悪の必要性
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三年前に世界侵略をした時、“精神干渉”という種類の異能の力を行使したと思われる彼の存在だが、侵略の手法やその足掛かりといったものは未だにはっきりとしていない部分が多い。
そもそも存在すら疑うのは除外として、単純に出力が馬鹿げており全世界全てに異能が届くという考えだったり、異能を持つ協力者を世界中に配備して何らかの方法で異能範囲を拡大していたという考えだったりと色々な予想はされている。
だが何が正解かは結局“顔の無い巨人”本人に辿り着けていない以上分からないままだし、様々な諸事情により議論や考察を重ねる事が出来ていなかったというのが現実である。
『三年前、全てが終わった後に世界が異常だったと気が付いた。誰も他人を傷付けない、誰も他人を陥れない、誰も過ちを犯さない。そんな世界が自覚も無いうちに作り出されていたのを知った時、俺は心底驚いたよ。あれだけ俺が追い求めていた世界になっていたというのに、世界のその変化に気が付かないまま俺は世界平和の為にせっせと自分の仕事をこなしていた、いやこなしていると思っていたんだ。まあ要するに、いつ異能の術中に嵌ることになったのかも、何を契機にそれが終わりを迎えたのかも分からなかったという事だ』
そんなロランの語りに耳を傾けながらも、彼らはとある公園の一部が映る監視カメラの映像の確認を続けていた。
ある日付の、ある夕暮れ時の、ある場面を映したその映像。
大柄の、明らかに一般人とは思えない威圧感を放つ男が、怒りの咆哮を上げながら暗闇の中で暴れている光景。
画面越しにも関わらず肌を刺すような危機感を覚えるのは、その男“千手”があまりに危険で、容易く他人を殺める事に特化した本物の危険人物であるからに他ならない。
だが、いくら肌を刺すような危機感を覚えさせる男が暴れていようとも、ここにいる三人が注目しているのはその人物ではない。
この映像に残っていない、存在する筈の“千手”と相対している人物のことだ。
その事をしっかりと理解しているロランは顎に手を添え、恐ろしさに背筋を冷たくしながらも言葉を続けていく。
『この映像を見ても犯罪者が一人暴れているようにしか見えず、存在する筈の相手の姿がどこを探しても見付からない。これは同じだ。この映像こそ“千手”という異常があるから相手がいるのだろうと思えるが、それが無ければ公園の風景が映っているだけのようにしか見えない。異能の始まりと終わり、そして状況が正確に把握できていないこと。この部分の類似があるのは偶然じゃないだろう。だが、以前と違うのはこれが機械の録画を通して見た結果であるという事だ。“千手”と戦っているのが“顔の無い巨人”であるなら、“精神干渉”の異能が機械を騙せる理由は何か。機械が録画した本来の映像には別の誰かが映っていて、俺達がその人物を認識できていないだけなのか。あるいは“顔の無い巨人”の異能は精神に干渉するものでは無く……どちらにしても恐ろしい話だ』
普段の飄々とした態度は鳴りを潜め、真剣な顔で呟かれるロランの考察だったが、それを彼の背後で聞かされた二人はお互いに目配せをしてちょっと呆れたように肩を竦め合っていた。
ロランというこの男は普段真面目な様子など見せないのに、例の存在が関わるとなると異常に警戒度を引き上げるのはいつもの事なのだ。
『ロランが疑心暗鬼に突入。このままだと休息が無くなる恐れがある。己、せっかく日本に来たからには色々食べて回りたい。ベルガルド何とかしろ』
