詰め込み教育礼賛
フェルマー伯爵の主張は、要約すると大体こんな感じ。
曰く、学問というものは、自分で理解することが大切で、丸暗記の知識など何の役にも立たない。
ただ黙って教えられた事を繰り返すだけの生徒に、この国の指導者的立場が務まるはずがない。
生徒にはもっと自発的にものを考える力をつけさせるべきで、ただ知識を詰め込むだけの教育には何の意味もない云々。
あぁ、何となく感じてはいたけど、これはあれだ。
かの悪名高き“ゆとり教育”。
日本人は優秀だと言われながら、日本には他国に見られるような起業家やノーベル賞受賞者といった人材は生まれてこない。
これは、日本の暗記重視の詰め込み教育に問題があるのでは?
これからの時代、ただ教えられたことを黙ってこなすのではなく、もっと自分の頭で考えて行動できる人材の育成が必要では?
こんな議論の元に行われた“ゆとり教育”は、世界トップの基礎学力を誇っていた日本の権威を失墜させて、見事に失敗した。
考えてみれば当然で、義務教育レベルの知識なんて、言わば物事を理解する上での材料や道具に過ぎない。
例えば料理。
煮る、焼く、炒める、蒸すといった基本的な調理方法。
よく使う食材と、基本的な処理の仕方。
調理器具の使い方。
それらを何も知らない人に、なにか独創的な美味しい料理を考えなさいって、そんなの無理に決まっている。
生卵とお米を渡されて、他には香辛料すらもなく、これで何を作れと?
できるのは、卵かけご飯だけでしょう! しかも、醤油無しのやつ……。
(あっ、なんか無性に卵かけご飯食べたくなってきたかも……)
ともかく!
人は既存の知識の上に自分の思考を積み上げるもので、元々持っている知識が少ない状態では大したことは考えられないのだ。
大体、先人の知識を鵜呑みにするのは駄目で、全て一から理解していかないといけないなら、いつも文明の最初からやり直しになってしまう。
それに、実は大抵の知識って、先に結果があって、後から理屈がついてくるものなんだよね。
しっかりと理解できたから、知識が身に付く訳ではない。
身に付けた知識を使っているうちに、自然とどういうものか理解できるようになってくる。
知識って、そういうものだと思う。
つまり、“理解の伴わない知識は役に立たない”は幻想だ。
大体、この世界の人間がそれを言うかって言いたい。
あんたら、石板の魔法の意味、全然理解してないじゃん!
ともあれ、ここは数学で勝負だ。
「つまり、フェルマー伯爵は、理解の伴わない知識など何の役にも立たないと、そうおっしゃりたい訳ですね」
「まぁ、そうですな。知識とは、自分の頭で考え理解して、はじめて身に付くもの。
ただ与えられただけの知識など、何の意味もありません」
「そうですか。おっしゃりたいことは分かりました。
ところで、フェルマー伯爵は分数の割り算はお出来になりますか?」
「ん? いや、勿論できるがね」
「それは凄いですね! 私の祖父は無理だと言っていましたのに」
突然数学の話に変わって一瞬戸惑ったものの、そこは数学オタ……数学好きのフェルマー伯爵。
大賢者と呼ばれる祖父にもできないとあって、途端に活気づく。
「そうですなぁ、1よりも小さな数で分けるという概念は非常に高度で理解し辛い。
アメリア公爵のお祖父様が理解できないのも無理はありません。
ですが、商人の使うただの算術ではなく、数学という学問を究めるためには、この計算技術は必須なのですよ」
うん、知ってた。
昔、私の闇魔法の理屈についてお祖父様に説明した時には、1よりも小さい数で割るという事を理解してもらうのに、すご〜く苦労したからね。
前世の日本では、分数や小数の割り算なんてそれこそ小学生レベルの計算だけど、数学未発達のこの世界では違う。
それこそ、高名な数学者の一門が、計算の奥義として一部の弟子にのみ伝えるような、そういう高等算術なのだ。
当然一般公開などされていないし、仮にしたところで一般人には理解できないだろう。
セーバの街以外ではね。
まぁ、だから、本当に嫌味ではなく“凄い”のだ。
本当に、“理解”しているのならね。
「では、フェルマー伯爵に教えていただきたいのですが、どうして分数の分子と分母を入れ替えると、割り算が掛け算になるのですか?」
「むッ!? …………ムムムムぅ」
実はこれ、前世でも、“数学はしっかりと理解しないといけない!”っていう生徒によく使った手。
「フェルマー伯爵は分数の割り算ができるのですから、当然その理屈も理解されているのですよね?」
ちょっと、いじめ過ぎかなぁ……。
ちなみに、前世でもこの質問に答えられた生徒は殆どいなかった。
勿論、全員分数の四則計算のできる子たちだ。
「…………分数の割り算の計算方法は、かつての師より門派の秘匿技術として教えられたものだ。
理屈は分からん。
ただ、そういうものだと教えられた……。
教えられた時には何故そのようになるのかと悩んだが、結局分からずじまいだったな……。
いつの間にか当たり前になっていて、今の今まで自分が理解していないことすら忘れておった……。
…………ふっ、フッ、フッ、フハハハハハは!!」
あっ、ヤバい? 壊れた?
