在釡
『在釡』
防具作りについてのあれこれを考えつつ、茶道具店の店先で手に取った抹茶茶碗から顔を上げたところで、ふと“在釜”という漢字の書かれた紙に目が止まる。
「あの、お茶、いただけるんですか?」
“在釡”と書かれた紙に視線を向けながら、店主とおぼしき男の人に声をかけると…
「ほお、外国の方なのによくご存知ですな。
ええ、召し上がれますよ。
店の裏手に回ったところに茶室がございまして、そこで釜を掛けております。
よろしかったら、立ち寄ってみて下さい」
なんでも、もうお店の方を引退した店主さんのお母様が、趣味でやっているらしい。
“在釡”っていうのは、(お茶の)釜を掛けていますよって意味で、お茶会やってるからお気軽にお越しくださいって感じの意味。
前世で京都を旅行した時には、お茶室のあるお寺とかで“在釡”の文字を見かけると、飛び込みでお茶会に参加させてもらったりしたものだ…
流石はこの世界の茶道発祥の地。
王国や連邦では上流階級の嗜みって感じの茶道だけど、倭国では前世と同じで市井にもしっかり茶道文化が定着しているんだね。
私達は店主さんの誘いに従いお店の裏手に回ると、小さな数寄屋門を潜る。
お店の裏に建てられた小さなお茶室ということで露地は短いけど、しっかりと打ち水もされていてちょっとだけ気分も引き締まる。
表のお店の店主さんが知らせてくれたのか、待合で待つことなく気さくそうな感じのお婆さんが出てきて、すぐにお茶室に案内してくれた。
「お嬢さんたちは、あれに乗って来たんだねぇ…
何年か前におひいさまが輪っかのついた奇妙な船をこしらえた時にも驚いたけど、あの“れっしゃ”という乗り物ときたら…
わたしのような年寄は、おっかなくってとても乗る気にはならないけど…
聞いた話だと、あの“れっしゃ”を作ったのもお嬢さんたちの国のおひいさまなんだろ?
わたし達のような下々の者には想像もつかないけど、身分のあるお嬢様というのは考えることが違うのかねぇ…」
「…え〜と、、そう、あの列車、見た目はちょっと怖いかもしれないですけど、乗り心地はとてもいいんですよ。
馬車と違って全然揺れませんし、むしろ馬車よりも体への負担も少ないと思います」
「そうなのかい?
なら、今度ラージタニーにいる娘のところに行く時には、思い切って乗ってみようかねぇ」
「ええ、ぜひそうしてみて下さい」
お婆さんはなかなかに話好きみたいで、若い外国人の子なのに作法もしっかりしてるって、すっかり歓待ムード。
茶道の心得もあるならと、とっておきの濃茶も出してくれて、濃茶薄茶とフルコースだった。
近所に美味しい和菓子屋があるからと、用意してあったお干菓子以外に主菓子まで出してくれて、もう至れり尽くせり。
後から茶道具店の店主さんに聞いた話だと、やはり釜を掛けていても全く知らない若いお客さんが来る事はまず無いそうで、母の話し相手になってもらえてこちらも助かったとのこと。
「いえいえ、こちらこそすっかりご馳走になって…」ということで、お礼に私が作った“茶ふるい”を進呈しておいた。
これ、静電気?、湿気?なんかでダマになっちゃってるお抹茶を、細かくパウダー状にするもの。
前世だと茶こしなんかでも代用できて、買ってきた抹茶を点てる前にこれでふるっておくと、お茶の点ち具合が全然違うのだ。
ただ、この世界の“ふるい”、“茶こし”って、前世の物と比べるとかなり目が粗いんだよね。
イメージ力不足というか、もっと細かな網目の物を見たことがないせいか、金魔法で作るにしても作りがかなり甘い。
で、自分が使う用に前世基準で納得のいくものを私が自分で作って、それを見本にしてセーバの街の職人にも同じ物を作らせた。
これ、タキリさんとかにも結構好評で、まだそれほど数は多くないけど、倭国や連邦のアメリア商会でも扱っていたりするんだけど…
せっかくなので、今回はお婆ちゃんとの出会いを記念して、私がその場で作った物をプレゼントした。
いや、材料に使う銅を買ってきて、それを金魔法を使ってその場で加工するだけだから。
自分用のを作る時に何度も試したから、材料さえあればすぐに作ることができるからね。
お婆ちゃん一押しの濃茶はとても美味しかったけど、元々の抹茶にダマが多いせいか、どうも練りが甘い気がした。
濃茶は大量の抹茶を少量のお湯と混ぜるから、薄茶のように“点てる”とは言わずに“練る”と言う。
いや、文字通り“練る”って感じで、できたお茶はドロっとした状態。
まぁ、そんなだから、余計に抹茶のダマが気になったんだよね。
それで“茶ふるい”をプレゼントするって、味にクレームをつけるみたいで失礼かなとも思ったんだけど、そこは流石は茶道具店の家というか…
私が作った茶ふるいを見て、お婆さんも店主さんも目の色を変えて飛びついたよ。
キョウの都のアメリア商会でも扱っているからって教えてあげて、なんとか解放されたけど…
まぁ、プチ営業活動もできたし、美味しいお茶とお菓子もいただけた。
なかなかに有意義な気分転換になりました。
>
後年。
倭国中興の祖イィ様の妹弟子であり、この世界の文化と教育に多大な影響を与えたアメリア師が手ずから作り下賜した“茶ふるい”は、この茶道具店を名実ともに一流の茶道具店へと引き上げることになる。
世の名だたる茶人がアメリア師謹製の茶ふるいでふるわれた茶を所望し、茶道具店裏の茶室に客足が途絶えることはなかったという。
一々アメリア商会に取りに行くより、近所の工房で銅だけ買ってその場で作った方が早いと考えたアメリアは、この時まだ自分の価値というものに全く気が付いてはいなかったのだった。