『さっきまでは楼杏と俺を問題児でも見るような目で一歩離れた位置から監視していたのに……ロランの奴熱中してやがる。これは間違いなく長くなるな。泊まる場所は決まってるんだからロランを置いて先に向かっても良いんじゃないか?』
『精神干渉の異能を持つ可能性がある相手に対して別行動? ぷぷっ、ベルガルド、己は心底お前の頭の悪さに呆れているぞ。こうして堂々と調査を開始して“顔の無い巨人”が監視しているかもしれない状況で隙を見せてどうする? 己は大丈夫でもお前は抵抗しようも無いだろ。実際“白き神”に簡単に手駒にされた事をもう忘れたのか? ぷぷぷ、くすくす』
『じゃあ我慢しろボケナス女』
ロランとベルガルドと楼杏。
ICPOに所属する異能持ちの中でも戦闘、その離脱に優れた者達。
本命である“顔の無い巨人”探知役のルシア達とは異なり、囮として“顔の無い巨人”の活動があったと思われる場所の現地調査を命じられた彼らはまず“千手”が関わった場所の調査を行っていた。
形として残る映像記録の確認。
まず第一にそれを行おうというロランの提案に従っている訳だが、そもそも日本に到着したのが遅かった為もう日は暮れ始めようとしているし、楼杏のお腹は激しい空腹を訴えていた。
すらりとした長身の楼杏は、ぐうぐうと音を鳴らす自分のお腹を撫でながら不満そうに唇を尖らせる。
『いやだ。日本はご飯が美味しいってレムリアが言っていた。ロランを正気に戻してご飯を食べに行くぞベルガルド。ベルガルド何とかしろ』
『……』
『何を黙っているんだベルガルド。黙っていても始まらないぞ。何事も行動あるのみだ。己あれが食べたい。納豆ご飯とやらが食べたい。ねばねばしていて臭いらしいんだ。楽しみだな。だからお店の予約をしろベルガルド。金は己が払ってやる。お前は段取りを付けろ。お前の役割は己達の足になる事だろう。サボるなベルガルド、せっせと働け』
『ああ゛あ゛! うるせぇな! 黙れ偏食ボケナス女! てめぇは黙ることが出来ねぇのかアホが! その口を縫い付けてやろうか!? おお゛っ!?』
『……何喧嘩してるんだお前ら』
真剣に考察を重ねていたロランは背後で中指を立て合っている二人に気が付き、呆れたような声を漏らした。
ヘレナが決めたこの人員の振り分け。
戦力的には妥当なのかもしれないが、よりにもよってこんな問題児を二人も押し付けられるなんてロランとしては本当にたまったものでは無い。
まあ、毒には毒を理論で最近はよくこの二人を一緒にさせているらしいが、その間に自分を挟まないで欲しいというのがロランの切実な願いだった。
だってコイツが……と二人してお互いを指差し合う問題児に、さっきまでの真剣な表情で考察していたのが嘘のようにロランはげっそりと表情に疲れを滲ませた。
『ヘレナさん、俺は小学校の教師じゃないんだぞ……そりゃあ“泥鷹”で犯罪者共の相手をしていた時よりは幾分マシだが……まさか、面倒ごとは全部俺に投げようとか考えて無いよな、あの人』
『ベルガルドはアホ。ベルガルドは馬鹿。ベルガルドは悪人面。仕事が出来ないからヘレナに怒られるんだ。もう少し頭を使え』
『こっ、この糞女っ』
『勘弁してくれよ、これから世界最悪の異能持ちを見つけ出すって時に味方同士でなんて……いやもしかして、既にこれが攻撃なのか……? 精神干渉による仲間割れ……?』
『ロラン! お前らは知らないかもしれないがなぁっ、お前らがコイツを押し付けたせいで俺はいつもこんな感じの目にあってるんだよ! 良いから楼杏を大人しくさせてくれ!』
『分かってる分かってる。肩を掴んでくるな、俺にその趣味は無いんだベルガルド』
『なんでそういう話になるんだ脳内ピンクかお前っ!?』
ロランに対して掴み掛らんばかりに抗議し始めたベルガルドだったが、中華美人を絵に描いたような女性である楼杏はそれを見て鼻で笑いながら自身の黒髪を軽く撫で付けている。
