結婚は人生の墓場でしょ!
俺が生まれ故郷について、覚えていることは驚くほど少ない。それが日本と言う国であったこと。自身の家のこと。自身の名前。
俺の生家は所謂旧家であり、臣籍降下した元皇族をルーツに持つ。これは幼い頃、口酸っぱく言い聞かされたことだ。
9歳まで育った日本家屋の豪邸。広い敷地、枯山水の庭園。鹿威しの音。静かで、何より寂しい場所であった。
両親の顔は朧気だ。そもそも、ほとんど顔を会わせてないのだから当然の帰結なのかもしれない。彼らが俺に求めていたことは、この家を継ぐことのみ。それ以外、俺になんの期待もしていなかった。何の興味もなかったのだろう。
それは俺の名前、有明嗣郎からも分かる。嗣郎……家を相続する男という意味の名だ。それが俺の存在意義だった。そのままの意味すぎて、知ったとき泣きながら大笑いしてしまったものだ。
覚えていることが少ないのではなく。覚えていたいことが少ないというのが本音かもしれない。
そんなことを考えながら、窓から町並みを見下ろした。
俺が今いるのは、王都から離れた辺境の城塞都市ラリッサ。そして、この土地を治めるラリッサ辺境伯の居城、シュヴァルツフリューゲル城の客室である。
華美な室内は何度泊まっても落ち着かない。大きな窓枠に、腰を下ろしてため息をつく。瞳を閉じて、身体を木の縁に預けた。
「……シェロ、大丈夫か?」
通りの良いソプラノの声に、意識を戻される。
すっと、端麗な顔立ちの少女が俺の顔を覗き込んだ。
どこまでも澄んだ青い瞳。絹糸のようなプラチナブロンドの長髪。透き通るほど白い肌。文句なしの美人。
俺の頬に手を添えて、心配そうに顔を近付けてくる。
んっ? 何、寄りすぎじゃね? いや、ほんと近い。近いわ。少し動いたらキスしてしまうような至近距離まで寄せてくる。というか、このままキスするつもりか、この野郎。
「てい!」
「あぅっ……な、何するんだシェロ!?」
「うるせぃ。近すぎるんだよ。ちょっと離れろや」
頭にチョップを入れて、顔を離させる。彼女、アンフィーサは頭を押さえて、恨めしそうに上目遣いで睨んでくる。
「私はシェロを心配しただけなのに……」
「ふーん。へー、そうか」
「べ、別に、それ以外他意はないぞ。近くで見ると益々素敵で、口付けしたいなんてこれっぽっちも思ってない!」
「……アン。いや、アンフィーサ、これから俺の手の届く範囲に近づくの禁止な」
「ええっ、何故だ!?」
アンは、顔を青くして俺の服を引っ張る。それを叩き落として、俺は立ち上がって距離を取った。
こいつ、俺が絡むと大概アホになる。巷では、「白百合の姫騎士」やら「ラリッサの戦乙女」とか大層なふたつ名で呼ばれているのに、蓋を開ければこのポンコツっぷりである。
「何故もなにも。恋人でもないのに、隙あればキスしてくる女とかないわ!」
「でも私たち許嫁であろう? それくらい普通だと思うのだが」
「なら、許嫁を解消します」
「そんな気軽さで、解消できるものか! 父上とお義父様が決めた取り決めだぞ」
「約束は破るためにある!」
「守るためにあるのだ!」
睨み合う。
お互い譲らない。いや、譲ったら即人生の墓場ルートに突入するので負けられない。しかも、こいつと結婚してみろ。絶対めんどくさい。アン自体も相当めんどくさい女だが、それ以上にこいつの家がめんどくさい。
アンの本名は、アンフィーサ・ジクムンド・ユリア・ソフィーヤ・フォン・ラリッサ。
その名の意味は、王女ソフィーヤを祖とするラリッサ辺境伯家の当主、ジクムンドとその妻ユリアの娘、アンフィーサ。
そう、彼女はこの地ラリッサを治める辺境伯家のお姫様なのである。そんなお姫様が何故俺の許嫁なのか。
ざっくり言うと、俺の養父とアンの父親が酒の席で交わした「お互いの子どもを結婚させる」という約束のせいだ。両者共に泥酔状態だったと言う。ほんとなんなの。……ちなみに、俺の養父は貴族でもなんでもない、平民の魔術師である。
この地では、約束、誓約の類を重視する文化があり、一度交わしたものは絶対に破れない。だからこそ平民である俺と辺境伯家のアンが引き合わされたのだ。
「いい加減諦めたらどうだ。私の夫になり、共にこのラリッサを治めることはもう決まっている未来なのだから」
「チェンジで」
即答する。
ぴきり、とアンの顔が固まった。
俺はそれを尻目に、もう一度窓の城下町を見下ろす。
今日も活気だった、市場の様子が見える。少しほっとした。
ここは、ラリッサ。
故郷の日本から遠く遠く離れた―――
―――異世界である。
短編だったものを、折角なので手直ししみました。主人公は変わらずゲスです。




