大森林の入り口にて 〜ライアン王太子視点〜
(ライアン王太子視点)
「「「「「……………………」」」」」
ここにる全員が、絶句していた。
学生達だけではない。
引率の教師も、護衛の騎士もだ!
いや、正確には、セーバ領からの同行者以外の全員がだが……。
勿論、私の側に立つレジーナ嬢にも、特に驚いた様子はない。
彼女にとっては、これが当たり前の景色なのだろう。
目の前に広がる原生林。
その木の一本一本が大の大人でも抱えられないような大木で、王都近郊の森にあれば御神木として祀られていそうな雰囲気を醸し出している。
そんな大木がどこまでも続く樹海の入り口に立ち、ともすれば震えだしそうになる足に力を入れる。
(ここは、人の領域ではない……)
思えば、つい最近まで王国の北の端に広がる“大森林”は、全くの未開の地だった。
森の浅いところにある幾らかの集落を除けば、上級冒険者ですら容易には踏み込まない人外の領域。
その深部に至っては、前人未到の魔物の巣窟だ。
そのような地に、たとえ森の外縁部とはいえ、あのような鉄道や街道を作ってしまうなど、10年前であれば誰も信じなかっただろう。
(……本当に、ここをサラやアメリアは踏破したのか……? 学院入学前に……?)
『今年のセーバ領での通過儀礼は、かなり大変よ。
あなたも覚悟して行きなさい』
母上の言葉が思い出される。
あの母上が“かなり大変”と言ったのだ。
それは文字通りの意味で、決して例年行われる通過儀礼と比較してという意味ではなかったということか……。
まだ、どこかで軽く考えていたのかもしれない。
学院入学前のサラでもできたことだ。兄としてこの程度の試練を乗り越えられなくてどうする! と……。
逆だ!
このような試練を乗り越えてきたサラだからこそ、あのような技量を身に付けられたのだろう。
(一体、どれほどの努力をしてきたというのか……)
周囲を見渡せば、皆にかなりの動揺が見られる。
特に、王都出身の者にその傾向が目立つ。
彼等の大半は、精々が学院の野外訓練で何度か王都近郊の森に入った程度で、基本的に王都から出たことはない。
他領出身の者は、少なくとも王都の学院と自分の領地の間を往復する必要があり、その途中には多かれ少なかれ森や未開地といった魔物の生息地も存在する。
馬車での長距離移動も経験することになるし、場合によっては森で野営をすることもある。
それ以前に、地方の領地を治める貴族であれば、時に大規模な山狩や開拓等をする場合もあるため、ここほどではないにしても、森や魔物というものが身近に存在する。
私も、ボストク領に研修に赴いた折には、何度か魔物討伐に同行する機会があった。
だが、王都出身の法衣貴族には、そういった機会は無い。
逆に言えば、この通過儀礼自体が、そういった機会となるのだが……。
「こ、こんな森に入るのか?」
「む、無理だ、危険過ぎる!」
「このような場所で訓練など、安全面に対する配慮に欠けるだろ!」
「イ、イヤ! こんなの無理……」
無理もない。
いきなりこのような森を見せられれば、彼等の反応も仕方ないと言える。
そもそもの話、ここまでの道程が楽過ぎたのだ。
通常であれば、王都から目的地までの移動自体が最初の訓練となるはずなのに、彼等にはその機会すらも無かったのだから……。
王都からセーバの街までの移動は快適な列車の旅で、しかもたったの2日!
