忍び寄る影 〜ライアン王太子視点〜
(ライアン王太子視点)
「少々この状況は不自然ですね……」
そう呟くのは、私の隣に立つ参謀殿。
ここは、野営地に設営された大型テントの中。
所謂作戦司令部で、私とレジーナ嬢の他にも、各班のリーダーであるソフィア嬢とユリウス、それに護衛騎士隊の隊長に数人の学院教師も集まっている。
今は夕食も終わって、少し落ち着いた時間帯。
日はとうに沈み、周囲の森は闇に沈んでいる。
野営地の中は、設置した照明の魔道具のおかげで最低限の明るさは確保されている。
それでも、周囲の森から漏れ出る闇の深さは変わらない。
今現在、野営地には、密集するテントを囲むように岩壁が聳え立っている。
ソフィア嬢を中心に、金魔法の得意な者が協力して作り上げた、かなり強固な城壁だ。
つい今年の闘技大会のことを思い出してしまい、少々苦々しい気分になるが……。
ともあれ、これならワイルドボアの突進でも、十分に受け止めることができるだろう。
夕食の後、守りを固めるように急遽作られることになった城壁が、逆に皆の不安を掻き立てている……。
皆の旅行気分を一瞬で塗り変える事となった、最初のワイルドボアの襲撃。
あれからも、色々あったのだ……。
襲撃後、慌てて行った隊の編成、役割分担、魔物襲撃時の対応の確認etc……。
学院でのオリエンテーションでは、魔物など恐るるに足らずと息巻いていた者も、あの襲撃の後では皆口をつぐんだ。
対応を誤れば死ぬ……誰もが、それを自覚したから。
一通りの確認が終わった私達が次にやったのは、倒したワイルドボアの解体作業。
……これも、襲撃時とはまた違った意味で、修羅場だった。
そこは、血みどろの戦場。
引率教師の指導の元、ナイフを片手に解体作業に従事する学生たち。
ワイルドボアの巨体は、それこそ人一人がそのまま腹の中に入り込めてしまうほどの大きさで……。
ナイフはおろか、体中が血脂でベトベトになり……。
初めての解体作業に気分を悪くして、吐き出してしまう者も続出した。
実は、魔物の解体作業自体は、ナイフなど使わずとも木魔法で行うことができる。
だが、それは、実際の解体手順や魔物の体の特徴を理解している場合の話。
故に、たとえ木魔法が得意な者であっても、一度は解体の様子をその目で見て、実際に肉を割く感触を体験する必要がある。
魔物の解体などは、軍隊でも平民の兵士や、精々が下級貴族の仕事となるため、上級貴族の自分たちができる必要は無い。
そう言って抵抗する者もいたが、今その技術が必要で、できなければ食べ物は無いと言われれば、拒否のしようもなかった。
そうして解体された肉が、今晩の夕食となった。
ちなみに、苦労して運んできた食糧に手を付けることは許されなかった。
まずは現地調達した食糧で何とかするのが基本で、運んで来た食糧は獲物が確保できなかった場合の非常食だと……。
ただ火で炙っただけの肉に齧り付いたのは半数ほど。
残りの半数は、ただ目の前の焚き火で焼かれただけの魔物の肉に抵抗を示し、そのうちの何人かは先程の解体現場を思い出して蒼くなっていた。
それでも、皆が慣れない肉を無理やり胃に流し込んだ。
ここまでの行軍や慣れない野外活動で、かなり空腹だったというのもある。
だが、それ以上に、「食べれる時に食べておかないと、死にますよ」というレジーナ嬢の言葉に、妙に納得してしまったから……。
たんに大森林の雰囲気に当てられた、というだけではない。
現実に、最初のワイルドボアの襲撃の後、新たに2度も魔物の襲撃があったのだ!
当然3度目もあるだろうし、更に状況が悪化すれば、本当に食べ物など口にできない状況になるかもしれない……。
ここは大森林。
人の領域とは違う。
甘えたことなど言っていられない!
