26話 最終判定
しばらくしたある日、カトリーナは生徒会のサロンへ向かう途中でカインとアルトの姿を見つけて歩み寄った。
「カイン殿下、ご機嫌麗しゅうございます。アルト様もお元気そうで何よりですわ」
「あぁ」
「おはようございます。カトリーナ嬢もお元気そうですね」
カインは相変わらずぶっきらぼうで、アルトは癒やしのスマイルを向けてくる。
いや、カインに関しては態度が悪化している。カトリーナの姿を視界にすら入れたくないのか、まったくこちらに視線を向けてくれない。
(わたくしに対してカイン殿下はこれほど露骨な態度を取るほど嫌悪しているのに、どうしてアルト様は変わらないのかしら?)
不思議に思いながらも、カトリーナは二人に並んで廊下を進み始めた。
「何か用でもあるのか?」
「特にございませんわ。それとも婚約者であるわたくしがお側にいることで不都合でも? エスコートくらいしてくれてもよろしいのではなくて?」
カトリーナはニッコリと微笑み、カインの腕に手を回した。
不快感を表すようにカインの眉間には深い溝が刻まれるが、一応婚約している関係なので振りほどきはしない。
「ふふ、カイン殿下とこうして並んで歩けて嬉しい。以前は先触れを出せば、いつだってお茶の時間を作ってくださったのに、最近はめっきり減って寂しかったですわ」
「誰かが面倒ごとを起こしているようだからな。対処するのに忙しいんだ」
「まぁ。不届きものがいるという噂を聞いたのですが、カイン殿下が直接対処しなければなりませんの? 生徒会の人は他にもいらっしゃるのに?」
「その不届きものは、油断できない相手のようだからな」
「まぁ、怖い」
久々にぶつかったカインの視線は鋭く冷たいものだった。
しかしカトリーナはあえて微笑みながら、よりカインと腕が絡むように身体を寄せる。
すると彼の眉間の溝が、ますます深くなっていった。
「カトリーナ、品位を損なうような行動は慎めと前も――……!」
カインは言葉を途切れさせ、遠くを見て目を見開いた。
カトリーナが彼の視線を追うと、廊下の先には表情を固くしたミアが立っている。
口を強く横に引いているミアの表情は、好きな人の密着現場を見てしまったというようなショックと嫉妬が入り混じったもの。
カトリーナの演技だとしても、やはり好きな人が自分以外の異性と密着していることを直視するのは辛いのだろう。
次第にミアの大きな瞳は切なさで揺れ、今にも泣いてしまいそうなものへと変わる。
「……ミア嬢」
「――っ」
カインが名前を呟いた瞬間、ミアはつま先を返して走り去ってしまった。
当然カインは追いかけようとする。
しかし、カトリーナは彼の腕を強く掴みそう簡単に思い通りにはさせない。
「どこへ行くつもりですか?」
カトリーナは笑みを消し、睨むようにカインを見上げる。
「カイン殿下の婚約者はわたくしカトリーナだということを、ゆめゆめお忘れなきよう。あまり身分の低い者と仲良くされては品位が疑われましてよ」
「そういうカトリーナの品位はどうなんだろうな? 私が知らないとでも?」
「何のことかしら。わたくしはカイン殿下のことを思って、常々行動しておりましてよ。何ひとつ、やましいことをした覚えはないのですけれど」
「私のためというのなら、もっと考えるべきだった……とでも言っておこう」
カインはカトリーナの手を引きはがし、体を離した。
強く、そして冷たいカインの視線がカトリーナを射抜く。
「わたくしほど、カイン殿下に有益な人はおりませんことよ」
「好きに言っていればいい。アルト、カトリーナを馬車まで送ってやれ」
「カイン殿下!」
カトリーナが大きめの声で呼びかけるが、カインは振り返ることなくミアが駆けていった方へと行ってしまった。
「……もう確定ね」
カインの背中を見つめながらカトリーナは空いた手をぐっと握りしめ、拳を小さく震わせた。
危なかった。
拳に力を入れていなければ、サッカーの決勝試合でゴールを決めたときの如く、フォー!と言いながら盛大なガッツポーズを繰り出すところだった。
ここでカインがミアを追いかけなければバッドエンド、追いかければハッピーエンドへと繋がる重大な分岐点。
カインが婚約者カトリーナよりもミアを優先したということは完全に惚れ込んでいる証拠であり、裏ではカインとカトリーナの婚約破棄が決定したということだ。
つまり、ハッピーエンドまっしぐら。
(ようやくここまで来たのね。あんなに純粋の塊で腹芸などできそうになかったカイン殿下が、わたくしに対して核心ギリギリの踏みこみ方をするようになったなんて……! カイン殿下、成長しましたね。そしてミアもよく頑張ったわ)
感極まって鼻の奥がツンとしてきてしまうが、頭を軽く振って落ち着きを取り戻す。
あとは最後まで気を抜くことなくストーリーをなぞれば、念願の断罪スチルを拝むことができるだろう。
「カトリーナ嬢」
名前を呼ばれたことで、断罪スチルに思いを馳せていたカトリーナの思考が現実に引き戻される。
「ア……ルト、様」
そういえば居たのだったわ、とカトリーナは申し訳なく微笑んだ。
カインと一緒にいるとき、本当にアルトは存在を忘れるほどに華麗に気配を消すものだから、危うく忘れてスキップで立ち去るところだった。
するとアルトは、苦りきった表情でカトリーナを見つめ返してきた。
いつも静寂なはずの闇色の瞳からは熱を感じ、それが怒りによるものだと気付く。
ミアへの嫌がらせについて怒っているのか。それとも主であるカインの邪魔をしていることに怒っているのか。カトリーナを信じていたアルトへの裏切り行為にか。
いや、全てかもしれない。
アルトがこんなにもしっかりと怒りを滲ませる表情を初めて見た。どんな時も穏やかで、カトリーナを素晴らしいと褒めてくれた彼にこんな表情をさせてしまったことに、やはり罪悪感が募る。
「これを使ってください」
不意に、アルトがハンカチを差し出した。
理由が分からずカトリーナが困惑の眼差しで見つめるが、ふと思い当たる。
(さっきハッピーエンド確定で感動しすぎたから、失恋の涙と勘違いさせてしまったのかも。確かに馬車乗り場に行く間、目元が赤い人と歩くなんて嫌よね)
そもそもアルトはカインに命じられただけで、近い未来で断罪されるような悪女と一緒にいるのは不快だろう。
「付き添いは不要。ひとりで帰れますわ」
申し訳なさで胸が痛いカトリーナは、ツンとした態度でこの場を立ち去ろうとした。
しかし――。
「お待ちください」
「――え?」
カトリーナは両肩をアルトに引かれ、気付いたら背中を預ける形で彼の腕の中に納まっていた。








