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望んだ筈だった過去から

とってもお待たせしました、本当にすいません!!

とんでもなく長くなったので二つに分けています!


この話は1/2です!

宜しくお願いします!!

 




 眼前に広がる光景。

 起動したことで純白に染まり、周囲を見渡すよう空中で回転している球体と、その巨大な球体を従えるように背にして立つ幼い少女の姿。

 ずっと不明瞭だった自身の過去によく似た少女の正体が、答えとして提示されている光景に私は歯噛みする。



(————エデが、エクス・デウスが勝手に起動されたということは、やっぱり“百貌”というのは過去の私そのものに限りなく近い存在だったっ……!)



 複製か、模倣か。

 完璧な詳細は分からずとも、この推測はそれほど間違っていないのだろう。


 だがそれは遅すぎた解答だ。

 既にこの星に住む知性体は変わり果てた。

 人間としてそれぞれが持っていた価値観が、ごくごく自然に一つの形に誘導されている。


 整然と人々が規律や規範を守り、お互いの生に不利益を与えない。

 それは個人の欲望の一切が存在しない、多くの者に想像される天国に近い世界にも見え、天国で暮らす人々と言っても見合う程に、今の人類は正しく形作っている。


 だがこれは別に、全人類が真なる善性に目覚めたとかそういう話ではないのだ。

 それは空に浮かぶ巨大な球体によって全人類が管理された故の実現。


 知性体を一つの意志により管理する。

 大雑把に言えば、それが私の想い描いていた【人神計画】の最終目標だった。


 一つの意志に、一つの価値観。

 統一された考え方があればきっと世界の平和が乱れることは無いから、人を正しく管理できる機能装置を作成すれば良い。

 人が人を正しく統治する事なんて出来ないから、それが可能な形を目指せばいい。


 それこそが私の黒歴史、放り捨てた過去の計画。

 それこそが空に漂うアレ。

 起動することでその身を白く染め切った、巨大な惑星のようにも見える球体。


 エデ、正式名にすると【エクス・デウス】。

 拗らせた考えが辿り着いた、私の持つ異能のある種の極致。

 知性体を正しい形で管理統括する役割を持つ、私が定義し創り出した形。


 人間による、人間の為の、人間を掌握する存在。

 故に、人神。



「ふふ……正直今の御母様の姿を見た時は、この子を創り上げてすらいないんじゃないかと思っちゃったけど、ちゃんと居てくれて安心したわ。居場所、正式名、佐取燐香の異能出力。確かに代用が利かない起動鍵がこれだけ必要だったら別の誰かに勝手に起動されるようなことは無いと思うかもしれないけど、ちょっと考えが甘かったわね」

「なんだアレは? 巨大な、球体……? あんなもの、生物として成り立つ訳が……いや待て、俺は前に、アレを見た事ある……?」



 そして、放り捨てた過去が何故か今頃になって私の前に立ち塞がっている訳で。

 そんな考えに至った恥ずかしすぎる過去の私の妄想の成果がこうして目の前に堂々と提示される事態となり、蓋をしていた私の羞恥心に火をつけていた。



「ううううっ……!」

「見事な光景でしょう。規律正しく、全ての人が他人に対する思いやりを持ち、些細な迷惑行動一つしない。間違いなく多くの人が望む世界の筈よ」

「ぐうぅううぅっ……! な、なんでアイツはあんなに自信満々なのっ……!? い、いや、当時の私そのままだったらそりゃあ自信満々かもしれないけど……」



 そして状況の悪さと抑えきれない羞恥心に動悸が激しくなっている私を余所に、昔の私そっくりなクソガキはこれ見よがしに胸を張っていた。


 なんでお前はそんなに誇らしげなんだと言いたくなる。

 かなぐり捨てたい私の過去を引っ張り出して、本当に何のつもりなんだ。

 こんなことなら空の球体からの支配をマキナが防衛してくれた際、神楽坂さんを守らずに私だけでこの場に来ていれば良かった、なんて思わずありえない事を考えてしまう。


 だがそんな慌てふためく思考とは関係無しに、コイツの無事な姿を目の当たりにしたことで、私の冷静な部分が脳裏にとある推測を思い浮かばせた。



(……読心が通らないから確信は持てないけど、コイツがここまで自由に動いているのを見るとこれまで戦っていた人達はきっと……)



