夢 〜フェルディ視点〜
(フェルディ視点)
次に案内されたのは、研究棟の隣にある倉庫だった。
山と積み上げられた大量の大麦。
これだけあれば、人口1000人程度の街なら1年賄えてしまうんじゃないか?
こんなに大量の大麦を溜め込んでどうするんだ?
飢饉への備えか何かか?
「これが全て、さっきお見せした畑で穫れた今季収穫分の大麦です」
「えっ? これ全部ですか!? 他にも畑が……?」
「ありませんよ。
この町の畑はさっきお見せしたもので全部です。
今年は大豊作でしたから。
でも、きっと来年も再来年も大豊作だと思いますよ」
にっこり笑うアメリア様に、背筋に寒いものが走る。
それは、この非常識な収穫量を継続させる自信があると言っているのか?
アメリア様はさっき、畑を“管理”と言った。
その“管理”の結果がこの大豊作なら、それは偶々幸運に恵まれた結果などではなく、狙って達成した成果ということになる。
アメリア様の許可をもらい、倉庫の大麦をランダムに鑑定魔法で調べてみたが、どれも『新しい上質な大麦』と出た。
ざっと見た感じ、通常の3倍の収穫量で、全て品物は上質。
おまけに労働力は、庶民の子供が数人……。
これなら値の安い大麦でも、十分な利益が見込めるだろう。
今朝、麦粥を出された時には、所詮お嬢様の浅知恵と軽く見ていたが、たとえ魔力が低かろうと血は争えないということか。
あの切れ者と名高いディビッド公爵の娘で、世界中の魔術師に影響を及ぼした大賢者リアンの孫娘。
只の子供のはずがないか……。
これだけの才のある方なら、ジャックとレベッカの娘を任せても大丈夫かもしれんな。
ふむ、そうなると、レジーナの主となるアメリア様とは、良い関係を結んでおきたいところだ。
少し協力の姿勢を見せておくか。
「アメリア様、突然の話で大変恐縮ですが、これほど上質な麦、もしどこかにお売りになるのでしたら、私どもの商会で高く買い取らせていただきますが、如何でしょう?」
恐らく、このお嬢様のことだ。
私がこう切り出すことも承知で、この倉庫に案内したのだろう。
分かりました。
ここは、お嬢様の思惑に乗りましょう。
だが、返ってきた答えは……。
「申し訳ありませんけど、この麦はお売りできないんですよ。
正確には、このままの状態では、ということですけど」
???
意味の分からない様子の私に、アメリア様は言った。
「実は、フェルディさんにまた試食を、いえ、今回は試飲をお願いしたいのですけど、フェルディさんはお酒は大丈夫ですか?」
そう尋ねてくるアメリア様に、大丈夫だと返事をしながら考える。
もしかして、エールか?
確かに、大麦をそのまま販売するよりも、エールに加工して売った方が単価は遥かにつり上がる。
酒の加工には“酒神の魔法”が必要だが……今更だな。
もう慣れましたよ。
どうせ、“酒神の魔法”も使えてしまうのだろう。
なぜそんなことができるのか理由は分からないが、結果の予想はつく。
そうなると、問題は時間だな。
大麦の状態と比べて、加工したエールは遥かに足が早い。
これだけの大麦を、どのくらいのペースでエールにできるのか、どの程度の量を作れるのか……。
一度に大量に仕入れても、王都で買い叩かれる可能性もあるし、逆に少量ずつでは輸送費で足が出る。
その辺のさじ加減が難しいな。
まずは味をみてから考えるか。
「フェルディさんは、お酒はお強い方ですか?
このお酒は少々酒精が強いので……。
まずは水で割ったもので試してみて下さい」
そう言いながらテーブルに差し出されたグラスには、3分の1ほどの量の淡い色のついた透明な美しい液体が入っていた。
そこに、アメリア様は学校で見せてくれたのと同じ鮮やかさで、氷と水を注ぎ込む。
「どうぞ。
エールのようにがぶがぶ飲むようなお酒ではないので、ゆっくり飲んでみてくださいね」
なんだ、これは!?
固まる私に、にっこりと微笑むアメリア様。
その顔は、7歳の子供とは思えない色香に満ちていて、思わず顔が熱くなるのは酒のせいか彼女のせいか……。
こんな酒があるのか。
エールともワインとも違う。
倭国の酒とも違う。
深みが、味わいが、美しさが、今までの酒とは全くの別物だ。
この国で最も多くの物が集まる交易都市の、商会主たる私でさえ見たことも聞いたこともない酒。
そんな酒、この世にあるはずがない。
あるとすれば……。
「この酒は、天上の神々の酒、神酒でしょうか?」
「どうでしょう?
ウィスキーという名前のお酒なんですけど……。
確かに、女神様に作り方を教わったお酒ですから、“神酒”と言ってもよいのかもしれませんね。
女神様は別にこのお酒は神界にしか存在しないとは言っていませんでしたから、もしかしたら、どこかの地方では飲まれているのかもしれませんけど」
アメリア様はそう言うが、私はこんな酒見たことも聞いたこともない。
もし、こんな酒があると分かれば、世界中の人間が飲みたがるぞ!
世の貴族や王族、富裕層が千金を出してでも欲しがるに違いない。
「あの、アメリア様。
アメリア様はこのお酒の“作り方”を、女神様から教わったのですよねぇ?