年寄をいじめ過ぎた!?
ぶつぶつと言い出したかと思うと、突然笑い出したフェルマー伯爵に皆の視線が集まる。
ひとしきり笑ったフェルマー伯爵は、楽しそうに私の方に体を向けた。
「いや、失礼した。久々に笑わせてもらった。
本当に、ベラ様……ベラドンナ王妃殿下のおっしゃっていた通りの子供のようだ。実に面白い。
流石はアリッサ君の娘と言うべきか……。
これから学院がどう変わるのか、実に楽しみですな」
お母様、何やったの!?
いや、ここは聞かない方向で……。
「えぇと、では、フェルマー伯爵は私のやり方にご納得いただけた、ということでよろしいですか?」
「ええ、結構です。
まさか、よりにもよって数学でやり込められるとは思わなかった……。
私の負けですな。
王妃殿下よりアメリア公爵のお話を伺った時には、女神の知恵とやらをひけらかして私を従わせようとするなら、ただ与えられた知識などに何の価値もないと、逆に諭してやるつもりでおりましたが……。
いや、まさか自分の孫ほどの子供に逆に諭されるとは……いや、参りました」
あッ、危なかったぁ〜。
前世の数学知識を餌に取引を持ちかけてたら、完全にアウトだった……。
「いえ、こちらこそ生意気なことを申しました」
「確かに、アメリア公爵のおっしゃる通りだ。
改めて思い返してみれば、私も数学という学問を習い始めた頃は、師匠より無意味と思われる計算をひたすらやらされた記憶がある。
当時は、何故既に解けるようになった計算を何度もやらされるのかと、疑問に思ったものだが……。
今考えれば、あの時に無理矢理やらされた単純な計算は、確かに今の私の研究の土台となっている。
私は、生徒たちに数学を理解する面白さを伝えようとするあまり、自分のやり方に固執し過ぎてしまったようだ」
どうやら、無事フェルマー伯爵の説得に成功したっぽい。
フェルマー伯爵が認めたことで、私のやり方に懐疑的な雰囲気を見せていた他の先生方の態度も和らいだ。
実は、フェルマー伯爵も他の先生方も、昨今の学院の質の低下には頭を悩ませていたらしい。
ただ、基本的に学問好きの優秀な研究者であるこの学院の先生達には、やる気のない生徒に無理矢理勉強をさせるという発想はなかったそうだ。
学問とは面白いものなのだから、何とかその面白さを理解させてやれば、生徒たちは自然に学問に励むようになる。
そんな風に考えている先生が大半だったらしい……。
それに加えて、この国の貴族社会では、まず優先されるべきは魔力と人脈で、学問などできても大して役には立たない。
そう考える貴族が多いことも、教師が強く学問を勧められない理由とのこと。
まぁ、前世でもいたからねぇ……。
勉強なんてできても、社会に出たら何の役にも立たないって言う人。
実際は、知識のない人は知らないからその不便さに気が付かなくて、逆に知識のある人は、知っているのが当たり前だからその便利さに気が付いていないって感じだったけど……。
あの日本ですらそうだったのだから、この国の中で学問の地位が低いのは仕方がない。
仕方がないけど、これからはそうもいかなくなるよ。
なんたって、この国には既にセーバの街の例があるからね。
たとえ生まれ持った魔力は少なくとも、教育次第では今の貴族以上の力を発揮する。
その事は、既にこの国の上層部には証明されてしまっている。
これからは、ただ魔力が多いというだけでやっていける時代ではない。
だからこそ、王家も学院の改革に大鉈を振るう決心をしたのだ。
まずは、学院内の魔力至上主義の価値観を変える!
そう、私のために!!
そんなこんなで、今後の学院の方針やカリキュラムについて話し合い、最初の職員会議は終わった。