機械のような無表情で、先ほどまでのベルガルドとの掛け合いとは一致しない美麗な仕草。
黙っていれば神秘的とも取れる女性だが、ICPO内では問題児として名を馳せる大物だった。
そんな楼杏は何かが気になったのか、ロランが離れた監視カメラの前に歩み寄るとじっと映像に流れる“千手”の姿を眺めた。
『この最後の場面』
自分の事で盛り上がりを見せている二人を放置して楼杏は呟く。
その視線の先にある映像は、もう何回も見た“千手”が最後に何かに潰されてしまうシーンだ。
映像には存在しないナニカを見上げて血の気を失っている“千手”の姿を、楼杏はじっと見詰める。
『“千手”の男、ステル・ロジーが恐怖の表情を浮かべている。あの“千手”の男は異能を手にする前から数々の戦場を経験した傭兵。命のやり取りや絶対的に不利な状況なんていくらでも経験している筈。そんな男が恐怖の表情を浮かべて硬直? あの男に恐怖なんて感情は無いようなものだった筈だ。少なくとも己が知る奴はそんな人間味のある男ではなかった』
そこまで口にした楼杏は、“千手”の前に立つであろう見えない存在を捉えようと切れ長の目を細めた。
『“顔の無い巨人”の異能は過去の世界侵略の結果をまとめると精神干渉の可能性が高い。にも関わらず、こうして物理現象を引き起こせているのには何か理由がある。己、予想する。この最後の場面において、“千手”が見せた恐怖の表情は“顔の無い巨人”の特異性に直結している』
冷淡な目が形無い敵の姿を捉え始める。
凶悪な結果を残しながら未だに詳細が掴み切れない世界最悪の異能を見据えて、楼杏はじっと思考の海へと沈んでいく。
『恐怖の強制付与……いや、恐怖の具現化? しかし、千手が物理的に潰された説明が……まさか恐怖を本当に物質化しているのか? 精神干渉による感情の物質化だとすると……』
楼杏の極限まで研ぎ澄まされた集中力は彼女の周囲から色を消していく。
周りの雑音も耳に入らず、周りの動きも視界に入らず、自身が持つ携帯電話が独りでに動き出した事にも気が付かない。
つまり考えられるのは……と、もう少しで楼杏なりの結論に辿り着こうとした時、映像内の戦闘の現場となっていた公園へと視線を向けた楼杏は何かに気が付いたように『あっ』と声を漏らした。
『暴徒』
『は? 腹が減り過ぎてついに幻覚まで見え始めたのか? ついさっきお前もこの国の異常な平和さを散々実感していたじゃねぇか。その国のこんな住宅街に暴徒なんて』
『この国の人達じゃない、信者』
『はぁ?』
『あれは……“faceless god”の集団か』
楼杏が指差す窓の外をロランとベルガルドが見遣る。
公園に集まった人の集まり。
異なる文化圏の様々な国から集まっただろう彼らは一貫性の無い見た目をしており、傍から見ても同じ言語を使っているかすら疑わしい集団。
他の国とは比べ物にならない数とはいえ、それでも数十人程度にも上っている公園の集団を見て、ロランやベルガルドはここにも奴らが集まって来たのかと驚きを露わにした。
『信者集団か。こんなところにも来ていたのか……急激に数を増やしているから一部問題視されているが、彼らは別に犯罪行為や問題行動は見られないし、楼杏が言うような暴徒集団って訳じゃないと思うが』
『いや待てロラン。楼杏はアホだが、コイツの鼻の良さは本物だ。何かあるかもしれないぞ。様子を見るために少し近付いて……』
『————まだ我々の願いを聞き届けて下さらないのですか?』
ロラン達が“顔の無い巨人”の調査をする手を止め公園の集団に近付こうと動き出したタイミングで、彼らの代表者のような者が唐突に何かを言い出した。
