、入れる街にも制限があったり、いろいろ面倒なのだ。それをすっ飛ばして渡航できることに、クレアは若干戸惑っているらしい。
気にしたら負けだと思うよ。だって、その身分証。ミルジアの貴族が自信満々に発行したやつなんだから。
俺たちは、オマリィ領の東の端に転移した。ここから先は行ったことがない。アーヴィンからはおおまかな場所を聞いているが、詳しいことは何もわからない。アーヴィン自身、どこの街で酒を造っているかなんて知らないようだった。
アーヴィンから聞いている内容をまとめると、その領はオマリィ領の南東に位置している。領全体が外国人お断りらしい。たとえ大商人であってもアレンシア人が足を踏み入れることはできない、とのことだ。
アレンシアで出回っているその酒は、おそらく違う街で買い付けをしているのだろう。それだとかなり高くなるだろうから、できれば生産者から直接買いたい。
「さて、ここから先は走って移動するしかないようだな」
「とりあえず、人がいるところまで走ろっか」
クレア、リーズと目配せをして、走り始めた。しばらくは街道に沿って進む。
「待って。この先に村みたいなところがあるよ」
リーズがそう言って俺たちを制止した。
村か……。俺の勝手な想像ではあるが、酒といえば小さな村で作っているイメージがある。
「ちょっと寄ってみよう」
そう言って、足をその村の方に向けた。
その村に近づくにつれ、期待とは違うことが明らかになっていく。農村のような雰囲気ではあるものの、酒を造っている様子は見られない。
しかも、作っている農作物がよくわからない。畑らしき場所には、規則正しく並べられた大きな葉っぱの塊。その葉っぱは、剣山のようにザクザクと伸びている。
葉っぱには小さなトゲが生えていて、近くで見るとサボテンみたいだ。見たことがない謎の植物だが、この地方の野菜みたいなものだろうか。とにかく、酒の原料とは考えられない。
そうガッカリもしていられないな。まずは情報収集だ。少しでも情報がほしい。近くにいた農夫らしきおじさんに話しかける。
「ちょっといいか?」
「……見ない顔だな。何の用だ?」
おじさんは、まるで不審者を見るかのような目で俺たちを見る。ここは軽口で警戒心を解きにいくか。
「お使いだよ。酒を買ってこいって頼まれたんだ」
「ぬはぁっ! ガキの使いで他領まで行かせるってか! ずいぶん豪快な親父じゃねぇか!」
おじさんはそう言って豪快に吹き出した。このおじさんは俺たちのことを子ども扱いしているが、それも仕方ないだろう。おじさんから見れば、俺達は全員子どもだ。ここは調子を合わせよう。
「まあ、そういうことだ。この領で作っている酒がほしい。どこに行けば買える?」
「だったら、この村じゃねぇな。親父に詳しく聞かなかったのか?」
「ああ。親父も詳しく知らないんだよ。とにかく買ってこいってさ」
俺の言葉に、おじさんは顔を曇らせて言う。
「……お前の親父、大丈夫か? 飲み過ぎで頭ヤラれてねぇか?」
「大丈夫だ……と思う。たぶん……」
ここで言う『親父』というのは、アレンシア王のことだ。頭は……たぶん大丈夫。今も元気にずる賢い。
「まあいいや。この街道の先に街があるから、そこで聞きな。ここで作っているのは材料だけだ」
「材料……?」
作っているようには見えないよなあ。改めて辺りを見渡すが、やっぱり変な葉っぱしか生えていない。果物らしきものも穀物らしきものもまったく見当たらない。
「なんだ、見たことねぇのか。あれが材料だよ」
おじさんは、剣山のような植物に視線を送った。
「へ? あんなものが?」
「おう。厳密には、あれの茎だがな。時期が来たら葉を切り落とすんだ」
いや、茎があるようにも見えないよ。葉っぱを切り刻むって言われたほうが納得できる。
「いや……やっぱりよくわからない。あんなのがどうやって酒になるんだ?」
「はっはっはっ! オレも知らねぇ! 街で聞きな!」
知らんのかい! まあ、どう見てもただの農夫だもんな。育て方しか知らなくても無理はない。
「わかった。そうするよ。ありがとう」
おじさんに礼を言って村を後にした。
幸い、情報は得られた。街道の先に目的地がある。目的地が定まったので、速度を上げて一気に進む。
やがて、街のようなものが見えてきた。
この街の防壁は他の街よりも高く、かなり頑丈そう。門番の兵士も真面目に働いていて、他の街よりもチェックが厳しいようだ。……偽造を見抜く目がないっていうのは残念だったね。普通に通れたよ。