 正直に言うと、ICPOがこの国に結集して、“百貌”がいるだろう国会議事堂へ集まっていくのを感知した時、私は自分が行く必要が無いだろうとさえ思っていた。


 “泥鷹”というテロ組織が来た時に応戦した人や、何だかとんでもない出力を一度に放つ人。

 “死の商人”とやらに使われていた探知系の人もいれば、レムリア君だっているのは遠くからだって分かった。

 そして何よりも、私に幾度となくトラウマを植え付けた世界最高峰の異能使いである御師匠様が向かうのが分かったから、“百貌”とやらがいくら厄介だったとしても制圧されるだろうと思っていたのだ。


 だがそれらを上回って、或いは出し抜いて、コイツは目的を達成して見せた。

 それはつまり、エクス・デウスという存在の起動を差し引いても、これまで私が対峙してきたどんな相手よりも厄介だというのは明白だった。



(恥ずかしいとかは考えてられない……警戒しないと。感覚を研ぎ澄まして、平常心で、冷静になって……)



 私がそんな風に心を落ち着けていると、神楽坂さんは何かを察したような顔で私を一瞥し、“百貌”に向けて口を開いた。



「……アレが全人類を洗脳しているのか?」

「少しだけ違うわね。精神に干渉し、無意識的に間違った行動を規制。無理に迷惑な行動をしようとする人には強制的な精神干渉で管理に従う善人に作り替えるシステムの具現化と考えるべきよ。禁止事項を与えるだけであくまで自我は残っているわ」

「意識を完全に奪う訳じゃ無い、か……未だに状況を掴み切れないが、三半期の夢幻世界。それが今のこの状態という訳か」

「ああそれ? ううん……確かにそれに似た状態なんだけど、多分それはちょっと語弊があって————」


「うわあああ!? か、神楽坂さん、あんな奴の言葉に耳を傾けないでください!! 敵ですよ敵!」



 神楽坂さんの問いかけに普通に返答しようとした“百貌”の言葉に慌てて割って入る。


 平常心を努めていたのに、一瞬で全部が吹き飛んでしまった。

 だってアイツ今絶対にとんでもない事を言おうとしていた。

 今既にとんでもない事をやらかしているけど、その上でさらにとんでもない事を言おうとしていた。

 そんな事を気にしている場合かと言われるとそうかもしれないが、そういうのはじっくり時を見計らって、万全の状態を構築してから私の方から言うものだと思う。

 間違いなく、ちょっと私に似ている奴が勝手にペラペラ話すのは絶対に違う。


 困惑する神楽坂さんに対して軽く肩を竦めた“百貌”とその背後に佇む巨大な球体を、私は恨めしく睨みつけた。


 起動し、光が全身に行き渡り、この世に二つと存在しない無垢の純白となったソレ。

 無限に思える翼のようなものが集積する事によって形を為す巨大な球体。

 光の灯らない黒き球体を丸ごと反転したようなソレが、この場に現れた私達を正確に感知し、その巨躯を震わせている。


 確かに私が作ったように動作している巨大な球体を確認し、起動したのが別人なんだから、異常に気が付いて役割を停止するくらいの柔軟性があっても良いのになんて思った。



「君がここに来るまでに対峙した……警察や国際警察の人達はどうなった。君が目的を達成しているということは、彼らを少なからず出し抜いている筈だろう?」

「ふふっ、まあ、それは安心して良いわ。偶然にも誰の命も奪えなかったからね。今私に歯向かっていた彼らは、仲良くこの子に支配されてこの平和な世界で暮らせるよう順応している筈だから」