当然室内にいるロラン達の元まで届くような声量ではないが、仰々しく両手を広げて何かを口にする男の姿は音が無くとも異様だった。
問い掛けるように、訴え掛けるように、彼はここにはいない誰かに向けて話し掛ける。
『私は異能犯罪で両親を失いました。後ろの彼は妻と子を亡くしました。杖を突いている彼女は足を失いました。世界の異能による犯罪は日々増加しており、被害者は今も生まれています。異能を持った犯罪者全てを捕まえる事だって出来ていない私達には、これ以上どうしようもないんです』
世界で広がる異能犯罪。
そんなものに巻き込まれ、同情されるべき境遇を辿った者達の末路が、こうして過去に世界を強制的に平和にしたと言われる“顔の無い巨人”へ縋る事だった。
異能という、多種多様な種類を有し、一貫する対応方法など存在しない凶悪な力によって引き起こされる犯罪は、これまで築き上げられてきた科学技術では解決し得ない。
これだけ被害が広がっても、世界ではまだまだ犠牲者は出ているし命を落とす人は多くいて、あろうことか異能を使って私腹を肥やす人まで出て来ていて情勢は最悪に近いのだ。
だから、これから世界各国の政府や組織がどれだけ時間を掛けても世界に広がる異能犯罪の波は完全に収まることは無いだろうと考えてしまった彼らが世界を掌握した巨悪に縋ったのも、ある種仕方ない話だったのかもしれない。
他の誰かが大切なものを失うことが無いよう、数年前に実現させられた強制平和の期間が永遠に続けばと願っている、善人である彼ら。
だからこそ、残酷な現実に打ちひしがれながら救いを求めた彼らは、それでも見て見ぬふりを続ける“faceless god”に対して、陳言する。
『それでもまだ貴方はこの世界には平和が必要無いとお考えなのか? これだけ多くの人々が傷付く状況で、過去に貴方が見せた神の御業を再び行使しようとは思わないのですか? この国だけが平和で、この国だけを貴方は守ると言うのですか? そうであるなら、もしそうであるのなら……』
そして、蓄積した彼らの想いは行動へと変貌する。
暴走染みた行動へと変貌する。
『私達は悪で良い。貴方にとっての悪で良いから、どうか貴方の御業でもう一度世界を平和にしてください』
その言葉を皮切りに彼らが一斉に動き出した。
公園で遠巻きに自分達の様子を眺めていた人達に向かって一斉に近寄り、悲鳴を上げる彼らを地面に押し倒し首を絞め始めた。
数十人にも及ぶ集団による無差別攻撃は、ほんの数秒で公園内を異様な光景へと早変わりさせた。
『不味いぞっ、本当に暴徒化しやがったっ!』
『チッ! ロラン、楼杏掴まれ! 公園まで飛ぶぞ!』
『焦るなベルガルド。すぐに済ませる』
『お前は何もするな楼杏! 俺が無力化する!』
即座に反応する。
ベルガルドによる瞬間移動とロランによる鋼鉄生成。
瞬時に暴動の中心となっている公園に到着したロランは網目状の鋼鉄を作り上げ、無差別に他人を襲っている人々を巻き取るようにして宙に浮かせていく。
目まぐるしく変化する状況が理解できない一般人達の無事を確かめつつ、ロランは取りこぼしの暴徒がいないかと周囲の暴徒を素早く見回した。
そして、つい先ほど“faceless god”に対して陳言を吐いていた者が、手に持った刃物を誰かに振り上げているのを見付けてしまう。
持ち上げられた刃物を持つ手が、怯える男性に今にも振り下ろされようとしている。
時間的にも、距離的にも、手が届かない。
『チッ! やりたく無かったがっ……!』
ロランは瞬きするような短い時間の内に、銃身の長いライフル銃を作り出し、照準を刃物を持つ男性に合わせた。
振り上げられている刃物を狙って撃ち落とすかと一瞬だけ判断を迷わせたものの、直ぐに狙われている被害者の男性を必ず助けられる方法を取ろうと、暴徒の頭に狙いを定めた