そんな雰囲気が、学生たちの間にはできあがっていた。
だが、今回のように頻繁に魔物が襲ってくるような状況は、たとえ大森林であっても普通はあり得ないらしい。
レジーナ嬢が言うには、今日立て続けに起こった魔物の襲撃は、人為的なものである可能性が高いとの事。
誰かが悪意をもって、この野営地に魔物をけしかけていると……。
「だが、そんな事が可能なのか?」
「別に不可能ではないでしょう。
他国では一部の魔物を飼いならして、番犬代わりに使っているところもあると聞いたことがあります。
それに、商業ギルドや王家が所有する連絡用の魔鳥便も、魔物を飼いならしたものと言えますし」
言われてみれば、その通りだ。
王家が手紙のやり取りに使っている魔鳥も、言ってみれば魔物の一種。
不可能ではない、ということか……。
「ただ、それでも疑問が残ります」
「というと?」
「割に合いません。
確かに魔物を飼いならすこと自体は可能でしょう。
ですが、そのためには恐らく、かなりの時間とお金がかかります。
ライアン殿下は、配達に使う魔鳥がいくらするかご存知ですか?」
「いや」
「王都に屋敷が買えます。
そのような貴重な魔物を、今日のような形で使い潰すとは思えません。
やるのなら、一斉に攻め込ませます」
確かに、その通りだろう。
王都の屋敷というのが具体的にいくらなのかは知らないが、決して安い金額ではないはずだ。
そんな高価な魔物を、わざわざ一匹ずつけしかけるなど、正に戦力の無駄遣いと言える。
「この規模の部隊を壊滅させるなら、少なくとも数十匹程度は一度にけしかけないと意味がありません。
そして、そんな数の魔物を移動させれば、確実にこちらに気付かれます。
大体、そんなことをするくらいなら、その辺の盗賊団を雇い入れた方が余程安上がりです」
結局のところ、敵の狙いが今ひとつ分からない。
ただ、今日のように頻繁に魔物に襲われる状況は、この大森林においても決して当たり前のことではないらしい。
間違いなく、何かしらの悪意は存在すると……。
念の為、大規模な襲撃があった場合の対応について話し合い、一旦会議はお開きとなった。
そして、真夜中過ぎ。
我々は、大規模な魔物の群れに襲われることになる。
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「もう、死んだかしら?」
ザパド領へと向かう馬車の中で、目の前の男に尋ねる。
「どうでしょう……。既に小規模な襲撃は受けているでしょうが、あの薬は広範囲に行き渡るまでには、かなりの時間がかかります。
野営地に薬を撒いたのが昼過ぎなら、本格的な襲撃は真夜中くらいになるかと……」
今日、私が野営地に撒いてきた薬は、一部の魔物を薬を撒いた地点に引き寄せる。
そういう薬らしい。
目の前の男によると、あの薬は大気に触れるとゆっくりとその効果範囲を広げ、最終的にはかなりの広範囲に行き渡るらしい。
効果は半日から1日程度。
つまり、明日の朝くらいまで。
今夜、不幸にもあの野営地に魔物の大群が押し寄せ、王太子と多くの上級貴族がその犠牲となる。
子供を失った多くの貴族が、無茶な通過儀礼を行った王家とセーバ領に反感を持ち、結果国は大きく乱れる。
全て、ダルーガ伯爵の思惑通りね。
「でも、よろしいのですか?
これであなたも死んだことになり、二度とこの国の貴族としては表に出られませんよ」
「別に、構わないわ」
この国の王族が倒れ、ダルーガ伯爵がこの国の王となれば、私はこの国の王妃となれる。
今の王家が定めた貴族の爵位も、いずれは奴隷となるこの国の貴族の評価も、私にはどうでもいいことだ。
私はこのままダルーガ伯爵の元へ向かい、後はこの国が滅びるのをゆっくりと待てばいい。
まずは、王太子殿下のご冥福をお祈りしましょう。