「支配と順応、か……」

「……良かった」



 飛鳥さん達の命がある。

 それはマキナからの報告であらかじめ知っていた事ではあるが、理屈どうこうではなく、改めてそれを聞いて、私はほっと胸を撫で下ろしてしまう。


 だが、“百貌”の視線がこちらに向いているのを自覚して、私は慌てて気を引き締め直す。



「それは、安心できるのかは分からないが、取り敢えず無事ではあるようで良かった……君の事はなんて呼べばいい? 佐取と呼んだ方が良いのか?」

「あら? 御母様から何か聞いたの? そうね、私としてはそっちの方が馴染みはあるけど、お隣さんが凄い顔をしてるから“百貌”って呼ぶのが良いと思うわよ」

「……君は随分寛容的、いや、落ち着いているんだな。本当に子供とは思えないくらい視野が広く、考え方もしっかりしている」

「えへへ」

「だから俺も子供としてではなく、しっかりとした考えを持った一人の人物として君を扱った上で話す————今やってることを止めるんだ」



 湧き上がる色々な感情の処理でまともに行動出来ていなかった私を置いて、神楽坂さんは“百貌”の説得を試みる。



「他人に異能を使うべきじゃない。身を守る為でも無い、誰かを助ける為でもない。他人の人生を勝手に制限する権利なんて君には無い筈だろう」

「この状況で私に説教? 形式的なだけの正義を振りかざすの?」

「いいや違う、説得だ。少なくとも君は俺が今まで対峙してきた犯人達よりもずっと話が通じると思った。だからこそ、俺の要求を正しく言葉にして君にしているんだ。今のこの状態をそのまま放置する事はできない。今すぐ止めるんだ」

「あはは、変な人」



 だが当然、ここまで計画を遂行したコイツが今更見ず知らずの神楽坂さんに何を言われた程度で止まる筈も無い。

 神楽坂さんの言葉を“百貌”は一笑に付す。



「貴方が善人で、多少頭の良い人だというのは今の会話だけでも分かるわ。そんな貴方なら理解はできると思うけど……UNNの暗躍で異能を開花させる薬が出回り、異能による犯罪行為が多くの被害を出した。世界の多くの人々は誰かさんが成し遂げた強制平和の再来を願い、この国で暴動まで起こす程に発展した。世界は形だけの倫理観よりも、自分達の生活に寄り添う完全な平和を望んでる。それは国会議事堂の占拠が何よりの証拠でしょう?」


「争いを生み出す人を排する事もせず、武力を振るおうとする集団をさらなる武力で制圧する必要も無い。血の流れない何よりの平和的解決方法を今の私が叶えている。これを邪魔しようとする考えが分からないわ。計画立案段階での反対であれば、小娘一人を信用して世界を揺るがす行動なんてさせる訳にはいかないのだろうとまだ理解できる。でも今は、私はもう世界的な平和を叶えている。争いを望むような人以外それの邪魔をする意味は無い筈よ」


「それとも……ふふっ、正体の分からない不気味な球体の管理下に置かれるのが嫌とでも言ってみる?」



 クスクスと“百貌”は笑う。



「貴方の志と行動力が私は嫌いじゃないの。そこまで出来る人は中々いるものじゃないから本当に好ましいと思うわ。でもね、だからこそ忠告してあげる」


「どんな努力を重ねたってね。異能を持たない人間は異能を持つ人間には敵わない。武器を持って、情報戦で勝利して、環境を整えさえすれば確かに標的とした特定の相手には勝てるかもしれないけれどね。どれだけ準備しても勝率は高いものじゃないし、相手が飛び切り強力な異能を有する相手であればその話すらも変わってくる。多種多様、数多の異能持ちと対峙する必要がある異能担当の警察官自身が異能を持っていないなんて、論外も論外なの。貴方は優秀だからこそ自分の領分を弁えて、異能の関わらない犯罪事件の解決を担当するべきよ。適切な才能を持った人が貴方の代わりに解決してくれることを祈るべきなの」


「異能を持たない人間は異能を持った人間には届かない。これは善悪関係なく、抗いようの無い格差なの。利口に生きるならそれを理解しないといけないと思うわ。……まあ、この子が支配すればそれも関係ない話になるんだけどね」



 説得の失敗。

 それどころか、どこか嘲笑するような色すらある“百貌”の笑いに神楽坂さんが表情を暗くした。


 真摯に話をしようとする神楽坂さんに対する礼を欠いた姿勢。

 私には“百貌”がどういうつもりで嘲笑の色を見せているのか理解できるが、そもそも巨大な球体である【エクス・デウス】が何なのか見当も付いていない筈の神楽坂さんにその対応は酷だ。


