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金の糸Ⅱ

 朝の日差しがアウロイ山脈の稜線を染める。

 昨日と同じ時間、同じ場所。

 空の走り屋――グラサンライダー(敬意を込めて命名)は、全身で風を受け止めるように直立していた。


 不意に風が吹く。緑の絨毯が波打ち、私たちの髪を踊らせた。


「今日の風はよく光る。そうは思わないかい?」

「思いませんわ」

「……驚いた。まさか応えてくれるとは思わなかった」


 本人はそう言っているが、目元が隠れているとイマイチ表情が見えてこない。

 というか、こっちを見るなですわ。

 グラサンが反射して眩しいのよ。


「ふん。私は貴方とおしゃべりに来たわけじゃありませんわ。用件は……言わなくてもわかるわね」

「ああ。キャッチ・ザ・ウィンド。君も私と同じで、いい風に乗りに来たのだろう?」


 ……言語変換フィールド壊れていますの?

 言い含めようとしたが、その前にグラサンライダーは出走準備を始めていた。


「勝負の意思あり、とみなしますわよ」

「風と戯れるのに誰かの許可がいるのかい?」


 ……まあいいわ。

 勝負に持ち込めさえすれば、こちらのもの。

 この珍妙なグラサンライダーも今日で見納めですわ。

 遅いことは猫でもする。

 借りたものは直ぐに返すのが、フィフィーの流儀ですわ!


 私は杖に跨がり、グラサンライダーは箒に跨る。

 前傾姿勢をとる私に対して、グラサンライダーは脱力したような姿勢をとる。一見するとやる気がないようにも見えるが、奴が只者でないことは先刻承知である。


「……ふう」


 深く息を吸い込む。

 澄んだ空気が肺に広がり、魔力が全身に行き渡る。

 いける。これ以上のコンディションは望むべくもない。グラサンライダーの箒騎乗(ライド)だって、記憶が焼き切れそうなほど頭で再生してきたのだ。


 私は、絶対こんな色物になんか負けない――ッ!


 清風。

 草原が再び波打つのを合図に、私たちは飛び立った。




     ◆




 施錠されたゴールをぶち破る。303号室に突入した。


「うあああああ――ッ! また負けましたわあああああ!」

「お静かに! ただでさえキ○ガイお嬢さまが喚いていると噂が立っているのですから、軽挙妄動は慎んで下さい」

「……悪かったわよ」


 私は曲がりなりにもフィロソフィア家のご令嬢で通っている。それにふさわしい行動をとらなければ、家名まで汚してしまう身だ。悔しいが、今回ばかりはエメロットの言い分が正しかった。


「全く。私まで同類だと思われたら、どうする気ですか」

「自己保身――ッ! 誇り高きフィロソフィア家の心配じゃないの!?」

「ホコリまみれのフィロソフィア家?」

「難聴をよそおった痛烈な皮肉――ッ!」


 誰ですの、こんな失礼な子を従者にしたのわ!

 ……私でしたわ。

 それにしても、エメロットのお家嫌いはひどい。フィロソフィア家を離れれば少しは改善されるものかと期待していたが、悪化する一方である。


「誇りで腹がふくれるのなら誰も苦労しませんよ」

「キャベツスープでも、あまりお腹はふくれないけどね」

「……何か言いましたか?」

「い、いえ、何も。『キャベツスープ一杯でも立派な大人』って言うしね」


 とほほ。そんなの綺麗ごとに決まっていますわ。キャベツスープ一杯食べられるだけでも立派な大人だなんて、そんなのただの甲斐性なしですわ。


 肉よ、私は肉が食いたいのよ。ベジタリアンとか言って気取っている人種もいるけど、人間は肉を食らってなんぼの生き物ですわ。


「ふしゅー」


 フィーが毛を逆立てて威嚇してきた。

 とって食いやしないわよ。こいつも失礼な猫ね。飼い猫を食べるぐらいなら、美しい絵画の前で餓死する道を選びますわ。そのときはお供なさい!