防壁を見たときもきれいだと思ったが、街の中もやはりきれいだ。道路もきれいに舗装されていて、ちょっと近代的。アレンシア王都に近いかな。埃っぽいのは乾燥のせいだから仕方ないが、かなり過ごしやすそうな街だ。
酒臭いのを除けばね。
「呼吸するだけで酔いそうね……」
クレアが口を手で覆いながら言う。
「酒造りの街なんだから、我慢するしかないな」
そういう俺も、もう酔いそうだ。街中のいたるところで酒を作っているせいなのか、とにかく酒臭い。というかアルコール臭い。酔っぱらいの酒臭さとは少し違う。アルコールランプの中身をぶちまけたような匂いだ。
鼻と口を手で覆って辺りを見渡す。そして気付いた。
「あっ! 油断した!」
リーズが居ない。また勝手に動いてどこかに行ってしまったらしい。
「ああ……しまったわね。どうする? マップで探す?」
クレアも油断した……いや、酒の匂いに気を取られていたと言うべきか。
「いや、いいよ。ここはそれほど危なくなさそうだし、危なくなったら助けを呼ぶだろ」
アーヴィンの言葉を信用するなら、この街の治安は悪くない。リーズだって本気でヤバイと感じたら俺たちを呼ぶはずだ。
そもそも、リーズの自由行動は縛っても無駄だから。どういう場面であっても勝手に自由行動を始めちゃうから。
自由行動中のリーズを放置して、ひときわ酒臭い建物に足を進める。気は進まないが、臭い建物が酒造所だろう。
「酒を造っているのはここか?」
「ああ、そうだぞ。見ない顔だが、修行の申込みか?」
ゴツい大男が無愛想に答える。やはりここでも子ども扱いされているみたいだなあ。まあいいか。
「いや、酒を売って欲しい」
「はぁ? 馬鹿言うな。もう売り先は決まってんだ。初対面のわけわかんねえガキに売れる酒はねぇよ」
男はすごい剣幕でまくしたてる。言い分はわからなくもない。俺には信用がないし、ただのガキに見えているようだしな。でも、かんたんには引き下がれない。
「そこをなんとか頼むよ。金なら持ってきている」
「……あのなあ、金じゃねぇんだよ。ガキにはまだわからんかもしれんが……」
おじさんは諭すような口調で言った。
しまった、アプローチを間違えたか。つい最近まで『金と暴力がすべて』という犯罪の街に居たから、感覚が狂っているみたいだ。
「悪い、言い方が悪かった。駆け出しとはいえ俺も商人だ。ただで帰るわけにはいかない。どうにかならないか?」
「どうしても欲しいっていうなら、ダニエルっていう商人と交渉しな。うちの卸先だ」
それはわかるけど、できれば避けたいんだよなあ。商人を間に挟むのはちょっと怖い。俺は本物の商人と渡り合えるほどの話術は持ち合わせてないんだ。交渉することになったら絶対に負ける自信がある。
「少しでも、1樽でもいい。どうにか余らないか?」
「駆け出しの商人だって言ったな……。今年できた酒は全部ダニエルに卸すって決まってんだ。それを反故にすることはできねぇ。買い付けがしたいなら来年まで待ちな」
「来年……?」
俺が質問を返そうとしたら、おじさんが詳しく教えてくれた。
この街での酒の取り引きは、どこの酒造所も似たようなものらしい。商人は事前に金額を決め、取引量に関わらずその金額を支払う。酒造所はその年にできた酒をすべてその商人に売り渡す。
酒造りは十数年かかり、しかも質や量が毎年変わるため、毎年確実に一定額の収入が得られるこの方法を取っているそうだ。
「なるほど。樽単位で買うのは現実的じゃないってことか」
この街で酒を買うなら、酒造所まるごと買わなきゃいけない。ちょっと買って帰るつもりだったのだが、なんだかスケールの大きな話になってしまっているぞ。
「まあ、そうだな。買い付け金額はマチマチだ。直近で美味い酒を造った酒造所が人気になって高値が付きやすい。規模と毎年の平均的な質も重要だ。ま、最低でも金貨1000枚持って出直しな」
「え? 意外と安いな!」
「は? 安……え?」
おじさんが戸惑いの目を向けてくるが……俺の感覚がおかしいのかな? 酒造所一軒分の酒を買い取って金貨1000枚なら、めちゃくちゃ破格の値段だと思うんだけど。
「でも、今年はどうにもならないんだよな。樽売りしている酒造所はないのか?」
「あ、あぁ。なくはないが……近づかないほうがいいと思うぞ。特に、あんたみたいな若造は、な」
おじさんは難しい顔で腕を組んで答える。かなり問題があるらしい。困ったな。ちょっと心が折れそうだ。ここでの仕入れは諦めて、ダニエルとかいう商人と交渉しようか。なんにせよ、もう少し情報を集めよう。