 いや、そもそもコイツの神楽坂さんに対する態度に出さない軽視が分かってしまう。

 異能を持たず、本来巨大な球体の支配から逃れる術を持たない癖に、この場にいる神楽坂さんをどこか対等な相手と認めていない“百貌”の心の内を私は分かってしまう。


 それが凄く腹立たしい。



「さも自分は何でも知っていると言いたげですね。自分は何でも出来て、それ以外は下だと思う自分勝手な思い込みが痛々しいというのには気が付いていますか?」

「……へえ、ようやく私と会話する気になったの?」

「恥ずかしすぎて現状を受け入れられなかっただけで別に会話する気が無かったわけじゃないです。けど、ここまで勝手にペラペラ話されていると思う所がある訳です。他人の姿を真似て、他人の過去を引っ張り出して、神楽坂さんを小馬鹿にして。貴女が誰か知りませんけど、いつまで我が物顔でいるんですか」



 だから気が付けば、私は自分そっくりな “百貌”を見据えて攻撃的に話を切り出していた。



「そろそろ貴女自身の目的を言ったらどうですか、見知らぬ何処かの誰かさん」

「……無駄話が過ぎたわね」



 そして、“百貌”も私の言葉が気に障ったようで、口元に湛えていた微笑みを消した。

 神楽坂さんへと向けていた視線を私に移し、少なくない怒りの表情で両手を広げて見せる。


 自分の姿を誇示するように、私に見せ付ける。



「私が目覚めた時、私は【この未来】を理解できなかった」



 そう切り出した“百貌”は敵を見るような目で私を睨む。

 ただ責め立てるように、ただ追及するように、彼女は言葉を並べ立てる。



「異能による犯罪が蔓延っていた。悪意ある攻撃が色んな場所で行われ、どうしようもなくなった人達の心の叫びが見えて仕方なかった。昔と変わらない、それどころかもっと酷いような状態になっている平和の崩壊。そんな、私が望んでいない未来が訪れているのに、それなのに貴女はそれをどうにかしようともしていなかった」



 信じていたものに裏切られたとでもいうような口調。

 会った事も無い相手に身に覚えのない裏切りを糾弾されても、反省も後悔もしようがない。


 だが私は、向けられた言葉の全てを否定する事はできなかった。



「想像していた筈の未来が訪れていなくて、一度は届いた筈の夢の世界が停止している事を知って。何か私が想像すらできなかった不具合があったんじゃないかと思った。けど、望んでいた筈の平和な世界は今こうして簡単に成し遂げられた。貴女の代わりに、私が成し遂げてみせた。だから貴女がどうしてこんな簡単な事を今までやらなかったか、分からない」


「準備は整ってた。手札も揃ってた。敵だってほとんどいないことは分かっていたんでしょう? 苦しんで、泣いている人がたくさんいて、救いを求めていた人もいっぱいいた。それで、そんな光景が世界中にあって、動こうとしない理由が分からなかった。【私】が憧れた貴女が、そんなことを選ぶなんて、いくら考えても分からなかった」


「だから認めない。貴女なんかが私の未来だなんて、認められない」



 ……ああ、そうだろう。

 この頃の私ならきっとそう思うだろうし、そう言うだろう。

 家族の中の平和だけでは満足できなくなって、見えてしまう人達の助けを求める声に駆け付けるだけでは足りなくなって、わざわざ世界中に伸ばした異能の力。


 救い続ける事で終わりがあると思っていた私。

 誰かに悪意を持って異能を使おうとする前の私。

 まだギリギリ優しい姉で立ち止まれていた時の私。


 その姿を突き付けられて、本当に嫌になってしまう。



「別に貴女は特別じゃない。私の未来かもしれないけど、私の理解できない自分とは掛け離れた形をしていた。私にとっては、私の目的を止めようとするだけだったこの国の警察やICPOの奴らと変わりない。世界の平和を維持できない、能の足りない支配者達の一人」


「必要な支配は一つだけで、それ以外は全て不純物。全部が全部間違っていない訳ではないかもしれないけど、私が思い描いたこの未来はこれまでよりも悪いものでは無い筈よ。私の未来、貴女の過去が作り出した人神計画は完璧だから」


「何もするつもりがないなら————私に従え」



 高層ビルの屋上である筈なのに、深海の底のような重圧を感じさせる異能の出力。

 完全に攻撃態勢に入った“百貌”を迎え撃つために、私と神楽坂さんは身構えた。





 ‐1‐





 肌を刺すような感触。

 刺々しく、重厚で、研ぎ澄まされた異能の出力。

 圧倒的なまでに卓越した異能技術を示すような“百貌”が発する異能の力を感知して、燐香は素早く対処の方法を考える。



(読心を試しても一切思考が見えない。異能の出力を弾く外皮を纏っているからなのか、それとも異能が完全上位互換だから通用しないからなのか……どのみち出力が圧倒的に負けているこの相手に対して長期戦の選択はあり得ない。完全上位互換の異能を持つであろうコイツを精神干渉の末期状態にするのは不可能に近い事を考えると、私が取れるのは時間を掛けず経験の差で押し切るしか……っ!?)



