第六十一話 勝利よりも重きもの…‼の巻
次回は12月14日に投稿する予定でごわす。
印度華麗の手が伸びる。
伸縮自在とでも言うべきか、印度華麗という力士はあらゆる局面において光太郎を圧倒していた。
そして時間が経過するほどに度合は確実に増している。
もはや光太郎に逃げ場など存在しない。
今の光太郎には自分が立っている土俵の上がとても窮屈なものに感じられていた。
また褐色の腕が伸びる。
変幻自在だが一貫して通じるものがあった。
それは一心不乱の勝利への執念。
印度華麗は様子見を終えて、勝ちに来ていた。
手や身体を掴む力にも次第に変化が加わってきた。
時には力強く、速度を重視したものとなり光太郎を翻弄し続けた。
「こなくそぉぉーッ‼」
光太郎は張り手で印度華麗を押し返そうとした。
しかし、ボクサーがバックスウェーで対戦相手のパンチを回避するが如きスピードで身を躱し反撃に転じる。
相撲の張り手の速度は決して遅いものではない。
よく名うての力士が鉄砲で鉄砲柱(※鬼殺隊にそういう名前の柱がいるというわけではない。サンドバッグ的なもの)を壊したとかそういった逸話が存在する為に破壊力ばかりが誇張されているが、実際の相撲の張り手とは素早い技である。
時には相手力士の突進を制して攻撃のリズムを崩す万能の技、それが相撲の張り手なのだ。
次の瞬間、光太郎の顔の左半分を印度華麗の張り手が襲った。
速射砲を受けたように、光太郎の左頬が揺れて爆ぜる。
土俵に赤い飛沫が撒かれる。
光太郎の歯が折れるような事は無かったが出血はした。
試合自体は決して良い展開ではない。
しかし、両者の精神状態は確実に変化をしていた。
「ホラ、キン星山さん。顔面にばかり気を取られているから、ボディがガラ空きですよ?クククッ…」
光太郎の左脇が確かに空いていた。
光太郎は意識を頭部から腹部に移そうとするが、時既に遅し。
印度華麗の掌底アッパーが人体の急所、鳩尾に突き刺さろうとしていた。
(日本の相撲で、日本の力士を仕留める。これが私なりの復讐ですよ、キン星山。私に”力士としての勝利”を望ませた貴方への、…ねえッ‼)
印度華麗の中にわずかな怒りが生まれていた。
幾多の望まぬ勝利の果てに、印度華麗はいつしか力士である事を捨てていたのだ。
力士でなければ、力士であることを止めていれば柵に囚われたまま不本意な勝利を重ねている憐れな自分の姿から目を逸らすことが出来る。
「ぬうッ⁉」
光太郎は腹筋に力を込めて是をやり過ごそうとする。
そこに襲いかかる茶褐色の張り手。
印度華麗の掌が光太郎の腹部に触れた瞬間に内部が大きく爆ぜた。
一瞬で息が詰まり、張り手の衝撃は出口を求めて光太郎の鼻と口から出てしまう。
光太郎は目から涙が、鼻と耳から出血をする。
(このままでは背中に土をつけてしまうでごわす。おいどんは力士、例えこの勝負で負けたとしても背中に土をつけるような真似だけは出来ないでごわすよ‼)
光太郎の力士としての矜持が、最後の力で土俵の中に立たせていた。
場合によっては光太郎の内臓を破裂させてしまうかもしれない致命の一撃だった。
倒れてしまえば、起き上がるまでの時間を使って体力を回復することも可能だろう。
しかし、光太郎が新たに歩み始めた力士としての道がそれを許さなかったのだ。
「キン星山さん。貴方という力士は類稀なお馬鹿さんのようですね。ここで負けてしまえば、何も背負わずに生きていけるというのに…。良い事を教えてさしあげましょう。この大会は最初から英国の倫敦橋が優勝することだけが望まれているのですよ。私や貴方のような無名の力士が勝ち残ったとしても…」
印度華麗は己の闇に染まりきった瞳を光太郎に向ける。
