難攻不落
とっても遅くなりました…戦闘描写そんなに上手くないのに混戦にしたくてしたくて色々書いちゃってまた長い感じになってます…!
次回更新は簡単な手術っぽいことをするかもしれないので遅れるかもしれませんが、書籍作業はちゃんと進んでいますのでご安心ください!
イラストの出来はとんでもないものになっているので是非楽しみにしていてください!
神薙隆一郎が持つ異能、『製肉造骨』。
その異能は「生物の細胞から骨に至る全てを意のままに増減・変化させる力」である。
“医神”と呼ばれるに至った医学における稀代の天才が、その人体に対する想像を絶する技術と知識を基に晩年になって発現させたこの異能は彼をさらに上の領域へと押し上げた。
あらゆる傷病の治療が容易で、あらゆる肉体欠損すら再生可能な神域の異能。
誰を生かすか、どれを治すか、全てが思いのままの神業の異能。
それはまさに、神から与えられたあらゆる生物に対して絶対的な裁定権を持つ力だ。
命の裁定権を握るとも言える力。
ではその力の持ち主が切り捨てると決めた生物はどうなるか。
『がっ……!?』
「うぎぃっ!? なんだこれっ、痛てぇええっ……!」
大量の血が飛ぶ。
何の前触れなく襲った激痛に大勢の者達がその場で膝を突く。
国会議事堂で“百貌”だったものに対峙していた者達は、例外無く激痛に苛まれた。
膝を突いた者達は状況を理解出来ないまま、激痛を感じる自身の体を見遣ると、いつの間にかそこには体を内側から破って姿を現した白い物体がある。
それは、彼らの身体を突き破った白く大きく肥大化したその物体は、たった一人の意志により強制的に成長させられた彼ら自身の【骨】に他ならない。
体の外側へ現れた自分自身の【骨】を見せられ、咄嗟の激痛に襲われた者達は碌な反撃も出来ずにその場でうずくまるしかなくなってしまう。
「動かない方が良い。君達自身の肥大化した骨が既に内臓をいくつか傷付けている。もちろん進んで死にたいと言うのなら私は構わないけれど、自殺志願者を治療しようという考えなんてものは私には無いよ」
「っ……!」
それを為したであろう老人は指先一つ動かさなかった。
なんの予備動作も無いまま、この場で“百貌”に対峙していた者達全員の体内の【骨】が無理やり肥大化させられた。
抵抗の術など存在しない、神域の異能による敵対生物に対する攻撃。
伝聞により詳細を知っていたとしても、どうしたって体感するまでは警戒が足りないのだ。
ただ一人、心底信頼する相手から詳細な情報をもたらされた彼女以外は、だが。
「っ、あ゛ぁぁっ!」
神薙隆一郎による余命宣告のような言葉に状況を理解した飛鳥が、手足と腹を襲う激痛を噛み潰して即座に自身の異能を行使した。
国会議事堂にある机や壁を“浮遊”の異能で無理やり引き剥し、高速で飛行する圧倒的物量による津波のような攻撃を神薙の姿をした“百貌”へと行った。
単純な物体浮遊により物量を押し付けるだけの攻撃。
そんな攻撃は当然、全身を異常な酸性を持つ体へと変化させた液体人間によりドロドロに溶かされ迎撃される。
だが、飛鳥の攻撃を受けた神薙の姿をした“百貌”は驚きの表情を浮かべていた。
「……ふむ、本命は目隠しか」
ドロドロに溶けた物の隙間から見える筈の飛鳥達の姿が、生み出された鋼鉄の山で隠されているのを確認し、神薙の姿をした“百貌”が呟く。
視界の範囲。
神薙が持つ神域の異能が効果を及ぼすその範囲を理解し、これ以上異能による攻撃を受けないようにと飛鳥が行った、攻守の意味合いを持った異能の使用。
今この場で分析されたというよりもあらかじめ情報として知っていたと思えるほど即座に対応されたことへ驚きがあったが、同時に「それくらいはして貰わないと」と神薙の姿をした“百貌”が笑みを零した。
一方で、鋼鉄の壁の後ろに身を隠している飛鳥やロラン達には余裕なんてものはない。
「本当にっ、視界に入らなければ攻撃を受けないんだねっ!?」
