商人がやって来た
その商人は、たまにふらっとやって来るいつもの行商人とは、明らかに違っていた。
まず、人数。
普通、この町にやって来る行商人は、多くて2人だ。
そして、みな商人というよりは、冒険者といった出で立ちの人が殆ど。
というか、この町に来る商人は、皆商人兼冒険者だから。
この世界の冒険者というのは、要は荒事を職業にしている人。
戦争が頻発していた時代には“傭兵”と呼ばれていた人たちが、平和な時代になって、“傭兵”はイメージが悪いということで、“冒険者”と名乗るようになったのが始まりらしい。
通常の仕事は、護衛や魔物、盗賊の討伐等の、危険で戦闘が伴うものが殆どだ。
つまり、単純に戦闘力のある者が、冒険者という職業につくことになる。
で、そういった冒険者の中には、この町に来る行商人のように、自分で商売をする者も多い。
辺境の町を回って、商品を売り買いする。
そこで依頼があれば、冒険者の仕事も請け負う。
冒険者にしても、黙って冒険者ギルドの依頼ボードに仕事が貼り出されるのを待つ必要はないわけで……。
ふつう、辺境の町には冒険者ギルドなどないから、そういう地域では、こういう流しの冒険者が来るのを待って、困り事を依頼したりもするんだって。
そもそも、普通の行商人は護衛等雇うお金はないから、あえて魔物が跋扈する危険な辺境で商売しようとは思わない。
だから、魔獣に襲われる危険のある辺境の行商には、単独で魔獣の討伐もできてしまう冒険者兼任の商人しか手を出そうとはしないのだ。
でも、今回の商人は……5人。
30歳くらいの旅装束でありながら身なりの整った商人と、それよりは少し年上の、恐らく部下であろう商人。
そして護衛が3人。
多分、冒険者と兼任の流しの行商人ではなく、どこかの町のれっきとした商人なのだと思う。
そんな商人が、こんな辺境の町に一体何を売りにきたのか?
更に奇妙なのが、それだけの隊商でありながら、売り物を殆ど持ってきていないのだ。
あの程度の商品では、恐らく護衛代も出ないだろう。
本当に、何をしに来たのか……。
考えられるのは、何か小さくて高額な、宝石やアクセサリーのような商品を持っていて、それをうちに売りにきたって線かな。
それなら分からなくもないけど、それだったらわざわざこんな辺境まで来ずに、王都の公爵邸に行けばいい話だ。
わざわざこっちに来るってことは、物の価値を知らない辺境の小娘(私)と元平民(お母様)に、うまいことを言って何か売りつけてやろうっていう詐欺のパターンかなぁ……。
その日の昼間、日の高いうちにセーバの町に入った商人は、しばらく町の人たちと世間話をした後、早速公爵家に面会を願い出る手紙を届けてきた。
こういう貴族に対する対応をわきまえている時点で、ただの行商人でないのは明白だ。
何が目的かは分からないけど、まずは会ってみないとだね。
もったいぶっても仕方がないので、その日のうちに面会を承諾する旨を商人に伝えた。
夕方、お屋敷を訪ねてきた商人と面談するのは、私とアルトさんだ。
わざわざ見ず知らずの商人に公爵が会う必要はないし、お母様は面倒そうなことはしたがらない。
「領のことは、アメリアに全て任せるから」だそうだ。
さて、商人殿は何をお望みかな?
お望みは、何とレジーナだった!
私の予想、大ハズレである。
用件は、公爵家で働いているレジーナという侍女を、引き取らせてほしいというものだった。
なっ、なっ、なっ、なんですと!
この男は私の大事なレジーナを奪おうというのか?
お前のような男にレジーナはやらん!
(ちゃぶ台を)ドンガラガッシャン!
なんて寸劇を頭の中で展開しつつ、表情は笑顔のまま。
「理由を、お伺いしてもよろしいですか?