 そこまで考え、小手先の技で撹乱し一気に決着を付けようとした燐香は驚愕する。


 同時に行われる手を前に差し出す動作。

 音を介して異能の現象を相手に届ける、今の燐香が出来る数少ない攻撃手段の一つが、自分そっくりの相手にそのまま目の前で模倣された。


 当然、全くの同じ技であれば勝つのは力の強い方だ。



「っ、神楽坂さん耳を塞いで地面に伏せてっ!」

「!?」



 感情波ブレインシェイカー

 無色透明の激震が、音に乗せられて襲い来る。

 自分の異能が圧し潰されるのを予知した燐香が咄嗟に防御体勢の指示を飛ばした事で、二人は何とか意識を持っていかれずに済む。


 だが、神楽坂ともども極度の貧血になったような眩暈に襲われ、バランスを崩したのを“百貌”は見逃さない。



「な、体がっ……!?」

「それはっ!? 神楽坂さん手を……!」



 上下感覚を狂わされ、上空へと落下していく神楽坂の姿に気が付いた燐香が咄嗟に手を伸ばす。

 だが、その手が届くよりも先に、空気を走る数多の亀裂が燐香目掛けて飛び掛かった。


 逃げる隙間の無いほど大量の亀裂の飛来。

 間に合わない事を悟った燐香は表情を歪め、咄嗟に伸ばしていた手に異能の力を巡らせ目を閉じた。


 一瞬だけ、息を止め集中する。

 異能の刃を纏わした手を自分の頭に押し当て、刃が自分自身を傷付けないように細心の注意を払い、自分が受けていた“精神干渉”の力を裁断することで解除した。

 そしてそのまま、為すすべなくさらに上空へと引っ張られていっている神楽坂に向けて、異能の力を巡らせていた手を向ける。



「少し、痛いですよっ!」

「————がっ!?」



 以前“千手”に対してやったような、裁断に回していた異能の力をそのまま音に乗せて、感情波へと切り替えた。

 届かない距離まで持ち上がってしまっていた神楽坂を助ける為に、掛かっていた“精神干渉”を力技で解除する為にあえて感情波で攻撃したのだ。


 一瞬だけ意識を失わせる出力調整。

 これに成功したおかげで、空中で意識を取り戻した神楽坂がなんとか体勢を整えて着地することができたのを確認し、燐香は思わず安堵の息を漏らす。


 試した事も無かった曲芸染みた出力調整の成功に、“百貌”ですら攻撃の手を止め驚愕する。



「一瞬だけ意識を奪うよう調整した……? なんて器用な……いえ、それよりも、私の精神干渉を瞬時に解除したアレは……?」

「思い出した……! それ、昔もし異能持ちと戦う時がきたらって考えていた攻撃技っ……! 何個も何個もっ、恥ずかしいものを引っ張り出して……!」

「……今の私は考え至っていない技術、ね。触れた相手の精神を裁断出来てしまうとても残酷な技……何を考えてそんなものを作ったのかは知らないけど、それ最悪ね」



 頭を片手で押さえ、自分の感覚を確かめている神楽坂をチラリと確認し、燐香は少しだけ迷う。

 だが、このままではどうやっても勝てないのはもう分かっているから、隠し札を切る必要があるのを燐香は理解していた。