「実際に次の攻撃を受けてないんだから間違いないでしょう!? 良いからアンタは継続して障害物を作るのよ!」
「確かに障害物を作るなら俺の異能は最適だけども……! 人使いが荒いなぁっ!」
「……視界以外で居場所を知られても異能の対象になるのか確認するためにあえて声を上げているのか、それとも単なる浅慮なのか」
居場所は隠す気も無いのか、姿を隠した二人のやりとりは当然のように神薙の姿をした“百貌”の耳にも届く。
神薙の姿をした“百貌”が微妙そうな表情をしたのも束の間。
聞こえて来たそのやり取りの通り、神薙の姿をした“百貌”の周りを囲うようにいくつも鋼鉄の山が生成されていき、視界を遮るものがこの場に幾つも用意されていく。
まるで国会議事堂内に幾つもの建物を建築したような様相としたことで、神薙の持つ異能が振るえる力を最低限のものへとすることに成功した。
「必殺必中の対生物最強の異能だろうとね、やり方さえ間違えなければ絶対に渡り合えないっていうことは無いのよっ……!」
飛鳥のその言葉を皮切りに、じりじりと白煙が室内に満ち始めたことに気が付いた神薙の姿をした“百貌”が状況の悪さを悟り、防御に徹していた液体人間に淡々と声を掛ける。
「他のも使おうか」
「アハハ、了解」
‐1‐
「だ、駄目だっ、収納できねぇ……! ひ、飛禅さん! 異能が防がれてる! 多分あの銀色のよく分からない人型が守ってやがるんだ! こ、これ以上の異能の操作は無理だ痛てぇよぉ!」
「っ……液体人間の分身体が盾になってる、か。視界を塞ぐことであっちの異能は防げてるけど、こっちからも相手の様子が見れないのは影響があるわね……」
「あの銀色の人型は全部で四体出ていたよな。一体を防御に使っているなら残りは三体か?」
「……多分、もっと数は出せる筈。アイツの異能は四体が上限じゃないもの」
ロランが作り出した障害物の陰に隠れながら、苦しそうに飛鳥達が会話する。
片腕と片足と胸部。
神薙の攻撃の対象となった者達のそれらの部分が、骨を異常成長させられた事でまともに動かせなくなっている。
足による機動力と手先による器用性、そして呼吸を阻害される事で冷静な判断を削ぐ、そんな意図を持って行われた部分的な攻撃を見て、飛鳥は歯噛みする。
(ミスをした……! 神薙の異能は燐香から聞いていたのに、“百貌”が神薙の姿になった瞬間に物陰に隠れなかったのは本当に致命的なミスだった……!)
背にしている鋼鉄の壁の後ろに耳を傾け、接近してくる水音に近い足音を聞きながら飛鳥は意識して呼吸をしながら、少なく無い出血をしている自分と周りを見て、それでも誰も命に関わる状態に無い事を確認する。
(けど、本当ならあの瞬間、こんな遠回りなやり方じゃなくて、直接心臓の機能を停止させられていたら、私達全員がなす術も無く死んでいた……これは多分、出来る限り命を奪いたくないという神薙隆一郎の思考が反映された結果……)
先ほどまでの自分自身の模倣、幼い少女の模倣、そして神薙隆一郎への模倣。
そのどれもがそれぞれしっかりとした自我を持った存在であったことを考え、飛鳥は“百貌”の異能について一つ推測を立てた。
(人格を含む模倣……明確に定義付けするなら、【対象にすると決めた瞬間の相手の全てを完璧な形で模倣する異能】。元人格がどうなってるのかは分からないけど、大雑把にそう仮定するのが現状としては最も考えられるものよね。その場合、最も厄介なのは……)
チラリと痛みに呻きながらも異能が使えない事を確認しているベルガルドを見る。
先ほどまで、幼い少女の姿をした“百貌”に離脱を封じられていた転移の異能が未だにうまく使えていない状況を確認し、和泉雅の異能が作る分身体が動いている今の状況。
精神干渉による誤認。自立式の分身体の作成。
それらが使用者のいない状態で残っていることを把握した飛鳥が、顔を歪ませて結論を出す。
