はじめての戦闘 ~ライアン王太子視点~
(ライアン王太子視点)
「みなさん、注意して下さい! 魔物が近づいています!」
突然の教師の叫び声に、その場が騒然となる。
皆が叫んだ教師の視線の先を凝視する。
そこに現れたのは、人の倍ほどの体躯の巨大な魔獣。
(ワイルドボア、か……?)
全身は茶色の毛に覆われ、見た目は豚に似ているが、口元に2本の大きな牙が生えている。
ワイルドボア……確かに私の知る魔物だ。
だが、大きさがまるで違う!
私の知るワイルドボアは、あんなに大きくはない!
王都近郊の森に現れるワイルドボアは、精々が背の高い大人くらいの大きさだったはず……。
ワイルドボア自体は、この野営地に来る途中でも一度見かけている。
だが、大樹の陰に隠れ、遠くに確認できただけの魔獣が、実際にはこれほどの大きさだったとは……。
野営地の中心付近に集まる我々と、森の切れ目からその姿を覗かせるあの魔獣とは、まだ幾らかの距離がある。
それでも、その威圧感は十分に伝わってくる。
あの魔獣の突進力は凄まじく、その突撃を許せばこちらの被害は甚大なものとなるだろう。
盾を構えた騎士達が、魔獣を刺激しないよう、ゆっくりと、魔獣と我々学生の間に移動してくる。
まずは盾役の兵が魔獣の突進を牽制し、そこに後方の魔術師が攻撃魔法を撃ち込む。
これが、魔物に襲われた場合のセオリーだ。
そして、攻撃魔法は可能であれば、一撃で相手を仕留められるものを。
それが無理なら、極力相手を足止めできるものを選ぶ。
呪文の詠唱に時間のかかる魔術師は、敵の突発的な攻撃には対応できないのだから……。
今のところ、奴がこちらに突撃を仕掛けてくる様子はない。
野営地に足を踏み入れてはいるものの、まだこちらの様子を窺っている状態だ。
正直、このまま逃げ去ってもらいたい。
盾役の騎士が間にいるとはいえ、あのような巨体を本当に防ぎきれる保証はない。
実際、盾を構える騎士達に、私の知る魔物討伐時のような余裕は見られない。
緊張の睨み合いは一瞬か数刻か……。
その緊張を打ち消すように、短い呪文を唱える声が聞こえた。
「なッ!(馬鹿!)」
放たれたのはファイアボール。
それは、この場の緊張に耐えきれなくなった学生の一人が、咄嗟に放ってしまったもの。
それは真っ直ぐにこちらの様子を窺うワイルドボアに飛んでいき、その巨体に炸裂した。
人一人なら十分に致命傷になりそうな大きな炎。
その炎が、ワイルドボアの全身を包むことは、なかった。
炎はかの獣を覆う体毛を燃やすこと叶わず、代わりにかの獣の闘争心に炎を付けた。
怒りに我を忘れた魔獣から溢れ出す魔力が、周囲を威圧する。
(し、死ぬのか!?)
その時に感じたのは死の恐怖。
こちらに向かって突進しようとする瞬間、私は目の前に炎の壁を作り出していた。
ファイアウォール。
敵の接近を防ぐ炎の壁は、この場では何の意味も持たない。
ワイルドボアの体毛は硬く、炎に対して強い耐性を持つ。
基本臆病なワイルドボアは、冷静な状態であれば炎を避ける。
だが、戦闘時で興奮状態の時には、その限りではない。
(さっきの奴を責められないな……)
どこかで冷静な自分が囁く。
こちらに真っ直ぐ突進してくる巨体を、自分が目の前に作り出した炎ごしに眺めながら……。
『Формируйте неорганические материалы в нужную вам форму.』
私の隣から、その呪文は聞こえてきた。
そして、目の前に突如現れる分厚い岩壁と、それに激突したと思われる轟音。
続いて聞こえてくる魔獣の断末魔の叫び。
後には、柔らかい腹の部分に複数の氷槍の刺さった、巨大な獣の死体が横たわっていた。
「何とかなりましたね」
「ええ、突然のファイアボールには焦りましたが」
笑顔で話しているのはソフィア嬢とユリウスの二人。
我々を守った岩壁はソフィア嬢の金魔法で、突然現れた岩壁に激突して目を回した魔獣にトドメを刺したのがユリウスの氷槍。
二人は、リーダーである私の指示を待たず、想定外の事態に独断で動いてしまったことを謝罪してきた。
(暗に、殿下が指揮官でしょうと、責められているのだろうなぁ……)
その後、改めて訓練参加者を得意属性等も考慮しつつ3班に分け、私、ユリウス、ソフィア嬢を班長とし、そのサポートに引率教師と護衛騎士も振り分けた。
レジーナ嬢のアドバイスに従って……。
一応は、この編成で今回の訓練を乗り切るつもりだが、レジーナ嬢とセーバの兵士にも、状況に合わせてアドバイスやサポートをしてもらうことになった。
特にレジーナ嬢には、私の補佐役として訓練中のアドバイス……というよりは、そのまま指導をお願いした。
私には、足りないものが多すぎる。
魔物を素早く察知する能力だけではない。
戦闘において、いや、それ以前に、この場において、リーダーとして何をすればよいのか、それすらも分かっていない。
ただ漠然と、この野営地に泊まり、魔物が出たら倒せばよいと、そう考えていた。
周囲の安全確認も、魔物が出た場合の対処の段取りも、隊全体の編成や役割分担も、レジーナ嬢に指摘されるまで、何も考えてはいなかった。
私はまだ勉強中の身で、こういった場で適切な対応ができないのは仕方がないのだろう。
それでも、今この場で指揮を取っているのはこの私で、魔物は殿下の勉強が終わるまで待ってはくれないと言われれば、何かを言い返せるはずもなかった。
ソフィア嬢にユリウス、セーバの街の兵士、学院の教師に一部の騎士。
あの場で冷静な対処ができていた者の全てが、レジーナ嬢を“先生”と呼ぶ者達で……。
私自身、王宮での訓練では、彼女の指導を受けているのだ……。
ここは、素直にレジーナ嬢に教えを乞うよりあるまい。
そして、あのような襲撃を目の当たりにした後では、私の判断に不平を漏らす者など誰もいなかった。