セーバの街から大森林までの移動こそ馬車を使ったが、道は全て舗装されており、馬車は殆ど揺れを感じないセーバ産の最新型。
街道沿いの野営地の設備も、下手な村よりも余程充実していた。
そして何より、セーバの街の住民……いや、セーバの街以外の駅や宿屋の従業員も含めてだが、皆非常に感じが良かった。
誰もが貴族に対する礼儀を弁えており、何より貴族に対しての怯えた態度が見られない。
髪や瞳の色から判断して、皆が魔力の低い平民に間違いはないはずなのに……。
通常、魔力の低い平民は、無条件に魔力の高い貴族を恐れるものだ。
これは身分云々以前に、生物としての本能的なものだと聞いたことがある。
魔力の高い者から無意識に滲み出る魔力が、魔力の低い平民にとっては軽い“威圧”と感じられるらしい。
故に、高い魔力に慣れていない平民は、貴族のことを無条件に怖がる。
正直なところ、こちらに害意が無くとも勝手に怯えられるのだから、見ていて不愉快になる。
貴族の中にはそういった平民の態度を面白がる輩もいるが、私はそれほど悪趣味ではないし、大半の貴族も同様だ。
だからこそ、一般的な貴族は魔力の低い平民とは関わろうとしない。
学院に入学してくる平民や、貴族家と関わり合いのある出入りの商人、職人等は、平民の中でも魔力の高い者であるため、人の顔を見て勝手に怯えたりはしない。
故に、きちんと教育を受けたそういった平民であれば、こちらも普通に付き合うことができるということになる。
そんな私の常識に当てはまらないのが、セーバの街の住民だ……。
彼等の魔力はかなり低く見える。
それなのに、彼等に怯えた様子は一切見られない。
その上、彼等の貴族に対する態度や言葉遣いは完璧で、明日から王宮で働いても問題無いと言えるものだった。
セーバの街の学校の教育レベルは王都の学院以上という噂も、決して嘘ではないのだろう。
セーバの街での滞在は一晩だけで、まだしっかりとあの街を見て回った訳ではない。
それでも、少し歩いたセーバの街は美しく整えられており、地方都市や王都の下町にありがちな異臭や汚れも見かけない。
人々の雰囲気も良く、王都の学院や貴族街、王宮にいると錯覚してしまう居心地の良さがあった。
故に錯覚したのだ。
ここは自分たちの生活圏だと……。
そして、忘れていたのだ。
これが、正式に王国の王侯貴族と認められるための“試練”であることを……。
「……事前説明にもあったように、ここからはかなりの危険が伴います。
個々の勝手な行動は、隊の全滅すら招きかねません。
故に、こちらの指示に従えない方は、この場に残られることをお勧めします。
その場合でも、それで即通過儀礼失敗とは見做しませんので安心して下さい。
次に、……云々」
その後も教師の説明は続き、皆がそれを神妙な面持ちで聞いている。
大きな葛藤を抱えながら……。
この中に、教師の言うことを額面通りに受け取るような者はいない。
確かに、たとえこの先に進まずとも、形式的には通過儀礼の達成は認められるのだろう。
あくまで、形式的には……。
だが、“臆病風に吹かれて実際の訓練に参加しなかった”、という事実は残る。
それは、今後の貴族の社交において、致命的な汚点となるだろう。
(絶対に、避けては通れない!)
そんなことを考えながら、周囲の様子を見る。
ボストク領、ユーグ領の者は……まぁ、多少顔色は悪いが大丈夫そうだ。
王都出身の者には……厳しいか……。
恐らく、彼等のうちの何人かは訓練を辞退するだろう。
ここで死んでは、元も子もないのだから。
ただ、王都に戻ってから、彼等の家の発言力は確実に落ちるだろうが……。
意外なのがザパド領だ。
ソフィア嬢は分かる。
彼女は今やアメリア側の人間だからな。
意外だったのは、もう一人の方。
キルケ嬢……クボーストの代官ボダン伯爵の娘。
ザパド侯爵が療養中なのをいいことに、主家の娘であるソフィア嬢に対して、かなり無礼な態度を取り続けていた。
それだけではない。
キルケ嬢の態度は、ともすれば王家の方針すらも蔑ろにするものだった。
貴族の武威を示す闘技大会は欠場するし、単位認定試験の結果も不合格。
それが努力の結果であるならともかく、彼女の振る舞いにはそういったところが一切見られない。
試験勉強で忙しいと闘技大会出場を辞退しておきながら、試験前に呑気にお茶会をしているほどだ。
あそこまで自分勝手でマイペースな振る舞いを見ると、ソフィア嬢に対する対抗心というよりは、我が国の貴族社会そのものを、どうでもいいと否定しているようにしか思えない。
そんな彼女だから、この通過儀礼についても、真っ先に不満の声を上げると思っていた。
だが、今のところその様子は無い。
皆と同じように、目の前の脅威に気圧された様子は見られるが、それでも参加を辞退する雰囲気ではない。
キルケ嬢が、今更貴族の名誉だの外聞だのを気にするとも思えないが……。
最終的に、王都の貴族から5人、ユーグ領から2人の者が参加を辞退することとなったが、キルケ嬢が辞退することはなかった。




