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地下五階 天空の揺り篭 4

 ……………………。


 フロイラインは、狂喜していた。

 触手が、次々と、飼育場の檻を破って、中にいる怪物達を飲み込んでいた。

 全ては、栄養であり、補給庫でしかない。

 総力戦を始めようと思う。

 自らが生み出してきた産物と、そして、自らの肉体全てを賭して敵を滅しようと考えている。

 フロイラインは、怪物と融合果たして、一体化した思考の中で、しばらく、この怪物の好きにさせるようにした。……いざとなれば、命令は全て自分が行き届かせる事が可能なのだから。

 そして、今の形状へと変わっていた。

 彼女は、丁度、怪物の脳に上に、肉体を再構成していた。

 足元が樹木の根のようになり、怪物の頭蓋の中を、侵食していた。



 グリーン・ドレスは、フロイラインを見つけた。


 いや、見つけたというよりも……。

 そいつは、余りにも巨大だった。

 緑の悪魔は、複雑な顔で、その怪物を見ていた。

 倒しがいのある敵だ、と思う感情が込み上げてくると同時に、どうしようもない程の不気味な何かに触れてしまったかのような……。

 それは、巨大な水の竜だった。いや、竜なのだろうか……。

 首が幾つもある。ヒドラ、あるいはハイドラと呼ばれる神話の怪物に見える。

 軟体動物や植物、そして昆虫の手足が混声して、一つの蛇身を形成していた。

 フロイラインなりの配慮と、使命感なのだろうか。

 一応、この地区には、普通の住民が住まない場所だった。

 無人の地区で、元々は、大量殺戮兵器などの実験場を使っているのだろう。

 残りの、空の水兵隊達が、フロイラインを補助するかのように集まってくる。

 グリーン・ドレスは、化け物と化したフロイラインの肉体を洞察していた。

 生殖器の模範である触手が変化したものなのだろう。

 それが幾つも幾つも一つの首に絡み付いて、巨大な首を形成している。

 フロイラインは、全力で、グリーン・ドレスと相対している。

 彼女は儀式によって、自らの残った命を投げ捨てて、自らの最強の怪物を産んだ。

 果たして、フロイラインの中において、もはやプレイグとクラーケンに対する愛国心のみで、グリーン・ドレスと対峙しているのか分からない。


 フロイラインもまた。

 グリーン・ドレスの作り出す暴力に、惹かれたのかもしれない。

 蛇の胴体は、河のように広がっていく。地面付近にいる水兵隊達を、身体から生えた無数の触手によって絡め取っていく。そして、兵隊達を凌辱し、喰らっていく。

女兵士の人体は、そのまま一つの怪物の産卵場へと変わっていった。

苗床にされて、女兵士の腹を中心に、蛆や羽虫のようなものが生まれてくる。

彼女達は、新たなる怪物を産む為に、ハイドラに食われていくのだ。

しかし、……。

 巨大なハイドラの怪物は、徐々に腐敗臭を漂わせていた。

 新たに、苗床から生まれた小さな怪物達も、腐敗しながら生まれてきたみたいだった。

 ……こいつは、不完全なのか?

 グリーン・ドレスは懐疑する。

 まるで、さながら、その化け物は、グリーン・ドレスただ一人を倒す為だけに、死ぬ為に生まれてきた生物みたいだった。

 生命というものを、可能な限り弄び……。

 そして、その最終兵器は、死へと向かう為に存在する化け物。

 筒型の食虫植物が生まれて、女兵士達をすっぽりと包み、彼女達は溶かされながら、怪物の栄養分へと変わっていく。女達は特に抵抗を見せなかった。おそらくは、従事しているからなのだろう。自らの命なんて、国家の為になら、国家に仇なす敵を倒す為にならば、消耗品としか考えていないのだろう。


 そして。

 グリーン・ドレスは気付く。


 何度か戦って、見知った姿を眼にしていた。

 フロイラインの姿を目にしていた。

 彼女の黒髪は、完全に変色して、淡い水色へと変わっていた。

 そして、彼女の瞳は、緑色を帯びていた。

 耳元は、魚のヒレのようなものが付いていた。

 彼女の首から下は、人間に近かったが、所々、鱗が生えていた。

 胸元は、さながら緑の悪魔のファッションを模したかのように、ぬめぬめと光沢を放つ青緑色の鱗がびっしりと生えていた。そして、彼女の腹から下は魚のような形状へと変わっていた。

 尾は、巨大なハイドラの怪物の肉体と繋がっていた。


 フロイラインは、歓喜していた。

 彼女はもうすぐ、死ぬのだろう。

 それでも、とてつもなく嬉しそうだった。

 ハイドラは、腐りながら、クラーケンの大地を侵食していく。

 グリーン・ドレスは、腹から一つ目のヴィジョンを生む。

 そして、辺り一帯に、その瞳を走らせる。

 周辺の体温を、吸収するつもりでいた。

 この怪物を、全力で焼き尽くそうと思う。


 ……楽しいな? なあ? あなた。私に勝ちたいんだろう? どうやっても、勝ちたいんだろう?