(……異能を行使して引き起こされた状態は特定の条件下で現象として独立する。だから“百貌”が模倣を切り替えたとしても、現象として独立させられたのであればその後も残り続けるっていうことね。実質、全ての異能を同時に使い分けられるみたいなものじゃない、ふざけないでよ、ほんとに)
以前、ショッピングセンターに駆け付けた時、“百貌”が銀色の化け物を従えて現れた。
あの時の事を、分身体を作り出す異能の持ち主である和泉雅に聞いても、返って来たのはそんな奴は知らないし協力していないという回答。
奴の事を飛鳥はこれっぽっちも信用なんてしていないが、もし仮にそれが真実であるなら、“百貌”という存在が単体で同時に別の異能を扱える可能性があった。
その答えがこれだ。
“百貌”の持つ異能の性能云々ではなく、異能そのものの性質を利用しただけの、単純で簡単で厄介な手札だった。
「……異能の出力はどうなってるのかしらね。馬鹿みたいに巨大な出力を持ってるのなら、ある意味分かり易くて良いけど。最悪の想定だと」
「————出力スラ模倣相手ノモノニナル場合ダロ?」
耳をそばだてていた障害物越しに返って来た返答に、飛鳥は弾かれた様にその場から飛びのこうとするが、使えない状態の片足と片手が足枷になり床に転がってしまう。
慌てて自身の異能で体を補助する事で体勢を立て直すが、鋼鉄で出来た壁の上から自分達を見下ろす三体の分身体を確認し焦りを覚える。
神薙隆一郎の視界に入れば抵抗できない攻撃が行われるのに、物陰に身を潜めながらこの厄介な複数の分身体とやり合う必要がある。
ロランが片手で銃を構え、柿崎が意識の無い楼杏や異能が使えていないベルガルドの前に出て緊張を滲ませ、それらに対峙する分身体は口のような空洞で弧を描いている。
「良イ解析ダ」「異能持チニダッテ限界ハアル」「先生ノ異能使用ニ使ワレル出力ハドウダ?」「ドノ出力ガ使ワレテル?」「対策ナンテナイ」「“百貌”ニモ限界ハアル」「当然ダ」「常識外ニ思エテモ摂理ニ反スルノハアリエナイ」「ダガ、アハハッ、ダガナァ?」
「オ前ラ程度ジャ、ソノ底モ見ラレナイヨ」
「……何が天女って言われるよ。一々性格の悪い言動するのは変わらないのね、アンタ」
飛鳥の返答にニタリと笑みを深めた分身体達が攻撃姿勢を取る。
目配せさせるように飛鳥が痛みでしゃがみ込んでいた“紫龍”を横目に見るが、「こいつは収納できない」と言わんばかりに勢いよく首を横に振っていた。
意識の無い一撃必殺に、機能しない転移。
絶対に取られてはいけない壁作成役に、痛みでほとんど動けない煙を使う小心者。
異能を有する味方が数いると言ってもこれでは辛いと飛鳥は溜息を吐き、カマキリのような大鎌に似た形状の腕を振り被った銀色の人型達が飛び込んでくるのを見遣った。
(燐香はコイツらを一人で対処したんだから、これだけ手札がある私が泣き言なんて言ってられない! コイツは物理耐久を破ってから分身体の核を破壊しないといけないけど……私の異能だと正面切って物を飛ばすだけじゃどうしても威力が足りないから……!)
「ロランさんっ! コイツの対処はっ!」
「資料で把握済みだ! 外皮の破壊はやれるが時間が掛かる!」
「私にもコイツの外皮を破壊する手段はある! ロランさんは少しだけ時間を稼いで! 灰涅っ! 核の回収はしたことあるんでしょう!?」
「う、腕が、痛くてっ……それどころじゃぁ……」
「それが出来なきゃもっと痛い目に遭うのよ! 頑張りなさい!」
泣きベソのような呻き声で返事した“紫龍”を一瞥もせず、飛鳥は自分が持っているお手玉をいくつか放り、その全てを一点に向けて加速させる。
“浮遊”の力で操るお手玉の一つひとつを精密に加速させながらも、決してズレ合うことの無いようにひたすら圧縮する。
加速して加速して、圧縮して圧縮して。
布や内部の鉄材がぐちゃぐちゃに潰れ合うほど閉じ込め切って、可能な限り一つの弾丸として強固なものとなるよう飛鳥は手を加えていく。
作り出される鋼鉄の壁に攻撃を遮られながら何をするのかと警戒を強めた目の前の液体人間達に対し、事前に液体人間のオリジナルの異能を持つ者から話を聞き、対策を練っていた飛鳥は迷いなく次の行動へ移る。
