第百二十六話 不撓不屈の男たち‼の巻
次回は一月七日には書きたいと思っています。すいません、遅れてばかりで。
レッグラリアートは相撲では反則行為です。土俵では使わないでください。
「効いたぜ…」
ブロッケン山は膝をつく寸前で堪えた。
ラーメン山は追撃の用意をしていたが技が当たった時の感触に違和感を覚えていたので一足一刀の距離を保持していた。
この先に踏み込めば死あるのみ。
ラーメン山はこの時、数多の死闘を繰り広げた強敵たちの存在に感謝の意を送る。
目の前の力士は相撲拳法の流儀だけでは倒せない。追撃を見送ったのは強敵たち(玉王山以外)との死闘の記憶が蛮勇を踏み止まらせたのである。
「おいおい。こっちはもう十分に休みをもらったんだ。来ないなら行くぜ?」
ブロッケン山は再び必殺の”88”を撃った。
準備動作の無い強力無比な張り手をラーメン山は上半身の動きのみで躱す。
ブロッケン山は突っ張りを繰り返し、距離が開いた時点で右手を頭上に掲げた。
その時、ラーメン山の背筋に寒風が吹きつける。
並の力士ならば受けるだろう。
並以上の力士ならば右か左かに回り込んで反撃の機会をうかがうだろう。
だがラーメン山は破格の天才、凡庸な力士では思いつかない妙技を見せる。
(あれが当たればブロッケン山の勝利だ。頼む、神よ。もう一度ヤツに栄光の夢を見せてやってくれ)
ヴァンツァー山は両手を組んで神に祈った。
彼はそもそも神頼みをするような性格ではない。
しかし、この時だけは祈らずにはいられなかった。
ラーメン山の規格外の強さが、満身創痍でいつ倒れてもおかしくはないコンデイションのブロッケン山の事がずっと頭の中にあった。
ラーメン山は再び、平和一盃口の構えを見せる。
この技、見かけこそは特徴の無い地味な技だったが体力と精神力を消耗する難儀な構えだった。
要点を言えば本作の主人公・海星光太郎の使う”へのへのもへじ投げ”に近い技術には違いないがラーメン山は相手の技をそのまま返す技術も持っているので防ぐだけの光太郎の”へのへのもへじ投げ”の上位互換的な存在である。
だがその反面、精神力の消耗が激しく構えを維持し続ける事は術者の自滅を意味した。
今もまた赤い汗がラーメン山の体から滴り落ちる。
ブロッケン山は瞬時に体勢を立て直し、腰の高い位置に構える。
「マズイぞ、ラーメン山。完全に見切られておる」
玉王山は額に浮いた汗を拭いながら白い息を吐く。
凡百の力士ならば心の底から動揺して戦法を変える局面だったが、東ドイツの雄ブロッケン山を揺るがすには至らない。
言うまでもなく今の攻防は体幹の差がそのまま出る形となってしまったのだ。
仮にラーメン山が玉王山、砲岩山のような重量級の力士なら打撃を当てた勢いで足を刈ってブロッケン山を転倒させる事も出来ただろう。
だがブロッケン山はラーメン山の”気”を乗せた打撃を完全に防ぎ土俵に残ってしまったのだ。
(わかっているのか、ラーメン山よ。これでいまの貴様にはブロッケン山を倒す打撃を持っていないという事を敵に知られてしまったのだぞ?)