 触手。

 それは、原始的な生物だった。


 人は、あらゆるものに、自分自身を投影したがる生き物なのだろう。

 軟体動物の持つ触手も同じだった、それは性器に似ていた。

 それは、男性器の模範だった。拡大化した男性器のイメージだった。

 人間の脳の奥底を絡み取る、恐怖の源泉そのものだった。

 触手は性器に似ていて、そして内臓に似ていた。性器は露出した内臓だった。薄い皮膚や筋肉を引き剥がした剥き出しの生命。肉体を維持する器官。

 限界はすぐに訪れていた……。


 フロイラインの肉体は崩れていく。

 壊死に蝕まれ続けている。

 男の欲望の拡張。女体を凌辱し、支配したいという究極の妄想の一つ。

 大きな海のイメージが広がっていく。

 フロイラインは考える。

 今、可能な思考はしておこうと思う。


 ……もうすぐ、何も考えられなくなり、この命は、完全なる闇へと消え去っていくのだろうから。

 人々は、クトゥルフ神話に畏怖して、アダルトゲームの中で理想の女を自己投影した触手で凌辱する。フロイラインが掌握する人間存在の持つ、邪悪な陰の部分。


 プレイグは、それを電脳ネットワークに見立てて、その力を発現させた。

 フロイライン自身は、遥かなる母体なる海原だと認識している。

 自分達、空の水兵隊は、この国の託宣を下す巫女であり、聖女であり、娼婦だった。この国に生きる者達のありとあらゆる美醜を極限まで象徴しようという理念の下、生まれた者達だった。

人々の神聖なる理想であり、欲望を吸引する汚濁だった。

 フロイラインは、その事に対して、強い矜持を有していた。

 人の暗部を支配してこそ、人を支配出来るのだから。


 兄の横顔がちらつく。

 プレイグは、人間の根源が視たかったのかもしれない。

 フロイラインは、人間の根源は性だと考えていた。だから、性を支配する者は、人の全てを支配出来るのだと……。

 そして、相対した相手は、人ならざる何かなのだろう。

 ……人の理性を突き崩す、純然たる破壊。

 ……これが、“死”なのだろうか。

 生命は、死ぬ為にのみ、存在するとさえ思ってしまう。エロスの全てを殺戮していく、神秘なる赤い焔…………。

 グリーン・ドレス……。

 強過ぎる……。

 相対する敵は、人間の存在を脅かす征服という怪物なのだろう。秩序も体系も何もかもを突き崩してしまう、純然たる暴力なのだろう。

 システムを粉々に破壊する存在。彼女の前では、法も秩序も、体系も、これまで積み上げてきた文化も、焼き滅ぼされてしまうのだ。

 フロイラインは、何故か喜びに打ち震えていた。

 自分は、自分が創り上げてきたものは、何もかも無残に踏み潰されていくのだろう。


 破滅の美……。

 そのような言語が、フロイラインの頭の中で、ちら付いた。

 ……でも、私は只では死にませんわ。

 彼女の口元は微笑していた。

 フロイラインもまた、暴力に魅せられていた。敵の狂気が感染してしまったのだろう。巨大な天空から、破滅の地上へと墜落していくかのような錯覚を覚える。

 何もかもが終焉を迎える瞬間に、命は一番、煌きを放ち、それは何にも変えがたいエロスの光なのかもしれない。


 彼女は嘆息していた。


 自らの命は、後、どの程度、持続するのだろうか?

 ティアマットは、やがて、時間経過と共に滅んでいくだろう。

そして、自分の肉体も、記憶も、何もかも消滅してしまう。

 それでも構わないのだ。

 そして、更に悪い事に……。

 永久の汚染が、この地では蔓延るのだろう。クラーケンが積み上げてきた産物の一部が、自身の力によって破壊されていく。それは死へと向かう性行為に類していた。

 この天空に浮かぶ神の殿堂の一部が、永劫の汚染地帯へと変わるだろう。

 それでも、構わないと思った。

 この国が創り上げてきた、文化も、調和も、何もかも、自分が壊す事が可能なのだ。それは、この国全体に生きる者達への裏切りなのかもしれない。


 命は、死ぬ為に生まれてきたのだから……。



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