「ふしゃーっ!」


 嫌らしい。何よ……ちょっと寂しいじゃない。


 腹いせにフィーの頭を撫でまくっていると、キッチンへの戻り際に、エメロットが念を押ししてきた。


「くれぐれも明日は静かに帰ってきて下さいね」

「言われなくてもわかっていますわ」


 10km地点で向かい風の対処さえ誤らなければ、勝てたのだ。明日は勝利の余韻に浸りながら帰ってくるに決まっているでしょう。

 覚悟なさい、グラサンサイダー。奇跡は三度も起こりませんわ!


 その日は、今日の課題をきちんと洗い出し、入念にストレッチをした。瞑想で精神統一を図り、イメージトレーニングで勝利のビジョンを思い描くことも忘れない。睡眠もバッチリ六時間調整と念には念を入れた。


 見せてやりますわ……私の本気というものを。


 翌日、私の全身の細胞は歓喜の歌声を上げていた。

 パーフェクトだ。十六年間生きてきたなかで、こんなに調子が良かった日があるか、いや、ない。昨日は『これ以上は望むべくもない』とか考えていましたが、普通に最高値を更新しましたわ。さすが私ですわ。


 でも、普通に負けた。


「うわああああああん! なんで勝てないのよ――ッ!」

「お嬢さま、あれほど言ったじゃないですか! 寮生の見る目が日に日に冷たくなっているんですよ。本当にやめて下さい!」

「わかっているわよ! 明日……明日こそは!」


 ルートが悪かったのよ。あそこでルート取りさえ間違えなければ、勝敗はひっくり返っていましたわ。今回はツキが味方したようだけど、貴方の幸運もここまでですわ。二度あることは三度あっても、その次はないのよ!


「ありえませんわあああああああ! 三度あることは四度あるなんて(ことわざ)、どこの国にもありませんわあああああああ!」

「それはもはや、珍しくも何ともないからでは? ……お嬢さま、寮監生にも苦情が来ているそうなので、そろそろ」

「わかっているわよ。肉よ、やっぱり肉が足りないのよ!」

「えっと、パッドで増量します?」

「そうそう。これで寂しいお胸がボリューミーに……ってバカ! 空気抵抗を増やしてどうしますの! 食事よ食事、肉を用意なさい。肉を食べないと力が出ませんわ!」

「ええー」

「ええー、じゃない! ちゃんと用意するのよ」


 そうよ。最後の直線、あそこで力を振り絞れていれば、あんな奴になんか……。


「勝てなああああああああい――ッ!」

「お嬢さま――ッ!」


 だってフィーが!

 フィーが毎日、私から魔力吸い取るから!

 ほらこうやってフィーを引っぺがして、ベッドにぶん投げて、明日を迎えれば。


「また負けたあああああああああ――ッ!」

「お嬢さまああああああああああ――ッ!」

「にゃああああああああああああ――ッ!」


「るっせぇぞ、一年坊どもが! 明日の朝日を拝めなくしてやろうか!」


 ひいいっ、ついに寮監生が踏み込んできましたわ!

 フィーを隠すエメロットを支援するため、私は玄関で延々と平謝りし続けた。


 ……なんで私がこんな目に。




     ◆




 今朝、勝負を終えたグラサンライダー(7連勝)が珍しく声をかけてきた。相変わらず言語変換フィールドを通しても理解しがたい内容であったが、再翻訳すると次のような言葉が導き出された。


 ――私の速さの秘密を知りたくないかい?


 猫妖精ケットシーだの風になるだの()の当たる坂道だの言っていたが、そんなことはどうだっていい。


 乗るか反るか、それが問題だ。

 私だってバカじゃない。ここまで負けが込めば、今のやり方では勝てないことぐらい理解している。


 私は悩みに悩んだ末、この話に乗ることにした。

 あの女の箒騎乗(ライド)は何かが違う。

 私ともエメロットとも、あの黒髪の野犬となんか雲泥の差である。上手くは言えないけれど……そう、鳥のよう。鳥人と評するのが妥当なところだろう。


 一時の恥を忍んでも、あの走りの秘密に触れる価値はある。そう判断した私は、指定された場所に足を向けた。

 そこは本棟からは随分と離れていた。離れにある運動場よりさらに遠くにある雑木林は、女学院の同じ敷地内とはとても思えなかった。


 ……本当にここでいいのよね?