「飛べ!」
「ア? ドコニ撃ッテ……?」
液体人間達の警戒を余所に、飛鳥は作り上げたそれを正面にいる液体人間ではなく横に打ち出した。
銃弾のような速度で撃ち出されたソレが、意志を持つかのように障害物だらけとなっている室内を縦横無尽に飛び回る。
加速に回転。
それらは動力となるエネルギーが掛かり続けているなら、距離と時間を掛ける事でさらに大きくなってゆくものだ。
だから、この部屋の壁伝いを大きく円を描くようにひたすら加速し続け、飛鳥が即席で作り上げたお手玉の弾丸はもはや人の目では捉えきれない速度まで引き上げられていく。
異常なまでに高速となり、回転数が常軌を逸して、それでも自壊しないほど強固に結びついた複数のお手玉。
それが国会議事堂の広い室内を一周して、三体の液体人間を横から的確に撃ち抜いた。
「!?」
三体ともが、硬化した上半身を完全に吹き飛ばされた。
ただの銃ではまともに効果も無い液体人間という物理耐性も優れた怪物が、いともたやすく飛鳥の手で纏めて吹き飛ばされたのだ。
加速する距離が無ければ大きく迂回させ、破壊力が足りなければそれを補う助走を付ければ良い。
飛鳥が出した、【液状変性】の持つ耐久性能への対策がそれだった。
そしてその対策は今回、正しく機能した。
三体の液体人間は体の大部分を吹き飛ばされグラリとバランスを崩す。
だが、攻撃は液体人間の核には当たらなかったようで、直ぐに下半身部分の液体が盛り上がるようにして体を再生しようとするが、飛鳥にとってはそれすらも想定内。
「一度で運良く核に当たるなんて思ってないわ!」
もう一撃、あるいはもう一周。
三体の上半身を破壊してなお、さらに加速し、瞬きの間に室内を駆け抜けた銃弾が、下半身だけの液体人間達に再び襲い掛かった。
パンッと、重戦車に弾き飛ばされた小石のように、三体の液体人間の下半身が弾き飛ばされ、核となっていた指が宙を舞う。
液体人間の唯一の弱点であるソレが現れたのを確認した“紫龍”は慌てたものの、既に蔓延させていた煙の内部へと収納することに成功する。
「取ったっ! 畜生っ、取ってやったぞ飛禅さんっ! これでぐちゃぐちゃしたバケモン三体を無力化してっ……」
「馬鹿灰涅、気を緩めるなっ! そいつは三体が限界じゃ無いって言ってるでしょう!」
「え? あっ、うおぁっ!?」
次の瞬間、音も無く、背後に現れた二体の液体人間が“紫龍”を左右から襲い掛かる。
高速で円状に旋回している弾丸では“紫龍”を巻き込む様な立ち位置をしっかりと確保し、自分達の核を瞬時に無力化できる異能を潰そうという、現状を正しく把握した行動。
知能が高い分身体ならではの、的確に勝ちを取りに来る厄介極まりないこの動き。
けれど最適解だからこそ、その行動は予想出来ていた。
「ぼさっとしてんじゃねェぞ灰涅ェ!!」
「うおぉぉお!?」
柿崎が対応の遅れた“紫龍”の頭を掴み、無理やり地面に引き摺り倒す。
直前まで“紫龍”の頭があった場所を通過した液体人間の刃と強酸性の鞭が回避した“紫龍”をそのまま追撃しようとするが、ロランの狙撃で動きを一瞬だけ止められる。
その瞬間、飛鳥の旋回していた弾丸が他の三体と同じように二体の液体人間を横から音を置き去りにしながら吹き飛ばした。
自分を襲おうとした怪物達の無残な姿に“紫龍”は瞬きを繰り返していたが、直ぐに自分の頭を掴む柿崎の怒りを感じ取りペコペコと頭を下げ始める。
「か、かかか、柿崎さんっ、あ、ありがっ……!」
「感謝は後だ! 核とやらが出てるだろォが!」
「あっ、は、はいっ!」
柿崎の怒声に体の激痛も忘れて“紫龍”がすぐさま二体の液体人間の核である指の収納へ移る。
異能の有無にこだわっていた昔の“紫龍”の姿は微塵も無く、恐ろしさと優秀さを兼ね揃えた上司に逆らえない社畜の姿である。
そして飛鳥は、ロランが作成した障害物に隠れながら倒す事に成功した五体の分身体にひとまずホッと安堵し息を吐いた。