もしかして、このお酒の原料というのは……?」
「ええ、大麦ですよ」
一気に酔いが冷めた。
いや、逆に悪酔いしたかも……。
アメリア様の話だと、このウィスキーという酒は流石女神様の酒だけあって、今のところアメリア様以外に作れる者はこの町にもいないそうだ。
そもそも、子供が酒など作っているのが別の意味で問題だが……。
いや、アメリア様も問題だが……もう、この人は何でも有りでいいだろう。
下手に子供だと考えると、却って混乱するだけだ。
そのアメリア様も、実はまだ完璧にはウィスキーの味を再現できていないそうだ。
ちょっと舐めた味が、夢の中で飲んだ味と違うそうで、まだまだ研究の余地はあると言っていた。
ちょっと舐めただけですぐにフラフラするので、なかなか味の研究が進まないと悔しそうにされているが、公爵家としてはこれはOKなのだろうか?
ともあれ、今後は職人の育成もしていく予定なので、このウィスキーは他の酒と同じように普通に商品として売られるようになるそうだ。
ついでに言うと、この酒は非常に腐りづらいそうで、保存の仕方さえ気をつければ、それこそ何年も保つらしい。
バカ売れするぞ!
遠くへも輸送できる。
原料も自分のところで作れる。
製法も不明で、他所では作れない。
これは、アメリア様に許可を取って鑑定魔法をかけて確認した。
どうもエールを濃くしたものらしいが、濃くしたら色が透明になるなど訳が分からない。
大体、エールを濃くするって、どうすればいいというのか。
後でビーノにも確認してみるつもりだが、恐らく私と同じだろう。
他所では手に入らない、非常に貴族好みの神の酒。
国中、いや、世界中からこの酒を求めて商人が殺到するだろう。
この町は、ウィスキーの産地として世界に名を馳せる。
……問題は、その後か。
アメリア様は職人を育成すると言った。
では、その職人が引き抜かれたら?
すぐには無理かもしれんが、いずれ製法も解明されるだろう。
そうなれば、この町の優位性はなくなる。
完全に衰退することもないだろうが、今後の発展も望めなくなるだろう。
ウィスキーはまだ開発段階なので、具体的な商取引はもう少し待ってほしいと言われて、とりあえず一旦試飲会はお開きとなった。
日もだいぶ傾いてきて、これから屋敷に帰るのかと思っていた私に、アメリア様はもう一箇所連れて行きたい場所があるという。
そして連れて行かれたのは、町の東の外れ。
そこには何もなく、些か長めの桟橋と、小さな舟が一艘浮かぶだけだった。
ただのだだっ広い空き地が、延々と広がるだけの場所。
桟橋から見る夕日が、賢者の塔の立つ崖の向こうに少しずつ沈みかけている。
「フェルディさん。
この桟橋、何のために作ったか分かりますか?」
夕日を背に佇む子供の姿はシルエットとなり、その表情は見えない。
「私はね、この町を、この国を代表する貿易港にしようと考えているんですよ。
この国の貴族は魔力量頼みの攻撃魔法で安心しきっていますけど、きっとそんな時代はいつまでも続きません。
倭国では魔法を利用した大きな船の開発が進んでいて、世界の輸送手段は馬車から船に変わってきているとか。
他にも魔法を利用した様々な技術が開発されてきていると聞いています。
このままでは、この国は遠からず世界から置いていかれます。
私はね、この町を世界中の船が行き来し、世界中の様々な技術が集まる、そんな国際都市にしたいんです。
今ここに広がる手付かずの空き地は、近い将来作る予定の貿易都市の建設予定地です。
そして、朝見せた学校周辺の土地は、全て研究学園都市の建設予定地です。
私は不安定な自分の未来を守るために、レジーナは亡くなった両親の夢を叶えるために……。
この計画は、必ず実現させます」
そう言って笑うアメリア様は、まるで背後に燃える太陽のようで、その強い意志は、私の中に深く仕舞い込まれた何かに強く語りかけ続けていた。
その晩、懐かしい夢を見た。
ずっと考えないようにしてきた、懐かしい夢を……。
ねぇ、レベッカ。
お前はいつも無茶ばかりする私を、父さんからかばってくれたよね。
父さんの逆鱗に触れるのを承知で、私はクビになったりしないから大丈夫ですよって、笑って……。
そして、夢を見ないような商人はつまらない。
商人が野心を持たなくてどうするって……。
ジャックはそんなレベッカに苦笑しながら、野心を持つことと無謀な挑戦は違うって……。
いつも私のやることにケチを付けながらも、やること自体には決して反対はしなかった。
目標を変えるのではなく、手段を考えろって……。
あの日、私のせいで街を去っていくお前たちを見て、私は夢を見ることをやめたんだ。
私は結局、お前たちを殺してしまった。
兄のように、姉のように、ずっと私を可愛がってくれてきた二人だったのに。
結婚式で、あんなに幸せそうに笑っていたのに……。
全て私が壊した。
だから、あの日、誓ったんだ。
もう夢なんか見ないって。
『目標を変えるのではなく、手段を考えなさい』
『夢を見ないような商人なんてつまらないわよ』
『ジャック兄さん、レベッカ姉さん。本当は二人が街を去ったあの日、僕も二人と一緒に行きたかったんだ』
………………
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