そして、ロランの指が引き金を引く直前。
「よし、捕った」
『……!?』
日本人にしては背の高い女性。
突然意識外から現れたそんな女性が、刃物を振り上げていた手を横合いに掴みそのまま全身を使った関節技のようなその動きで、暴徒から刃物を奪い取った。
完全な意識外からの強襲を受けた暴徒は、自身よりも一回り以上体の小さい女性に碌な抵抗も出来ないまま手にしていた武器を奪われ、流れるような仕草で眉間に突き付けられた刃物の先端を呆然と見詰めてしまう。
刃物を持つ女性がこの場にそぐわない笑みを溢す。
「驚いた? 私、アクションもそれなりにやれるんだ。事務所の人達は良い顔しないし、流石に実力派のハリウッドスターレベルは無理だけど、自分では結構自信あるつもりだよ」
『なぜっ……!』
「基本的な護身術は履修済みだけど、何より得意なのは武器を使ったものなんだ。着物を着て模造刀を振り回すのは骨が折れたけど、殺陣くらいはお手の物だよ。試してみる?」
穏やかな表情を浮かべ、まるで身の危険を感じさせない女性の立ち振る舞いは、刃物を持ち相対しているというのに思わず気が抜けてしまいそうな力がある。
そして、相手の注目を意図的に集めさえしてしまえば後はどうにでも出来る者達が周囲にいる事を、刃物を奪った女性は理解していた。
数秒の猶予も無く暴徒の眉間に突き付けた刃物の前を、勢いよく振るわれた拳が通過する。
硬く握られた拳が顎に突き刺さり、上空を見上げた状態になった暴徒はそのまま背中から地面に倒れ込む。
そして暴徒に対して攻撃を仕掛けた楼杏が倒れた相手に圧し掛かり腕を捻り上げ、刃物を持って立ち尽くす女性に視線を向ける。
『よくやった知らない女。お前のおかげで血を見る必要が無くなった。感謝する』
「え……? その人、口から血を流して白目を剥いてるけど……? 今のその拘束技は使わなくて良いし、そもそもそんな気持ち良いアッパー入れる必要なかったんじゃってお姉さんは思うなぁ……」
目の前で暴徒を殴り倒したあまりに暴力的な楼杏に若干引いた目を向ける女性。
暴徒から武器を取り上げた際に放り出した杖を拾い、「痛た……」と足を撫でながら、暴走した信者達がしっかりと取り押さえられているのを見回して、女性は安心したようにほっと息を吐いている。
事件現場に遭遇しただけの善良な一般人。
そんな風に女性を認識したものの、彼女に近付いたロランは険しい顔で苦言を呈した。
『刃物を持った相手に掴み掛るなんて……今回はたまたま上手くいったかもしれないけれど、一歩間違えたら貴女が刺されていたんですよ? 足も悪いようですし、そのような無理をするのは……』
『ロランは頭が固い。この女のおかげで怪我人が出なかったんだ。何なら己が異能を使っていた可能性だってある。感謝するべきだ』
『そういう訳にもいかないだろ……今の情勢を考えると、一般人が下手に手を出すのは危険でしかないし、よりにもよって怪我人が危ない事をするべきじゃない』
『あはは、流石に近くにいて何もしないっていうのは出来なかったので。ところでこれ、異能っていうやつですか? 鉄を操って捕まえるなんて凄いですね。ちょっと触ってみても良いですか? あ、ちゃんと硬いんだ。すごーい!』
『まだ許可して無いんだけど……』
『動じないメンタル。己、こいつ大物だと思う』
ロランと楼杏という長身の外国人二人の間に挟まれる形となった女性だが、少しも物怖じすることなく暴徒達を抑え込む鋼鉄に触れて、その硬さに感動し始めた。
英語に対して英語で返答する語学力の高さや暴徒から刃物を奪い取る身体能力の高さもさることながら、この状況でも少しも動じないメンタルの強さを見せつける女性にロランと楼杏がそれぞれ感心した様子を見せる。