「五体……持った方ね」
銀色の液体が床に散らばる中、“浮遊”の異能で圧縮して誤魔化すのも限界となった飛鳥が作り上げた弾丸が同様に、ボロボロと空中で形を崩しているのを見遣る。
そもそも即興の、お手玉に入れていた小さな鉄材などを無理やり押し固め、弾丸として使用していたのだから、耐久性能がある訳がない。
いくら飛鳥の異能で補強していたといっても、銃弾すら碌に通さない液体人間を何度も攻撃していたのだから早々に使えなくなるのは分かっていた。
だからこその、持った方。
自分の数少ない手札が壊れたのを見届けて、自分が持っているお手玉がせいぜいもう一つ弾丸を作れる程度なのを確認する。
今の状態であれば自分の数少ない所持品を減らすよりも、ロランの異能で鋼球でも作って貰う方が良いのだろうがと思い、楼杏の傷の具合を確認しながら鋼鉄の壁の生成を続けているロランに話し掛けた。
「ロランさん、鋼鉄の球の作成をお願い」
「ああ、それは構わないけど。飛鳥さんの異能に合うかは分からないよ。重さとか、硬さとか、大きさとかが合わないっていうのはあるだろうし」
「分かってる。でも、あの分身体がいくつ用意されているか分からない以上武器はいくつあっても足りないし、有効な攻撃が確立できたんだからそれに沿った準備は重ねるべきでしょう」
「それもそうだ」
周囲を警戒しながら即座に異能を行使できるよう緊張を張り詰め続ける冷静な飛鳥。
そんな彼女とは反対に、ロランは隠し切れない焦りを滲ませながら、異能を封じられているベルガルドと重傷を負った楼杏の状態、そして仲間とのやり取りに使用している通信機器のメッセージに更新が無いかを確認していた。
ロランにとっては今の状況は最悪に近い。
本命であった“顔の無い巨人”は影すら踏めていない状態であるし、異常な異能出力を感知して飛び込めば、“百貌”というこれまで対峙した異能持ちとは次元の違う想定外の相手と戦闘になっている。
日本警察にはここまで異能の戦力をこの国に集中させていると知らせないようにするという方針すら今は気にしている余裕がなく、協力体制を維持しなければ“百貌”とやらに対抗する事は絶対に出来ない。
何もかもが誤算だった。
(まだ“顔の無い巨人”にすら辿り着けていないのに、対“顔の無い巨人”として有効と考えていた楼杏がやられ、離脱を担当していたベルガルドの異能が封じられた。残ったのは明確な役割が薄く、全般的な補助を任された俺だけ。本命どころかついでにと考えていた“百貌”にここまでやられるのはあまりにも想定外。はっきり言って最初の計画はもう諦めた方が良いくらいだが……“顔の無い巨人”の意思確認くらいは早々にしたかったけど、これはもう仕方ない。こんな奴を相手にしつつ、“顔の無い巨人”の対応なんて不可能だ)
どのように連絡を取るかは別として、第一目標を諦めることをロランは静かに決意する。
独断的な判断だと言われようと関係ない。
現場で異能を深く知る自分達がこれ以上は無理だと判断したなら、それにどうケチを付けられようとも判断を覆す材料などには成り得ない。
それほどまでに、数多の異能を使い分ける“百貌”という異能持ちはあまりに手に負えなかった。
そうやって現状を再認識したロランが、早急な応援要求を通信機器のメッセージに乗せて状況の悪さを伝えながら、飛鳥と認識の共有を図ろうと声を掛ける。
「ところで、一旦こうして膠着状態を作れたから言うんだけど、この場の目的を統一させておかないかな? 俺や楼杏の怪我も、ベルガルドにされた異能封じも痛手だから、こちらとしては一度撤退を考えているんだけど、飛鳥さんとしてはどこまでやるつもり?」
「アイツを捕まえるまでやるわ」
「いやいやそれは分かっているんだけどね。増援を待ったり、怪我した人を安全な場所に連れて行くなんかの時間を確保したいと思ってる訳なんだよ。一応俺や君の怪我も笑えないものだしね」