玉王山は皮膚が破けるほど拳を握り締め、宿敵ラーメン山の勝利を祈った。
同じ頃ラーメン山の友、毒手山もラーメン山のかつてない苦戦に心を苦しめていた。
仲間の苦しむ姿を見たムエタイ山が猛虎百歩神張り手と同等の技を使う毒手山にふと思いついた疑問を尋ねた。
「毒手山。ラーメン山には”猛虎百歩神張り手”があっただろう。アレならばブロッケン山に接近せずに攻撃できるんじゃないのか?」
毒手山は目を伏せたまま首を横に振る。
そして人差し指で土俵をさした。
「あの技では駄目なんだ、ムエタイ山。百歩張り手は体内で練り上げた”気”をそのまま相手に放つ技ゆえに発射するタイミングが相手に読まれやすいという欠点がある」
相手が気を操る技術に対して何の知識も持たない力士ならば先に不可視の気の塊をぶつけて動きを封じるという一種の金縛りの術的な戦法で百歩張り手を当てる事は可能である。
しかしブロッケン山の絶妙な間合いの取り方は明らかに”気”の練成を妨害する要素も含んでいた。
付かず。離れず。吐息の生み出すリズム感のある音と一定の規則に従って踏み出しているいる歩法。
ブロッケン山は帽子のツバで視線を隠しながら神経を集中して、ラーメン山の歩法と呼吸が生み出す波形から新たな戦術を分析する。
(ちっとは楽をさせろや、ラーメン山ちゃんよぉ。俺はいつ引退してもおかしくねえ年齢なんだわ)
と内心で軽口を叩きながらもブロッケン山は冷静にラーメン山の戦力を暴こうとしていた。
今の段階では勝機はおろか活路さえ見えない。
その時、ラーメン山の口から大きく息が吸い込まれる。
直後、フェンシングの突きのように正確無比の一撃がブロッケン山の左の眼に向かって放たれる。
ブロッケン山はラーメン山の手刀を跳ね上げてから関節技に持ち込もうとするがラーメン山は側面に回転しながら難無く回避する。
相撲オリンピックでも目潰しは重大な反則行為だったが主審と東ドイツの審判が動く気配はない。
ラーメン山は先ほど使った右で手招きをしている。
「やってくれるね、優等生クンよ。さっきの意趣返しってわけかい」
ブロッケン山は自身が試合開始直前に行った奇襲を思い出しながら不敵に笑った。
「幼稚な仕返しだ、と言いたそうだな。しかしブロッケン山よ、私も力士である前に一人の人間だ。やられたらやり返すくらいの事はする」
と言ってまた距離を詰める。
ブロッケン山は腕を上げて目潰しに備えた。
彼は試合で相手の目を潰す事を卑怯だとは思わない。
鈴赤が自分と同じ事をやろうとすれば止めるだろうが、原則として相撲軍人の世界では勝利が何よりも優先されるがゆえに卑劣な手段など存在しないのだ。
仮に敵がブロッケン山の目を潰しても決して憎むような真似はしない。
戦いとは常に過酷にして非情。先の雷帝との戦いでそれを思い知った。
雷帝の敗北を引退の花道と考える者もいるだろう。
だがブロッケン山は知っている雷帝には絶対的強者の、相撲以外の道など存在はしない。
彼にとって相撲で負けるという事は視力を失うより、命を失うよりも辛いはずだ。
今だからこそブロッケン山も雷帝の心が理解出来る。
(俺には相撲しかねえ。土俵に二人の男が入って一人しか出て来ない…そんな世界以外で生きられるわけがねえ‼)
ズッ‼
ブロッケン山の慟哭に呼応するかのように、ラーメン山の手刀が迫る。
こちらも必死だ。
今は視界を封じる以外の攻め手が無くなってしまったのだ。
(ここで逃がせば私に勝利など無い。今さら汚名など…)
ラーメン山はそこまで考えて一瞬だけ躊躇する。
頭の片隅に老師山の姿が見えた。
ラーメン山の心の中に生まれた迷いは技から鋭さを奪う。
ブロッケン山は迫る手刀をかち上げ、カウンターで”88(アハトアハト)張り手”を撃った。
「ラーメン山よ、今は情けを捨てろ‼優しさはお前の強さでもあるが、同時に弱点でもある」
ホッケーマスクみたいな仮面をかぶった力士(中はデブだけど美形)、闇力士五点星の金剛が大声で叫ぶ。
「チャアアーッ‼」
ラーメン山は瞬時に”88”の間合いを見切ってバックステップを切る。
そして鼻の皮一枚のところでブロッケン山の張り手を受けると腕を取って投げ飛ばした。
投げられたブロッケン山は左足から着地して距離を取る。
両者ともポーカーフェイスはあくまで崩さない。
「嘘だろ。あの状態からウチの親父を投げるなんて…」
鈴赤は苦しそうにするブロッケン山を見ながら呟いた。
鈴赤はブロッケン山が故意に投げられる場面を見た事はあるが、力づくで投げられる姿は未見だった。
「悔しい話だが、鈴赤よ。これが世界レベルの相撲だ。我が国の至宝ブロッケン山の全力でも勝てる可能性が必ずあるとは限らない」
ヴァンツァー山は悔しそうに歯噛みしている。
世界の頂点とはここまで遠い道なのか。