 不安な気持ちを抱えながらも鬱蒼とした雑木林を進む。五分ぐらいだろうか、歩き続けていると円形の原っぱに出た。


 そこには、約束どおりグラサンライダーがいた。

 確かにいたのだが、


「何ですの、この集まりは」


 数十……いや、三桁に近い数の女生徒が集結している。めいめい自由に振舞っているが、謎の集団には一つだけ共通点があった。


 ――箒。

 彼女たちは一人残らず箒を手にしていた。百近い箒の柄の先が青空を突いている。これだけの人数が揃うと、妙な威圧感すら覚える。ボランティア集団というより、武装集団といった趣だ。杖派の私としては肩身が狭い。


 しかし、何故また箒を持った女生徒が集まっているのか。

 グラサンライダーに訊ければ話は早いのだが、どうにも彼女は忙しそうだ。私の目がきちんと実像を結んでいるのであれば、彼女は幾人かの女生徒に囲まれていた。


 なかには、メモ帳片手に話を聞く女生徒の姿もあった。

 グラサン語の学習……いや、ありえない。あのグラサンライダーに群がっているなんて、こいつら相当危ない集団ですわ。


 切れ者の私は本能的に察した。

 これは高価な箒を売りつけられるぞ、と。


 ど、どうしましょう。

 そんな物を買わされでもしたら、エメロットにめちゃくちゃ怒られますわ。ここは落ち着いて一時撤退を。


「あら。見ない顔だけど何か御用かしら?」


 見つかった!

 集団からは距離を取っていたつもりだが、後ろは無警戒だった。箒教団の一員と思しき女生徒が笑顔を向けている。

 やばい。導かれてしまう!


「ほ、箒は間に合っていますわ!」

「え……間に合ってる? どゆこと?」


 ぽかんとした顔で箒教徒が問いかけてくる。女優顔負けの演技ですが、私は騙されませんわよ!


「白々しい! 高価な箒を売りつけようったって、そうはいきませんわ!」


 どうよ。言ってやりましたわ。

 私の凄まじい剣幕に押されたのか、箒教徒は目を見開き、小刻みに震え始め、やがて口を押さえて「ぶふーっ!」と噴き出した。

 あれ……私が想像していた反応と違いますわ。


「ほ、箒……高価な箒とか!」

「な、なによ! 痒いところにも手が届くみたいな売り文句で、騙すつもりだった癖に!」

「ぶふーっ! 孫の手……それ孫の手のキャッチコピー。お願い……お腹痛いから、ちょっと黙ってて」


 一頻り笑ったのち、箒教徒は呼吸を整えた。彼女の目元には薄っすらと笑い涙が浮かんでいて、私は何故だが無性に恥ずかしくなった。


「いや~、愉快ゆかい。それで話が脱線したけど、何か御用かしら。大丈夫よ、高価な箒は……くっ!」

「いい加減になさい! あいつよ、あいつ! あそこに突っ立てるグラサンライダーを呼んで頂戴!」

「グ、グラ……っ!」


 耐えきれず決壊。

 一度は復活したはずの箒教徒が、また壊れた。それでも気を遣っているのか、彼女は腹を抱えながらも呼び出しに向かった。

 グラサンライダー……会心の命名だと思っていましたのに。どうも私の高尚なセンスは一般受けが悪いようですわ。


「やあ。風に誘われて来たのかい?」


 ややあって、グラサンライダーが来た。自分から誘ったというのに、この言い草である。なんだか私、頭が痛くなってきましたわ。


「風に誘われた覚えはないけど、来てやったわ。早くグラ……貴方の速さの秘密とやらを教えなさい」

「速さの……秘密?」


 表情は判然としないが、グラサンライダーは困惑していた。その証拠に彼女は小首を傾げたまま固まっている。


「もしかして、この子がリアの言ってた新入部員?」


 と、お見合い状態だった私たちの間に箒教徒が入ってきた。正直グラサンライダーとコミュニケーションをとるのは難しいので、とても助かる。


 ……んっ、新入部員?


「ちょっと待ちなさい。新入部員ってどういうことですの。答えなさい、箒教徒!」

「箒教徒って……ぶふーっ!」


 ええい、笑い上戸な女ね!