「駄目。精神干渉の異能を持ってるアレに時間を与えるのは避けるべきよ。まだ私達はアイツの最終目標を知り得ていないんだから。何が出来るのか、何をしたいのかも分からない相手に猶予を与えるのは逆に私達の首を絞める事になるわ」
「————アハハ」
そんな二人の情報共有も満足に行える余裕は無かった。
一息だって吐ける暇はない。
次々に倒した筈の液体人間が新たに姿を現した。
ロランが作り上げた障害物の隙間から湧き出した液体人間の群は、一つ二つとその数を増やしていき、二桁に近い数となっていく。
雑兵などではない、間違いなく強力な存在である液体人間を五体無力化し、少しだけ安心していた飛鳥達の顔が強張る。
湧き出し、辛うじて人型を作り上げた液体人間達は飛鳥達の姿を見下ろし冷笑する。
「時間ヲ掛ケテ良イノカ? ソレデ本当ニ良イノカ?」「異能ヲ使用シテ引キ起コサレタ事ガ先生ニ切リ替ワッテモ残ッテイル事ニ焦リヲ感ジナイノカ?」「サッキノ子供ノ状態ノ時、何ニ異能ヲ使用シタノカモウ忘レタカ?」「私達ガ意味ノナイ行動ヲスルト思ッタカ?」「モウ遅イケドナ」
「っ!?」
液体人間の言葉を聞いて、嫌な予感が飛鳥の背筋を撫でた。
異能で引き起こされた現象が残るのなら、精神干渉による誤認が残るのなら、掌握された人工衛星に施された異能の使用で今残されているのはいったい何なのだろう、と。
そんな疑問が頭に浮かんだ直後だった。
「本当ニ扱イヤスイ奴ラダ」
ドンッ、と地を揺らすような爆発音が響く。
轟音を立て、ロランが作り上げた鋼鉄の障害物越しに、およそ生物ではありえないほど巨大な何かが唐突に姿を現した。
巨人だ。
国会議事堂の天井を突き破る程に巨大なソレが、鋼鉄の障害物に隠れていた飛鳥達の姿を見付け、叩き潰すために勢いよく腕を振り上げたのを見て、飛鳥達はようやく危機を自覚する。
「っ!?」
「巨人!? これはっ、まずいっ……!」
“製肉造骨”による自己改造。
自然発生はあり得ない、神話に登場するような巨人の姿。
片足を潰された飛鳥達の、瞬時の移動が出来ない状況での巨大な質量による攻撃。
状況を理解したロランが即座に回避を捨てる判断をして、前に飛び出して鋼鉄で巨大な壁を作り上げに入る。
持てる限りの異能の出力を使い、より強固でより大量の鋼鉄を作り出すために直接自分の手で触れるようにして、限界ギリギリまで巨大で重厚な鋼鉄の壁を製造した。
銃弾どころか爆弾すらも防ぐような、厚みのある鋼鉄の堅牢強固な壁。
それは普通の人間がただ巨大になっただけでは決して壊せないような絶対防護壁。
その筈だった。
「ごっ、あ゛……!?」
何重にも重ねたその鋼鉄の壁が、巨腕のたった一振りで引き千切られた。
想像を絶する衝撃。
紙切れのように簡単にクシャクシャにひしゃげた鋼鉄ごと、国会議事堂の壁を突き破ることとなったロランが大量の血を流しながら地面を転がって動かなくなる。
まるで糸の切れた人形のように、血だまりを作りながらピクリとも動かなくなったロランの姿に飛鳥が息を呑んだ。
「ロランさんっ!?」
「先生ノアノ一撃ヲ逸ラシタカ。ダガ、自分ガ瀕死ニナッテタラ世話無イナァ!」
「っ……!」
「手足ガ奪ワレテ逃ゲルコトモ出来ナイオ前達ハ終ワリダヨ! ホラ、モウ一撃来ルゾ!」
再び振り上げられた巨人の腕。
堅牢だっただろう鋼鉄の壁を容易くひしゃげさせた異常な一振りが、次は正確に飛鳥達を狙い振り下ろされた。
「っ、無理やり飛ばすから痛いわよっ!」
飛鳥が周りにいる者達の体を浮かし、全力で攻撃の範囲外へと吹っ飛ばした。
急激な重力変化や容赦ない衝撃で上がった色んな悲鳴を無視し、飛鳥が正面から襲ってくる巨人の腕を縦横無尽に飛び回る精密な飛行能力で回避しながら、反撃の為に高速で接近していく。
さっきまでのような加速距離を稼いだり、回転を加えたりの小細工ではない。
ロランが作り出し並べていた鋼鉄を、文字通り全力の異能使用で浮遊させることが可能な最大重量の砲弾として利用する。