あなたはレジーナを、当家に仕える“ただの侍女”とお考えなのでしょうけど、彼女は私の“側近”です。
納得のいく理由がなければ、そうおいそれと引き渡すことなどできません」
「…………。公爵家の方には、多少ご不快に感じる話かもしれませんが……」
そう前置きして語られたのは、レジーナの両親についての話だった。
レジーナの両親は、元々はザパド侯爵領の街、クボーストの出身らしい。
クボーストは、ザパド侯爵領第2の都市。
この国全体で見ても、王都、領都ザパドに続く3番目の都市になる。
街の規模としては、ユーグ領やボストク領の領都よりも大きいのだ。
その理由は、クボーストが唯一ビャバール商業連邦と国境を接する街だということにある。
他にも、他国と国境を接している街には、ソルン帝国との国境にあるボストク領の領都ボストクがある。
でも、こちらは商人同士の多少の行き来はあるものの、国としての商取引はないため、それ程活発な行き来はない。
海に面しているものの、他国の貿易船を受け入れられるような港を持たないモーシェブニ魔法王国にとって、クボーストは事実上、唯一の他国との通商の玄関口なのだ。
この国に外国から入ってくる物資は、一旦大陸南西にある港湾都市バンダルガに集められ、そこから陸路で国境の街クボーストを通って、領都ザパドに運びこまれる。
それらの物資が、ザパド領の西にあるユーグ領、更にその西にあるボストク領、ザパド領の北にある王都に送られていくのだ。
つまり、ザパド領のザパド、クボーストは、我が国の通商の要とも言える二大都市なのだ。
レジーナの父親は、そのクボーストの街でも指折りの商会の、若手の番頭格であったらしい。
「当時の私は、初めて父から任された大きな仕事に有頂天になっていました。
周りの者たちをあっと言わせてやろうと意気込み、今にして思えば危険極まりない賭けに出ました。
あの時、ジャックの……レジーナの父親の言うことを聞いていれば、あんなことにはならなかったのに……」
目の前の商人、フェルディさんは、ザパド、クボーストに大きな店を持つレボル商会の御曹司らしい。
そして、レジーナの父親ジャックさんは、当時フェルディさんに付けられていた補佐兼教育係だったそうだ。
御曹司の補佐兼教育係って、完全に商会の幹部候補ってことだ。
レジーナのお父さんって、ただの田舎町の商人じゃなかったんだね。
今から10年か、もうちょっと前の話らしい。
当時のフェルディさんは、父親からある仕事を任された。
新王即位の際に、ザパド侯爵が王家に贈ることになる贈り物の手配だ。
新王の即位は、王太子が学院を卒業する1年後で、それまでに侯爵家として恥ずかしくない物を用意するようにと、ザパド侯爵よりレボル商会に直々の依頼があったそうだ。
この仕事を任されたフェルディさんは、贈り物として倭国の茶器を考えた。
倭国は大陸の東の端にある、我が国から最も遠い国だ。
当時は海上輸送にもかなりのリスクを伴ったそうで、安全な陸路で運ぼうとすると、制作期間も考えると1年でもギリギリの日数であったらしい。
それでも、フェルディさんは直接倭国へ赴き、何とか期限までに茶器を届けることに成功したそうだ。
「新国王の髪の色に似た濃紺の茶碗で、新国王の瞳と同じダークブルーに輝く宝石の輝きが茶碗の底に散りばめられた、とても美しい茶碗でした」
それって、天目茶碗のことかなぁ……って、あれ?
国王陛下の髪って、ダークグリーンじゃなかったっけ?
紺色の髪なのは、お父様の方……!!