あまりにマイペースな女性の登場。
だがもう一人、ベルガルドは二人とはまた別の意味で息を呑み、驚きを露わにしていた。
『お前らマジで気付いてないのか? ……俺、最近の映画でこの人のこと見たぞ。日本女優の、名前は確か……神崎未来』
ベルガルドが驚いた表情で紡いだその言葉に、世界の流行を一通り抑えているロランは息を呑み、そういうものにあまり興味が無い楼杏は状況が分からず首を傾げた。
自然と視線が集まり困ったような顔をした女性は、地面に落ちていたニット帽をおずおずと拾い上げ、自分の鞄の中に仕舞い込んだ。
神崎未来。
世界的な知名度は日本人という枠組みで見ても上位五人には入るだろう有名人。
海外ドラマや映画にまで出演して、その全てで高評価を残しており、他の俳優達にすら彼女の持つ演技力は次元が違うと言わしめる存在。
業界で着実にキャリアと評価を積み上げていて、世界の俳優業界でも顔となるのもそう遠くない未来だと囁かれ、世界を騒がせているのが目の前にいる女性なのだ。
輝かしい経歴。
だというのに、その正体がバレてしまった神崎は若干気まずそうに視線を逸らしている。
『いやぁ……ちょっと用事があって近くの放送局に寄っていて、その帰りだったんですよ。まさかこんなことに巻き込まれるとは思ってもいなかったですけれど』
『神崎未来といえば、色んなメディアで紹介されてる……確かに、画面越しに見るよりもずっとお綺麗だ。いや、しかし、であるならもっと貴女は自分の身を大切にするべきだ。こんな事で怪我なんて』
『己、よく分からないが有名人なのか? サイン貰っておくか?』
『あー……そうしたいのは山々だが、そんなことをしていたと知られたらあの婆が煩い。取り敢えずこの国の警察に連絡して暴徒連中を回収して貰うのと、怪我人の安全確保と救急への連絡をだな』
『ぷぷっ、ヘレナにすっかり躾けられてるベルガルド。良い判断だと思うぞ』
『……』
重要任務の最中に予想外の面倒ごとに巻き込まれたものだと思いつつも、ロラン達は自分達がいる場所でこれ以上の被害が出ないようにと各方面への手配をこなしていく。
警察への手配や怪我人を病院に搬送するための救急隊への連絡。
思いがけない世界的なスターの登場に盛り上がりつつも、自分達の職分をギリギリで忘れなかった彼らの迅速な行動により順調に事態は収束に向かう。
今回偶々ICPOが居合わせたがゆえに信者の暴徒化が大事にならなかったが、もしも彼らがいなければもっと被害は大きく、鎮圧は難しくなっていただろう。
『これから撮影があるんですよね? お仕事に影響があっても大変です。警察には俺達の方から説明しておきます。とはいえ何かあった時に連絡したいので連絡先だけ教えていただいても?』
『あ、確かにそうですね。じゃあこちらの方に……』
そして、この三人の中では唯一他人と交渉できるだけの話術を持っているのがロランである。
忙しい神崎に対して配慮つつも、何かあった時の為に連絡手段を確保しようと提案する。
相手が有名女優であろうと巧みに連絡先を聞き出すロランのコミュニケーション能力の高さにベルガルドが舌を巻いていたが、そんな彼に楼杏がこっそりと近寄り耳打ちした。
『気付いているかベルガルド? あの神崎という女の事だ』
『……何にだ?』
『鈍感ボケ。探知能力の欠如。髭面。短気男。学習能力皆無。一度生まれ変われ』
『言いすぎだろ!?』
『言いすぎじゃない。異能の出力を感じ取れるだろって話だボケ』
普段の小馬鹿にするようなものでは無く、少し怒りさえ混じっている楼杏の指摘にベルガルドは慌てて神崎の異能出力を確認して頷いた。