巨人を打倒する兵器として、飛鳥は最大重量かつ最大加速させた全力の異能を真正面から叩きこんだ。
「■■■■!?」
神薙が作り出した巨人の体があまりの衝撃で浮いた。
補助に徹していた液体人間達ですら反応できない速度で叩き込まれた鋼鉄の塊は巨人の体を撃ち抜き、巨大な体を浮かすほどの衝撃が建物全体を揺らした。
鋼鉄の塊が衝突した巨人の右肩はその衝撃で大きなくぼみを作り、その部分を中心とした亀裂がいくつも巨人の体全体に走っていく。
だが、完全に破壊することは出来なかった。
ゆえに、巨人の目が空を飛ぶ飛鳥の姿を捉えてしまった。
「————あぐぅっ!? ごっ、ごほっ!!」
空を駆けていた飛鳥の体に異変が起こる。
体内で異常成長した肋骨が、いくつも腹部を貫き飛び出したのだ。
痛みに呻き、血を吐き出し、まともに飛行できなくなった飛鳥が床に落ちる。
クシャリと、翼が折れた鳥のように床で蹲って動かなくなる。
そこからは、混戦となる。
液体人間達が一斉に落下した飛鳥に襲い掛かった。
巨人が両腕を振り下ろして作られていた鋼鉄の壁を叩き潰し、開けた視界の中にいたロラン達に向け再び腕を振り上げた。
状況を察した柿崎が咆哮を上げながら飛鳥の下へ猛進し、“紫龍”が泣きそうな顔になりながらそれに追従した。
ベルガルドが未だにまともに使用できない自身の異能に怒り、頭を掻きむしった。
阿井田議員が目の前の光景に立ち尽くし、同様に国会議事堂を占拠した暴徒達が異能という理不尽を光景として目の当たりにして心を折られた。
そして、そんな最悪の状況の中で、ゆらりと立ち上がった者が居る。
『————ゼロにする』
最初にピタリと巨人の腕が止まった。
身を呈して飛鳥を守り離脱した柿崎と追い詰められた鼠のように死ぬ気になった“紫龍”の本気の抵抗を受けていた液体人間達が慌ててその言葉を発した人物を見る。
立っていた。
その人物、楼杏は口から血を流して、止血も出来ていない傷からは血を滲ませながらも、それでも目の前の巨人を見据え立ち上がり、自身の凶悪な異能を起動させている。
【動く力を完全消失する異能】。
“百貌”が人に使えば即死に近いと言ったその力。
そして楼杏の鋭い目が“百貌”が模倣しているだろう神薙の巨人を確実に捉えていた。
「オ、前ッ……!? 不味イッ、先生!!」
『————ゼロになれっ!』
楼杏が吼えた。
巨大な異能使用。
普通ではありえない運動能力を持つ異能の巨人そのものの完全消失。
つまり、神薙が自分自身を基として作り上げていた巨人という生命運動の全てを、文字通り消失させる、確殺のための異能使用。
それが生み出した結果は絶大だった。
バキリと、巨人の体に罅が入る。
巨大な一つの罅が派生するようにいくつもの罅になり、グラリと巨人の体が大きく傾いた。
そして、体を動かす全ての力が失われたように地に落ちた巨人の体に、液体人間達が悲鳴染みた声を上げ始めた。
『ろ、楼杏っ……! だ、大丈夫なのか!?』
『……少し、意識が無かっただけだ。ロランは……無事だろうな?』
『あ、ああ、アイツの事だ! あれだけうまく生き残る奴を俺は他に知らねぇからな! 直ぐに治療さえできればなんとかなる!』
『そうか……なら、後は残りの分身体とやらを早く片付けて、直ぐに治療を……しないとな』
『はっ……はははっ! そうだ、それで終わりだな! 流石楼杏だ! 一瞬もう駄目かと思ったあの状況を全部逆転させられる奴なんて、お前かあのババアくらいしかいねぇよ! “百貌”とかいう雑魚の本当の顔を拝めなかったのは心残りだがっ、まあそんなものは無くてもな! あのババアも無理なら生死問わないって言っていたからお咎めも無いだろ!』
『……喧しい。傷に響く』
異能の酷使と大怪我でげっそりとした様子の楼杏とは違い、ベルガルドは一人危機を脱した事に安堵し、興奮気味にそう捲し立てる。
巨人、つまり神薙隆一郎本体の体を標的として楼杏が異能を行使した。