 迷いは少しだけ。

 そして決断したからには冷たく思考を研ぎ澄ます。



「————マキナ」

『待ちくたびれたゾ御母様』



 その瞬間、“百貌”をも上回る出力を持った不可視の存在が顔を覗かせた。


 呼び声に応えるように、電気が燐香の周りを飛び交う。

 神楽坂は何が起きているのか分かっていない様子だったが、“百貌”はある程度の予想はしていたようで、とうとうソレを出したかと顔色を変えて構えた。



「マキナ、ね。自動情報統制機能に名前を付けて自我を確立させるなんて、それも今の私じゃ思いつかな————」



 予想をしていた切り札の登場。

 直後、何処から攻撃が仕掛けられるのかと警戒していた“百貌”の視界から燐香の姿が掻き消え、突如として真横に姿を現した。


 精神裁断の刃を纏い、引き絞られた燐香の手を前にして、“百貌”が目を見開く。



「————そんなっ……!?」



 悪意を持った攻撃ではなく単純な誤認識。

 規制には引っ掛からない、夢を誘導する異能使用と同程度のもの。


 そんなマキナの精神干渉が“百貌”の認識を誤認させられるのはほんの数秒だけだ。

 だが、マキナが行った精神干渉の影響が出るギリギリの時間を見極め、同種の異能を持つ“百貌”が受けた精神干渉に抵抗する時間を見極め、一切の迷いなく攻撃へと転じる。

 異常な決断力と精密な判断力があってこそ成り立つこの攻撃は、同種の異能を持っていようが、精神干渉への警戒を高めようが対策など不可能。


 そして極限まで無駄を省いた結果産み出されるのは、まるで瞬間移動したと相手が錯覚するような燐香の動きだ。


 当然そんな動きをされればまともな対処など出来はしないが、それでも目の前に迫る裁断の刃を前にして“百貌”は焦りつつも好戦的な笑みを浮かべた。



「っ……焦ったわねっ! その異能の刃は私が纏う外皮で無効化される! 私の異能の出力を感じ取れるからって私が外皮を纏っている可能性を無意識に排除したわね!? 攻撃に飛び込んで来た貴女を捕まえるのは酷く簡単で」

「経験不足」



 身に纏った外皮を異能の刃を振り下ろしていた先へと集め、異能への防御を固めようとした“百貌”に対して、燐香は冷たく切り捨てる。



「戦闘時、相手への読心を僅かでも切らしたのは間違いだったわね」



 保険は油断を作り、安心は死角の裏返しだ。

 たとえギリギリになってもコレがあるから大丈夫という思考は酷く危うく、同時に利用しやすいもの。


 燐香の精神を破砕する手が外皮に触れる直前。

 マキナの攻撃的な異能使用が“百貌”の身に纏う外皮のみを対象にして行われた。


 外皮が弾ける。

 身を守っていた外皮が剥がれ、生身が露出する。

 異能を通さない盾が無くなり、精神を破砕する刃が目前にある。

 隠れ潜ませていた分身体達の加勢も間に合わない状況。


 防ぐ手段が何もかも無くなった事を理解して、“百貌”の顔が硬直する。

 