『あ、ああ、確かにそうだな。だが、あんなの弱すぎて話にならないだろ。“顔の無い巨人”どころか俺らとは比べ物にならないし、これまで捕まえた異能を犯罪に利用していた奴らよりも目に見えて出力が弱い。正直、気にするようなものじゃねぇだろ』
『是、己も同意見。あの程度なら良くてライターの弱火程度だろうな』
神崎未来から漏れだす異能の出力。
以前ヘレナに見せてもらった異能の出力を抑えようとした時の感触とも違う、正真正銘脆弱な異能の出力に、ベルガルドは首を振る。
『ああやって話し掛けているロランだって気が付いていて、その上で危険性が薄いと判断しているんだろ。異能の力を持つこと自体確かに珍しいが、あれは事件を起こせるレベルの力じゃない。詐欺は出来ても傷害はできない、自覚してるかも分からない程度の異能の出力だ。確かに直ぐに気が付けなかった俺も悪いが、アレは俺らが気にするようなレベルじゃないだろ』
『……』
演技という異色の才能を持つ彼女が異能の力さえ持つ事には驚かされたが、普段自分達が相対する異能を使った犯罪者達とさえ比べ物にならない程微弱な出力の気配に、危険は薄いのだと判断させられる。
異能の出力はいわゆる馬力だ。
異能の効果範囲にもなるし、現象の強さにも影響する事が多い。
出力が弱いから危険が全くないとは一概に言えないのは確かであるが、それにしたって発火量が山火事レベルとライターの弱火レベルでは話が違う。
異能の強さの重要な指針となる要素の一つであり、どれだけ強力な性能を持った異能を有していても出力が足りなければ脅威に成り得ない場合だって存在する。
だから神崎が持つ、『せいぜい自分自身にしか効果を及ぼせない』程度の異能出力の危険度は、本来微塵も存在しないようなものなのだ。
『……何故、何故世界を支配して下さらないのか……何故私達を見捨てるのか……どうして……三年前のように世界に規律を与えて下さらないのか……どうして……やはり……この国に囚われているのですか……もっと大きな争いが必要なのですか……?』
『こいつ、まだ戯言を呻いてやがる』
『む、結構強く打ち込んだがもう意識があるのか? もう何発かやっておくか?』
『お前のそういう加減の無い所が一番問題視されてるの自覚してくれ……いや待て、コイツ』
地面で拘束済みの暴徒がぶつぶつと独り言を呟いていることに気が付いた楼杏とベルガルドがまた暴れ出さないように拘束を強めようとするが、暴徒の呟きに手を止める。
負け惜しみではない、淀んだ希望を捨てていない目。
その目が見詰める先は、明確にどこかの場所へと向けられている。
それらの要素にベルガルドは猛烈な嫌な予感を覚えて、隣でいつも通り澄ました顔をしている楼杏に話し掛けた。
『この状況でなんでコイツ次があるみたいな顔をしてやがる。まるでもっと大きな事をやれると思っているような態度じゃないか?』
『同意』
『コイツ、同じ思考を持った仲間がまだいると思うか?』
『可能性大』
『コイツら信者が集まっていた場所。他には何処にあった?』
『国会議事堂前、だな』
『……ああ、そうだな。そうだったな』
思い当たった嫌な想像をロランに伝えようと動く前に、独り言を呟いていた暴徒の男が暗く笑う。
『ああ、私達の神様よ。どうか……どうか……私達に天罰を与えてください』
ベルガルド達が持つ通信機器に緊急の連絡が入った。
【国会議事堂前に集まっていた“faceless god”の集団が暴走。複数人の議員が拘束。異能による活動は無し。詳細不明。極秘任務を担当している者は事態に関わらず静観せよ】という緊急連絡。
ロラン達が即座にお互いに目配せし意思疎通したと同時、神崎未来も視線を暴徒の男が見詰めている先へと向けた。