異能の力を止めるでも、運動能力を奪う訳でも無く、単純な生命活動の力を停止させた今回の楼杏の異能使用では、どれだけ体躯が巨大で生命力が強くとも関係ない。
一度標的となり異能を使用されれば、誰であろうとも抵抗など出来ない、絶対的な法則性を持った力なのだ。
だから、その事を知るベルガルドの安堵は当然の感情であり、それ以外の場合など楼杏の異能を知る者達の頭には浮かばないだろう。
ベルガルドほど露骨ではないにせよ楼杏の認識も同じようなものであり、ロランや飛鳥といった怪我で動けない者や液体人間達に包囲されている柿崎達の状態に視線をやり、どう動くべきかを考えていた。
「さっきぶりね、会いたかったわ」
「……え?」
けれど、想定は常に踏みつけられる。
予定調和なんて無いし、絶対の保証なんてない。
分かっていた筈のそんな事。
聞こえてしまった。
限界ギリギリで、意識だって朦朧として、色んなものが尽き果てているのに。
よりにもよって、一番聞きたくなかった声が聞こえてしまった。
楼杏が驚愕で目を見開く。
いつの間にか目に前にいる幼い少女に言葉を失う。
何故という言葉が頭を埋め尽くし、それを読み取った幼い少女の姿をした“百貌”が優しくその疑問に答えてくれる。
「異能で作り終えたもの、それは現象の一つよ。巨人を作って私に切り替わっても、作り上げた巨人は残り続ける。神薙隆一郎の異能であれば、疑似的なクローン技術も可能だし、自分を基にした巨人にある程度の命令を残しておくことだってできる。神薙隆一郎の異能に対する理解が足りなかったわね」
「ひっ……あっ……あ……」
「一発逆転が可能な貴女を無視して、自分の体をただ巨大化して標的されやすい状況を私が作ると思った? 手っ取り早い力押しで済ませようだなんて、そんな小者のような事を私がすると思った? 私が本当に私以外の力を信じ切って、自分の命運全てを任せようとすると思った? それはとっても、とっても心外だわ。楼杏さん」
「……ぜっ、ぜろにっ……!」
目の前のどうしようもない恐怖に、楼杏が咄嗟に自分の異能を絞り出そうとする。
絞り出そうとした……けれど、どうしても楼杏はその言葉を最後まで言えなかった。
くしゃりと心底嘲るような、幼い少女の笑みを前にして、それは叶わないのだとどうしても理解してしまったから、口が縫い付けられたように何も言えなくなってしまった。
「あはっ」
幼い少女が笑う。
目の前の恐怖に震える楼杏に、優しく手を差し伸べて笑う。
「————ねえ、今の貴女の世界は何色かしら?」
いつの間にか、顔の無いナニカが楼杏の目の前にいる。
いつの間にか、周りには自分以外誰もいなくて、何の音もしなくなっていて、自分を見下ろす顔の無いナニカだけが目の前にいる。
巨大で、顔が無くて、絶対に勝てなくて、自分の恐怖を濃縮したような存在だけが、自分だけの世界に、目の前に存在した。
痛みを伴う程に寒さを感じた。
呼吸を忘れ、あの映像で見た傭兵の男が浮かべていた恐怖を理解する。
恐い。顔の無い巨人が手を伸ばしてくる。怖い。体を掴んで持ち上げられる。何も知りたくない。異能が使えない。体が潰されていく。何も抵抗出来ない。当然だ。何も見たくない。為す術無く自分はこの恐怖に潰されていき。“顔の無い巨人”の、貌が、めのまえに。
ああでも、この存在に逆らったのだからそれも当然なんだ……と、楼杏は理解した。
「いい加減にしなクソガキ」
「っ!?」
パンッ、と楼杏の意識が引き戻される。
世界が色付き、いつの間にか自分の周りにいた飛鳥やベルガルドに自分が助け起こされるような形であることに気が付き、早鐘のように鳴る自分の心臓をどうすることも出来ず全身の力が抜けてしまいへたり込んだ。
そして、自身の前に立ち、幼い少女の姿をした“百貌”と対峙する見慣れた老女の背中に心底安堵する。
「…………貴女がこうして目の前に現れるのは、もう少し先のことだと思ってたんだけどね」
対峙した幼い姿をした少女が目の前の老女、ヘレナ・グリーングラスに表情を少し迷わせながら小さくそう呟いた。




