第六十九話 吉野谷牛太郎、登場‼の巻
次回は一月二十七日に更新するでごわす‼
光太郎は行司のかけ声を聞きながら意識を失いかけていた。
敗者は地に伏しながら空を見上げる責務がある。同様に勝者にもまた地の底から這い上がって来る者たちを待つ宿命がある。
光太郎は気絶した印度華麗の肉体を見ながら再び土俵の上で相まみえることを願わずにはいられなかった。
(今度は一切の柵から解き放たれた状態で正々堂々とした勝負がしたいでごわすよ、印度華麗殿)
光太郎は最後にもう一度だけ印度華麗に向かって頭を下げる。
日本、インド両国の観客席から万雷の拍手が起ころうとした時に異変が生じた。
「キン星山よお、つれないじゃねえか。スモーデビルとキン星山の戦いはこれからだぜ。ケ、ケケッ」
土俵の土が一点に集まり人の形を為した。
スモーデビル大西洋は土俵の土を媒介に復活を成し遂げようとしていたのだ。
しかし、生粋のスモーデビル大西洋をもってしてもかなり危険な賭けには違いなかった。
憎しみの念がどれほど強かろうと所詮は泥人形、ぶつかり合えば衝撃で砕け散ってしまうことだろう。
何が大西洋をここまで駆り立てるのか。力士の意地、ただそれだけの事だった。
「待ちんしゃい‼あんさん、死ぬ気か⁉」
光太郎は大西洋の身を案じて思い止まるように声をかける。
だが、それが良くなかった。
スモーデビルの宿敵、キン星山に助けられようなど大西洋の誇りが許さない。
全身に亀裂が入りながらも大西洋は止まらない。
憎悪の炎で己が身を焦がし、宿業を全うしようとする。
「ケケケ-ッ‼スモーデビルはただでは死なんッ‼俺が死ぬ時はお前も…ッ‼何ィッ‼」
土俵の端に大きな影が現れる。
闘牛よろしく土で蹴爪を研ぎ、闘牛士ならぬスモーデビルの傀儡の姿を仰ぎ見た。
口元には獣の微笑。
「じゃあ、行くぜ?お約束の…”嵐の輪舞”ッ‼」
光太郎の目の前を緑色のコスチュームに身を包んだ巨漢が駆ける。
大地を揺らし、目にも止まらぬ速さで有象無象を蹴散らした。
「お前は…。ウシ野郎…」
大西洋は怨嗟に満ちた声で巨漢を呪った。
ウシ野郎と呼ばれた男はニヒルに笑う。
そして小声で「またな。兄弟」と大西洋に告げた。
事の顛末を見届けたもう一人のスモーデビル、バネ仕掛けの男はポケットに手をつっこんで会場を後にする。
相方の酔狂を許した理由も”現代のキン星山は脅威に為り得ない”と判断した結果である。
(ならば強敵と戦わせて強くするまでだ。スモーデビルの汚辱を晴らす為には最強のキン星山が必要なのだから)
スモーデビル、サスペンションエックスは全身のバネを軋ませながらカーショップで機械油を購入した後で帰途についた。
「あんさんは、どこのどなたさんでごわすか?」
光太郎は巨漢の姿を見上げる。
天を衝くような身長に力士と呼ぶに相応しい筋肉質の肉体の持ち主だった。
爆風を浴びたようなアフロヘアーからは固そうな角が生えていた。
光太郎の視線に気がついた大男は片手を下げて恭しく頭を下げる。
光太郎が呆気に取られていると美伊東君が土俵まで上がってきた。
「若。この人はスペイン相撲界の若手、吉野谷牛太郎さんですよ。残念ながら今回のスモーオリンピックには出ておられませんが…」
謎の巨漢、吉野谷牛太郎はお道化た様子で肩をすくめた。
しかしその一方で金色のゴーグルの下で輝く青い瞳は冷徹に二人の資質を品定めしている。
「悲しいぜ、アミーゴ。俺はこれでも本拠地じゃあ、ちょいと名の知れた力士のつもりなんだがな。知らなければ今覚えてくれよ、シニョール」
吉野谷牛太郎は光太郎に向かって手を差し出した。
そして友好的な笑みを浮かべる。
光太郎が無防備に手を出そうとしたところで羽合庵が血相を変えて飛び出してきた。
羽合庵の怒りの形相を見た光太郎は思わず美伊東君の後ろに隠れてしまった。
羽合庵は光太郎たちの前に立ち、吉野谷牛太郎を追い返そうとした。
「吉野谷牛太郎とやら、それはあまりにも露骨すぎる手段ではないのか?国際相撲のルールを知らないわけではあるまい?」
「アハハッ‼たしか…”公式試合前に力士同士の握手を禁じる”だったか。残念だったな、羽合庵よ。俺を高く評価してくれるのは嬉しいが今回のスモーオリンピックへの参戦は見送らせてもらった。代わりにカルメン山がスペイン代表として参戦している。見かけた時は応援してやってくれ」
羽合庵はさらに一歩踏み込んだ。
(確証は皆無。しかし、吉野谷牛太郎は間違いなく”敵”だ)
羽合庵は闘志に火を放ち、全身から熱気を放つ。
吉野谷牛太郎もさらに一歩踏み込んで、羽合庵の闘気を真正面から受け止める。
(引退したジイサンとは聞いていたが…バリバリの現役じゃねえか。ここで食っちまうのも悪るくはねえな)
吉野谷牛太郎は奥歯を噛み締めて角に力を溜め込む。
こうやって自分の力を押さえ込んでおかなければすぐにでも暴発して光太郎と羽合庵を殺してしまうかもしれないからだ。
「羽合庵師匠、吉野谷牛太郎殿に何かされたのでごわすか?」
光太郎は師匠の身を案じて手を取る。
(落ち着け。目の前にいるのは他国の力士、迂闊には手を出せん。私が弟子の足を引っ張るわけにはいかんな…)
羽合庵はその瞬間に正気を取り戻した。
そして土俵を降りる際にもう一度吉野谷牛太郎を凝視した。
「別に何でもない。強いて言うならばお前の心配をしただけだ、光太郎。以前、国際交流試合で試合前に他国の力士同士が握手をしてうっかり怪我を負わせてしまう事件があったのだ」
ガタンッ‼
その時、会場の入り口の扉が大きな音を立てながら開かれた。
突如として現れた青いスーツ姿の男の周囲には来日したばかりの羽合庵と同じような衣装をした男たちがいる。
先頭のスーツ姿の男はサングラスを外した後に、羽合庵のすぐ近くまでやって来た。
美伊東君は相手が見覚えのある力士だったので、眼鏡の端を掴んでピントを合わせて観察した。
(因果は巡る、か。せいぜい楽しんでくれ、羽合庵よ。次の戦いこそが最も俺好みの戦いになりそうだな)
両者の事情を察した吉野谷牛太郎は実に楽しそうにその光景を見る。
人間の世界を彼はこよなく愛していたのだ。
男は羽合庵に向かって人差し指を突き出した。
「久しぶりだな、羽合庵。俺の事を忘れたとは言わさんぞ。この俺を、”ワイキキの浜”の息子”フラの舞”の名前をな‼」