 マキナによる“百貌”本体以外への攻撃により切り開いた道を燐香が叩く。

 出力ではなく経験による手数で上回る、燐香の勝利構想がまさに形となった。


 だが、誤算があったのは“百貌”だけではなかったのだ。



『御母様っ! あの寝坊助が動いたゾ! このっ、ぐうァ!?』

「!?」



 マキナからの警告と何かしらの妨害を受けたような声に、燐香は驚愕する。

 その事態は、考慮の外側にあったものだった。


 人神、エクス・デウスは誰かの命令に従うようになど設定していない。

 命令権限など無いし、思うがままに操れるというものでもない。

 あくまでソレは知性体を支配する役割を果たすだけ、絶対的な一つの価値観を形にしただけにすぎないもので、マキナのように従える余地など無い筈だった。


 マキナのような強い自我を持つ例を、神楽坂が無事だった理由と思われるものを、失念してしまった故の不測。


 ————天から降り注ぐ異能が燐香の体を貫いた。



「ぁうぐぅ!?」

『っ、御母様!? あの、寝坊助ェ!!』



 ミシリと見えない重りが燐香の全身に圧し掛かる。

 重さを操作したエクス・デウスによる妨害行動に、燐香の攻撃の手が止まり、守られた“百貌”も予想外の事態に反応が遅れた。


 だからその瞬間、この場において行動を起こせたのは限られた。

 隠れ潜んでいた分身体達が重みに潰される燐香に襲い掛かったのを、神楽坂がギリギリ横抱きで救出する。


 ほんの数秒前に燐香が居た場所を異常な酸性が溶かし尽くし、人型だけであるだけの液体が救出した神楽坂を怨恨に満ちた様子で睨む。



「オ前ッ、神楽坂ァ……!」

「異常に重い……何らかの異能による影響を受けているのか。佐取、大丈夫か?」

「だ、だ、大丈夫です。あ、ありがとうございます……し、死んじゃうかと思いました……」



 エクス・デウスによる妨害行為。

 支配以外の、粛清機能としての力を使われたことに動揺を隠し切れない燐香は、未だに残る体の重さに震えながら神楽坂に感謝を伝える。


 冷たいものへと切り替えていた思考が、命の危機に瀕したことで緩む。

 そして、本当の本当に危ない所だったのだと、じわじわ実感し始めた燐香は顔から血の気を引かせながら、自分を抱える神楽坂と“百貌”達を見比べ、状況の悪さに愕然とした。



(エデが直接的な妨害活動を行った。これはつまり、起動者である“百貌”の身を守るという方針を固めているということ……? 役割である支配活動以外で積極的に行動をするとは思ってなかったのに……)



 空に浮かぶエクス・デウスの動向。

 隠れ潜んでいた異能を通さない分身体達と自分よりも出力が強く読心すら通じない格上の異能持ちである“百貌”。

 そんな目の前に広げられた敵の戦力に加えて、味方は“百貌”に直接攻撃が出来ないマキナと異能を持たない神楽坂であり、自分に施された地面に縫い付けようとする力は今なお続いている。


 最悪に近い戦況。

 もはや、経験の差を利用し短期戦で決めようとしていた自分の作戦が完全に崩れ去ったことを自覚するしかなくなった。



(これは……負ける)



 確信してしまう。

 小さな活路を潜り抜けようと試行錯誤したのに、全て不発に終わってしまった状況。

 運も悪かっただろうし、この状況に至ってしまった事が既に敗北だったのだろうし、何よりも多くの事を放置し過ぎたのが悪かったのだと今だから思う。


 置き去りにした筈の過去に膝を突かされている現状は何故だか酷く悲しいが、燐香は心のどこかで仕方ないと諦めている部分もあった。



(……弱くなっていた事は分かっていたのに……今の私が過去の自分に勝てる訳が無いってことは最初から分かっていたのに、私は何を頑張っていたんだろう)



 情けない言い訳が頭を過る。

 作戦の失敗と自身に加えられた負荷を総合的に見て、勝ちの目が見えなくなった燐香は足元のアスファルトの床を眺めながら思わずそんなことを考えてしまう。



(大体、私が昔望んでいた事をやってくれる訳だし、そっちの方が良い世界になるんじゃないかとは今も思う訳だし、無理に邪魔する必要なんて無くて……私が創り上げたエクス・デウスの支配なら、今より悪くなることは無いし……)



 そして、自身のそんな様子を見た神楽坂が開き掛けた口をゆっくりと閉ざし、何かを考えるように強く目を瞑った事に気が付かないまま、燐香は情けない思考を続けていく。



(私が放り出した事をアイツがやってくれるなら、私は……別に————)


「————多分、君がやっている事は間違った事じゃない」



 神楽坂が、まるで燐香の思考に応えるように言葉を紡いだ。

 驚く燐香の様子に気付くことも無く、「下がってろ」と言った神楽坂は今にも襲い掛かりそうな分身体越しの“百貌”の姿をゆっくりと見遣る。



「異能を持たない俺は、特別な異能を持った君の価値観を完全に理解する事はできない。今君がやっている事の全貌が掴み切れていないし、正しいのか間違っているのかさえ判断できない。だから君の言う事を全部信じて、見えている限りの状況だけで良いように解釈して、考えてみた」


「……幸せなんだろうと思う。君が作る統一された価値観の世界はきっと、非力な俺でも何一つ失わないくらい色んなものが保障された楽園なんだろうと思う。助けを求める人なんていないし、目を醒まさない恋人なんていないし、命を奪われる先輩もいない。なんでもできる自由は無くても、誰も悪意に傷付くことが無くて、誰もが決められた幸せな道を辿ることが出来る」


「それはきっと間違ってはいない。何も無くなってしまうよりも、そうあってくれた方が良いと思う人は間違いなくいるだろうと思う。君のやっている事は大きな視点で見ると間違いではないと俺は思う」