東ドイツ史上の最大の大器ブロッケン山でも近づく事さえ出来ないというのか。
ヴァンツァー山は無神論者だったが、この時ばかりは信条を曲げても良いと考えてしまう。
彼とて本気でブロッケン山を越える実力者が存在するとは思っていない。
…その目でラーメン山の実力を知るまでは。
変幻自在に戦況を支配するラーメン山とあくまで古典的な戦法のままで戦おうとするブロッケン山。
互いの身を削る様な一進一退の攻防が続く。
数分後、二人の力士は初戦で見せられる技を出し尽くしていた。
ブロッケン山が力強い張り手を打つ。
数手前からブロッケン山は主力の”88”と乱打(鉄砲)と実際には何もしないフェイント攻撃を混ぜるようになっていた。
一方、ラーメン山は攻めに転じる事が出来ない。
生来の体格差を克服する為に”後の先”を取る事に集中してきた戦術が災いしていた。
(私が先に動けば必ずブロッケン山は真っ向勝負を挑んで来るだろう。否、最初からそのつもりだ)
ラーメン山はブロッケン山の張り手の乱打を叩き落とした。
そして追撃に備えて距離を置く。戦局が硬直状態に入ってから同じ事を繰り返しているような気さえする。
ブロッケン山は力任せに戦う事を好む気質の持ち主だったが、同時にいくつもの策を用いて心理戦に持ち込む事も出来る老練さを持ち合わせていた。
安易な決断はそのまま敗北に繋がる。
ラーメン山は心の内で今か今かと出番を待つ己の闘志に危うさを感じる。
ブロッケン山は試合のペースを握る事に成功したが押し切る事が出来ない。
返し技、連携の破綻を探ろうと攻撃を続けているが完全な対応を受けている。
(情けねえ。俺ともあろう者が打つ手無しなんてよ…)
いつもの余裕ある皮肉っぽい笑顔もブロッケン山自身に向けられていた。
「何やってんだ、親父‼押して駄目なら引いてみろって、いつも親父が言っているじゃねえか‼」
だが鈴赤の声援がブロッケン山の不安を打ち消した。
それは「息子の前では負けられない。強い父親を演じる」という一種の脅迫観念ではない、勝利への確たる道筋だった。
ラーメン山は万全の状態ならばブロッケン山に勝てるという考えがある。
即ちそれは”気”を発言させれば多大なアドバンテージを得られると勘違いしているのだ。
気功、発經は技術の一つでしかなく長所もあれば短所も存在する。
言うなればラーメン山は相撲拳法の技術に依存しているのだ。
(甘いぜ、ラーメン山ちゃんよう。強い武器を得れば勝てるなんてのは世間を知らないガキの考えだ。軍人の戦いってのはよ、手段を選ばないってのが基本だがその逆も然りなんだぜ?)
ブロッケン山はラーメン山に向かって両手を広げ、胸板を晒す。
「おい、ラーメン山ちゃんよ。やっぱ俺にはこういう秘密兵器ごっこみたいな戦いは無理だわ」
ラーメン山は眉間に皺を寄せ、無意味な挑発を続けるブロッケン山を見た。
(誘っているのは事実だ。しかしそういうレベルの戦いではない事はブロッケン山も承知のはず)
ラーメン山に動じる気配はない。
ブロッケン山はそれでも挑発を続ける。
東ドイツ側の観客たちはラーメン山を臆病者と嘲笑い、中国側は無意味な挑発を止めさせろと抗議した。
ブロッケン山は帽子の位置を直すと両手を広げたまま彼に接近する。
それは一種の賭けだった。
ラーメン山がこのまま何もしなければ元の冷徹さを取り戻し、ブロッケン山の勝機は失われる。
そして、歩を進める度に笑い出したくなるほどの圧迫感がブロッケン山を襲った。
精神の限界は思わぬほどに近い。
さながら虎の尾ならぬ竜の巣というものだろうか。
ラーメン山は木鶏のように身動き一つしない。
動けば敵の術中に入る。
ブロッケン山の狙いなど既に知れた事である。
そして数十秒後、二人の距離は無くなった。
ブロッケン山は腰に手を当てながら苦笑する。
その時点で、どちらにも逃げ場が無くなってしまった。
「流石だよ。お前はすげえよ、ラーメン山ちゃん。この俺にここまで…」とそこまでブロッケン山が言いかけた時ラーメン山の目が開いた。
同時に上段の張り手がブロッケン山の顔面を捉える。
これが相撲拳法百八の秘芸の一つ、遠間の敵を不可視の張り手で追い払う技。
その名を…。
「おおッ‼あれこそはラーメン山の奥義ッッ‼」
ラーメン山の生涯の宿敵(自己申告)、玉王山が歓喜に打ち震えた。
「奥義、猛虎百歩神張り手‼」
ブロッケン山はその時、己の喉を狙う巨大な虎の姿を見た。
2022年、あけましておめでとう!とここで言っておく。
とにかくブロッケン山は虎の幻影を見た途端に吹き飛ばされた。
勢いのあまり一族の伝統衣装の一部である軍帽がブロッケン山の頭から離れる。
(ハイハイ。ここまでは予定通りだ。この借りは高くつくぜ、ラーメン山ちゃんよぅ?)