 箒教徒が復活するまでの時間が焦れったいが、それでもグラサンライダーと直接遣り取りするよりは数段早い。


「リアがね……あっ、リアっていうのはね、このグ、グラ……」

「わかったわよ! リアねリア、そう呼べば良いのでしょう!」


 認めた相手以外は名前で呼ばない主義だが、仕方あるまい。

 グラサンライダーはこの私に7連勝もしているのだ。認めてやらないこともない。褒美ということにしてあげるわ。感動なさい!


「リア……か。風を感じるな」


 本当に感動で打ち震えていた。

 箒教徒といい、いちいちリアクションが大袈裟なのよ!

 何よ……ちょっと嬉しいじゃない。


「と、ともかく、話を先に進めなさい!」


 さっきから話が行ったり来たりと切りがないのよ。先を促すと、平静を取り戻した箒教徒が応えた。


「いやさ、リアが数日中に部員が増えるかもしないって言ってたから。それって貴方のことじゃない?」

「部員? 冗談じゃないわ。私は部活になんか入るつもりはありませんわ! そもそも何の部活なのよ、ここは!」

「普通に箒部だけど」


 ……何ですの、その捻りのない名前は。ますます疑問が深まりましたわ。


「リア!」

「……風を感じる」

「いちいち感動してんじゃないわよ! 貴方、今朝と言っていることが違うじゃないの!」

「そうかい? 私は『もしも風になる気があるなら、猫妖精が集う森に来るといい。そこに、君にとっての陽の当たる坂道がある』と言ったはずだが」

「良かったら部活に入りませんか、の意だね」

「嘘ですわ!」


 意訳が上手いにもほどがありますわ。私なんて地図を貰わなければ、危うく猫島に向かうところでしたのに。


「まあまあ。これも何かの縁だと思って入っとく? 幸いまだ仮入部の受付期間も過ぎてないし」

「ずいぶん軽く誘ってくれるじゃない」

「そりゃね。これだけの大所帯になると、一人ぐらい増えてもどうってことないし」


 それはつまり、ここにいる野犬どもが私と同じということかしら……軽んじられたものね。抗議の声を上げようとしたが、先に声が飛んできてしまった。


「部長! そろそろ練習しましょうよ」

「あー、うん。各自ペアになってストレッチ始めて!」


 全体に行き届くように、箒教徒が大声で返す。なんと教徒と思いきや教祖でしたわ。


「貴方、部長でしたの?」

「正確には部長代理ね。ちなみに副部長はこの子」

「肩書きを誇るのは、私の風儀(ふうぎ)ではないのだが」


 グイと引っ張って、箒教徒(教祖ではなかった)はリアを前に出した。これが副部長とか正気ですの?


「部長は……ああ。ちょうど来たね」


 どこに?

 そう問うよりも早く異変が生じた。

 二人一組になってストレッチをしていた女生徒たちが慌て出す。柔軟そっちのけで走り出したのだ。円の中心から外へ逃げるように。女生徒たちは輪になり、真ん中には空き地だけが残った。


 箒教団が何の儀式を始めたのかと思った、そのときだった。


 地面が爆ぜた。

 水飛沫が上がるように地面がめくれ、凄まじい落下音が空気を震わせる。

 隕石、いや何か……何者かが落ちてきた。


 飛行魔法の制御を誤った墜落――というような悲壮感は辺りに漂っておらず、女生徒たちが、きゃあきゃあ、と黄色い声を上げていた。


 いやいや、さすがに不謹慎です……わ?