光太郎は闇の正体を知っている。
あれはかつての光太郎自身だ。
周囲の期待に応えることも出来ず、ただ安穏と引退の日を待っているだけの過去の姿を印度華麗に見たような気がした。
「印度華麗どん。あんさんは誰かに期待されないと、相撲が出来ないのでごわすか?」
光太郎の稲光の如き眼光が印度華麗の邪心を穿った。
(見破られていたか…)
核心を衝かれて胸に短刀を突き立てられたような心地になる。
印度華麗の内なる憤怒が”お前に私の何がわかる”という言葉が思わず出てしまいそうになった。
「相撲の起源は神事。誰も見ない相撲など、最初から無いのと同じですよ」
印度華麗は光太郎の正義の心に真っ向から立ち向かった。
そして、光太郎が立ち上がり戦いの続きが出来るようになるまで待った。
この時、印度華麗は単に”相撲は格闘技を模した神事”という自らの信念を体現したにすぎない。
だが印度華麗の膝を屈した光太郎が立ち上がるまで待つ高潔な姿に観衆が絶賛の声を上げる。
”流石はインド男児”、”彼こそカレーの本場インドの埃だ”とインド側は絶賛の声で印度華麗の背中を押した、つもりだった。
しかし印度華麗本人の胸中は如何ばかりか。さらに闇が増していた。
「ぬぅぅ…。確かにあんさんの言う通り、相撲の起源は神事でごわす。だが今の相撲は今の人間が築いた力と力のぶつかり合い、格闘技でごわすよ。そこに嘘や偽りなどがあってはならんでごわす」
光太郎の腹部に溜まっていた痛みが落ち着いた。
完全回復と呼べるような代物ではないが、己の命を賭けて信念を貫くには十分な分量だった。
光太郎は腰を落とし、さらに深く構えた。
互いの角を交え、角をへし折る闘牛の如き姿勢を見た印度華麗の心中に久々の緊張が生じる。
力士だ。
勝利ではない確固たる信念を求めて戦おうとする力士がここにいる。
「いいえ違いますよ、キン星山さん。これは余興。たかか前座に過ぎぬ三流同士の意地の張り合いです。きっと明日には誰もが私たちの試合など覚えていないでしょう」
印度華麗は左手を上に、右手を下に配置する。
それは下方からの攻撃は横に流し、上からの攻撃は切って落とすという古代インド格闘術”カラリパヤット”の構えだった。
インドの相撲通たちが印度華麗の姿を見て、彼が本来の戦闘スタイルに変えたことに気がついた。
「精神的に追い詰められた印度華麗が本性を現したか。光太郎め、つくづく羨ましいヤツだ。だが心してかかれ。今のヤツは手負いの獅子だ」
羽合庵は腕を組みながら二人の姿を注視していた。
美伊東君は頭の中にある印度華麗の過去のデータと照合して、有効な戦術を模索している。
「何を言っているんですか、羽合庵。今の印度華麗は言わば我流の”へのへのもへじ投げ”に特化した戦闘スタイルです。このままではうちの若が負けてしまうかもしれませんよ?」
「おっと。悪かったな、美伊東君。つい現役に戻った気分になってしまったのだよ」
羽合庵は苦笑しながら美伊東君の頭を撫でる。
すっかり気を悪くしてしまった美伊東君は羽合庵から離れて、対策を考えていた。
行司が軍配を持って、二人の中に入る。
今の攻防を”待った”と判断したがゆえの行動だった。
「印度華麗、キン星山。準備はよろしいか?」
光太郎、印度華麗、行司の三者の視線が交錯する。光太郎は首を縦に振り、印度華麗は目を閉じた。
両者の緊張の高まりに恐怖を覚えた行司は逃げるようにその場を離れる。
そして軍配を頭上に掲げた。
「見合って、見合って…。はっけよい、のこったァァァッッ‼」
そして、行司のかけ声と共に軍配が下ろされる。
光太郎は突進し、印度華麗がそれを待ち構えるという形となった。
ここにスモーオリンピック、第一回戦の最後の攻防が始まった。