ブロッケン山は仰け反りながら呟く。
(マズイ。倒しきれなかった)
技を放った直後、ラーメン山の表情が一転する。
驕慢、短慮という謗りを受けても止むを得ぬ状況。
ラーメン山は己の不覚を呪う。欧州の近代相撲をどこか見下していた己を、中華相撲拳法こそが最強だと考えていた己の浅はかさを心の底から憎む。
競技において強さとは相対的な物であり、”功が成る”(修行が大成するという意味合い)などという愚考は己の自己満足でしかない。
ブロッケン山の張り手がラーメン山の横面を捕らえる。
その結果、左に大きく揺さぶられた。
硬気功は間に合ったがそれが良くなかった。追撃は無い、という心の隙が生まれる。
そして、そのまさかの連続攻撃。一度目を遥かに凌ぐ威力を持った”88(アハトアハト)”をラーメン山は正面から食らった。
狙われた部位は胸の下、横隔膜。呼吸を封じられて硬気功の絶対防御が失われる。だが倒れない。
ニヤリと笑い、その場に踏み止まる。
「ラーメン山ッッ‼」
ムエタイ山が強引に体勢を立て直したラーメン山を見て叫んだ。
ブロッケン山は振り下ろすようなフォームでラーメン山の頭部を打つ。
それは威力を抑え、当てる事を目的とした打撃。
ラーメン山は腕を十字に組んで耐えるが、少しずつ後退してしまう。
ブロッケン山は狙う部位を絞ってラーメン山の防御力を削っているのだ。
「ひでえ…。ラーメン山の腕が…」
砲岩山がラーメン山の腕を見る。
度重なる打撃によって皮膚が裂け、痣だらけになっていた。
「見たか、中国人形ども、これが相手を倒す為だけに作られたゲルマン式相撲だ‼お前たちの相撲拳法など、児戯に等しい」
ヴァンツァー山がブロッケン山の勇姿を称える。
しかし、東ドイツ側の観客は誰一人としてブロッケン山を応援する者はいなかった。
彼の息子、鈴赤とて例外ではない。
それほどまでに今のブロッケン山の戦いは凄惨で、非情な物だった。
「ラーメン山…過去を、歴史を受け継いだのはお前だけじゃねえんだよ。俺も一族の歴史と名誉を背負って戦っているんだ」
ブロッケン山が手刀を頭上に掲げる。
それは重厚な断頭台の刃を思わせた。
その時、ラーメン山の脳内に老師山の声が響く。
「ラーメン山よ。最大の困難とは命の危機ではない、目の前の敵だ。もしもお前が自分と同じ或いはそれ以上の力量を持った敵と戦わねばならなくなった時、お前はどうする?」
それは遥か昔の老師山との会話だった。
若き日のラーメン山は「全身全霊で立ち向かう」と答えたが、老師山は目を伏せて首を横に振る。
この問いかけの答えは今でも老師山から教えてもらったことは無かったが、今は何故かそれが理解が出来た。
ラーメン山は迷わず背を向けて土俵の際に向かって走り出した。
ブロッケン山は舌打ちをした後、無防備なラーメン山の背中に向かって”88(アハトアハト)”を撃った。
だが、その直後にラーメン山は振り返る。口元には勝機を見出した者の笑みがあった。
「やはりお前が私の最大の試練だ。相撲の道の同胞よ」
ラーメン山は土俵の綱に沿って側面に回り込み、ブロッケン山の攻撃を回避しながら反撃に転じる。
「お前を倒して私はさらなる高みへと達するのだ。奥義、稲妻レッグラリアート‼」
ラーメン山は空中で身を捻って回し蹴りを放った。
ブロッケン山はガードを固めて、上半身を前倒しにし延髄へのダメージを最小限に止める。
それは人の体というよりも、鉄塊を蹴ったような感触だった。
「これが私の発勁を防ぐ肉体の力か…。大した事はないな」
そう言ってラーメン山は眼前の強敵に向かって手招きをする。