 我が目を疑う。しかし、目に映るものが全てだった。

 事実、空から落ちてきた誰かは平然としていた。土煙のなかからゴム毬みたいに跳ね出てきたと思ったら、次の瞬間には両手を水平に広げていた。


「ギリギリセーフ!」

「アウトよ。遅いぞ、みゃーこ。いつまで私に部長をさせる気よ?」

「うひょおおおー! 今年も一年生がいっぱいだあ! 妹が、私の妹が溢れてる――ッ!」

「聞けよ」


 遅れてきた彼女は息を荒げ、全身で喜びを表現している。それは新入生を歓迎しているというより……どこか変態的な振る舞いに見える。

 私ほどではないとはいえ、美人なのに色々と勿体ない人ですわ。


「はいはーい、ちゅーもーく!」


 面倒になってきたのか、箒教徒は無理やり彼女を前に押し出した。


「今までは私が部長を肩代わりしてたけど、こっちが本物の部長よ。ほら部長、ちゃんと挨拶して」

「ご紹介に与りました姉ヶ崎宮古でっす! 趣味は妹を愛でること、特技は妹を愛でること、好きなタイプは妹、ストライクゾーンは揺りかごから一つ下まで! 困ったことがあったら、いつでも気軽に声をかけてね。個人レッスンにも付き合うし、何ならマッサージもしちゃうよ~」

「セクハラで困ったときは、私に言って下さい」


 はーい、と集団が返事をする。やけに最後だけ素直ね。

 部長もとい箒教祖より、箒教徒の方が篤い信頼を寄せられていた。そりゃそうよ。変態が手をわきわき動かしていたら、誰だって警戒しますわ。


「……こんな部長だけど、選抜合宿にお呼ばれするぐらいには魔法少女としての実力は高いし、箒騎乗(ライド)のテクニックも一見しただけでも十分でしょ?」


 箒教徒がフォローを入れると、集団がざわめいた。

 選抜合宿――有望株の魔法少女を集めて合宿を行っていることは、当然私も知っていた。私を差し置いて選抜なんて、ずいぶんと生意気だと思っていたのだけど。

 あのクラスの魔法少女が……少なくとも後五人はいるのか。


「それじゃあ練習に戻るわよ。ストレッチを再開して」

「はーい!」

「あんたはこっちよ」 


 良い返事をした箒教祖が、首根っこを捕まえられて引きずられてきた。


「やー! 離してええええ! 私は妹と一緒にくんずほぐれつしたいのおおお!」

「観念なさい。もう、みんなペアを組ませたのよ」


 そう、もう一人残らずペアを組んでいるのだ――私以外は。

 キランと箒教祖の目が輝いた。あの目には見覚えがある。雪原に生息する狼が獲物を捉えたときの目とよく似ていた。


「あっ、ちょっと!」


 制止の声も聞かず、制服の上着を脱ぎ捨てた箒教祖が走ってきた。


「ねえねえ私と組まない!? 一人であぶれている可哀想な子なんて、部長として見過ごせないわ。大丈夫よ優しくするから、痛くなんかしないから、ねっ、ねっ?」


 ストレッチよね? ストレッチの話よね?

 肉薄する箒教祖を手で押し返す。

 ここで負けたら何か大事なものを失う気がしてなりませんわ。


「離れなさい――ッ! そもそも私は部員じゃありませんし、断じて可哀想な子でもありませんわ。可哀想なのは貴方の頭よ、この変態――ッ!」

「ぶふーっ!」


 あの笑い上戸は置いといて。

 私の口撃は、どうやら箒教祖に絶大なダメージを与えたようだ。箒教祖はブルリと身を大きく震わせると、ハアハアと息を荒げて、頬を薄紅色に染めて。

 あれ……私が想像していた反応と違いますわ。


「ふふっ、熱いパトスがほとばしるようなこと言うじゃない。私は生意気な妹も好きよ。何ならもっと罵って欲しいぐらいだわ」

「変態ですわ――ッ! 知っていたけど変態ですわ――ッ!」

「Hey! もっともっと!」


 ダメですわこいつ……メンタルが鋼鉄すぎますわ!

 押してもダメだし、引いたら押し倒されるに決まっている。

 でもきっと、常識人の箒教徒なら助けて――


「ぶふーっ!」


 ああ、こいつもダメですわ。

 肝心なときに使えない。だから貴方は箒教徒なのよ!

 誰か……誰か助けて。


「ちょっと待って貰おうか」


 (とき)しらずの風が吹く。

 気づけば、リアが身体を割り込ませていた。


「この子は私が捕まえてきた風だ。あまり手荒にしては逃げてしまう」


 リ……リアっ!

 しかし、箒教祖も負けていない。顔を引き締めて言い返す。


「あら、リアちゃん。挨拶もなしに姉に楯突くつもりなの?」

「これは失礼。今日はいい風が吹くな」

「ええ、そうね」


 あれ挨拶でしたの――ッ!?