「……けど、君のそれは人を人として見ていない。君の考え方は歪だ。人の形をした操り人形達で世界という玩具の箱庭を作っているに過ぎないんだよ。世界中の人全てを、血の通うだけの人形としか見ていない君自身のその考え方は、将来的に必ずどこかで破綻する」



 確信を持ったような神楽坂の言葉に、燐香は思わず息が詰まる。

 まるでそうなる未来が見えているかのような神楽坂の言葉に、仕舞い込んでいた自分の過去の記憶が蘇り、胸が苦しくなってしまう。


 けれど、その言葉を向けられた張本人である“百貌”は何も思わないのか、冷めた笑みを浮かべて神楽坂を見ていた。



「それで? 何の解決にもならない感情論の話は良いのよ。私がどうにかしなければ、この世界で起きている異能による犯罪は終わらないわ。現に貴方のような無能な人達がどれだけ頑張っても事件解決には手が回っていなかったでしょう? 異能を持つ人間が居なければどうにもならない事ばかりだったでしょう? それともまさか、異能の関わる非科学的な犯罪事件を、異能も持たないただの警察官である貴方が解決できるとでも言うつもり?」

「ああ、そうだ」

「……ふうん?」



 間髪入れない神楽坂の返答に“百貌”は面食らい気勢が削がれた。

 そして、ここに来てようやく神楽坂という人間をしっかりと認識した“百貌”が何を言うよりも先に、神楽坂は燐香を守るように前に出る。



「君の解決方法は確かに間違ってない。だがそれは、問題を別のものに切り替えただけでもある。巨大な存在に支配させることで人間の進む先を誘導する事は、人間の問題からさらに大きな問題への変換に成り得る。人間の問題は人間で解決するべきで、人間ではどうしようもない巨大な力を用いた解決は、その巨大な力に関する問題への布石になる。そうなった時、本当に異能を用いない方法での解決は難しくなってしまうだろう」


「異能に頼らずとも、異能の関わる事件は解決できる。それはきっと短期的なものじゃないし、歩みとしては遅くなるかもしれない。ノウハウも無いし、知識も無いし、法規制の土台だって出来上がっていない。そんな何もかもが足りない状況だから、今は確かに不可能に思える事かもしれない」


「だがそれでも、時間が掛かったとしても、それらは学んで培う事が出来るもので、整えていく事が出来るものだ。絶対に、歩みさえ止めなければ、成長し、先に進むことが出来る問題でしかないと俺は思うんだ。解決への道のりを、色んな形で進み続ける事が出来る……君が思っているよりもずっと、進み続けられる」



 神楽坂はもう一度空に浮かぶ球体に視線をやる。

 それは自分ではどうしようもない巨大な力そのものを形にした存在だ。

 神様と言っても差し支えは無いのだろう。


 それでも神楽坂は巨大な存在に少しも気圧される事が無かった。



「“百貌”、君から見た俺は何に見える。異能の持たない俺という人間はどう見える。無駄な努力を重ねるだけの不幸な男に見えるか? 世界に絶望した憔悴しきった男に見えるか? 自分の努力ではどうにもならないと、全ての責任を別の誰かに背負わせる男に見えるか? 君が自由を奪ってでも救わなければならない男に見えるか?」

「……」



 何も言わない“百貌”に、神楽坂は続ける。



「異能は神様の権能なんかじゃない、人間の才能の一部だ。だから異能を持たない俺でも異能を持つ人間を捕まえられる。それを証明するために俺は今ここにいる」

「貴方……」



 驚いたように、理解できないものを見詰めるように、仏頂面になった“百貌”がポツリと呟く。

 心底忌々しそうに低い声で呟く。



「……酷い戯言を言うのね」

「戯言かどうかは、これから俺自身が証明して見せるさ」



 “百貌”と分身体とエクス・デウス。

 異能の力そのものと言えるそれらを前にしてなお、異能を持たない神楽坂は燐香を守るように前に出た。


 以前とは逆。

 その背中に、燐香は動揺で瞳を揺らす。






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― 新着の感想 ―
[良い点] 最初の見せ場との立場逆転最高!!!!!!
[一言] 今回の戦闘も気になる所が盛りだくさんですね ・ヘレナさんにもやってたけど、空上落下ってどんな原理なんだろう?てっきり上に落ちていると錯覚してるだけだと思ってたけど実際に宙に浮いてたみたいだ…
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