「奇を衒い過ぎたのです。
倭国で初めてあの茶碗を見た時、ディビッド王子の髪と瞳を連想させるその美しい茶器以外の贈り物など、私には全く考えられませんでした。
ジャックは、ディビッド王子の学院での噂を聞いて、王太子が代わる可能性も考慮すべきだと言っていたのに」
悔しそうに拳を握り締めるフェルディさんは、本当に辛そうだ。
「最初にザパド侯爵にあの茶碗を届けた時には、大層喜ばれました。
『これほど見事な茶碗は、見たことがない。きっと新王も喜ばれるだろう』と。
しかし、それから日を経ずして、私は再度ザパド侯爵に呼び出されました。
侯爵はひどくご立腹で、その時に王太子が弟君に代わったと聞かされました。
ディビッド王子は、こともあろうに平民等と結婚して王位を捨てる愚か者だったと。
そして、ディビッド王子を連想させるような茶碗などいらんと、突っ返されました。
このような物を持ってくる者など、顔も見たくない。
即刻我が領から出て行けと」
それって、ただの八つ当たりのような……。
「ええ、勿論、理不尽な八つ当たりです。
それでも、貴族様の言うことは絶対です。
レボル商会は侯爵家御用達の看板を取り上げられ、私は領を追放されることになりました。
その時に、私の後ろで補佐として控えてくれていたジャックが助けてくれたのです。
言葉巧みにザパド侯爵の怒りを私から逸し、最終的には全ての責任はジャックにあるということで、ザパド侯爵を納得させました。
その後、領から追放処分となったジャックは店を辞め、結婚したばかりのレベッカと一緒に、新しくできる公爵領に去っていきました」
何と言うか、それ、間接的にお父様の責任だよねぇ。
お父様とお母様が結婚しないと私も生まれない訳だから、お父様のとった決断が悪いとは言わないけど……。
何か申し訳ない感じはするね。
フェルディさんが、ご不快にさせるかもと言い淀むのも、もっともだ。
フェルディさんに悪気はなくても、正直責められている感じはしちゃうものね。
「ジャックもレベッカも、『セーバ公爵領が大きくなったら、レボル商会にも一枚噛ませてあげますよ』と、笑って出発していきました……。
それが、もう2人とも亡くなっているなんて……。
これでは、私が大恩ある2人を殺したのと同じだ」
そう言って、フェルディさんは俯いてしまう。
肩は震えている。
仮にも貴族の前だ。
必死に感情を抑えようとしているのがよくわかる。
フェルディさんは今回仕事で王都にやって来て、そこで時間の余裕ができたので、前から気になっていたジャックさんに会おうと、セーバの町に向かうことにしたそうだ。
道中ジャックさんの事を尋ねても、誰も分からないと言う。
何年か前までは、セーバとの間を定期的に行き来する商人がいたが、それも魔獣に襲われて死んだから、今はいないと聞かされたそうだ。
不安を抑えて辿り着いたセーバの町で聞かされたのは、2人の死と、唯一残された一人娘が公爵邸でお嬢様付きの侍女として働いている、という事実。
「私は、大恩ある2人の娘に、是非恩返しがしたいのです。
もし公爵家のお許しが頂けるのなら、レジーナを連れて帰り、私の正式な養女として育てたいと考えています」
う〜ん、これは私の一存では判断しかねるね。
実際のところ、レボル商会がどの程度の商会なのかはわからないけど、話を聞く限りではレジーナにとっても決して悪い話じゃない。
フェルディさんも悪い人には見えないしね。
そもそも、これはレジーナの両親の事が大きく絡む問題だ。
私はレジーナが死んだ父親のことを、今でもとても慕っていることを知っている……。
「サマンサ、レジーナを呼んでもらえる?」
これは、私の都合を押し付けていい問題じゃない。
レジーナの判断に任せよう。
そう考えた私は、サマンサにレジーナを呼んでくるように頼んだ。
……
……
……
「お断りします」
即答だった。
レジーナを呼んで、改めてレジーナの両親の事を話して、自分の養女にならないかと尋ねるフェルディさんに対して、レジーナは全く悩む素振りも見せずに即答した。
「私の主は、ここにいるアメリア様です。
アメリア様は私の両親の夢を叶え、この町をザパドにも負けない大都市にして下さいます。
私はそのお手伝いをすると決めていますから……フェルディ様のご期待には応えられません」
そう言い切るレジーナに対して、反論はしないものの、納得はしていない様子のフェルディさん。
まあ、7歳で魔力二桁の私がこの田舎町を大都市にすると言っても、普通は信じられないよね。
仲良しの子供が夢というか、妄想を共有しているように見えるんだと思う。
ろくに魔力もない、田舎に引きこもっている訳有りの貴族に、村と言ってもいい程度の、名ばかりの領都。
どう考えても、自分と一緒に来て、商会のお嬢様になる方がいいに決まっている。
そう考えているんだろうね。
「フェルディさんは、急いで王都に戻るご予定がお有りですか?」
「いいえ、まだ数日は大丈夫ですが」
「では、今夜は我が家にお泊り下さい。
フェルディさんのお連れの方の部屋も用意させます。
それで、明日はこの町をレジーナとご案内しますので、1日お付き合い下さい」
私は、そう言ってフェルディさんに微笑んだ。