「宮古(ねえ)の凱風を心から待ちわびていたよ」

「もう、リアちゃんってば口が上手いんだから!」


 しかも、リアが挨拶をしただけで箒教祖はデレデレだし。余ほど誰からも帰ってきたことを歓迎されなかったのでしょうね。変態ですし。

 箒教祖は感極まってリアの頭を撫でた。と思ったら今度は抱きしめて、オマケにほっぺにチューまでしていた。

 ……ちょっと、やり過ぎじゃないかしら?


「フィロソフィア=フィフィーちゃん」


 ご満悦の箒教祖が向き直る。

 あ、あれ? 私の名前。面識がないどころか、選抜合宿に参加していたのなら、私の噂すら聞き及んでいないはずなのに。


「驚かないで。単に新入生の顔と名前は全員覚えているだけよ」


 ドン引きですわ。

 一口に新入生といっても、六〇〇名以上いますのに。


「じゃあ、私の名前は?」と箒教徒。


 箒教祖は質問をスルーした。

 冗談よね? 新入生の名前は全員覚えているのに、まさか数年来の友人みたいな人の名前を覚えてないなんてこと……ないわよね?

 箒教徒が頭をペシペシ叩いたが、箒教祖は動じなかった。


「今日のところは、リアちゃんに免じて見逃してあげるわ。でもね、夢々忘れないようにね。この世に存在する年下の女の子は、みんな私の妹なの」


 大物風を吹かせていたが、単なる変態だった。リアが免じても法が見逃しそうにない。この国の警察機構は何をしていますの?


「それじゃあフィロソフィアちゃん、そこんところヨロシク!」

「あっ、ちょっと待ちなさい!」


 箒教祖は、文句一つ言わせる暇すらない敏捷性(アジリティー)を発揮する。他の新入部員をターゲティングすると、颯爽とこの場から離れていった。


 くっ! 未遂とはいえ、危うく辱められるところでしたわ。

 あの変態も許してはいけない存在のようね。いつかギャフンと言わせてやりますわ。


「さてと」仕切り直すと、リアは続ける「君に家風になられると、私としては大変困るのだが」


「……わかっていますわ」


 一人あぶれたリアを置いて帰るほど、私は薄情者でも恩知らずでもない。一緒にやってあげますわよ、ストレッチぐらい。

 今日のところは、貴方の情熱に負けたことにしてあげるわ。言っとくけど暇じゃないのよ。私ぐらいの人物になると、どこからも引く手あまたなのよ。


 でも、まあ、一日ぐらいなら付き合ってあげないこともないわ。


「寛大なこの私に感謝なさい」

「ふっ、君は花信風(かしんふう)のように優しいな」

「君じゃない」

「え」

「フィロソフィアよ。そう呼びなさい」


 風、風とうるさいせいかしら。リアの隣にいると、やけに風が吹く気がする。まるで風の妖精にでも愛されているかのように。


 ……いい風ね。熱くなった頬をよく冷ましてくれる。


「ああ、よろしく頼むよ。フィフィー」

「誰が下の名前で呼んでいいと……痛い、痛いっ! 貴方ね、ちょっとは手加減というものを」


 昨日一人でストレッチをしていた私は、今日二人でストレッチをした。リアのストレッチは容赦がなくて、身体がバラバラになるかと思うぐらい痛くて。


 ――背中に乗るときには、少しだけドキドキした。

リアとの仁義なき戦いの記録

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1戦目:○奴―✕お嬢さま(弱い)

2戦目:○グラサンライダー―✕お嬢さま(ネーミングセンス✕)

3戦目:○グラサンライダー―✕お嬢さま(人生のルート取りが下手)

4戦目:○グラサンライダー―✕お嬢さま(凹凸に欠ける)

5戦目:○グラサンライダー―✕お嬢さま(猫を言い訳にし出すとか末期)

6戦目:○グラサンライダー―✕お嬢さま(言い訳の種すらなくす)

7戦目:○リア―✕お嬢さま(……名前を覚えてきた?)

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記録:お家嫌いの従者エメロット

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