最終決戦
帝国女帝マリアーヌがアメリア公爵の使者を名乗る少女の訪問を受けた日から数日。
王都近郊には黒光りする全身鎧に身を包む数多の帝国兵が、整然と立ち並ぶ姿があった。
この世界の戦の歴史において、このような密集陣形が使われた例はかつて無く、またその動きを著しく阻害する全身鎧などという物も存在しなかった。
敵の魔法を警戒し、主戦力となる上級貴族とその周囲を守る兵を一定間隔で配置した王国軍の布陣は、それが適切であると頭では理解しつつも、目の前の威容に対してひどく心許なく感じられる。
「…ふん、話には聞いていたが、実際に見ると滑稽だな!
あのような鎧を着込んでは満足に動くこともできまい! とんだ虚仮脅しだ!」
「左様! あれではあの場から碌に動くことも敵わぬのではないか? まさに格好の的よ!」
「今まではその突飛な陣形で虚を衝けたのだろうが、我々には通用せん! 本当の魔法というものを味わうがいい!」
帝国軍を広く囲むように配置された各部隊から、合図とともに一斉に攻撃魔法が放たれる。
魔力の出し惜しみはしない。
中途半端な魔法では、全てあの忌々しい鎧に無効化されてしまう事は承知している。
無数の炎の塊が、鎧の集団目掛けて襲いかかる。
辺り一面を紅く染め上げる炎の波は、何の慈悲もなく帝国軍の全てを飲み込み…
打ち付ける波が水面に消えるように、跡形もなく消え去った。
…………………
戦場に沈黙が広がる。
この地に集まる王国兵の誰もが、目の前の現実を上手く処理できず、その場に立ち尽くす。
一言でも声を出せば、少しでも動けば、今見た不条理がそのまま現実になってしまうようで…
「全軍、前進!!」
その沈黙を破る帝国軍の指揮官らしき者の声。
それに従い、規則正しい音を響かせて進軍を開始する鎧の群れ。
静かに、確実に近づいて来る巨大な鎧。
先程王国軍によって放たれた魔法攻撃を津波に例えるなら、こちらはまさに山津波。
山の斜面を滑り下りる大量の土砂が小さな村を押し流すように、進路上に展開していた幾つかの部隊が押し寄せる帝国軍に呑み込まれていく。
「クッ、なんだ、あれは!? 何故魔法が効かぬ? あれは魔法無効化の魔法ではないのか!?」
「う、うわあ! こんなのは聞いていないぞ! …退却! 退却だ!!」
早々に敵に背を向けて潰走する一団の背後に、帝国軍から放たれた巨大な火球が襲いかかる。
上級貴族の魔法に匹敵するその火球は、逃げ惑う王国兵を一瞬にして燃やし尽くす。
それも、一度や二度ではない。
帝国軍から散開して様子を窺う王国軍の部隊の上空に、次々に巨大な火球が降り注ぐ。
逃げることも、その場に留まることも許されない。
こちらの魔法は効かず、思い描いていた安全圏からの一方的な攻撃など夢のまた夢。
覚悟を決めるしかない!
魔法を主戦力にする貴族にとっては護身用に近い剣をその手に取り、王国兵たちが帝国兵に突進していく。
「ええい! 今の帝国兵など所詮は平民の集まりだ! 恐れることはない! 突撃!!」
距離を取ってもこちらの魔法は効かず、敵の魔法に一方的に蹂躙されるだけ。
普段とは全く真逆の立場だが、ならば魔術師の弱点でもある接近戦に持ち込めばよい。
その必要がないから使わないだけで、決して剣を扱えないわけではないのだ。
相手は所詮平民。
しかも、あのように重い鎧を着ていては満足に動けまい。
魔法の効かない鎧だというのなら、重い剣でぶん殴ればよいのだ。
我が渾身の一撃、思い知るがよい!!
ガキーーン
とある王国騎士が振り下ろした大剣は、あっさりと目の前の帝国兵の剣に受け止められる。
「馬鹿な!! 何故受け止められる!? いや、そもそもそのような重い鎧を着て満足に動けるはずが!」
「ハッ! 帝国兵をなめるな! こんな鎧、普段運んでいる荷物に比べればなんてこともねえよ!」
打ち合う鎧の中から聞こえてくる声と同時、その横に並ぶもう一人の帝国兵の槍が王国騎士の脇腹に突き刺さる。
「グッ! 二人がかりとは卑怯な…」
その場に崩れ落ちる敵兵を押し退け、帝国兵の進軍は止まらない。
確かに一対一の剣での試合であれば、剣技に勝る王国騎士は帝国兵を圧倒できただろう。
魔法王国人の常識で考えるなら、あのような重い鎧を着ていては、満足に動くことなどできないはずだ。
ただし、それは、帝国の常識ではない。
魔法が失われてより200年。
帝国の民は過酷な自然環境の中で、全てを人の力だけで生き抜いてきた。
土地を切り開くのも、重い荷を運ぶのも、料理の火を熾すことすらも、その全てを人の手によって行ってきたのだ。
そんな環境で生まれ育った帝国の兵にとって、鉄の鎧を着て荒れ地を歩くなどどうということもない。
普段仕事で担いでいる荷の方が余程重いのだ。
基礎体力という一点において、帝国の平民兵士と王国の貴族騎士の間には、大人と子供ほどの違いがある。
力と体力が物を言う集団戦において、魔法を封じられた王国騎士は無力だった。
「ど、どうするのだ!? このままでは本陣も危ういぞ!」
「な、なぜだ!? なぜ魔法が効かぬ!? あれは魔法無効化の魔法ではないのか…」
「ええい! ジェローム伯爵! 貴殿がいけると言うから我々は!!」
「だから私は王妃殿下の軍にも助力を願えと言ったのだ!」
「何を言う!? この戦を機に我等の発言力を強めたいと言い出したのは貴殿であろう!?」
「だ、だめだ! もう王国は終わりだ!」
王都に集まった保守派貴族によって形成された王都最終防衛ラインは既に瓦解寸前。
王妃殿下に大見得を切ってこの戦場の指揮権を勝ち取った保守派貴族の上層部も、この状況に右往左往するばかり。
こっそりと王都から様子を窺う王都民たちの顔が絶望に染まる。
チュドーーーン!!
そんな中、土煙とともに帝国軍の一角に衝撃が広がる。
その場に倒れる何人かの帝国兵の鎧はひしゃげており、今の攻撃が“魔法”ではないことを物語っている。
「魔法のはずがない。これは石か何かをぶつけられたのか?
…いや、これは以前陛下がおっしゃっていた大砲か?」
幸い難を逃れた現場指揮官の一人が、倒れる部下を見て思い悩むが…
その答えはすぐに明らかになる。
「伝令! 左方より敵援軍を確認! 敵は……ゴーレムを従えています!」
新たに現れた王国軍と思われる敵兵団を見て、帝国兵の間に動揺が走る。
人の2倍ほどはあろうかという数十体のアイアンゴーレムが、巨大な盾を構えて横一列に並んでいる。
そして、その中心。
恐らくリーダーと思われるゴーレムの肩に立つ一人の少女が、ゆっくりとこちらに向かって腕を突き出す。
チュドーーーン!!
一瞬の閃光と共に先ほどと同じ土煙と衝撃が走る。
「前進!!」
拡声の魔道具を通して、戦場に少女の声が響き渡る。
地響きを立ててゆっくりと歩き出す鉄の巨人たち。
後の世に、鉄人兵戦争と呼ばれる王都防衛戦が始まった。




